弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2014年4月 1日

とらわれた二人

アメリカ


著者  ジェニファー・トンプソン、ロナルド・コットンほか 、 出版  岩波書店

 レイプ犯として11年も刑務所に入っていた黒人がDNA鑑定と、それにもとづく真犯人の自白によって無罪となった話です。そして、もう一方でレイプ被害にあった白人女性の心の痛み、しかも、間違って無実の犯人と名指ししたことによる罪の呵責(かしゃく)をどう考えるのかという重いテーマもあります。実は、本書はこの二つの視点からスタートします。
 そして、この本は、その両者を結びつけ、冤罪の被害者とレイプの被害者とがついに手をとりあって和解したという感動的な実話なのです。
 それにしても、目撃証言というのは、本当にあてにならないもの、信用できないものなんですね・・・。
私は単なるレイプ事件の被害者ではなく、記憶力が最低のレイプ被害者で、そのため、ある人が11年間も無駄にしてしまった。どうして、私は、そんな愚かなことをしてしまったのだろう・・・。
 ロナルド・コットンが犯人だという思いに捕らわれ、過剰なほどの自信をもってしまった。あの夜の記憶は鮮明で、理屈というよりも直感的で、意のままに再生できるビデオテープのようなものではなかったのか。
ロナルド・コットンの顔を面通しで見て、さらに法廷で見ることは、つまり、次第に彼の顔が私を襲った犯人の元々の像にとって代わっていくことを意味した。法律の専門書で、それは「無意識の転移」と呼ばれる。要するに、私の記憶が歪められたということだ。私は自分を襲った人を30分も見たし、彼の顔は私と数インチしか離れていなかった。それなのに、私は完璧に間違ってしまった。
 無実の被告人を弁護した弁護士たちは、まったくの無報酬でがんばっていたのでした。これまた、すごいことです。そして、無罪になったときに言ったのは・・・。
 「我々の仕事に対しては、一切、報酬はいらない。ロン、ただ、君の自由を最大限活用してくれたらいい」
 「生産的な生き方をしてほしい。それが、我々の求める最良の報酬だ」
 すごいですね。アメリカにも、私たちと同じようにがんばる弁護士はいるのですね。うれしくなります。
刑務所で生きのびるためには、鍛えて強い身体を維持しなければならない。走ったり、腹筋運動や腕立て伏せしたり、あらゆる方法で身体を動かした。
 刑務所に収監された直後は、とても重要だ。戦いの勝敗が、そこになじめるかどうかを左右する。刑務所では、弱虫に見られないようにするのが大切だ。そうすれば利用されずにすむ。たとえ負けたとしても、やり返すことで、一目置かれるようになる。
 刑務所では、多くの者が身を守るために、自分を殺人を犯して服役しているという。そうすれば、たちの悪いやつに見えると思っているのだろう。ここでは、誰を信じていいのか、決して分からない。
 アメリカでは、DNA鑑定によって、300人以上の有罪判決がくつがえっているとのことです。これは、すばらしいことであると同時に、実に恐ろしいことです。そして、それは、被告人とされた無実の人だけでなく、被害者にも二重の苦しみを与えることになるわけです。よくぞ、本にしてくれたと思います。感謝します。
(2013年12月刊。2800円+税)

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2014年4月 2日

北朝鮮経済のカラクリ

朝鮮


著者  山口 真典 、 出版  日系プレミアシリーズ

 北朝鮮が日本にとって不気味な国であるのは間違いありません。ところが、安倍首相は、そんな日本国民の心理を利用して、北朝鮮にミサイルを先制攻撃できるようにしようというのです。それは戦争です。恐ろしいことです。北朝鮮が反撃として、日本に50以上ある原発にミサイルを撃ち込んだら、たちまち日本は破滅してしまいます。やめてください。安倍首相の危険な「火遊び」につきあわされて、日本という国が消滅するのを指をくわえて眺めているわけにはいきません。
この本は、北朝鮮経済のいびつな構造に迫っています。
 金正恩は、2012年4月に朝鮮労働党第一書記に就任し、主要な最高権力ポストをすべて引き継いだ。
 金正日の「遺言状」のなかには、海外銀行の資金は金正恩が管理しろ、原子力発電所を少なくとも3個は建設しろ、というのがあるそうです。前者は既に実現しているのでしょうが、後者はどうなのでしょうか・・・。
 父親の金正日の哲学は、権力を持つ第二人者(ナンバーツー)の台頭は絶対に許さないことにあった。頂点に立つのは、最高指導者ただ一人だけで、残りの側近は、全員を水平的に配置して、互いに牽制させた。自らを脅かす勢力が台頭してくる前にその芽を摘む。
 金正恩が、先日、張成沢を銃殺してしまったのも、その哲学を実践したということですね。
北朝鮮には、国の公式経済とは別に、予算数字に計上されない非公式の経済が存在する。軍需経済と王室経済だ。軍需経済は、労働党の中央軍事委員会と軍需工業部が統括し、第2経済委員会が傘下の武器工場や商社、金融機関などを通じて執行する。
 王室経済は、単に金正日ファミリーがぜいたくするためだけの資金ではない。自らの体制を支えてくれる幹部の忠誠心をつなぎとめる目的のための仕組みだ。この秘密資金を管理するのが労働党39号室だ。ところが、近年、北朝鮮では指導部の把握できない「ヤミ経済」がどんどん膨らんでいる、蔓延する「賄賂文化」もヤミ経済の一部だ。
 北朝鮮の社会は、出身成分でも将来が決まる。成分は大きく分けて三つ。核心階層、動揺階層、敵対階層。日本からの帰国者は敵対階層という低い成分に分類され、日常生活でもいろいろな制約を受ける。
どんなに庶民が貧しくても、平壌に住む幹部の生活さえ保障していれば、体制が揺らぐことはないとされる。
 平壌市民250万人のうち、十分な食料品や生活用品の確保など、手厚い庇護を受けている党や郡の幹部が50万人いる。なかでも2万人の高級幹部は、優遇されている。
 エリートたちの忠誠をたもつためには、現金や物資にあわせて年に10億ドルが必要だ。
 北朝鮮の全人口は2400万人。核心階層と労働党員が300万人いる。
北朝鮮の庶民が沈黙している理由の一つは、徹底した相互監視システムにある。
収容所にも二つある。生涯出所できない「完全統制区域」と、比較的罪の軽い政治犯で出所の可能性がある「革命化区域」。
 北朝鮮で軍のクーデターが起こる可能性は、まずない。その根拠は、ローヤルファミリーを警護する護衛司令部の存在。護衛司令部は、陸海空あわせて5~6師団の10万人。これは人民軍から切り離して、軍よりも最新鋭の武器や装備を供給した。
 軍は、クーデターを防ぐため、陸・海・空軍の指揮命令系統を別々にしている。
 平壌付近には、大規模な兵力を配置していない。軍の部隊が決定を下す際は、3人の指揮官全員の合意が必要だ。
 金正日の外交術には一定のパターンがあった。緊張を高めたあとで、少しだけ譲歩し、最大限の見返りを得る。日米韓の連携を揺さぶる。
 金正日の統治は、絶対に自分から指示しないことが特徴だった。失政の責任は全部を部下が負う。最高指導者の決定に間違いはありえないのだ。
 北朝鮮は、武器輸出で年に1~4億ドルの外貨を稼いでいる。アヘンや覚醒剤の生産もしていた。アメリカ・ドルの偽造もしていた。ニセ・タバコもつくっていた。
 北朝鮮は海外出稼ぎ大国である。世界40ヶ国に5万人の労働者を派遣し、年間3億ドルを稼いでいる。
北朝鮮人民軍は117万人。予備役は740万人をあわせると、全人口2400万人の4割が軍人となる。男性人口の1割は軍人だ。
 北朝鮮兵士の平均身長は韓国兵に比べて15~20センチも低い。これは栄養状態の違いによる。
北朝鮮という国が、いつまでもつのか分かりませんが、本当に異常な状況だと思います。そして、韓国も中国も、そして日本もアメリカも、すぐに国(金正恩体制)が崩壊しないように支えているというのが現実なのではないでしょうか・・・。
 そして、脅威だけはあおって、安倍首相のように利用しているのです。
(2013年12月刊。850円+税)
 月曜日に東京に行ってきました。日比谷公園の桜が見事に満開でした。しだれ桜もありましたが、これもソメイヨシノなのでしょうか。奈良から来ていた弁護士が、うちは5分咲きと言っていました。大阪は、なぜか東京より遅いのですよね。
 3年近くつとめていた日弁連の委員長職から解放されました。重責で肩の重味がとれて、ほっとしています。
 わが家の庭のチューリップも満開です。庭のあちこちに500本のチューリップの花が咲いて、春到来をまさしく実感させてくれます。
 紫色の豆粒のような、ハナズオウの花も咲いています。

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2014年4月 3日

氷川下セツルメント史

社会


著者  氷川下セツルメント編纂委員会 、 出版  エイデル研究所

 私は、大学1年生から3年余りセツルメント活動に全身全霊で打ち込んでいました。18歳から21歳までのことです。まさしく多感な学生時代というか、青春まっさかりのころでした。それだけ私を魅きつけるものがあったということです。
 1967年4月に18歳で上京し、意気高く大学生活を始めたものの、バラ色の学生生活が始まったなんていう気分ではありませんでした。それほど得意でもない英語の授業のレベルは高度すぎてついていけませんでした。なにしろ、ギリシャ悲劇がテキストなのです。高校までの英語とはレベルが違いすぎて、途方に暮れました。第2外国語として選択したフランス語も、初めこそ入門編でしたが、すぐに応用編になったのには驚きました。あまりの急テンポに、とまどうばかりだったのです。そして、法学概論の講義を大教室で受けましたが、教授は、はるか彼方の演壇です。いやはや、とんだところに来たものだと思いました。
 そのうえ、クラスでは、自家用車で登校してくる学生がいて、いかにも格好のいいブレザーを着こなしています。私といえば、詰め襟の学生服で入学したのです。学生気分で自家用車を運転するなんて、考えたこともありません。
 そんな私にとって、救いは6人部屋の寮生活でした。さすがに九州弁丸出しは出来ませんでした。関西弁は臆することなく丸出しです。東北弁はおずおずと話している感じでした。でも、みんな真面目でしたから、お互いの方言をけなすなんていうことはありませんでした。
 そんな屈折した思いに沈んでいるとき、私の目の前に出現したのがセツルメント・サークルだったのです。
 そこには、なにより生きのいい女の子があふれていました。まばゆいばかりの光を発散しています。たちまち私は、そのとりこになってしまいました。そして、司法試験の受験勉強を始めるまで、大学の授業そっちのけでセツルメント活動にいそしんだのでした。まさに、人生にとって大切なことはすべてセツルメントで学んだと言い切ることができます。それほど、ショッキングなサークル活動でした。正直いうと、今ではもっと大学で授業に出ていれば良かったと思うことが、実はあるのです。でも、かと言って、後悔しているわけではありません。
 セツルメントって、いったい何なのですか。このように問われると、実は、答えるのに窮するのです。
 セツルで何を学んだのか?
何も知らないことを・・・。これ以上の大きな収穫があるだろうか。
本当に、そうなのです。何でも知っているようで、実は何も知らないことをしっかり体験させてくれる場でした。自分という存在が、他人とは大きく異なることがあること、そして、それは親と地域の影響による違いが大きいことを認識させられました。それまで親に頼って生きてきたのに、その親を小馬鹿にしていた自分という人間の愚かさも認識させられました。さらに、物事の本質をしっかり認識するためには、自分自身が、自分の問題意識をもって変革しようと働きかけて、その結果の体験を経る必要があることも体得しました。じっと、受け身でいても、何も分からないのです。
 セツルメントが最盛期を迎えたのは、私が大学生のころではありません。実は、もっと後なのでした。
 1970年代には、全国に4000人というセツラーがいて、全セツ連大会には、1100人もの参加者があった。全セツ連には全国66のセツルが加盟していた。
 ところが、1980年代に入ると、セツルメント活動は、時代の変化に応じて急速に消滅してしまった。まさしく、時代の変化なのです。でも、どんな変化があったのか、十分に分析しきれているわけではありません。
 私は川崎セツルメント、幸区古市場にあったセツルメントです。そこで青年部に所属し、若者サークル(山彦)で活動していました。フォークダンスをしたり、キャンプをしたり、何という活動をしていたわけでもありません。でも、世の中の仕組みをじっくり考えさせられる契機とはなりました。ほかに、子ども会があり、栄養部や保健部、もちろん法律相談部もありました。
全国から1000人以上もの学生セツラーが年に2回集まって、交流する全セツ連大会は本当に活気あふれるものでした。新鮮な刺激を大いに受けたものです。語り明かすことが楽しい日々でした。そして、大いに歌もうたいました。音痴の私ですが、声をはりあげたものです。
 我妻栄や穂積重遠などの著名人たちが、戦前・戦後のセツルメント活動を支えてくれました。
 氷川下セツルメントの活動の歴史を通じて、日本史の一断面を知ることのできる貴重な歴史書になっています。セツルメント活動に関心のある人には、ぜひ読んでほしい本です。
(2014年3月刊。3500円+税)

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2014年4月 4日

21世紀のグローバル・ファシズム

社会


著者  木村 朗 ・ 前田 朗 、 出版  耕文社

 先日の都知事選挙で61万票も取った候補は、東京裁判を否定していたようです。そして、ネット社会では人気を集めたというのですから怖いと思いました。
 うっぷん晴らしから強いものにあこがれ、武力と軍隊賛美につながっているようで、恐ろしさをひしひしと感じます。
 「在特会」のデモ行進に若者が参加している。不況、失業、疎外感、既得権益への反感が社会変革ではなく、排外主義と弱いものいじめに転化している。
 ザイトク会の異常な差別煽動デモに対して、安倍首相は具体的な対処はしない。ヘイト・クライムの法規制には無関心を貫く。
 「カレログ」とは、つきあっている男性が、今どこにいるのか、女性のほうに分かるもの。
 「カレピコ」とは、つきあっている男性が風俗街とか、元カノの家のそばに行くと、女性のケータイが「ピコピコ」と鳴る仕掛け。
 石原慎太郎は、差別するためなら何でもする。露払い役が彼の役割。強きにへつらい、弱気に酷薄。それが石原慎太郎。
安倍首相は世界中で原発のトップセールスを重ねている。同じく、リニア・モーターカー。それで、日本国内をショールームにしたがっている。
 避難民の誘導は民間人が行うのが常識。それを軍隊がしたら、攻撃の対象になってしまう。メディアが自由を失ったときには、「発表」と「美談」であふれかえる。戦争中の報道が、まさにそうだった。
 独裁と独裁の生まれる全課程が、まずなによりも注意をそらせることだった。とにかく考えることをしたくない人びとには、独裁は、考えないでいい口実になった。
 安倍首相は、「先制攻撃はしませんよ。しかし、先制攻撃は完全に否定しませんよ。要するに、『攻撃に着手したのは攻撃』とみなす」と言った。恐ろしいコトバです。
 「領土紛争」をめぐって、マスコミは自国の主張を絶対視する意識を読者に刷り込む。そして、相手の主張に耳を傾ける姿勢を摘みとってしまう。
 「国家と国家の争い」という思考の枠組みだけに、人びとの意識を追い込む。大手メディアも、領土ナショナリズムの魔力にとらわれ、自覚のないまま、知的退廃がすすんでいる。
 安倍政権は、「日米同盟を強化して中国を包囲する」政策をとり、多くの大手メディアも、それを支持している。
 しかし、アメリカのオバマ政権の主要な関心は、中国包囲網の形成にはない。日中対立が不測の事態を招き、武力衝突に発展するのを止めること、それこそがアメリカ政権の関心事だ。
 ヘイトスピーチが傷つけるもの、それは在日韓国・朝鮮人だけではない。社会的少数派だけではない。なによりも平和に生きようとする人びとの精神に対して、コトバと物理的な暴力で憎悪を投げつけ、悔辱し、傷を負わせる。なるほど、そうなんでよね・・・。
 台湾は、1950年以来、37年間蒋介石によって戒厳令下に置かれ、1987年に戒厳令が解除されてから、民主化運動の爆発があり、現在、政治的禁忌はほとんどない状態にある。週600便以上の飛行機が大陸から250万人の訪問客を運び、500万人が両岸を往来している。
 100万人の台湾人が大陸に居住しており、台湾の輸出額の4割を中国が占め、中国へ進出した台湾企業は10万社に及んでいる。5万人の台湾の高卒者が大陸の大学に進学し、来年からは徴兵制が廃止される。
 考えるべき素材を、たくさん提供してくれる本でした。
(2013年12月刊。2000円+税)

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2014年4月 5日

長篠合戦と武田勝頼

日本史(戦国)


著者  平山 優 、 出版  吉川弘文館

 とっても面白く、一心不乱に読了しました。著者は山梨県の高校教諭ということですが、これほど深い学識のある教師に教わる生徒は幸せですね。私は、この本を読んで、武田勝頼をすっかり見直しました。といっても、長篠合戦で決定的な敗北を喫したことの意味を軽視しているわけではありません。なぜ、これほど重大な決戦になったのかということが、よくよく理解できたということです。
 この本は、通説を否定する最近の学説をさらにひっくり返しているという点で、画期的な本だと思います。
 まずは、勝頼が凡愚の将ではなかったということです。そして、鉄砲の三段(三列)撃ちがあったかもしれないということ。その「三列」とは限らず、「三グループ」を意味していた。「三段撃ち」は、秀吉の朝鮮出兵のあと、中国に輸入されて、そこで同じことが図解されている。この点については、前に書評として紹介しています。
 長篠合戦(ながしのかっせん)ほど、数多くの謎に包まれ、その謎解きを巡って百家争鳴、百花斉放という状況になっているのも珍しい。
 武田勝頼は、同時代の人々から暗愚の主君とは見られていなかった。武田の家臣たちにとって、勝頼は「強すぎた大将」だった。父の武田信玄を超えるために無理を重ねていった。勝頼は、武勇に優れた武将だった。
 勝頼は父の武田信玄時代よりも領国を拡大していた。勝頼は、諏訪勝頼として誕生した。
 諏訪勝頼は、武田姓になったものの、官途もなく、武田氏の通字である「信」もいただかなかった・・・。
 武田信玄は53歳で亡くなった(1573年。天正元年)。そして、信玄は自分の死を3年間は秘密にしろと言い残していた。織田信長は、4月になくなった信玄の死を7月には確信していた。
勝頼は、古くからの武田家臣のなかには溶け込めなかった。
 織田信長は、信玄が死んだとき、その後継者である勝頼を完全に見くびっていた。ところが、勝頼の攻勢が成功すると、「若輩ながら、信玄の掟を守り、表裏を心得た油断ならぬ敵」だとして、高く評価した。
武田信玄・勝頼は、全軍の寄親にたいし、軍事に関する厳格な方針(軍法)を定め、しばしば通達している。
武田軍の騎馬武者には、「貴賤」が混在しており、それが騎馬衆を構成していた。身分の上下にかかわらず、装備は同じような完全装備にせよとしていた。
 武田軍では、騎馬武者は侍身分や一揆合衆のような小身の侍などのみで構成されたのではなく、被官、忰者、傭兵、軍役衆など、実に多様な身分の人々によって構成されていた。
 長篠合戦において武田軍に騎馬衆が存在していたことは、織田信長が警戒して「馬防」柵を構築させたことで証明できる。東国の平原を戦場とした人々は、騎馬武者が馬を疾駆して敵陣に乗り込み、続く足軽に働きどころをつくることにかけて、実に巧みだった。
 騎馬武者は、家来や指揮下の足軽衆と共同して戦った。
 武田軍の騎馬衆の突入は、敵の備えが万全で乱れのないときには実施されることがなく、合戦のとば口からいきなり乗込をかけるような運用法はなかった。鉄砲や弓矢などを装備して待ち構える敵陣に対し突撃を仕掛ける攻撃法は、当時として正攻法だった可能性がある。
 武田軍の兵力が少なく、織田軍の鉄砲を制圧することが出来なかったのが敗因となった。
当時、「三段」を「三列」と解する考え方はなかった。「段」とは、部隊の将兵を列に配置することを意味せず、「三段」を「三列に並べる」というのは、明らかに誤解であり、誤読である、織田軍の鉄砲衆3千挺は三部隊(備)に分割され、5人の奉行の指揮の下、三カ所(三段)に配備された。そして、その部隊内部で銃兵は、複数列に構成していた。
武田軍の重臣たちは、合戦の前、こぞって撤退を主張した。ところが、勝頼は決戦を決めた。勝頼は、織田・徳川軍の動きを誤認していた。勝頼は、信長と家康の二人が眼前に出てきた好機を逃さず、ここで撃破し、「本意」を遂げることだけに固執していた。つまり、勝頼は、信長・家康と戦って勝ち、不安定な当主の地位を一挙に確立させたかったのだ。
 織田軍の大半は、武田軍に隠れて待機していた。
 また、勝頼の判断ミスは、織田・徳川両軍の情報部門の情報不足に起因していた。
 信長は、馬防柵をかまえ、軍勢に対して柵の外へ出て戦わないように指示した。
 織田・徳川軍の擁する3千挺に及ぶ鉄砲と、それを間断なくうち続けることができるほど用意された玉薬、そして鉄砲衆を脇から援護する多数の弓衆は、武田軍がそれまでに対峙したことのない圧倒的な数量であり、数で劣る武田方の鉄砲衆、弓衆は徐々にうち倒されていった。また、支度した玉薬の量も、織田・徳川軍よりもはるかに少なく、全弾うち尽くしてしまい、対抗する余地がなくなった場合もあっただろう。
 武田軍の猛攻が始まるのは、背後の味方が壊滅した情報を知ってからだった。
武田勝頼の作戦は、武田勢が鉄砲や弓の攻撃をしのぎながら敵陣に突入し、これを無力化し、さらに後方から続く軍勢が続々と乗り込みをかけて勝機を見出すという浸透戦術だったと推察される。しかし、武田軍には、敵の火力をしのぎつつ、敵軍を制圧できるだけの兵力に欠けていた。このように、長篠合戦の帰趨を決定づけたのは、両軍の火力はもとより、兵力差にあった。
 勝頼が退去したあとも、これを狙う織田・徳川軍と武田軍は2時間に及ぶ殿(しんがり)戦を展開していた。
 勝頼は、長篠合戦での敗北からわずか2ヵ月あまりで、1万3千とも2万ともいわれる軍勢の組織・編成に成功した。しかし、軍勢の質的低下はいかんともしがたかった。
 勝頼の無謀な突撃作戦が失敗の根本というのは間違っている。突撃は、当時の合戦において常道だった。
 よくよく、ここまで調べつくしたものだと驚嘆しました。戦国時代に関心のある人に一読をおすすめします。
(2014年2月刊。2600円+税)

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2014年4月 6日

シベリア抑留者たちの戦後

日本史(戦後)


著者  富田 武 、 出版  人文書院

 シベリア抑留の問題を実証的に追求した貴重な本です。
 先に紹介した『シベリア抑留全史』については、よくまとまった労作であると評価しつつ、関東軍の行動や日本の満州支配を正当化しかねない論調を首肯できないとしています。スターリン批判(断罪)のみでは、視点が一方的になるということですね。
 日本軍将兵は、自らが捕虜であるという認識をほとんど持っていなかった。というのは、戦闘もせずに、「天皇陛下の命令で武器をおいた」と思っていたから。なーるほど、そういうことだったのですね・・・。
 ところが、ソ連のほうは、9月5日まで戦闘を続け、拘束した軍人、軍属はすべて捕虜扱いとした。これをアメリカもイギリスも黙認した。
捕虜とは、軍隊の所属または指揮下にあり、戦闘に直接・間接に参加した軍人・軍属で、敵国に捕らわれた者をいう。
 抑留者とは、戦闘後に拘束された非軍人・軍属である。
収容所の所長が、対独戦で苦労していたり、近親者に政治犯がいたりすると、決して表には出さないが、スターリン体制を快く思っていないときには、日本人捕虜に寛容だった。
日本人捕虜は、自分の生き残りに必死で、他人のことを思いやる余裕を失っていた。
捕虜は、肉体的状態に応じて、三級にランクづけされた。一級は、どんな重労働にも耐えられる者。二級は、中程度の労働に適した者。三級は軽労働にしか向かない者・・・。
 最初の苛酷な1945-46年の大量の死者を出した冬が終わると、出勤率は少しずつ向上しはじめた。
 ソ連は、戦後復興の進展、国際世論の動向を見ながら、小出しに抑留者を日本に送還した。
 シベリア抑留者のなかに近衛文磨の息子である近衛文隆も混じっていた。しかし、文隆は収容所で病死した。
 シベリア抑留者の戦後は、さまざまだったわけですが、本当に大変なことだったと、つくづく思います。
(2013年12月刊。3000円+税)

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2014年4月 7日

旭山動物園で出会った動物の子育て

生き物


著者  小菅 正夫 、 出版  静山社

 旭山動物園の元園長が動物たちの子育ての様子を話してくれる、楽しい本です。
 元園長は私と同世代です。動物たちが本当に好きなんですね。その息づかいが、そくそくと伝わってきます。
 ハツカネズミは、出産したあと、人間にのぞかれただけで不安になり、自分が生んだ子を食べてしまった。わが子を殺されるくらいなら、自分で食べて殺してしまったほうがまし、と本能的に考えた。うむむ、考えさせられますよね・・・。
 動物は、交尾や妊娠、出産といった生命の根源にかかわることに自らの身を置くとき、神経が鍼のように尖(とが)り、自分以外はすべて敵に見える心理状態になり、完全に野生状態に戻っている。
アムールヒョウの赤ちゃんは、声を立てることの危険性を本能的に知っている。どんな動物でもそうだが、動物園で世代を重ねてきたとしても、野生の心を決して失わない。アムールヒョウの母親は、子どもに何事かがあったときに、自分が助けることができなくなると判断した状況では、大きな声をあげながら子どもの首をくわえて引きずりおろし、かみついていた。事前に、危険の芽をつんでおくのだ。
 哺乳類の動物の感覚で、もっとも重要なものは嗅覚だ。人間の生まれたばかりの赤ちゃんも、においで母親のおっぱいを識別できる。
アザラシの子は何の準備もなく、大自然に放り出されてしまう。ところが、持ち前の好奇心が子に食べ物を教え、飢えから救う。こうして、好奇心の強い子だけが生き残るので、アザラシは「種」として、好奇心の強い動物になっている。なーるほど、ですね・・・。
 オオカミは、例外的に父親が子育てをする、まれな動物である。
 オオカミの遠吠えは、子どもたちが1ヵ月ほど、父親の真似をして身につけるもののようです。それは父親が1日に何度も、根気よく練習されていた努力のたまものだ。
旭山動物園には私も行ったことがあります。この本を読んで、また行きたいと思いました。
 とりわけ、日本では絶滅してしまったオオカミの生態について関心があります。
(2013年12月刊。1300円+税)

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2014年4月 8日

ヘイト・スピーチとは何か

社会


著者  師図 康子 、 出版  岩波新書

 今の日本は、残念なことに、ヘイト・スピーチが蔓延しています。その対象は、在日朝鮮人だけではありません。ブラジル人など、さまざまな外国籍の人々、そしてアイヌや障がい者、性的マイノリティもターゲットになっています。
 ただ、著者が「沖縄の先住民族」も対象としているのには、いささかの違和感がありました。「沖縄の先住民族」って、一体、いるのでしょうか.アイヌのような人々が沖縄にいるとは思えないのですが・・・。同じような主張をする人がいるのは私も知っています。しかし、どれだけ客観的な根拠があるのか、私には疑問です。もし間違っていたら、ごめんなさい。この主張を裏付ける文献を教えていただければと思います。
 東京でのオリンピック開催が決定される直前は、排除デモは行われなかった。あんな排外デモがやられている都市(東京)で、和の精神を前提とするオリンピックが実施できるのかという疑問を封殺するための措置がとられていた。
 石原慎太郎・東京元知事は、ほとんどあらゆるマイノリティを攻撃対象としている。日本国籍をとろうととるまいと、朝鮮人や中国人は信頼できないという、悪質かつ差別的な煽動を好んで実行してきた。
在特会が攻撃するような「在日特権」というものは存在しない。
 ヘイト・スピーチは、単なる「悪い」「不人気」「不適切」「不快」な表現ではない。ヘイト・スピーチは人権を侵害する表現であり、許してはならないものである。ヘイト・スピーチは、それ自体が言動による暴力である。マイノリティの尊厳、平等権、脅迫を受けずに社会に参加して平穏に暮らす権利、これらを直接的に侵害する。ヘイト・スピーチ自体が、マイノリティに実害をもたらすものである。
 少し前まで東京都知事だった石原慎太郎の責任は、本当に重大だと思います。彼には、少なくともヘイト・スピーチを煽った責任があります。
 西日本新聞の一面下の本の広告として、ヘイト・スピーチではありませんが、韓国人をバカにしたような本の広告が何回も大きくのりました。売れるためなら、どんな本でも書くという著者がいて、出版社があります。それを新聞社が後押ししているというのは情けない現実です。でも、それは、差別の煽動であり、戦争への一里塚ではないでしょうか。なんで、もっと仲良くしようと呼びかけないのでしょうか。
 それぞれの国には抱えている大きな問題があるのです。日本だって、韓国だってもちろん中国だって、たくさん困難な問題をかかえています。それを嘲笑するようなことを許してはいけません。自分が苦しい境遇に置かれていると、ついつい他人を引きずり落としたくなるものですが、それは間違いなのです。ヘイト・スピーチは犯罪です。
(2013年12月刊。760円+税)

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2014年4月 9日

原発広告

社会


著者  本間 龍 、 出版  亜紀書房

 あの3.11から早くも3年がたちました。今でも原発はクリーンなエネルギーだと信じている人が少なくないのに驚きます。それは、東電など、電力会社と政府の広告・宣伝がそれだけ国民の間に浸透し、定着していたということです。
 この本は、電力会社と電通などが漠大な広告費をかけて日本人が洗脳されてきたことを立証しています。恐ろしいばかりの現実です。
 そして、そのお金をもらって日本人を洗脳していく材料(広告)をつくったのが、かの電通と博報堂です。この本ではデンパクと呼ばれています。初めて、こんな略称があることを知りました。原発が安全だとか、クリーンだとか、安あがりだなんて、3.11のあと、まともな人の言うセリフではありませんよね。
 原発広告は、2000年代には少なくとも年に300~500億円以上という巨額なものだった。だから、日本のあらゆるメディアが、こぞって、その恩恵に浴していた。しかし、3.11のあと原発広告は一斉に姿を消した。
 原発広告は、その費用はすべて電力料金に上乗せされていた。だから、事実上、まったくの青天井だった。
大手電力会社は、1970年から2011年までの42年間で、トータル2兆4000億円をこえる広告宣伝費を支出した。
 しかし、実は、もっと多く、少なくとも4~5兆円という巨額の広告費が費やされていた。
 トヨタは年間広告費が1000億円をこえた。そのトヨタが2兆4000億円の広告費をつかうとすれば、24年間かかることになる。
朝日新聞に原発広告が初めて掲載されたのは、1974年(昭和49年)のこと。
 これは、私が弁護士になった年です。オイルショックの後遺症で、広告が減って、新聞社は、新しい広告主の開拓に必死だった。各社の広告収入が下がって、経営問題が発生したとき、安定的で社会的評価の高い一流の広告主として、電力会社が台頭してきた。
原発は、発電するときにCO2を発生することこそないが、発電によって行き場のない大量の放射性廃棄物を発生させるのだから、原発はエコでもクリーンでもない。これを、今なお誤解している人の、なんと多いことか・・・。
テレビ局は収益の7割を、新聞社も広告収入が3割と依存している。
 有名な田原総一郎がテレビ東京の番組に出ていたところ、原発批判の言動について問題とした人がいた。通電に逆らうとは、何ごとか・・・。というものだった。
 読売新聞は3.11のあとも全頁を使って原発推進広告を出している。年間、4億円ほどの収益がある。
原発広告は気前が良いというだけでなく、高いギャラで世間によく知られた俳優を使った。脳科学者の茂木健一郎、エッセイストの岸本葉子氏、ジャーナリストの白河桃子(しらかわとうこ)。原発のCMには、渡瀬恒彦、星野仙、草野仁、玉木宏などが出演している。
荻野アンナまで原発推進事業に手を貸していたのですね。だまされたのかもしれませんが・・・。
(2013年10月刊。1600円+税)

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2014年4月10日

司法権力の内幕

司法


著者  森 炎 、 出版  ちくま新書

 元裁判官が裁判所内の不合理を告発した本です。
裁判所は組織の体をなしていない。
 東京地裁では、会議のあとの懇親会のとき、若手裁判官たちが地裁所長に酒を注ぎに行っていた。それが慣行(しきたり)になっていた。大阪地裁では、所長のところに注ぎに行くというしきたりはなかった。
 東大法学部の「優秀」組で権力志向の強い人間は、行政官になる。それも財務官僚や経産官僚になる。
 私の知るところでは、自治省や警察庁のほうが、もっと権力志向は強いと思います・・・。
 東大法学部にあって、財務官僚や経産官僚の選択も不可能でないなかで、あえて裁判官を選んだこと自体が、その人は権力志向を捨てている。だから、裁判官にはエリートはいないといって差し支えてない。精神においてのエリートはいない。
 「エリートの権化」のような人は、裁判所のなかでは、見つけたくてもどこにもいない。
 1955年生まれで、両親とも弁護士という元裁判官ですが、この点については、私には同意できません。「エリートの権化」のような裁判官は実際にいます。ただ、そのような人は、私の知る限り、真のトップには立てないようには思いますが・・・。また、裁判官を志向した時点で「すでに権力志向を捨てている」というのは、美化のしすぎだと思います。裁判官になってからも、上ばかりを向いて、上を目ざしている、目ざしているとしか思えない人がいる、それも少なくないのは間違いないと思います。といっても、そのとおりになるとは思えないのですが・・・。
 最高裁事務総局勤務を目ざして任官する人は、一人もいない。
 この点は、私も、そのとおりだと思います。しかし、漠然とではあれ、最高裁を目ざす人はいるのではないでしょうか。そんな人は、とかく無難な判決を書くようになります。失点を恐れるからです。いわば、体制順応です。
裁判所の組織としての問題は、最高裁事務総局が現場を支配していることにあるのではなくて、人事が支離滅裂なことにある。
 民間のような透明性のある評価基準がなく、すべてがブラックボックス化しているのが問題である。そのうえ、結果も良くない。
民間企業に果たして透明性のある評価基準があるのでしょうか。私には、そうとは思えません。むしろ、裁判所のほうが、まだましだとしか思えません。
 裁判官には個室が与えられていない。それは、相互に監視するためである。
 裁判官は、外の世界における行動の自由を事実上制限されている。裁判所と官舎とを公用車で往復させられる。そのうえ官舎に帰ったあと余暇の時間さえ、自由にさせない。たとえば、自家用車の所有や運転は、慣行として半ば禁じられている。旅行もできない。宿泊をともなう旅行は、所属する地裁所長に申告しなければいけない。
 同意できない部分も多々ありますが、本書は、自分自身の体験をもとにしていますので、裁判所の実情と、その問題点を知るうえでは欠かせない本だと思いました。
(2013年12月刊。760円+税)

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2014年4月11日

検証・防空法

日本史(戦前)


著者  水島 朝穂・大前 治 、 出版  法律文化社

 水島教授は、私の尊敬する憲法学者ですが、戦前の日本が、いかに国民の生命・財産を無視する国家であったのか、実に詳しく論証しています。さすが、学者です。
 アメリカ軍は日本の都市を空襲する前に、それを予告するビラ(伝単)を投下して退去するよう警告していたのですね。初めて知りました。
 当局は、その米軍による警告ビラを改修し、住民が逃げ出すのを防止していました。それで、空襲被害は大きくなったのです。なぜ都市から逃げたらいけないのか。それは、戦意喪失につながるから、なのです。
 終戦1ヵ月前の7月に、青森市に、アメリカ軍が空襲を警告するビラを大量に投下した。市民は続々、郊外へ避難していった。すると、青森県は、7月末までに戻って来ないと、住民台帳から削除して、配給物資を停止すると通知した。
 台帳からの削除は、「非国民」のレッテルとなり、社会からの抹殺に等しい。市民は、次々に戻ってきた。そして、アメリカ軍は、予告どおり空襲した。その結果、1000人ほどの死傷者を出すに至った。この青森県の通告は、防空法にもとづくものだった。
 1941年の防空法の改正審議のとき、佐藤賢了・陸軍省軍務課長(のちに陸軍中将)は、次のように述べた。
 「空襲を受けた場合、実害そのものはたいしたものではない。周章狼狽・混乱に陥ることが一番恐ろしい。また、それが一時の混乱ではなく、ついに戦争継続意思の破綻になるのが、もっとも恐ろしい」
 国民を戦争体制にしばりつけ、兵士と同じように生命を投げ捨てて国を守れと説く軍民共生共死の思想である。兵士の敵前逃亡は許されず、民間人も都市からの事前退去を許されない。それを認めると、国家への忠誠心や、戦争協力意思が破綻し、空襲への恐怖心や敗北的観念が蔓延する。人員や物資を戦争に総動員する体制が維持できなくなる。
 そこで、政府は都市から住民が退去することの禁止を法定した。国民は、戦線離脱が許されなくなった。全国民が国を守る兵士として、「死の覚悟」を強いられ、退路を絶ったのが、1941年の防空法改正だった。都市から逃亡したものは、「非国民」であり、都市に戻る資格はない。
 このように、政府の公刊物で「非国民」という言葉が堂々と使用されていた。
 焼夷弾には、水をかけても、爆発するだけで、何の効果もない。このことを政府は知っていて、国民に隠すことにした。
空襲にあったとき、ロンドンやバルセロナなどでは、地下鉄の駅や通路が大規模な公衆避難場所として解放され、その結果、多くの市民の生命が助かった。しかし、日本では、空襲があるときには、地下鉄、地下通路の入り口は封鎖された。人々を地上に追いやってしまい、その結果として犠牲者が増えた。
 「町内会、常会、隣組は、逃げたくても逃げられない」という相互監視体制である。その装置としての隣組が整備された。
 1945年6月、帝国議会は、「義勇兵役法」を制定施行した。15歳から60歳までの男子、17歳から40歳までの女子は、すべて「義勇兵」となり、軍の指揮下に入って、本土決戦に備えることになった。
 空襲被害による国を被告とした裁判が進行中ですが、安倍首相の突出した異常さから目を離すわけにはいきません。本当に、それでいいのでしょうか・・・。
(2014年2月刊。2800円+税)

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2014年4月12日

谷善と呼ばれた人

社会


著者  谷口 善太郎を語る会 、 出版  新日本出版社

 京都に谷口善太郎という、戦前の労働運動家であり、文学者であり、戦後は代議士を長く務めていた有名な人がいました。その人の生きざまが生々しく紹介され、読み手の心を温め震わせる本です。
京都選出の代議士として6期15年あまりも務めた谷善(たにぜん)ですが、学歴は高等小学校を出ただけです。しかも、小学校の途中から製陶所で働いています。それほど家は貧しかったのです。
 石川県出身で、九谷焼の製陶所で働いていたのでした。といっても、学校での成績は良く、父親が学校にやらなくていいと言うのを、校長や教師たちの援助で高等科に進学して卒業したのでした。そのころから、教師に恵まれ、作文を書いていたようです。
 この本は、谷善がペンネームで発表した本を詳しく分析していますので、モノカキ志向の私にも大変参考になりました。というよりも、その描写のすごさに圧倒されました。
労働運動を描いた小説では、高揚した場面や警官と対決する緊張場面などを、ハードボイルド調で生き生きと描いている。
 これも谷善の実体験があったからでした。谷善は、治安維持法下の戦前の日本で何回も逮捕され、警官の拷問を受け、身体の健康をこわしていたのです。
 谷善は『貧乏物語』で有名な河上肇にカンパしてもらった。高名な京都帝大教授である河上肇は、谷善に50円をカンパして、こう言った。
 「こういうことしかできなくて、恥ずかしいです」
 すごいですね。大学教授が一面識もない労働組合活動家にこう言ったというのですから・・・。もちろん、50円というのは、当時とすれば、とんでもなく大金だったのです。
 1928年(昭和3年)の普通選挙のとき、京都2区で山本宣治が当選した。
 この山本宣治も、谷善が立候補を決意させたのでした。そして、3.15の共産党弾圧が始まり、谷善も逮捕され、拷問を受けるのです。
 私は申し訳ありませんが、谷善の小説を読んだことがありません。
 『綿』は1931年に発表された。宮本顕治や中村光夫がこれを絶賛した。そして『清水焼風景』。ペンネームによって、谷善が書いたと思われないように配慮しつつ、谷善は自分の労働運動の体験をもとに小説を書いた。しかし、当局の検閲によって、6頁も削られてしまった。それでも大いに売れて、評判になったというのですから、すごいです。さらにすごいのは、映画のシナリオ・ライターにもなったというのです。大映の『狐のくれた赤ん坊』の原作は谷善の手によるものです。
 この映画について、山田洋次監督は、「日本の名作100本」の一つとしている。
 谷善が政治家になってから、その選挙のときには、あの松本清張も応援にかけつけました。これまたすごいことですね。ちなみに、谷善は日本共産党の国会議員です。
 蜷川虎三・京都府知事が7選するのにも、谷善は大きく貢献しています。
 文学者としての谷善の本の解説が主となっています。それだけに、ぜひ原典にあたってみたいという気になりました。とてもいい本でした。ありがとうございます。
(2014年1月刊。1800円+税)

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2014年4月13日

老虎再来

人間


著者  瞳 みのる 、 出版  祥伝社

 ザ・タイガースのピーによるトークライブがそっくり再現されている本です。
 その誠実な人柄がじんわりと伝わってきて、読み手の心を温めてくれます。
 著者は私より2年だけ年長ですが、同じ団塊世代です。京都出身で苦労したようです。母親を幼くして亡くし、乳母に可愛がられたようです。父親もひところは羽ぶりが良かったものの、人に欺されて没落し、著者も働きながら定時制高校に通ったのです。町工場に働いたり、ナイトクラブのドアボーイなどいくてもの職を渡り歩いています。
 ザ・タイガースは、そんな京都の同級生たちによって結成されたのでした。
 著者のトークには、京都の町なか、通りの名前がいくつも登場してきて、メンバーたちと結びつけて語られます。
 著者は二度も大病し、離婚もしています。いろいろ大変なことも多かったようです。
 それでも、ザ・タイガースの解散のあと、一念発起して慶応大学に一発で合格し、あとは慶応高校で40年間も漢文を教えていたのです。
 教師時代の教え子が全国にいて、活躍しているようです。本人は不良教師だと自称していますが、熱血教師だったのではないでしょうか。
 慶応高校の生徒たちは、天性の聡明をもっていて、キラキラ光るものがある。僕なんか、逆立ちしても彼らにはなれない。授業していても教えるよりも、教えられることが多くて、楽しかった。教師失格だった。いや、反面教師だったかな。生徒たちは、真の形で人間を捕らえることに優れていた。いくら飾りたてて、知識をひけらかしても、見破られてしまう。ごまかしはきかない相手と何十年も過ごしてきたという自負がある。
 うむむ、味わい深い言葉ですね。
 僕は迷う。迷うからこそ、迷いを断ち切るために決断する。本当は優柔不断だけど、できるだけ自分に忠実なように生きてきた。他人からみれば好き勝手やってきたように見えるかもしれないけれど、本当は不器用な人間で、あれもこれもはできない。
写真がたくさんある全国ツアー報告も楽しいレポートになっています。
(2012年12月刊。1800円+税)

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2014年4月14日

死なないやつら

生き物


著者  長沼 毅 、 出版  講談社ブルーバックス

 生物、そして生命の不思議さを紹介した本です。ええっ、ありえない。そう叫びたくなる話のオンパレードです。
 生命とは、エネルギーを食って構造と情報の秩序を保つシステムであると定義することが出来る。むむっ、これって難しすぎる定義ですね。
 この宇宙で炭素化合物が安定して存在するには、メタンか二酸化炭素になるしかなく、それ以外の炭素化合物は、どれも不安定な状態にある。
 クマムシは、151度の高温でも、絶対零度の低温にも耐える。放射線に対しても、57万レントゲン(5700シーベルト)が致死線量。人間なら500レントゲン(5シーベルト)だから、1000倍もの耐久力がある。ただし、これは、クマムシが体重の85%を占めている水分を0.05%にまで減らしたときのこと。
 ネムリユスリカは、乾燥状態で放置して17年後に吸水させたら、元に戻った。
 ふつうのバクテリアである大腸菌は、少しずつ高圧に馴らすようにしていくと、なんと、2万気圧でも生きることができた。
深海に生きるもののなかには、無機物の鉄を酸化させて、そのときに生じるエネルギーを利用して有機物をつくって、それを栄養としているものがいる。これを「暗黒の光合成」という。
 太陽光線による光合成のようなものが、暗黒の深海でやられているなんて、本当に驚いてしまいます。
 アフリカのフラミンゴはピンク色をしているが、本来の体色は白色。赤い藻を餌として食べているので、ピンク色になった。
バクテリアの仲間の「バチルス」は、2億5000万年前の岩塩のなかに見つかったものがあり、生きていた。
こうなると、生命とは何なのか、さっぱり分かりません。
重力は普通1G。ジェットコースターでかかる最高は5G。戦闘機のパイロットは、9Gにまで耐える訓練を受けている。ところが、大腸菌などは、40万Gの重力を受けても、平気だった。
南極大陸の氷の下に、ボストーク湖がある。ここには、これまで誰も見たことのないような遺伝子をもつ微生物がたくさん発見された。1500万年前の生物に、生きたまま会えたことになる。
人間の体内には、合計すると、1キログラムほどの腸内細菌が棲んでいる。種の数は1000以下。個体数にすると100兆個。それだけ多くの「別種の生物」が体内で人間と共生している。
本当に、生命体の不思議さは驚くばかりです。
(2013年12月刊。900円+税)

 KBCシネマでやっている映画「アクト・オブ・キリング」をみました。
1965年にインドネシアで起きた大虐殺事件「9.30事件」について、加害者が何をしたのか、自らの体験を喜々として再現していくというすさまじいドキュメンタリーです。どのように人を殺したのか実際にやってみせるのです。主人公は1000人もの人を殺したと高言するプレマンと呼ばれるギャングの親分です。
 今から45年以上も前のことですが、虐殺した側は、今もインドネシアの権力の側にいて、犯罪者どころか英雄視されてきました。ナチス・ドイツが戦争に勝って、その蛮行を自慢げに語っているようなものです。
 ところが、虐殺犯が自己の体験を再現してくなかで重大な転機を迎えるのです。次のような解説があります。
 「今も権力の座にあり、誰からも糾弾されたことがないため、今でも自分を正当化することができる。しかし、その正当化を本当は信じていないため、自慢話は大げさになり、より必死になる。人間性が欠けているからではなく、自分の行いが間違いだったと気づいているからのこと」
 前に紹介しました『民主化のパラドックス』(岩波新書)が参考になります。

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2014年4月15日

生活保護で生きちゃおう

社会


著者  雨宮処凛・和久井みちる 、 出版  あけび書房

 楽しいマンガ付きの、生活保護を受けるための手引き書というか入門講座です。
生活保護を受けとるのは恥ではない。
 生活保護を受けている人を叩くのは、自分の首を絞めているようなもの。国民が、もっと自由に健康で文化的な最低限度の生活を過ごせるようにするのは、国の義務である。
 そんなことが、マンガをふくめて、とても分かりやすく解説されています。
生活保護の利用者は、現在、216万人いる(2013年8月現在)。
 その理由となった事情は、それこそさまざま。適応障がいのために仕事が長続きしない若者、ずっと精神疾患のために家族と別に暮らしている若者、アルコールなどの依存症のため、仕事が出来ない中年男性、身体障がい者なので、まともな仕事と収入がない40代の女性など・・・。
 そんな人たちが自分の体験を通して、生活保護を受けるためのテクニックや、生活の大変さなどを率直に語り合う座談会が紹介されています。
 市役所のケースワーカーから、「子どもはつくってくれるな」と言われたとのこと。この言葉は本人にショックを与えました。そうですよね。人間らしい生活をするなというのと同じコトバです。
 「生活保護をもらっている人は、好きなだけ病院に行けて、いいよね」
 これも間違いです。誰が好きで病院に行くものですか・・・。みな、仕方なく病院に通っているのです。
本当は生活保護を受けてもいい、受けるべきなのに、実際に生活保護を受けているのは、わずか2割でしかない。
 生活保護を受けている人を責める側の人々は、自分たちもこんなに生活が苦しいのに、高い税金を払っているのだ、その税金で保護を受けている人は食べているという感覚だ。
 しかし、世の中は助け合いですよね。生活に困っている人を放っておいていいのですか。航空母艦やら「海兵隊」創設につかう税金があったら、人間を育てるほうにお金をまわすべきですよね。
生活保護を受けにくくしているのは、いま流行のバッシングにある。
 自分たちの家族がバッシングの渦の中に入ってしまう恐怖心がそこにあった。
 本当は生活保護を受けるべき人が8割、実際に受けているのは2割。この現実を変えて、もっと多くの人が、気楽に気軽に生活保護を受けられるようにしたいものです。
 また、保護を受けるのは恥ずかしいことでも何でもありません。大きく叫びましょう。
(2013年10月刊。1200円+税)
 庭に植えているアスパラガスに大きく伸びていました。一度に7本も収穫できたのは初めてです。しかも、みんな店頭に並んでいるほどの太さでした。
 早速、春の味覚をかみしめました。

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2014年4月16日

人権は国境を越えて

司法


著者  伊藤 和子 、 出版  岩波ジュニア新書

 国際人権団体であるヒューマンライツ・ナウの事務局長を務める女性弁護士が若者に向けて書いた本です。
 ヒューマンライツ・ナウは、2006年に発足し、今では700人以上のメンバーを擁している。NPO法人となり、2012年には国連で発言権のあるNPOとして登録されている。
 著者が弁護士になったのは20年前の1994年のこと。高校生のころから弁護士を志望して、大学は法学部を選んだ。司法試験には、3回目で合格。必死にがんばったのでした。
 弁護士1年目の1995年9月に、北京での世界女性会議に参加して世界の人権状況に目が開かされた。
 1996年、フィリピンに現地調査に行った。日本人男性がフィリピンで子どもたちの売春をしていることを知り、告発した。
 そして、日本国内の冤罪事件(名張毒ぶどう酒事件)、難民認定事件などにも関わった。
 2001年の9.11のあと、2002年1月にはパキスタンへ出かけて難民キャンプの実情を調査しています。本当にたいした行動力です。すばらしいですね。
 そこで聞いた難民女性の言葉が胸を打ちます。
 「家に帰りたい。平和がほしい。尊厳を取り戻したい。私たちは、これまで平和に暮らしてきたのだから・・・」
 平和は、失ったときに、その大切さが実感できるのですね。いまの日本の平和な生活を大切にしたいものです。
 2004年から2005年にかけて、アメリカはニューヨーク大学のロースクールに留学した。若いって素晴らしいですね。そこで、国際人権法をさらに勉強し、日本に帰ってきました。
 ビルマ(ミャンマー)、カンボジア、フィリピンに出かけ、現地の法律家との交流を深めます。
 深刻な人権侵害が世界各地にあり、それとたたかう法律家と連帯する活動をすすめています。
 そして、日本国内でも、3.11後の救援活動に身を投じます。こんなに勇気ある若い弁護士がいることを知って、ロートル弁護士である私も元気を出さなくては、と思いました。
 ぜひ、多くの若者そして、子どもたちに読んでもらって、あとに続く弁護士が一人でも多く増えることを願いたいと思いました。
(2013年10月刊。820円+税)

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2014年4月17日

前夜、日本国憲法と自民党改憲案を読み解く

司法

著者  梓澤和幸・澤藤統一郎ほか 、 出版  現代書館

 自民党の改憲案のもつ問題点が縦横に語られています。
 安倍首相の改憲にかける執念深さは、異常としか言いようがありません。それは、自民党の要職をつとめた人々からもやり過ぎだとして警戒されているほどです。野中広務、古賀誠、山崎拓などです。
 アメリカ政府からも「失望した」とか、ケネディ駐日大使は安倍首相と会おうとしないとか、さまざまな圧力が加えられています。安倍首相は、今のところアメリカの圧力に屈せず、自分の信じるとおり敢行しているようです。でも、そんな「対米自立」は、かえって日本人には迷惑なことなのではないでしょうか・・・。
自民党の改憲草案は、ひどく時代錯誤そのものです。
 天皇を元首とすることは、限りなく君主主権に近づけるということ。
今どき、君主主権だなんて・・・。復古調も、ここまでくると、少し狂っているという感じがします。だいいち、いまの天皇自身が、そんなことを望んでいませんよね。要するに、天皇を道具として使いたいために、その下心から、勝手に天皇を「元首」に持ち上げようとしているのです。天皇を心から崇敬しているとは決して思えません。自分の手玉(てだま)として使いたいというだけです。天皇を、そんなに軽々しく扱うなんて、私だって許せません・・・。
 自衛隊を「国防軍」に変えるという自民党の改憲草案は、軍事組織として、ある程度の自由をもって外の世界へ出ていくことを許すこと。
 要するに、日本人の集団が「国防軍」として海外へ戦争しに出かけ、そこで外国の人々を殺し、また外国の人から殺されるということです。「フツーの国」になるということは、戦死者が「フツー」に、すぐ身近に存在するということになります。これって、社会の変質ですよね。
 自民党改憲草案は、現行憲法が「すべて国民は、個人として尊重される」としているのを、「すべて国民は、人として尊重される」に変えるとする。「個人」を「人」に変えるというが、「人」というのは、非常に抽象化されたもの。動物と人という感じだ。それに対して、「個人」は個性をもっている。一人ひとりの個人と「人」とは、ニュアンスがまったく違う。
 原子力発電所(原発)を設置し、稼働する人たちは、戦争を想定していない。そして、防衛、安全保障、戦争を考える人たちは、原発のことを想定していない。
 北朝鮮は、ミサイル一発を原発に撃ち込めば、日本を地上から消し去ることができると言った。本当に、そのとおりなんです。とても怖い現実があります。
 安倍内閣は、北朝鮮のテロの危機を声高に叫んでいますが、ミサイルによる原発攻撃には口をつぐんでいます。防ぎようがないし、本当にそうなったら、日本は「おしまい」だからです。真の怖さは隠して、その一歩も二歩も手前の「怖さ」だけを言いたてて、防衛産業の売り込みを図っているのです。まったく、許せません。
 自民党の改憲草案は、私は何度も読み返しました。草案の前文なんて、お話にならないほどの格調低さです。出来が、まったく違います。ぜひ、見比べてください。
 それにしても、改憲草案の全条について、こうやって詳しく検討してくれて本当にありがたいことです。
(2013年12月刊。2500円+税)

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2014年4月18日

小説・外務省

社会


著者  孫崎 享 、 出版  現代書館

 安倍首相は、靖国神社に参拝して、韓国や中国との親善交流よりも、戦争をひき起こすことに喜びを見出しているようです。本当に怖い首相です。そして、マスコミ(とりわけNHKや売らんかなの週刊誌)が、その強硬姿勢をもてはやし、戦争へ駆け出そうという恐ろしい流れが出来あがっています。
 これでは、日本は、外から見るとまるで「軍国主義、ニッポン」ではありませんか・・・。そのことを多くの日本人が自覚し、認識していないため、安倍首相の支持率が6割だなんて、とんでもない数字が出てくるのでしょう・・・。
 著者は、アメリカべったりの外交はもはややめるべきだ、もっと外交を通じて世界と日本の平和を守るために行動しようと呼びかけています。私は、何度も著者の話を聞きましたが、本当にそのとおりだと思います。
 安倍首相の言うような、軍事力に頼って解決することは何もないのです。そこでは報復の連鎖、暴力の応酬が始まるだけなのです。ぜひ、このことを分かってほしいし、広めてほしいと思います。
 この本は、小説とうたいながらも、実名で本人もふくめて登場してきます。だから、本当に分かりやすいのです。
 鳩山由紀夫首相が、なぜ行き詰まって首相の座をおりたのか・・・。
外務省では、アメリカの大学で研修し、在米大使館で勤務したことのある人々を「アメリカ・スクール」と呼ぶ。アメリカとの関係を最重視する人々だ。
 外務省の事務次官そして総合外務政策局長、北朝鮮局長は、歴代、「アメリカ・スクール」で占められてきた。だから、外務省では、アメリカとの関係を維持する、追随するという方針で、すべてが決まってきたし、決まる。
 「アメリカが望んでいない」は、すべての案件を論じるときの切り札となる。外務省では、上司の意見に従う、だけでなく、アメリカの意見に従う。これがすべてだ。
 外務省では、すべてが、この大切な日米関係を、○○事件ごときで損なってはいかんというモノサシがある。
アメリカは、人物破壊という手法をつかう。人物破壊とは、政敵を壊す手段である。特定の人間や組織の信頼性を失わせるために、間違っていたり、誇張されたりした情報などを執拗につかう政治手法だ。その人間を世間から永久に抹殺するという点では、人殺しと変わらない。いわば、殺人の代用方式である。
 アメリカにあるヘリテージ財団は、単なる研究所(シンク・タンク)ではない。スパイ活動と関係している。
石原慎太郎は、実際には、アメリカの評価を実に気にしている。
 アメリカが人を買収するときには、講演会を依頼する。その報酬には限度がない。
 研究所は講演料として、巨額のお金を渡す。そこでは、スパイ容疑はどこにもない。すべて合法だ。
外務省と読売新聞との関係は、きわめて良い。
谷垣は、リベラル色をもっていた。だから、完全にアメリカに追随するのか疑問があった。そこで、谷垣を自民党の総裁選挙の直前におろした。日本の自主政権は許さない。その芽が出たら、汚職で攻める。
 残念ながら、本書で書かれていることは本当だと実感することがあまりにも多すぎます。日本って本当に独立国なのでしょうか・・・。少なくとも、もっとアメリカに向けてきちんとモノを言うべきです。フランス並みに、とまでは言いませんが、せめて同じアジアのフィリピン並みに、アメリカ軍の基地を国内から早く全面撤去させたいものです。米軍基地を撤去したあとを商・工業ゾーンとしたら、みんな共存共栄できると思います・・・。
 いい本でした。小説ですから、さっと読めるようになっているのがいいです。
(2014年4月刊。1600円+税)

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2014年4月19日

40年パリに生きる

ヨーロッパ


著者  小沢 君江 、 出版  綜風出版社

 私がフランス語を勉強するようになった40年以上になります。正確には大学1年生のとき、第二外国語として選択したのでした。
 初めてフランスに行ったのは今から30年ほども前のことになりますが、そのころはフランス語の単語に聞きとれるものがある程度でした。ですから先輩弁護士がフランス語でフランスの弁護士と話しているのがうらやましいというより、アナザーワールドの住人という感じがしていました。今でも話すのはうまくありませんが、耳のほうは、さすがに文章レベルでかなり分かるようになりました。それでも、哲学的表現の多いフランス語の文章は理解に苦しんでいます。
 この本はパリで発行されている日本語の無料誌「オヴニー」の創刊者の苦労話が語られているものです。もちろん日本人です。フランスの男性と結婚して、単身パリに渡ったのでした。
 「オヴニー」の前身「いりふね、でふね」が発刊したのは1974年5月のこと。A4サイズ8頁。今では6万部発行され、うち2万部は日本人に搬入されている。無料誌なので、広告料が発行を支えている。長年の下支えがある。
 全共闘とか、新左翼そして日本赤軍、ひいてはテロリストとの関連を疑われて、警察の探索、差押を受けた。
 「オヴニー」創刊号が出たのは1979年4月のこと。1981年にエスパス・ジャポンを開館した。「日本空間」ということで、日本の文化を披露する場である。
フランスに滞在する日本人3万人の3分の1は官庁・企業関係者とその家族。あと3分の1は留学生・研究者。残る3分の1は永住者(12%)、芸術家など(9%)、その他(7%)からなる。
著者も70歳を迎え、フランスに日本人が住むことの意味をしみじみ考察しています。
 フランス語には、日本語のあうん呼吸、以心伝心の感覚はない。すべてが目には目を式に言葉対言葉の対話文化であり、男女関係でも最後は言葉が支配する。
 日仏カップルの大半は、離婚か離別に終わっている。
 一般にフランス人は言葉を操り、楽しむ習性をもっている。
 言葉の裏や抑揚にニュアンスを込められている日本語。ピンポンのように言葉と言葉でやりとりするフランス語。
 うーん、そう言われても・・・。まあ、ともかくボケ防止に、毎朝、NHKのラジオ講座を聴き、CDでフランス語の書き取りをしましょう。きっと、何かいいことがあるでしょう。
(2013年12月刊。2000円+税)

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2014年4月20日

校庭に東風吹いて

社会


著者  柴垣 文子 、 出版  新日本出版社

 車中、そして喫茶店で一心に読み続けました。あまりの情景描写のすばらしさにいつものように読み飛ばすことが出来ず、なんと読了するのに3時間近くもかかってしまいました。一気通読派の私にしては、珍しい画期的な遅読です。
 素晴らしいのは情景描写だけではありません。主人公の女教師と、その家庭、さらには学校で声を出せない女の子を取り巻く情景がことこまやかに描写されていて、ついついもどかしさを感じてしまうほどの心理描写もあり、本のなかに、すっと感情移入してしまったのでした。車中でも喫茶店でも、一切の雑音を遮断して本の世界に没入してしまいました。まさしく、良質な本にめぐりあったときに感じる至福のひとときでした。
 主人公の女性教師は鹿児島出身で、京都の小学校につとめています。ですから、鹿児島弁が少し出てきます。夫も中学校の教員です。大学生の息子と高校生の娘という四人家族。身体が強くないのに、教育委員会は片道2時間も通勤にかかる小学校へ配転したのでした。そして、4年生の担任、40人学級なのに、なかに1人の女の子が場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)だというのです。これは大変ですね・・・。
 失語症と場面緘黙症の違い・・・。
失語症は、たいていの場合話は意思はあっても、機能的に話すことができない。失語症の原因は、ほとんどが病気。言葉が出てこない。話している内容が分かりにくい。話したいのに話せない。
場面緘黙症の場合は、話すことができるのに、話せない。多くの場合、自宅では話せる。でも、保育園や学校では話せない。返事くらいはできる子、特定の子どもとなら話せる子、場所によっては話せる子もいる。
つまり、失語症の子は話したいのに話せない。場面緘黙症の子も、どちらも内面では、すさまじい葛藤があると思われる。そして、場面緘黙症の子については、その原因が分かりにくいという特徴がある。
主人公の女教師は、教室内で固まっている女の子をかかえて途方に暮れてしまいます。お昼の給食の時間には、隣の机にすわって話しかけるのでした。
 その女の子には、友だちがいました。一緒になんでもしてくれるのです。そして、母親と祖母との関係も微妙ですし、存在感の乏しい父親も原因になっているようです。
女教師にしても、場合の婦人部長をしたり、高校生の娘との対話が難しかったり、年老いた実母の介護で悩んだり、本当に身につまされる話が同時並行的に進行し、考えさせられます。
現実の一場面を切りとり、社会の実際を改めて振り返ってみることのできる小説として、深々と心に突き刺さってくる本でした。
場面緘黙症の子が、ついに教室の中で給食を食べ、話し出す様子も描かれ、救いがあります。読了したあと、幸せな気分に浸ることができました。
団塊世代より少しだけ上の世代の著者です。今後ますますの権筆を期待します。というか、私も、こんな小説を書いてみたいと思ったことでした。
(2014年3月刊。2200円+税)

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2014年4月21日

パンダが来た道

生き物


著者  ヘンリー・ニコルズ 、 出版  白水社

 パンダの写真は、いつ見ても心がほわっと浮き立ちます。なんで、こんなに愛くるしい生物が存在するのでしょうか・・・。
 でも、そんなパンダですが、人類と接触するようになったのは、今から150年前のこと。もちろん、パンダはその以前から存在していました。しかし、棲息地である中国の山奥深くに、ひっそりと生きていたため、中国の古典文献にすら登場してこなかったのです。いかにも不思議な生物です。
 そして、中国革命で有名な毛沢東の東征のころ(国共内戦のころ)、パンダはしきりに欧米白人から捕獲されていたのでした。そんな、パンダの不思議な話がまとめられた本です。
 私は、かつて上野動物園で眠っているパンダの実物を見たことがありますが、あとは写真集ばかりです。和歌山には、たくさんのパンダがいるようですし、四国・四川省にはパンダの保育園があるとのことです。ぜひ見てみたいものだと思います。
 パンダは、1869年まで、中国の外では存在すら知られていなかった。実は、中国でも、ほとんど知られていなかった。150年足らずの間に、まったく無名だった動物が、世界でもっとも人気のある動物になったことになる。
 パンダは、レッサーパンダより、クマに近い。このことがDNAの解説で判明した。
竹ばかり食べるパンダは、肉食のクマの仲間なんですね。
1937年、アメリカでパンダの展示が始まったとき、初日だけで、5万3000人の入園者があり、1週間の入場料収入でパンダの取得費用をすべて回収した。
1972年4月に、中国からアメリカにパンダが贈られたとき、最初の日曜日だけで7万5000人が見に来た。
 今では、パンダに何を食べさせるかは非常にきびしく管理されている。竹のみを与え、それ以外は最小限にとどめている。
 パンダは、よく眠る動物で、エサにおかゆを食べさせると、とりわけよく眠る。
 赤ちゃんパンダの体重は、100グラムほど。母親の1000分の1にすぎない。
 パンダの赤ちゃんは、人間で言えば赤ちゃんは妊娠20週あまりで生まれてくるようなもの。
 メスのパンダが生殖可能になるのは3年半。毎年1回の春、発情期を迎える。しかし、わずか数日間のみ。
 発情が近づくと、繁殖に発声する。通常は、あまり声をあげず、音よりも、匂いにおいてコミュニケーションをとる。
 野生のメスのパンダは、1年すぎに8月に出産し、そのときには山を下り、心地のいい洞穴や木の洞を見つけて子を産む。
 パンダは不安を感じているときは、歯をすり合わせたり、くちびるを摩擦させたりして音を立てる。悲しいときは、短く鼻を鳴らすような叫び声。身の危険を感じているときは、いかにも悲痛な呻き声。そして、発情が近づいたときには、ヤギの鳴き声やさえずりにも似た短く鋭い声を発する。
 そうなんですね、パンダの声もいろいろあるのですか・・・。
 中国は、文化大革命のあと、パンダの人工授精に力を入れた。
 パンダは冬眠はしない。パンダは、5平方キロほどの狭い土地をテリトリーにしている。平均すると、1日の移動距離は500メートルほどでしかない。パンダは基本的に単独行動を好み、交尾のときだけ数日間、一緒に過ごす。
 パンダとは何か。どうしてパンダが今も生き残っているのかが、よく分かる楽しい本です。
(2014年2月刊。2400円+税)

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2014年4月22日

小選挙区制は日本を滅ぼす

社会


著者  浅川 博忠 、 出版  講談社

 庶民いじめで大企業優遇の消費税の税率アップ。本当に痛いです。平和な日本の金看板をひっぺがす武器輸出三原則の緩和、そして集団的自衛権行使の容認。また、教育統制の強化。さらには、日本の農業と医療をつぶしてしまうTPP。
 どれをとっても、こんなにひどい内閣はないと思うのですが、不思議なことに安倍内閣の支持率は60%もあります。いったい、日本って、どうなっているんでしょう・・・。
 NHK会長をはじめ、マスコミのトップには安倍首相のお友だちばかりのようです。月に1億円を使い放題という内閣官房機密費による超高級料理店での接待がきっと効果をあげているのでしょうね・・・。
 そして、国会は安倍首相を応援する人ばかり。なんで、そうなるの・・・。そのカラクリ(仕掛け)は簡単です。一人区がほとんどの衆議院選挙だと、少数意見なんて反映されません。
 だから、この本のタイトルにあるように、小選挙区制は日本を自滅させてしまうというものです。種の多様性を許さない生物は、いずれ絶滅するしかありません。環境の激変に対応することができないからです。
 小選挙区制が導入されてからの6回の総選挙において、少なくとも3回は、国政は風まかせになり、議員たちは「風にそよぐ葦(あし)」と化している。
 小選挙区制のもつ恐ろしさを知ると同時に、その果実をいちはやく得たのは、小沢一郎ではなく、小泉純一郎だった。
 小選挙区制を実現したときにさかんに言われていた「政治改革」とは、その本質は竹下登と小沢一郎の権力闘争だった。竹下とのケンカにおいて、小沢が「飛び道具」として使ったのが選挙制度であり、小選挙区制を中心とする制度だった。
田中角栄も小選挙区制の導入にとりくんだ。そのときの狙いは、憲法を改正しようとするときに最大の強敵と目される日本共産党つぶしだった。
 たしかに小選挙区制の下で、日本共産党の議席は激減しました。比例部分の議席が少し残っているので、日本共産党の議席が今もなんとかありますが、その比例部分を大幅に削ろうとしている策動が根強くあります。
 国民のなかの価値観がこれほど多様しているのに、国会の中は、依然として古い自民党路線オンリーのようで、残念でなりません。
政治改革イコール選挙制度の改革に対して、小泉純一郎は猛烈に反対した。
 小選挙制が導入されようとしていたとき、マスコミは、それに反対する人々を「守旧派」と呼んで、たたきつけ、足をひっぱった。つまり、守旧派なる語(コトバ)が、あたかも悪者を示すかのように多用された。
 小選挙区制度の弊害がこれほど明らかになっているのに、推進派だった人々から表だっての反省の弁や釈明がなされていない。これは、きわめて残念な現象だ。
 小選挙区制には、民意を反映すると言いながら、極端から極端へと走りすぎるリスクがある。
 小選挙区・比例代表並立制は、政権交代が容易になるとして実施された。
しかし、結局のところ、政権交代こそ実現しましたが、それで日本が良くなったという実感はありません。かえって、格差社会が拡大し、弱い者いじめの政治がひどくなっただけのような気がします。
一区3人の中選挙区制で妥協するのが、日本では最適だろう。
 政党助成金もひどい。総額320億円もの税金を適当に配分している。
これほどひどい小選挙区制です。ぜひ、一刻も早く、元の中選挙区制に戻したいものです。
(2014年3月刊。1400円+税)

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2014年4月23日

日韓・歴史問題をどう解くか

朝鮮(韓国)


著者  和田 春樹・金 泳鎬 ほか 、 出版  岩波書店

 1965年の日韓条約には、批判されるべき重大な欠陥があった。日本側に植民地支配に対する反省がなく、それがもたらした損害と苦痛に対する謝罪がなく、補償をおこなう考えがなかったことである。
 日韓条約は、歴史認識の対立をそのままにして、併合条約の無効に関する条約第2条を日韓が都合のいいように訳し、解釈することを認めることで成立した。
残されている、解決を必要とする問題は四つある。第一に、強制された併合条約は当初から無効であったと解釈すること、第二に、日本側は自発的に、道義的に追加的な償いの行動を補完的にとること。第三に、日韓請求権協定で解決されていない深刻な問題があること、たとえば慰安婦問題や在韓被爆者への援護問題、サハリン残留韓国人の帰国問題などについて、日韓首脳会談で協議すること、第四に、独島・竹島問題についての合意。
 なーるほど、いろいろの問題がまだまだ未解決のまま残っているのですね・・・。
 併合条約の有効性の問題を政治家や官僚たちにまかせることはできない。そうではなく、市民社会が乗り出すべき問題である。これは、過去からの要請というより、未来からの要請なのである。
 韓国併合条約には、形式上も手続き上も、重大な欠陥が認められる。大韓帝国の宝印奪取、皇帝の署名偽造、公表勅諭の捏造など。そして、韓国では、国内手続を経ておらず、皇帝が裁可することもなかった。
 したがって、韓国併合条約は、「締結されてもいなかった」のである。
日本の敗色が濃くなっていた1944年12月、朝鮮・台湾の居住者への参政権付与案が検討され、翌45年4月に、選挙法が改正された。しかし、朝鮮の衆議院定数はわずか23人。有権者も直接国税15円以上納付に限定された。
 それまで、朝鮮人は立法にも予算の審議にも関与できなかった。
 「韓国併合」100年を記念して日韓知識人の共同声明が出された(2010年5月10日)。翌11日の韓国各紙は、この共同声明を大きく報道した。ところが、日本では、朝日、東京そして共同通信のみが報道するだけ、しかも小さな記事でしかなかった。
 2010年8月10日、菅直人首相は、談話を発表した。
 「日韓併合条約が締結され、・・・・植民地支配が始まった」
 「政治的・軍事的背景の下、当時の韓国の人々は、その意に反しておこなわれた植民地支配によって、国と文化を奪われた」
 いま、本屋の店頭には、韓国と韓国人をバカにするような本が平積みになって大々的に宣伝され、売られているようです。まさしく「ヘイト・スピーチ」が公然と大手を振って、まかりとおっています。恐ろしいことです。隣国とは、たとえ意見の違いが大きくても、仲良くしなければいけません。「敵」ではないのです。
 先日、私は娘の結婚式のためにソウルに初めて行ってきました。みんな平和に生きています。それが、私たちの願いです。戦争に駆り立てて金もうけしようなんている連中に乗せられてはいけません。
 植民地になって朝鮮はかえって良かったとか反映していたと主張する日本人がいます。残念でなりません。自由と独立のないところで、どうして「繁栄」があるというのでしょうか。日本人は開き直ってはいけないと私は思います。
 反省すべきところは反省し、償うべきは、きちんと償うべきなのです。それが未来への道を切りひらいていくことになります。
(2013年12月刊。2900円+税)

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2014年4月24日

イエロー・バード

アメリカ


著者  ケヴィン・パワーズ 、 出版  早川書房

 アメリカの若者がイラクへ派兵された。21歳の3年兵バートルは、18歳の初年兵マーフィーを無事に故郷に連れ帰ると約束していた。しかし、戦場の現実は苛酷だった・・・。
 この本を読みながら、どうしてアメリカ人がイラクでこんな苦しみを味わわなければいけないのか、つくづく疑問に思いました。
自分が通ったゲートの空いた席を霊たちが埋めていた。迫撃砲やロケットや弾丸や即製爆弾でやられた兵士たち。救急ヘリに担ぎ込もうとしたときには、皮膚が滑り落ち、四肢は本来の位置に辛うじてくっついているという状態だった。
 彼らはまだ若く、故郷には恋人がいて、人生を意味あるものにしてくれる夢を抱いていたのだろう。彼らは進路を間違ったのだ。死んだら、もう夢は見ない。
 自分は顔を背けた。打ちのめされて、くらくらした。体内に何も残らなくなるまで吐いた。それでもなお、胆汁が気味悪い黄色のリボンのようになって出てきた。それから、やっと上体を起こし、口のあたりを拭った。
 自分らは、ある角で止まった。ネズミの行列が破片の山を縫って、通りを横切っていった。ネズミは数の力で、死体に食らいついていたみすぼらしい犬を追いはらった。見まもるうちに、犬は切りさいなまれた腕をしっかりくわえて路地へ走りこんでいった。
 自分らは、沈黙のなかで、彼の人生最後の瞬間を脳裏に浮かべていた。彼が苦悶し、アラーに開放してくれるよう懇願しているのが見えた。だが、助けてもらえないと悟ったときには、のどを切られて首から血を噴いていた。そして、窒息して死んでいったのだ。
 その男は、自ら望みもしなかった武器に仕立てられた。敵は彼を捕らえて、殺し、内臓を抜き、腹腔に爆薬を詰め、こちらが彼に気づいたと思った瞬間に爆発させ、そして攻撃してきたのだった。
自分らは、もう自らの凶暴性に気づかなくなっていた。人を殴打したり、犬を蹴飛ばしたり、手荒い捜索をしたり、ゆく先々で発揮する残忍さに。行動の一つひとつが、機械的に実践される練習帳の一頁のようだった。だが、自分は気にもしなかった。
 イラクに兵士として派遣されて生活しているうちに、人間らしさをどんどん失い、感覚が鈍磨してく様子が生々しく語られています。恐ろしい現実です。そんな人々(若者です)をアメリカ社会は何十万人とかかえているのですね。まさしく、双方にとって不幸のきわみです。
 著者は17歳でアメリカ陸軍に入隊し、2004年から1年間、イラクに派遣され、機関銃士として転戦しました。その体験にもとづく小説ですので、迫力が違います。
 アメリカの野蛮さの原因を知ることのできる本でもあります。
 安倍首相の集団的自衛権の行使容認というのは、日本の青年をこのような状況に追い込もうということです。絶対にあってはならないことだと私は思います。
(2013年11月刊。2100円+税)

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2014年4月25日

角栄のお庭番・朝賀昭

社会


著者  中澤 雄大 、 出版  講談社

 朝賀昭は、田中角栄の秘書として、その「お庭番」として23年間も仕えた。
 「田中軍国」の最盛期には、議員143人、秘書1000人をこえた。
 田中角栄が今も生きていたら、94歳。
「戸別訪問3万軒、辻説法を5万回やれ」と、角栄は口酸っぱく言っていた。
 朝賀昭が角栄に初めて出会ったのは、まだ日比谷高校3年生のとき。このとき、角栄は自民党政調会長、43歳だった。
 当時から、33歳の佐藤昭(あき)と特別な関係にあることは、公然の秘密だった。
 田中角栄は小学校高等科卒業。学歴はない。怖いものはないようで、実は、外国人恐怖症だった。
 越山会の会員は最盛時9万3000人。地元の建設業者の大半が越山会系となった。自民党の政調会長、大蔵大臣、党の幹部と出世していく角栄の鶴の一声で決まる多大な公共事業費をあてこんだもの。
 鳩山邦夫は、まったく面識はありませんけれど私と大学同期生ですが、祖母の頼みで角栄の秘書にもぐり込んでいます。
 田中事務所では、入学あっせんと交通違反のもみ消しの二つは禁止されていた。その反対に、入社斡旋はいいわけです。
 佐藤昭との子について、角栄は、それなりに可愛かったようですが、娘のほうは屈折した心境のまま育っていったようです。たしかに、有名人の父をもち、また、日陰の身として辛かったことでしょうね。
 田中角栄は東京都内全区にゴルフ場をつくれと提唱した。そんなバカなと一瞬、思いましたが、すぐに考え直しました。大地震のときの避難場所になるし、畑にもなる、というのです。東京直下型地震の心配があるだけに、実は、今からでも生かすべきグッドアイデアなのではないでしょうか・・・。
 田中角栄が首相になったのは昭和47年(1972年)夏のこと、私は大学を卒業して、司法修習生でした。『日本列島改造論』が売れ、上野動物園にパンダのペアが到着したころです。
 ところが、石油ショックがあり、日中の国交を回復したものの、アメリカからは冷たくされ、角栄は金権政治と批判されるようになったのです。
 昭和49年12月、田中内閣は総辞職し、三木内閣は発足した。
 そして、ロッキード事件が始まるのです。「よっしゃ、よっしゃ」のピーナツ、5億円です。角栄がアメリカから嫌われて、はめられたという説は、かなり信憑性があるように思います。
 とは言っても、安倍政権はアメリカから「失望した」と言われても、今のところ、しぶとく開き直っています・・・。いったい、いつまで、もつのでしょうか。早く退場してくれることを心から願っています。
 角栄を擁護する立場からの話ですが、日本政治の裏面の動きを知るうえでは、かなり面白い本だと思いました。
(2014年1月刊。1800円+税)

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2014年4月26日

スコールの夜

社会


著者  芦崎 笙 、 出版  日本経済新聞出版社

 現役の財務省キャリア官僚の小説です。日経新聞で賞をとったということと、若いころに福岡県内で財務署長をつとめていたという縁から、早速、読んでみました。
東大法学部卒の女性が大手銀行に総合職として入ってエリート・コースを歩いているのですが、リストラ最前線に立たされて苦悩するというストーリーです。
さすがに賞をとったというだけあって、人物描写は読ませますし、銀行内部のリストラをめぐる攻防戦、そして人事攻争も読みごたえ十分です。なにより、主人公のエリート女性への感情移入がスムースなのは見事だというしかありません。私も、こんな小説を描いてみたいと思い、ついつい反省させられました。私なんか、いつも、読み手から、感情移入しにくいとか、情景描写がなっていないという、耳の痛いコメントばかりなのですから・・・。
それでも、あえて著者に注文をつけるとすれば、やっぱりキャリア官僚のナマの生態を小説として描いてほしいです。官僚ではなく銀行員とするのもいいけれど、ぜひとも本家本元のキャリア官僚を主人公とした小説に挑戦してください。大いに期待しています。
銀行内部には、いつも汚れ仕事がある。それは総会屋対策であり、暴力団対策である。それ相応のお金をつかませて、お引きとり願う。そして、頭取を初めとする役員の女性スキャンダルのもみ消しも総務部の重要な仕事だ。
うひゃあ、たまりませんね、こんな仕事・・・。宮仕えの辛さですね。
リストラになると、もっとすさまじいことになります。心神症にならないほうが不思議ですね。リストラされるのは中堅幹部以下の社員です。トップと、その周辺は安泰。ただ、派閥抗争には巻き込まれる。
いやはや、銀行内部の人事抗争はひどいものがあるようです。今後の健筆を大いに期待しています。
(2014年3月刊。1500円+税)

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2014年4月27日

つるにのってフランスへ

ヨーロッパ


著者  美帆 シボ 、 出版  本の泉社

 フランス人男性と結婚した日本人女性による、元気のでる話が満載の本です。
 著者は、反核・平和運動に取り組んでいることでも有名です。フランスの国防大臣をつとめた人が、今では反核運動に参加して、声をあげているそうです。その人は、アメリカのスターウォーズ計画は実現性がないと批判していました。すると、フランスの兵器産業界の大物が次のように言って批判した。
 「大もうけできる良い機会なのに、反対するなんて、とんでもない」
 そうなんです。兵器(軍需)産業にとって、世界の平和は望ましくないのです。危機をあおり、戦争を仕掛けることで、肥え太っていく死の商人が世界中に、もちろん日本にもいるのです。たとえば、それは三菱工業であり、コマツであり、IHIなのです・・・。
 フランスでは核兵器は生命保険なのかどうか、論争があった。
 「核抑止は生命保険である。だから、保険の節約はできない」
 「核兵器は死亡保険だ。本当に生命保険なら、なぜ他の国に核保有を禁じるのか。核兵器をもつことで国を敵から守れるのなら、なぜ高額な対ミサイル防衛が必要なのか。これは、核抑止が成り立たないことを証明している」
 本当にそうですよね.核抑止論なんて、インチキそのものです。
フランスは出生率が高い。それは、子育てがしやすいように国が手厚くしているから。
 フランスでは、出産はタダ。教育費も、大学まで公立、国立はタダ。授業料はなく、奨学金は返済する必要がない。 三人以上の子どもを産んだ母親には優遇策がある。
育児支援が充実しており、母親でも安心して働ける環境がある。
 フランスは農業国です。また、食を大切にしている国です。
大学生のときから、今なおフランス語を勉強していますので、フランス大好き人間として、一度は著者に会ってみたいものだと思いました。
(2014年2月刊。1600円+税)

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2014年4月28日

物語ること、生きること

人間


著者  上橋 菜穂子 、 出版  講談社

 「獣の奏者」、「守り人」シリーズの著者に長時間のインタビューをして出来あがった本です。モノカキ志向の私にとって、すごく刺激的な本でした。やはり想像力というのが大切なのです。そして、それは、幼いころの原体験がどれほど豊かなものであるかにもよると思いました。
 プロの作家は、お決まりの方程式を、いかに外すかを必死で考えている。
私にとっての当面の課題は、このお決まりの方程式をいかにして身につけ、展開していくのか、ということにあります。そして、さらに、本当の課題は、次にあるというわけです。
著者が幼稚園児のころ、白昼、おばあちゃんと一緒に歩いていたとき、「私、死ぬにが、こわい」と言った。おばあちゃんは、それに対して、こう答えた。
 「大丈夫、大丈夫。死んでも、必ず生まれ変わるから」
 おばあちゃんにそう言われると、そうか、大丈夫なんだ、死んでも、また、おかあさんの子どもになって、生まれてくればいいんだ。幼かった私は、そう思うことで、突然おそって来た死の恐怖から救われた。
 幼稚園のころエピソードをこんなに鮮明に覚えているのにまずは驚かされました。そして、この問答って、いいな、と思いました。やっぱり、人生における先輩は必要なんですよね。
 著者は、オーストラリアに渡って、アボリジニ(先住民)の人々に入って体験調査(フィールドワーク)をします。そこで得た体験が、著者の視野をぐーんと広げ、また深めたようです。
 物語を書きたいなら、ともかく、最初から最後まで書き終えること。はじめは起承転結を見つけるのさえ大変なこと。しかし、プロの作家は、そこにありきたりじゃない、自分だけの道筋を必ず見つけ出す。
 朝書いて、夜に書きはじめるとき、また読み直して、直す。そうやって、書いたところを繰り返し直していく。すると、そこから、また新しい根が出てくる。
 そうすると、あるとき、登場人物が何かを言ったのがきっかけで、次の展開が開けたりする。その物語を生きている人間たちが、その物語のあるべき姿を生み出していって、頭のなかで最初に想定してた形ではないところに連れていってくれる。
 私も似たような体験をしています。書きはじめると、自然に登場人物が動き出してしまうのです。止まりません。こう書いてくれよ、こんな流れにしてくれという感じで、それは止まらないのです。これって、本当に不思議な感覚でした。そんな思いで、私も、いま再び20歳代の気持ちに立ち戻って小説を書いてみたいという気分になっています。それにしても、この著者の多作ぶりには圧倒されてしまいました。
(2013年10月刊。1000円+税)

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2014年4月29日

天皇と日本国憲法

社会


著者  なかにし 礼 、 出版  毎日新聞社

 私よりひとまわり年長の著者は中国の黒龍江省(旧満州)牡丹江市に生まれ、戦後、いのちからがら引き揚げてきた体験の持ち主です。ですから、筋金入りの反戦・平和主義者であることは言うまでもありません。作詞家として活躍してきましたが、『赤い月』などの著書もたくさんあります。
 「サンデー毎日」に連載していた読み物を加筆・修正した本です。とても読みやすく、ついうんうん、そうだよなと納得しながら読みすすめました。
 昭和天皇は、平和憲法の制定を、国民とともに深くよろこんだ。
安倍首相を初めとする改憲派の言う「国際貢献」の国際とは、アメリカ一国のこと。集団的自衛権の名のもとにアメリカ軍の支配下に入り、地球のあちこちで戦争に参加し、人を殺し、殺されたい。つまり、戦争がしたいのだ。これは、ますますの隷属化であり、属国化だ。
 白洲次郎は、「新憲法のプリンシパル(原則)は実に立派である。マッカーサーが考えたのか、幣原総理が発明したのかは別として、戦争放棄の条項などは、その圧巻である。押しつけられようが、そうでなかろうが、いいものはいいと率直に受け入れるべきではないだろうか」と語った。
 本当に、そのとおりですよね。アメリカのオリバー・ストーン監督はこう言った。
 「この世には戦争をしたがっている人間どもがいる。それは、アメリカ軍部と軍産複合体である。
 戦争は、あこぎな商売であり、莫大な利益を生みだす。そして、その利益に浴して生きる者たちの欲望を永続的に満たすためには、終わりなき戦争状態が望ましい。
 そのために必要なら、なんでもする。ソ連の脅威を過剰にあおって冷戦状態を演出し、そういう政策に異を唱えそうな人間には、すべて「アカ」のレッテルを貼って抹殺する。
 重要なことは、休みなく戦争を続けること、莫大な消費であり、アメリカ帝国の努力拡大である」
 すっきり、分かりやすい短編からなる、現行憲法の大切さを考えさせる本です。
(2014年3月刊。1500円+税)

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2014年4月30日

アメリカは日本の消費税を許さない

社会

著者  岩本 沙弓 、 出版  文春新書

 アメリカは消費税を採用していない。ええっ、そうなのか・・・。驚きました。
間接税と直接税の比率が1対9とされているアメリカでは、税収のほとんどを法人税や所得税などの直接税に依存している。日本やヨーロッパなどは、税収の3割ほどを間接に依存している。
付加価値税には還付金が伴うのは当然のこと。だから、輸出品には還付金(リベート)がある。消費税には輸出企業への還付金がある。だから、日本の大企業で輸出に大きく依存しているところは消費税を歓迎しているわけです。だって、自分は、もらえる一方なのですから・・・。
消費税を導入しても、政府の歳入はいっこうに増えていない。しかし、輸出企業への還付金だけは確実に増えている。果たして、これが税制として中立なのか、大いに疑問である・・・。
アメリカは、消費税・付加価値に反対するスタンスをいまもって貫いている。日本の消費税の引き下げ、あるいは凍結は、アメリカのメリットになると同時に、輸入価格が抑制できる点で、あるいは租税負担を少なくするという点で、日本国民の救済にも大いに役立つ。
国内の一部の強者を優遇して、同盟国と敵対し、自国民を窮乏させるのか。日本の大企業が苦境に立たされているのであれば別だが、年々増え続ける内部留保をみても、あるいは破格の利益をあげている状況に照らしても、国内の強者には少しガマンをしてもらったうえで、同盟国との関係改善そして自国民の経済安定を望む方が健全ではないのか・・・。
 この4月1日から消費税率がついに8%にアップしました。私をふくめて、ほとんどの国民には大打撃です。ごく一部の大企業と、スーパーリッチ層には、かえって好都合なのでしょうが、こんな不公平な税制は許せません。
 それにしても、消費税増税が福祉のため、なんていう嘘を堂々と大宣伝する政府公報と、それをそのまま垂れ流すNHKは許せませんね。
(2014年1月刊。750円+税)
 チューリップが終わり、ジャーマンアイリスとクレマチスが華麗な花を咲かせています。梅の実もたくさんなっていますので、この連休中に収穫します。ジャガイモの芽かきをしてやりましたが、失敗かもしれません。アスパラガスはまた伸びはじめています。いよいよ明日から風薫る五月です。

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