弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2014年2月27日

「東京裁判」を読む

日本史(戦後)


著者  半藤 一利 ・ 保阪 正康 、 出版  日経新聞出版社

 「東京裁判」を全否定したと思われるNHK経営委員の発言がありました。その常識のなさには呆れるばかりです。なるほど、戦勝国による「東京裁判」に問題が全くなかったわけではありません。しかし、侵略国家・日本が裁かれるべき対象であったことは否定できない歴史的事実だったと思います。この本は、そのことをいろんな角度から実証的に明らかにしています。
 完全無欠の裁判でなかったのは事実だが、その不備を根拠に、そこで明らかにされた事実までも「東京裁判史観」として全否定するのは間違っている。忘れてならなのは、裁判は連合国側の一方的な断罪に終始したのではなく、日本側も大いに主張し、根拠を提出して、裁く側の問題点を突いていたことだ。
東京裁判でもっとも重要なことは、検察(連合国)側が出てくる情報を日本国民はほとんど知らなかったということ。その驚きが、当時の日本人が東京裁判を肯定した大きな理由だった。そこでは、戦争という名目で、日本の軍事指導者がかなり無茶をやった事実が明らかになった。
東京裁判は1946年5月3日に始まり、2年半に及んだ。裁判の場所は市ヶ谷の旧陸軍士官学校講堂を改造した。
 占領政策を円滑にするため天皇の戦争責任は問わないというアメリカの方針に従う検察側は、弁護側以上に天皇への言及に神経質になっていた。
 東京裁判では日本軍による南京大虐殺も問題とされた。
 中支那方面軍司令官の松井石根(いわね)は、尋問で日本軍による暴虐行為を「南京入城と同時に知った」と答えており、虐殺が事実であったことは否定できない。そして、殺害された人が「30万人」というのが過大であったとしても、同胞が無残に殺害された中国人の憤りに変わりはないだろう。
 まことに、そのとおりです。「30万人」が過大だとしても、虐殺された人数がゼロになるわけではないのです。こんなところで、「コトバ遊び」をしてはいけません。
 ポツダム宣言は、軍隊の降伏であって、国家の無条件降伏ではない。
 東京裁判の検察側証人として、日本紙芝居協会の会長が登場する。軍国紙芝居も、言論統制の一環だった。この証人には驚きました。井上ひさしの劇にも登場します。
 日本軍による真珠湾攻撃について、ルーズベルト謀略説というのがある。しかし、そんなことを言う人こそ自虐史観だ。それほど日本人はバカだったのか。ルーズベルトに「はめられた」というけれど、日本人はそんなにバカではない。
 広田弘毅は、大事なところで無能だった。陸軍の言いなりになった、その責任は大きい。
 一番問題なのは、2.26事件のあと、首相として陸軍の要望を全部うけいれてしまったことにある。軍部大臣現役武官制も陸軍から要求されて認めているし・・・。軍部を抑えるために出て行ったような顔をして、実際には、軍部からいいように操られた。
 昭和10年代に広田広毅が外交官を代表する形で出て行ったことは日本の最大の不幸だ。
 板垣征四郎・陸軍大臣について、昭和天皇は、「あんなバカ、見たことない」と言った。「臣下として、最低のレベル」だと・・・。
 南京大虐殺にしても、南から言った日本軍は虐殺をあまりしていない。だから南から攻めた軍人の話を聞いたら、虐殺はなかったことになる。
 弁護側は、虐殺の事実自体は否定しきれなかった。日本国民は南京虐殺事件のことを本当に知らなかったので、愕然とした。
 インドのパール判事も、南京虐殺については事実として認定している。
 東京裁判とはどういうものだったのか、それを知るときに絶好の手がかりになる本だと思いました。
(2009年8月刊。2200円+税)

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