弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2015年6月10日

江戸の飛脚

日本史(江戸)

                               (霧山昴)
著者  巻島 隆 、 出版  教育評論社

 江戸時代は、今の便利な宅急便こそありませんが、手紙や物を送るシステムは、かなり整備されていたようです。旅先で買った瀬戸物を自宅宛に送り、軽装のまま旅を続けることができました。私も宅急便を旅先からいつも利用しています。車中・機中で読み終えた本を自宅あてに返送するのです。これは本当に楽ちんです。
 江戸時代の旅行者は、旅先で買った荷物を道中の負担とならないよう、さまざまな方法で目的地へ先に送った。
 宛先と同じ方向へ赴く者に手紙を託す幸便(こうびん)も利用している。
 飛脚問屋は、手紙だけでなく、品物も運んだ。
 幕府専用の継飛脚がいた。御状箱(手紙を入れる箱)の人足のことである。道の真ん中を「エイさっさ」と掛け声とともに走っていく。旅人は、継飛脚が来ると、道の両脇に避けた.継
飛脚は、川明けの朝一番の渡船で川を渡ることが認められていた。
 武家専用の「三度飛脚」というものがあった。大坂と江戸を結ぶもので、大坂城定番の武家荷物と書状を運んだ。月三度の発送だったことから、三度飛脚と呼ばれた。あとでは荷物が増えたので、月3度では間にあわなくなって、月3度より増やしたが、名称の「三度飛脚」はそのまま残った。
 飛脚問屋の荷物延着の原因は、川支(川止め)と馬支(うまづかえ)だった。問屋場で馬が不足している状況を馬支と言った。
米飛脚は、先物取引をする地方の商人に、日々上下変更する米相場の情報を伝達した。
 吉田松陰は、手紙を飛脚と幸便に託した。
 大名(武家)飛脚は、石高や職務がなく、上級から下級武士まで手紙や荷物を運んだ。
 京都には、宛先別に100軒もの飛脚問屋がひしめきあっていた。
 江戸時代には、すでに為替手形が流通していた。
 江戸時代は現金を運ぶこと、それなりのリスクがありました。強盗に早変わりするのです。
 飛脚問屋は、得意先や交通上の関係者などへ、しきりに融資していた。
 飛脚問屋は、小口融資(20年初登場)を行い、金融業も兼ねていた。
江戸時代の飛脚の実際の姿を研究成果をふまえて、平易な文章で明らかにしています。
 やはり、いつの世も情報は宝です。
(2015年2月刊。2600円+税)

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