弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2014年8月26日

憲法の招待

司法


著者  渋谷 秀樹 、 出版  岩波新書

 日本国憲法は、人類普遍の原理を調和的に組み込んだすぐれた内容をもっている。それは、世界各国の現行憲法の水準からみても、いまなお最先端かつ最高の内容をもち、世界に誇るべき究極モデルである。
 いま、憲法を取り巻く状況は風雲急を告げている。風通しの悪い、息苦しい、生きていくのが大変な日本にならないように、私たちは政治の動きをしっかり監視していかなければ、ならない。
 私も、まったく同感です。選挙のときに棄権するなんて、とんでもないことです。いま、投票率は全体で6割未満、若者にいたっては3~4割という悲惨な状況です。これでは日本の政治が良くなるはずがありません。主権者たる自覚をもって投票所に出かけましょう。
 憲法の「憲」という字は、上半分が勝手な動きをおさえることを意味し、その下に目と心があるので、全体として、人間の勝手な心の動きや見方を上からおさえるという意味の言葉だ。これって、初めて知りました。
 権利の保障と権力の分立が備わった憲法こそ、真の意味の憲法なのである。
 聖徳太子の17条憲法は、いま一般的に使われている憲法と同じもの、つまり立憲主義的憲法、真の意味での憲法であるとは言えない。
 納税の義務(憲法30条)は、政府が課税するときには、必ず法律をつくって内容や取り立て方法を定めることを義務づけた点にこそ意味がある。
 憲法は誰を支配し、誰が守らなくてはならないものか?
 それは、統治活動を担当する政府であり、それを担う人なのである。憲法に、一般市民に対して憲法を守れと命じた条項がないのは、「法の支配」からして、当然の論理的な帰結である。
 憲法上の「国民」とは、国籍を保有するものに加えて、日本政府の統治権の及ぶ空間内に生活の本拠を有する者(定住者や特別永住者など)であると解すべき。
 特定秘密保護法は、明治憲法下の戦争遂行時の情報管制の時代に時計を戻そうとしている。
 第一に、いまどき本当に国家機密というべきものが存在するのか。国民主権の原理からして、国民誰もが、本来、それを知る権利をもっている。ところが、この法律によると、最長60年間も隠せるし、さらには永久に隠すことも可能としている。
 第二に、特定秘密の内容があいまいで、恣意的に指定される危険がある。時の政権や官僚機構にとって不都合な情報が指定される可能性は大変大きい。
 第三に、報道機関の取材活動を委縮させて、国民の知る権利を狭めてしまう。
靖国神社は、敵味方を区別なく弔うという収容的伝統からかけ離れた存在である。「朝敵」を排除し、民間人の戦争犠牲者も対象としていない。そのうえで、A級戦犯14人を合祀している。
靖国神社は、一宗教団体が運営する宗教施設である。そこに神道の礼法にのっとって参拝するのは、まぎれもない宗教的活動である。政府首脳が参拝するのは、この神社を特別扱いしている印象を国民に与えるもので、憲法で定められた政教分離原則に反し、違憲である。
 まことに明快です。本当にそのとおりだと思います。だからこそ、昭和天皇(A級戦犯が合祀されたあと)も、今の天皇も、靖国神社には参拝していないのです。
 「国政」を「国の政治」と理解するのは誤りで、「統治活動」の意味である。
自衛隊を取り巻く現実をみたとき、日本で発生した大規模・特殊災害への対処こそ、自衛隊の本来的任務の一つに揚げられるべき。
 日本国憲法のもつ意義を、最新の社会状況にあわせて、とても分かりやすく、明快に解説している新書です。難しいことを分かりやすく伝えることが、今ほど求められているときはありません。ぜひ、ご一読ください。
(2014年2月刊。800円+税)

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