弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2014年5月29日
「アラブ500年史」(上)
世界(アラブ)
著者 ユージン・ローガン 、 出版 白水社
アラブの近代史を上・下2巻にまとめた本です。宗教の違いとは、こんなにも大変なことなのか、ついため息を尽きたくなるほどの重苦しさを覚えました。
イギリスによる1917年のイラク・バグダットの解放は、1798年のナポレオンのエジプト解放と何ら変わりがなかった。イギリスは、1916年に軍事同盟国であるフランスとの間で、すでにアラブ世界の分割に同意していた。
2003年に、アメリカのブッシュ大統領が独裁的なサダム・フセインの支配からイラク国民を解放するために侵略戦争の準備をしていたころ、アラブ人は占領というオオカミが解放という羊の毛皮をまとっているという相変わらずの事実をみんな知っていた。一国の国民の知性を見くびって侵攻するほど、恥ずべきことはない。
「マムルーク」とは、アラビア語で「所有された者」つまり「奴隷」を意味する。しかし、マムルークは、エリート軍人階級を形成していた。彼らはユーラシア平原やカフカス地方のキリスト教領土からカイロに連行され、そこでイスラム教徒に改宗させられ、武術の訓練を受けた。一人前のマムルークになると、やがて奴隷の身分から解放され、支配階級エリートの仲間入りをする。
マムルークは、白兵戦における究極の戦士だった。1249年にはフランス王ルイ9世の十字軍を敗北させ、1260年にはモンゴル軍をアラブ領土から追い払い、1291年には最後の十字軍をイスラム領土から放遂した。このように、中世最強の軍隊を次々に打倒した。
オスマン人はいろいろなテンでマムルーク人に似ていた。どちらの帝国でも、エリートはキリスト教奴隷の出身者だった。
マムルークと同じく、オスマン人も奴隷のなかから新兵を補充するという独自の制度を活用した。それは、イエニチェリ(新兵)と呼ばれる最強の歩兵軍団を構成した。
オスマン帝国の軍国の軍隊や政府内でエリート階級入りするのは、だいたいイエニチェリ出身だった。
18世紀に入って、オスマン人の世界で、「国民兵」という概念が登場した。それまでの兵士は、奴隷出身の軍人階級と思われていた。労働者や農民から徴用された兵隊(国民兵)という概念は耳新しいものだった。イエニチェリの兵士たちは妻をめとり、息子も「イエニチェリ」に入れるようになった。
1807年、イエニチェリは反乱を起こし、セリム3世を退位させ、「新式」軍を解隊した。
マムルークとして、ハイルッディーンは奴隷から政治勢力の最高峰にまで出世した最後の人物だった。
1875年、オスマン帝国の中央政府は破産宣告寸前だった。この20年間に、オスマン帝国は16ヶ国とのあいだで、総額10億ドルもの借款契約をした。借款が増えるたびに、オスマン帝国の経済は、ヨーロッパのよる経済支配に強く牛耳られるようになっていた。借款が成功しても、自国の経済に充てるための投資にあてることができたのは、わずか1割ほどの2億2550万ドルほどでしかなかった。
ヨーロッパの帝国主義がアラブ世界の触手を伸ばしはじめたのは、1875年以降のこと。フランス軍のアルジェリア征服が始まった。1847年までに、11万人のヨーロッパ人がアルジェリアに入植した。1870年、25万人のフランス人の入植者をもつアルジェリアは正式にフランス領に併合された。
イラクで「1920年の革命」として知られる1920年の蜂起は、現代イラク国家のナショナリストの神話の中で、1776年のアメリカ革命に匹敵する特別な地位を占めている。欧米人の大半は1920年の蜂起をまったく知らないが、イラクの小学生たちは、何世代にもわたって、ファルージャ、ルクーバー、ナジャフの町で、外国軍と帝国主義に抗議して立ちあがったナショナリストの英雄たちことを学びながら成長している。
パレスチナのユダヤ人コミュニティは1882年から1903年にかけて、2万4000人から5万人へと倍増した。さらに1914年までに、ユダヤ人の総人口は8万5000人に達した。
ユダヤ人の入植と土地購入は委任統治のはじめから、パレスチナに緊張状態を高めた。
1922年から29年にかけて、7万人ものシオニスト移民がパレスチナにやって来た。そして、ユダヤ民族財団はパレスチナ北部の土地24万エーカーを購入した、移民の急増と土地購入の拡大が1929年にパレスチナでの暴動を次々に起こす原因となった。
ドイツでナチスが政権をとったあと、移民流入のピークは1935年で、6万2000人が入国した。
1938年から39年のあいだに、100人以上のアラブ人が死刑を宣告され、30人以上が実際に処刑された。これは、パレスチナ・アラブ人のイギリス支配への抵抗運動だった。
皮肉なことに1930年代、アルジェリアの完全な独立を要求したのは、フランス本国で外国人労働者として働く活動家たちだった。フランスにいる10万人をこえるアルジェリア人労働者たちのなかで政治活動をしていた一握りの人々が、共産党を通じてナショナリズムに肩入れした。
パレスチナにユダヤ人の民族領土をつくるというシオニストの夢を実現させたイギリス政府に、ユダヤ人入植者が戦争を仕掛けるなんて信じられないだろう。しかし、第二次世界大戦がすすむなかで、イギリスはパレスチナのユダヤ人コミュニティから、ますます攻撃にさらされるようになった。
複雑怪奇という言葉がぴったりくるアラブ世界の動きとその意義が、生々しく、そして総体として語られています。大変勉強になりました。
(2014年1月刊。3300円+税)