弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2015年4月 7日

「検証・司法の危機」

司法


著者  鷲野 忠雄 、 出版  日本評論社

 1969年から72年にかけての司法をとりまく動きを紹介しコメントした本です。ということは、私が司法試験に合格し、司法修習生になった年のことです。つまり私たち司法修習26期というのは司法反動攻勢の直接に司法研修所に入ったことになります。
 東大闘争(紛争)をはじめとする全国の学園闘争(紛争)の体験者が本格的に大量に司法研修所に入ってきました。その直前には司法研修所の卒業式がなくなり、阪口徳雄修習生が罷免されたりもしました。
 私たちの期でも、司法研修所当局と「団交」しました。出てきたのは、後に最高裁長官になる草葉良八事務局長でした。のらりくらりとした官僚答弁をしていたことだけは、今も記憶があります。
 著者は、この当時、青年法律家協会(青法協)の本部事務局長をしていた弁護士です。
 青法協は、現行憲法が公布・施行されてからわずか7年後の1954年4月、再軍備と憲法改悪に向けた「逆コース」の動きが具体化するなかで、これに反対し、学徒動員の体験を有する若く学者・弁護士らが中心となって、平和と民主主義を守ることを目的に創立された。
 ところが、日本安保条約下の日米同盟の変容にともない、憲法の空洞化と改憲抗争の具体化が進行する過程で、憲法を敵視し、改憲を目ざす勢力から、青法協に対して、「アカ攻撃」が加えられた。その目的や活動を一定の政治的色彩にそめあげ、青法協に加入する裁判官に対して「偏向」宣伝をあびせ、反憲法的な攻撃の標的にした。
 1967年10月、雑誌『全貌』が「裁判所の共産党員」と題する特集を組んだ。最高裁事務総局(寺田治郞局長)は、資料整備費をつかって170冊も購入し、全国の裁判所に配布した。1969年(昭和44年)、佐藤栄作首相は、石田和外を最高裁判長官に任命した。石田和外は戦後の憲法下で、裁判をした経験をもたなかった。
 1969年3月、西郷吉之助法務大臣は東京地裁の無罪判決に憤慨して、次のように述べた。
 「あそこ(裁判所)だけは手を出せないが、何らかの歯止めが必要だ。裁判官が条例を無視する世の中だからね。国会では面倒をみているんだから、たまにはお返しがあっていいんじゃないか・・・」
 法務大臣の発言とは思えない内容です。あまりにも三権分立を無視しています。
 そのころまで、裁判官になる司法修習生のうち20名以上は青法協の会員だった。全国の裁判官2000名のうち、1割以上の300名が青法協の会員だった。
 青法協攻撃が激しくなったなかで、のちの最高裁長官(町田顕)や検事総長(原田明夫)が青法協を脱会していったのでした。その結果、モノを言う勇気のなくなった裁判官ばかりになってしまったのです。
 福井地裁の原発操業差止判決は、久しぶりに、本当に大変久しぶりに、裁判所にも勇気のある裁判官がいることを証明してくれました。
 いま、私は、1972年4月からの26期司法修習生の青法協活動について、読みものとして再現しようとしているところです。
 公選法の権威としても名高い著者です。ますますのご活躍を心より期待しています。
(2015年3月刊。2200円+税)
 毎朝、雨戸を開けるのが楽しみです。とてもカラフルな光景を見ると、心が浮き浮きしてきます。今日も一日、いいことありそうだなと思います。赤、黄、橙、ピンクと色とりどりのチューリップの花です。雨にうたれて少し散りかかりました。近くには、濃い赤紫色のクリスマスローズの花も競っています。
 早くもアイリスの白と黄の花が、すくっと伸びて咲いています。ハナズオンの紫色の小粒の花も・・・。
 アスパラガスが伸びてきました。電子レンジでチンをして、春の香りをいただきます。
 ウグイスなど、たくさんの小鳥が元気に鳴きかわし、春本番です。

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