弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2015年7月16日

キム・フィルビー

イギリス

                                (霧山昴)
著者  ベン・マッキンタイアー 、 出版  中央公論新社

 イギリスの市場もっとも有名なスパイの一生を明らかにした本です。
ケンブリッジ5人組として、良家の育ちなのに共産主義を信奉し、スパイ・マスターの世界に入り、ソ連へ情報を売り渡していたのです。
 ところが、あまりにも最良の情報だったため、逆にソ連の情報当局が疑ったのでした。
 ちょうど、日本からのゾルゲ情報をスターリンが疑ったのと同じです。
 スパイが送ってくる情報は「ニセモノ」かもしれない。味方を撹乱させるためのものかもしれないというのです。生命を賭けて送った最良の情報がたやすく信じてもらえないというのは、笑えないパラドックスです。
 キム・フィルビーは、崇拝者を勝ちとる類の人間だ。フィルビーは、相手の心に愛情を、いとも簡単に吹き込んだり、伝えたりでき、そのため相手は、自分が魅力のとりこになっているとは、ほとんど気がつかないほどだった。男性も女性も、老いも若きも、誰もがキムに取り込まれた。キム・フィルビーの父親は著名なアラブ学者で探検家で作家だった。
 キム・フィルビーは、上司として最高だった。ほかの誰よりも熱心に働きながら、苦労しているそぶりは一向に見せなかった。
 1930年代にイギリスのケンブリッジ大学を猛烈なイデオロギーの潮流が襲った。
 ナチズムの残虐性を目にした友人の多くは共産党に入ったが、フィルビーは入党はしなかった。
 ソ連の諜報組織は、異常なほどの不信感にみちており、フィルビーら5人の情報が大量で、質もよく、矛盾した点のないことを、かえって疑わしく思った。5人全員がイギリス側の二重スパイに違いないと考えたのだ。
 フィルビーがモスクワに真実を告げても、その真実がモスクワの期待に反しているため、フィルビーの報告は信用されないという、とんでもない状況が生まれた。フィルビーは、おとりであり、ペテン師であり、裏切り者であって、実に傲慢な態度で我々(ソ連側)に嘘をついていると見られていた。
 そして、ソ連側のスパイ・マスターたちが次々に黙々とスターリンによって粛清されていった。フィルビーは、これを黙って受け入れた。
 キム・フィルビーは、国民戦線派(フランコ派)のスペインから、共産主義国家ソ連から、イギリスから、三つの異なる勲章をもらった。
 キム・フィルビーは、イギリス情報機関からアメリカに派遣されています。アメリカでも、もちろん有能なスパイに徹したのです。
 フィルビーにとっては、欺瞞が楽しかった。他人に話のことをできない情報を保持し、そのことから得られるひそかな優越感に喜びを見出す。フィルビーは、もっとも近しい人々にさえ真実を知らせずにいることを楽しんでいた。
 キム・フィルビーの流した情報によって、どれだけの人々が殺されたかは不明だと何度も強調されています。
 ソ連側のもとスパイの告発によってキム・フィルビーは一度こけてしまいましたが、証拠不十分だったので、再起することができたのです。そして、二度目は、ついにソ連へ亡命してしまいます。1988年5月にキム・フィルビーはモスクワの病院で亡くなりました。
 イギリスの上流階級に育った子弟が、死ぬまで二重スパイであり続けたという驚異的な事実には、言葉が出ない思いがしました。
(2015年5月刊。2700円+税)

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