弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2015年2月20日

亡命者、白鳥警部射殺事件の闇

社会


著者  後藤 篤志 、 出版  筑摩書房

 白鳥事件とは、1952年1月21日、札幌で公安警察官の白鳥(しらとり)一雄警部が自転車に乗って帰宅途中、同じく自転車に乗った男からピストルで射殺されたというもの。
この事件については、殺人事件の逮捕状が60年以上たつのに今なお更新され続けている。容疑者二人が海外逃亡により時効が停止しているため。しかし、その二人は既に中国で死亡している。
 白鳥事件というと、村上国治(くにじ)氏が無実を主張した冤罪事件として定評がありました。白鳥事件を担当した安倍治夫検察官は、のちにユーザーユニオンで活躍した弁護士です。松本清張の冤罪説と真っ向から対立しています。
 白鳥警部(36歳)は札幌市警察本部の警備課長。スパイの元締めもしていた。米軍のCICとも情報交換していたようだ。白鳥警部の警察手帳には、白鳥警部の行動記録が書かれているためか、警察は裁判所へ証拠として提出されなかった。また、自転車は2台とも証拠として提出されていない。
そして、幌見峠で発見されたという弾丸は、とても雪の下で埋もれていたものとは思えないものだった。冤罪説は、この弾丸を最大の根拠としている。
 このころ、日本共産党は中国共産党にならって、軍事武装闘争をすすめていた。軍事部門として、中核自衛隊が存在した。この中核自衛隊は軍事組織として、純粋に組織に対して忠誠を近い、命をかけて仮想敵とたたかった。
 同じ年(1952年)4月、吉田内閣は破壊活動防止法案(破防法)の制定を提案した。
 また、同年6月には、大分県竹田の菅生村で駐在所が爆破される事件が起きた。警察の自作自演の「爆破」だったことが、裁判になって判明した。
 10月1日は衆議院選挙の投票日。共産党は前回の35議席が一挙にゼロになった。
 白鳥警部を実際に射殺した実行犯も、支援グループも中国へ密航して渡った。そして、前述のとおり、中国で実行犯は病死したのです。
 当時の社会情勢を抜きにして白鳥事件を語ることは出来ません。この本は、その点がよく描かれていて、説得力があります。
 要するに、ニセ弾丸はあるものの、村上国治が命令して起きた警察官射殺事件だったのです。今では考えられないことですが、戦後まもなくの殺伐とした世相では、ありえたのです・・・。
 白鳥事件についての最新の到達点が明らかにされています。
(2013年9月刊。2200円+税)

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