弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2015年2月25日
21世紀の資本
社会
著者 トマ・ ピケティ 、 出版 みすず書房
いま、全世界で話題になっている本です。小さな活字で600頁もの大作ですが、私は東京への出張の途上の5時間で、「読了」しました。もちろん、理解できたなんて言いません。
なにしろ私はマルクスの「資本論」も、大学のとき、そして弁護士になってから何回も(すくなくとも3回)読んだのですが、ほとんど理解できませんでした。個々の文章は理解できるのですが、経済理論としては、さっぱりでした。今回のピケティ氏の本も同じです。数式を使った経済理論のところは飛ばし読みするしかありません。
マルクスが「資本論」第1部を刊行したのは1867年のこと。これは、私が大学に入った年より100年前になります。もう150年近くも前になるのですね・・・。
当時のもっとも衝撃的な事実は、工業プロレタリアートの悲惨だった。1840年代には、資本が栄えて工業利潤は増えたが、労働所得は停滞した。マルクスの分析は、いまもいくつかの点では有意義だ。
アメリカでは、1913年から1948年にかけて、所得格差は急激に下がっていた。これは、大恐慌と第二次世界大戦が引き起こした複数のショックによって生じた。
1970年代以来、所得格差は富裕国で大幅に増大した。とくに、それはアメリカで顕著だった。アメリカでは、2000年代における所得の集中は、1910年代の水準に戻ったというが、それを上回っている。
フランスの相続記録が長期的にみて世界中でもっとも豊富なのは、フランス革命のおかげだ。
フランス革命のころの人口は3000万人。今は6000万人。アメリカは、独立宣言のころの人口は300万人だった。それが1900年に1億人、今では3億人になっている。人口が100倍も増えた国と、2倍になっただけの国とでは、格差の力学と構造は、まったく違ったものになる。
資本をめぐる格差というのは、国際的な問題であるよりは、はるかに国内問題である。世界の富裕国の国民所得は、2010年には年間1人あたり3万ユーロほど。富裕国の市民は、3万ユーロを稼ぎ、18万ユーロの資本を保有している。そのうちの半分の9万ユーロは株式、債権、貯蓄、その他の投資だ。
世界の格差は、下は一人あたり所得が月150~250ユーロの地域(サブサハラ、アフリカ、インド)から、上は2500~3000ユーロの地域(西欧、北米、日本)までの開きがある。つまり、最高は最低の10~20倍高い。世界平均は中国の平均とほぼ同じで、月600~800ユーロだ。
貧困国が富裕国と追いつくのは、それが同水準の技術ノウハウや技能や教育を実現するからであって、富裕国の持ち物になることで追いつくのではない。知識の普及は、天から降ってくる恩恵とはちがう。
知識の普及は、その国が制度と資金繰りを動員し、人々の教育や訓練への大規模投資を奨励して、各種の経済アクターがあてにできるような、安定した法的枠組みを保証できるかどうかにかかっている。だからこれは、正当性のある効率よい政府が実現できるかどうかと密接に関連している。
経済成長が長期的に生活水準の大幅な向上をもたらしたのは間違いない。世界の一人あたりの所得は1700年から2012年にかけて、10倍以上も増えている。
第二次世界大戦の終わりころにもっていた公的負債を富裕国が始末できたのは、基本的にはインフレである。インフレは、また、21世紀を通じて社会集団間での各種再分配をもたらした。資産構造に関しては、18世紀の資本と21世紀の資本とでは全然ちがっている。
農地は、だんだんと建物、企業資本、企業や行政機関に投資された金融資本にとって代わられつつある。
イギリスとフランスの一人あたりの国民所得は年3万ユーロ。国民資本は国民所得の6倍、1人あたり18万ユーロ。イギリス、フランスともに農地は今や無価値に等しい。国民資本は二つに区分できる。住居が9万ユーロ、他の国内資本が9万ユーロだ。
1970年から2010年のあいだでもっとも壮大なバブルは、まちがいなく1990年の日本のバブルだった。
19世紀のフランス、さらに20世紀初頭になってからのフランスでも、労働と勤勉さだけでは、相続財産とそこから生まれる所得による快適さの水準を達成することはできない。
資本の格差が、労働所得格差よりも常に大きい。
労働所得の格差は通常は穏やかで、ほとんど妥当とさえ言える。これに比べて資本に関する格差は常に極端だ。
世代間闘争が階級闘争にとって代わったということはない。
労働所得がかなり均等に分配されている1970年から1990年のスカンジナビア諸国のような国々では、所得のトップ10%が総賃金の20%を受けとり、最下層50%が35%を受取っていた。
これに対して、2010年代のアメリカのようなもっとも不平等な国では、トップ10分位が総額の35%を手に入れるのに、最下層50%はわずか25%しか受け取っていない。アメリカではすべての富の72%を所有し、最下層50%は、わずか2%しか所有していない。
トップ十分位のほとんど全員が持ち家だが、不動産の重要性は富の再送を上がると激減する。トップ百分位では、金融・事業資産が不動産を凌駕する。とくに最大級の財産だと、株式やパートナーシップによる持分がほとんどすべてとなる。
住宅は中流階級と小金持ちに人気の投資だが、本当の富は常に金融・事業資産が主体だ。
世襲中流階級の出現を決して過小評価してはならない。それが国富の3分の1を所有している。バカにした量ではない。
1990年のフランスに驚くべき新現象があらわれた。トップ層の給与、とくに最大大手企業と金融会社の重役に与えられる報酬パッケージが、驚くような高額に達した。
20世紀はじめから現在にかけてのアメリカは、当初はフランスより平等だったのに、やがて著しく格差が拡大した。
1960年代のアメリカは、フランスよりもずっと平等な社会だった。少なくとも白人にとって。しかし、1980年以降、アメリカの所得格差は急上昇した。アメリカの格差拡大の原因は大企業の重役たちが、すさまじい高額の報酬を受けとるようになったせいが大きい。
アメリカにスーパー経営者が出現した。スーパー経営者とは、大企業重役で、自分の仕事の対価として、非常に高額の歴史的にみても前例のない報酬を得る人々のこと。
長い目で見れば、労働に関する格差を減らす最良の方法は、教育への投資である。教育と技術が賃金水準のきわめて重要な決定要因である。超高所得の激増はこれまでのところ、大陸ヨーロッパと日本では、それほど顕著ではない。増え方はすさまじいが、その人数があまりにも少ないため、アメリカ並みの強烈なインパクトを持つに至ってはいない。
アメリカは、多くの人が今日考えているのとは逆に、昔からヨーロッパよりも不平等だったわけではない。まったく違う。
日本にさえ、20世紀初めには同じくらい高水準の格差が存在した。
インフレの主な影響は、資本の平均収益を減らすことではなく、それを再配分することなのだ。そして、インフレが招く再配分は、主としてもっとも裕福でない人には不利益に、もっとも裕福な人には利益になる。
インフレは、レントを排除しない。それどころか、おそらく資本の分配の格差をさらに拡大するのに一役買うだろう。
いま広まっている中国に所有されつつあるという恐怖は、まったく幻想にすぎない。富裕国は自分で思っているより、実際はるかに裕福なのだ。
ヨーロッパの世帯が所有する不動産と金融資差の債務差し引き後の総価値は、およそ70兆ユーロに相当する。これに対して、中国のさまざまなソヴリン・ウェルス・ファンドの総資産と、中国銀行の準備金は合わせて3兆ユーロ。ヨーロッパの70兆ユーロの20分の1にもみたない。富裕国は貧困国に買い占められようとはしていないのだ。
公的医療保険は、イギリスをふくむヨーロッパのほとんどの国では皆保険だ。しかし、アメリカでは、これは貧困者と高齢者だけのものである。そのくせ、ずいぶん高価だ。
アメリカの最高エリート大学に入るためには、きわめて高い学費を払わなければならない。ハーバード大学の学生の両親の平均所得は45万ドル(4500万円)と推計される。しかし、高等教育さえ無料にすれば問題は万事解決と思うのは甘い。
累進税制は、社会国家の発達と20世紀の格差構造変化にも中心的な役割を果たしたし、将来にわたって社会国家の存続を確保するためにも重要であり続ける。ところが、累進課税は、今日、知的にも深刻な脅威にさらされ。政治的にも脅かされている。
アメリカでは、戦前94%にまでなった。1960年代まで最高税率は90%台で安定していたが、1980年代に70%に下がった。1932年から1980年までの半世紀にわたり、アメリカの最高税率は平均81%だった。そして、アメリカの相続税率の最高は1930年代から8年代にかけては70~80%だった。
オバマ大統領の第二期にアメリカの最高所得税率が40%に引き上げられるのか、はっきりしない。アメリカの政治プロセスは1%にひきずられているようだ。富の階層トップでは実効税率は極度に低い。これは問題だ。
不等式、r>gは、過去に蓄積された富が産出や賃金より急成長するということだ。この富の分配の格差拡大は世界的な規模で起こっている。
正しい解決策は、資本に対する年次累進税だ。累進資本税は、高度な国際協力と地域的な政治統合を必要とする。
なかなか真の解決策の見えにくい現代社会ですが、格差がより一層拡大するのは健全な人間社会の崩壊につながることは明らかだと思います。そこをスーパーリッチ層とリッチ層志願予備軍は自覚すべきなのではないでしょうか。
(2015年1月刊。5500円+税)