弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2014年11月14日

よみがえれ!和光大学

社会


著者  踏みにじられた実験大学・編集委員会 、 出版  龍書房

 東京都町田市にある和光大学。1966年に創立されて、今年は48年になる。この和光大学は自由を重んじる大学として設立されたのですが、現実には暴力が横行してきました。
 1969年の学生へのテロ・リンチ事件。
 1978年の職員への暴行事件。いずれも刑事裁判となり、加害者は有罪となった。ところが、加害学生をかばう立場で和光大学の教授が何人も法廷で証言した。
 そして、1985年からは「中核・革マル抗争」が始まり、これは数年のあいだ続いた。
 和光大学は、これら長期にわたった暴力事件を今なお、根本的に改めることが出来ていない。ひところのような日常的な暴力行為の横行こそ現在は見られないようですが、大学当局が過去の暴力行為横行の日々を自覚的に反省していないという指摘には暗然たる思いです。
 40年前、全国の大学で全共闘による暴力支配が横行していました。言論による論争ではなく暴力で支配しようとすると、精神的に深いところで、人間の思考が停止し、足が鈍ってしまいます。
 全共闘を今なお賛美する人は多いのですが、私は、「敵は殺せ」の論理で大学を暴力的に支配しようとした全共闘という集団は、日本にとって相当に罪深いものがあったし、それは今なおあとを引いていると考えています。
 その最大の証拠が、全共闘世代からは、ほとんどまともな政治家が育っていないということです、もともと暴力に頼る思考を身につけた人が、「大衆」のために身を挺する政治家になれるはずもありません・・・。
 団塊の世代が都知事をはじめ、全国いくつもの県知事になっています。私の知る限り、埼玉、和歌山、鹿児島がそうです。でも、彼らは学生のとき全共闘だったとは思えません。
 暴力支配は被害者を政治から遠ざけるだけでなく、加害者をも精神的に荒廃させ、社会の一隅でひっそり暮らすしかなくなるのです。
 和光大学当局は、ケンカ両成敗という立場をとることによって、暴力のない正常な形で勉学できる状態をつくるという大学としての当然の責任を放棄した。
 大学の理性の府としての権威そのものを根底から否定するような暴力行為については、学生のうちに、学生みずからに責任をとらせる。これが本当の大学教育なのではないか・・・。
 まことに、そのとおりだと私は考えます。暴力は社会でも大学内でも許してはいけないのです。
 和光大学には、現在も過激派セクト(革マル)がいて、日常的に策動しているとのこと。本当に残念です。自由をモットーとする大学として、大いに悲しむべきことではないでしょうか。
 500頁もの分厚い本です。この本を読んで救いなのは、そんな酷い暴力支配に抗してたたかった学生や教職員が脈々といて、その効果がこのような立派な記録集に結実したということです。全国の大学から、暴力支配を企てる集団を自主的に一掃することは不可欠だと思いました。そのための指針にもなる貴重な本です。
(2014年5月刊。2000円+税)

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー