弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2014年4月20日

校庭に東風吹いて

社会


著者  柴垣 文子 、 出版  新日本出版社

 車中、そして喫茶店で一心に読み続けました。あまりの情景描写のすばらしさにいつものように読み飛ばすことが出来ず、なんと読了するのに3時間近くもかかってしまいました。一気通読派の私にしては、珍しい画期的な遅読です。
 素晴らしいのは情景描写だけではありません。主人公の女教師と、その家庭、さらには学校で声を出せない女の子を取り巻く情景がことこまやかに描写されていて、ついついもどかしさを感じてしまうほどの心理描写もあり、本のなかに、すっと感情移入してしまったのでした。車中でも喫茶店でも、一切の雑音を遮断して本の世界に没入してしまいました。まさしく、良質な本にめぐりあったときに感じる至福のひとときでした。
 主人公の女性教師は鹿児島出身で、京都の小学校につとめています。ですから、鹿児島弁が少し出てきます。夫も中学校の教員です。大学生の息子と高校生の娘という四人家族。身体が強くないのに、教育委員会は片道2時間も通勤にかかる小学校へ配転したのでした。そして、4年生の担任、40人学級なのに、なかに1人の女の子が場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)だというのです。これは大変ですね・・・。
 失語症と場面緘黙症の違い・・・。
失語症は、たいていの場合話は意思はあっても、機能的に話すことができない。失語症の原因は、ほとんどが病気。言葉が出てこない。話している内容が分かりにくい。話したいのに話せない。
場面緘黙症の場合は、話すことができるのに、話せない。多くの場合、自宅では話せる。でも、保育園や学校では話せない。返事くらいはできる子、特定の子どもとなら話せる子、場所によっては話せる子もいる。
つまり、失語症の子は話したいのに話せない。場面緘黙症の子も、どちらも内面では、すさまじい葛藤があると思われる。そして、場面緘黙症の子については、その原因が分かりにくいという特徴がある。
主人公の女教師は、教室内で固まっている女の子をかかえて途方に暮れてしまいます。お昼の給食の時間には、隣の机にすわって話しかけるのでした。
 その女の子には、友だちがいました。一緒になんでもしてくれるのです。そして、母親と祖母との関係も微妙ですし、存在感の乏しい父親も原因になっているようです。
女教師にしても、場合の婦人部長をしたり、高校生の娘との対話が難しかったり、年老いた実母の介護で悩んだり、本当に身につまされる話が同時並行的に進行し、考えさせられます。
現実の一場面を切りとり、社会の実際を改めて振り返ってみることのできる小説として、深々と心に突き刺さってくる本でした。
場面緘黙症の子が、ついに教室の中で給食を食べ、話し出す様子も描かれ、救いがあります。読了したあと、幸せな気分に浸ることができました。
団塊世代より少しだけ上の世代の著者です。今後ますますの権筆を期待します。というか、私も、こんな小説を書いてみたいと思ったことでした。
(2014年3月刊。2200円+税)

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー