弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2014年4月12日

谷善と呼ばれた人

社会


著者  谷口 善太郎を語る会 、 出版  新日本出版社

 京都に谷口善太郎という、戦前の労働運動家であり、文学者であり、戦後は代議士を長く務めていた有名な人がいました。その人の生きざまが生々しく紹介され、読み手の心を温め震わせる本です。
京都選出の代議士として6期15年あまりも務めた谷善(たにぜん)ですが、学歴は高等小学校を出ただけです。しかも、小学校の途中から製陶所で働いています。それほど家は貧しかったのです。
 石川県出身で、九谷焼の製陶所で働いていたのでした。といっても、学校での成績は良く、父親が学校にやらなくていいと言うのを、校長や教師たちの援助で高等科に進学して卒業したのでした。そのころから、教師に恵まれ、作文を書いていたようです。
 この本は、谷善がペンネームで発表した本を詳しく分析していますので、モノカキ志向の私にも大変参考になりました。というよりも、その描写のすごさに圧倒されました。
労働運動を描いた小説では、高揚した場面や警官と対決する緊張場面などを、ハードボイルド調で生き生きと描いている。
 これも谷善の実体験があったからでした。谷善は、治安維持法下の戦前の日本で何回も逮捕され、警官の拷問を受け、身体の健康をこわしていたのです。
 谷善は『貧乏物語』で有名な河上肇にカンパしてもらった。高名な京都帝大教授である河上肇は、谷善に50円をカンパして、こう言った。
 「こういうことしかできなくて、恥ずかしいです」
 すごいですね。大学教授が一面識もない労働組合活動家にこう言ったというのですから・・・。もちろん、50円というのは、当時とすれば、とんでもなく大金だったのです。
 1928年(昭和3年)の普通選挙のとき、京都2区で山本宣治が当選した。
 この山本宣治も、谷善が立候補を決意させたのでした。そして、3.15の共産党弾圧が始まり、谷善も逮捕され、拷問を受けるのです。
 私は申し訳ありませんが、谷善の小説を読んだことがありません。
 『綿』は1931年に発表された。宮本顕治や中村光夫がこれを絶賛した。そして『清水焼風景』。ペンネームによって、谷善が書いたと思われないように配慮しつつ、谷善は自分の労働運動の体験をもとに小説を書いた。しかし、当局の検閲によって、6頁も削られてしまった。それでも大いに売れて、評判になったというのですから、すごいです。さらにすごいのは、映画のシナリオ・ライターにもなったというのです。大映の『狐のくれた赤ん坊』の原作は谷善の手によるものです。
 この映画について、山田洋次監督は、「日本の名作100本」の一つとしている。
 谷善が政治家になってから、その選挙のときには、あの松本清張も応援にかけつけました。これまたすごいことですね。ちなみに、谷善は日本共産党の国会議員です。
 蜷川虎三・京都府知事が7選するのにも、谷善は大きく貢献しています。
 文学者としての谷善の本の解説が主となっています。それだけに、ぜひ原典にあたってみたいという気になりました。とてもいい本でした。ありがとうございます。
(2014年1月刊。1800円+税)

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