弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2015年6月19日

遊楽としての近世天皇即位式

日本史(江戸)

(霧山昴)
著者  森田 登代子 、 出版  ミネルヴァ書房

 私は、制度としての天皇制には賛成することができません。人間に無用な差別を固定化させるシステムだからです。でも、今の天皇は、心から尊敬しています。象徴天皇としての限界を守りながら、平和憲法の世界的意義を身体をはって訴えかけているからです。そこは、自民・公明の安倍内閣と真逆です。
 この本は、江戸時代の天皇即位式が庶民の楽しみの対象だったことを明らかにしています。天皇即位式のすべてではありませんが、庶民が弁当たべながら見て楽しめる儀式だったというのです。驚きました。「厳粛な儀式」とは、ほど遠い現実があったのです。やっぱり、本は読むものです。
天皇即位式を庶民が見物していた。それは絵図でも証明されている。九条兼実の日記「玉葉」には、即位式には、僧・尼と服喪者が入場禁止と書かれているから、逆に言うと、それ以外は入場できたということ。
 後醍醐天皇の即位式(1318年)にも、庶民が多く見物していた。
 このように、天皇即位式には、禁裏内に大勢の庶民が見物していた。これは公家の日記から裏付けられる。当時の天皇即位式を「厳粛な儀式」だと現代人の感覚で憶測すると、それは間違いなのだ。
江戸時代、庶民は天皇即位式の見物が許されていて、即位式で使われた調度品を見物して楽しんでいた。
 前天皇が皇位を譲り、新天皇が即位することを受禅(じゅぜん)という。前天皇は上皇となって新天皇を保佐する。前天皇が崩御(死亡)し、その結果、新天皇が皇位を継承するのを践称(せんそ)という。江戸時代より前は、天皇は生前に譲位し、上皇や法皇となって、院政を敷くのが慣例だった。
 天皇即位式のみは庶民が見物できる儀式であり、それ以外は、一般の人々には見せない秘儀とされていた。すなわち、天皇即位式は、公開することが基本中の基本だった。むしろ、「見せつける」行事だった。公家たちは、唐風装束に礼服を着ていた。その異形の服装が庶民の興味を大いに引いた。即位式の見物入場券が発行された。入場者は300人。男性100人、女性200人。
 ええっ、なぜ、女性が男性の2倍なの・・・?
 見物する庶民にとって、天皇即位式は、芝居と遊楽の一つだった。弁当を食べながら見て楽しむものだった。
 ところが、明治天皇の即位式から庶民の見物を排除してしまったのです。
 日本古来の伝統なるものは、実は、明治以来のものでしかないということです。
 それにしても、江戸時代の人々にとって、天皇とはいったいどういう存在だったのでしょうね。政権担当者でないことは明らかだったでしょうから。いわば、「象徴」天皇のようなものだったのでしょうか・・・。
(2015年3月刊。2800円+税)

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