弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2014年8月28日

新・ローマ帝国衰亡史

ヨーロッパ


著者  南川高志 、 出版  岩波新書

 ローマ帝国とは何か、改めて認識することが出来ました。
 ローマの征服軍が要塞の周辺には、軍に関係する民間人の定住地ができた。これをカナバエという。カナバエは発展して村落となり、軍が移動したあとの要塞敷地も含みこんで拡大した。
 境界地帯での移動を前提としていた正規軍団は、次第に一定の基地を得て長く駐屯するようになる。そして、軍を退役した兵士は故郷に戻らず、在勤中に非公式にもうけていた妻子とともに基地の近くに定着し、カナバエから発展した町で暮らし、その有力者となる者も出てきた。
 軍隊は新しく「ローマ人」を生み出すうえで大きな役割を果たした。「ローマ人」とは、ローマ市民権をもつ「ローマ市民」のことであり、故地ローマ市と結びついていた。国家が拡大してからは、新市民はローマ市の郊外地区に登録され、政治的な意味はなくなる。それでも、「ローマ人」であるためには、ローマ市民権の取得が前提だった。
 皇帝政府は、ローマ市民権をもたないため正規軍団に入れない部族の男性を補助軍として組織した。補助軍といってもローマ人指揮官の下、正規軍団とともにローマ軍の一翼を担ったから、指揮命令系統と訓練は、ローマ式になされる。そして無事に兵役をつとめあげるとローマ市民権が与えられ、その子はローマ市民として正規軍団に入隊して、ローマ社会の階悌を上がっていくことができた。
 こうやって、ローマ帝国は辺境において、兵員を確保するだけでなく、ローマ帝国に対する忠誠心を期待できる人材を養成していた。
 ローマ社会は、人々やその集団を出自によって固定させてしまうカースト的な社会ではなく、流動性があった。そのため、奴隷に生まれても、主人の遺言などによって奴隷の境遇から解放されて解放奴隷となり、その子孫は都市の有力者となって都市参事会員として活躍し、さらには実力と幸運に恵まれて騎士身分に状況し、元老院議員にまでのぼりつめる可能性があったし、実際にもそうした上昇例は多かった。
 属州に生まれてローマ市民でなかった者も、外部世界から属州に入って市民権を得た者も、実力と幸運に恵まれたら、社会の最上層にまで到達できたのだ。
 ローマ帝国は、国家として硬直した存在ではなかった。担い手である「ローマ人」は法の民であり、法にもとづく国家の制度をもち、奴隷制と身分制を備えた社会に生きていた。ローマ人とは、きわめて柔軟な存在であって、排他的な生活を有していなかった。
 ローマ帝国が「幻想の共同体」でなかった第一の要素は、軍隊の存在である。
 次に、「ローマ人」としての生き方である。ラテン語を話し、ローマ人の衣装を身につけ、ローマの神々を崇拝し、イタリア風の生活様式を実践すること。
 広大なローマ帝国を統治するうえで中央行政を担当していたのは、わずか300人ほどの「官僚」だった。
 ローマ異国を実質化する第三の要素は、外部世界の有力者たちの共犯関係にあった。
 今日では、ローマ人対ゲルマン人という二項対立の図式は適切ではないと考えられている。
 「ゲルマン人」と呼ばれる集団は、今日、固定的で完成された集団とは考えられていない。非常に流動性の高い集団で、そのときどきの政治的な利害によって離合集散を繰り返し、その構成員や集団のアイデンティティが形づくられていったと理解されている。
 古代ローマ帝国が柔構造をもつ社会だったことを初めて知りました。

(2014年5月刊。760円+税)

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