弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2015年4月11日

再検証・長篠の戦い

日本史(戦国)


著者  藤本 正行 、 出版  洋泉社

 長篠の戦いで、織田・徳川連合軍が武田勝頼軍の騎馬隊を敗退させたのは、3千挺の鉄砲を3段構えで迎え撃ったからとするのが通説でした。しかし、そんなことは考えられないという批判説が有力になっていました。そこへ、当時すでに鉄砲3段(列)撃ちもあったことが証明されているという有力な反論が出てきました。
 これに対して、本書は、やっぱり鉄砲3段撃ちなどなかったと反論しています。文献の読み方の解説もあって、なかなかに説得的です。
 戦場を設楽原(しだらがはら)と呼ぶ必然性はない。むしろ「あるみ原(有海原)というのが正しい。しかし、この戦いは、古くから「長篠の戦い」と呼ばれてきたし、長篠城の攻防戦が戦いの原因であって、決戦も長篠方面で行われたのだから、「長篠の戦い」と呼んでいい。この長篠の戦いで武田勝頼が惨敗したことから、勝頼を「バカ殿」視する見方が有力ですが、著者は必ずしもそうとは言えないと勝頼を擁護しています。勝頼を評価する本は先に紹介しています。
 前方の織田軍は少なそうだし、臆病風が吹いているようだ。味方の長篠城包囲軍は、織田・徳川連合軍の別動隊に蹴散らされてしまい、後方からの攻撃がありそうだ。ならば、無傷の主力軍をぶつけて敵の増援軍の来る前に織田・徳川軍を叩いたほうが有利だと判断しても何ら不思議ではなかった。なーるほど、と思いました。
長篠の戦いは、日の出から始まったものの、最初は小競り合い程度だった。ところが、別動隊が武田軍の背後にあらわれ、主戦場では、徳川軍が柵から押し出した。これで前後をはさまれた武田軍は午前11時ころに総攻撃を開始し、午後2時ころには総崩れとなった。
武田軍は、主だった武将が少数の騎馬武者と多数の歩兵で構成された部隊を率いて攻撃するという通常のやり方をとった。それに対して織田軍はそうした部隊を出さず、銃兵ばかりを追加投入して、武田軍を迎撃した。
 『信長公記(しんちょうこうき)』などの信頼できる史料には、信長が3千挺の鉄砲隊が3列に配置し、千挺ずつの一斉射撃で勝頼の軍勢を破ったという戦術は登場しない。そんな事実はなかったのである。
 『長篠合戦と武田勝頼』(吉川弘文館)を書いた平山優について、著者は批判の仕方がなっていないと厳しく批判しています。
 たしかに、批判するときには、相手の言っていることを正確に引用し、批判の論拠を明確にすべきですよね。 歴史の資料の読み方にも厳密さが当然求められるものです。
 平山優が依拠した『甫庵信長記』は長篠の戦いにおける徳川軍の活躍を顕彰するために書かれているのであって、長篠の戦いを正確に再現し、伝えるために書かれているものではない。
 この本は論争のあり方についても一石を投じています。
 私と同じ団塊世代の著者です。今後とも知的刺激にみちた本を書いてください。期待しています。
(2015年2月刊。1800円+税)

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