弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2014年2月20日

夜の記憶

ドイツ


著者  澤田 愛子 、 出版  創元社

 私は残念なことにアウシュビッツに行ったことがありません。一度はナチス・ドイツの狂気の現場にたって実感したいと思っているのですが、その機会がありませんでした。
 この本は、日本人の女性教授がホロコースト生還者に体当たり取材した証言録を集めたものです。
 サイバー12人が、決して忘れてはならないとして、自分の体験を語っていますので、重味があります。ホロコーストとは、ユダヤ人の大虐殺を示す言葉です。イスラエルではホロコーストよりも、ヘブライ語で絶滅を意味するショアーが使われているそうです。私はみていませんが、記録映画『ショアー』がありました。
 ホロコースト・サバイバーとは、ホロコーストで生き残ったユダヤ人を指し示す言葉。収容所を生き残った人、ゲットーを生き延びた者、森林でパルチザン活動をしながら隠れていた者、あるいは民家に匿われたり、納屋など場所を転々と移動して逃げていた者、あるいはキリスト教徒になりすましながら生活して難を逃れた者、さらには地下組織に加わって反ナチ抵抗運動をして生き延びた者など、実に多様な人々がサバイバーにふくまれる。
有名なアンネ・フランクと幼稚園も小学校も一緒だったという人もサバイバーとして取材に応じています。
 アンネの最後の声は、本当に崩れきってしまった声だった。
 死の医師として有名なメンゲレの選別から逃れた体験談が次のように語られています。
 メンゲレがやってきたとき、心の中で絶対死なないぞと念じながらメンゲレをぐっと睨み返した。するとメンゲレは私と目が合ったにもかかわらず、私を選ぶことなく通り過ぎていった。
 メンゲレはいろんな基準で選別した。たとえば、やせすぎている人、傷のある人は、たいていガス室送りになった。そして、びくびくしている人もときどき選ばれた。
 収容所の中で生き延びるために大切だったことの一つに、シャワーを浴びるというのがあった。身の清潔を守るために、どんなに寒くてもシャワーを浴びるということはとても大切なことだった。
 収容所では伝染病や皮膚病に冒され得た者はまっ先にメンゲレに選別され、ガス室に送られた。収容所では皮膚病が流行っていた。その皮膚病に効く薬を手に入れるために、マーガリンやパンを交換に出した。二日間、何も食べなくても薬を手に入れるのを優先させた。
 収容所のなかで歌姫として有名になって生き延びた女性もいました。
みんなで歌っていたときに感じたのは、自分は親を奪われたけど、歌だけは奪われなかったという思いだった。そのとき、歌をうたったことによって、自分はまだ人間として生きているんだという気持ち、そして希望を持とうという意思が湧いてきた。そのときから、歌が私の希望になった。私は歌うまで、みんなの眼差しは死んだ人のようだった。でも、私が歌いはじめるとその眼がどんどん輝きを増していく。それをみて、私は歌がどれほど人々に希望を与えるのか、つくづく感じた。ゲットー、そして収容所と、私はずっと歌い続けた。
 本当に、決して忘れてはいけない歴史だと思いました。
(2005年5月刊。3200円+税)
 朝、さわやかなウグイスの鳴き声を聞きました。いよいよ春到来です。初めのうちは下手な歌ですが、そのうち、長く、ホーホケキョと澄んだ声を聞かせてくれます。
 まだまだ寒い日が続きますが、チューリップのつぼみが庭のあちこちに頭をのぞかせています。
 春到来で困るのは、花粉症です。、目が痛痒くて、鼻が詰まり、ティッシュを手離せません。夜、寝ているときに口をあけているので、ノドがやられてしまいます。

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