弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2013年11月19日

日本は過去とどう向き合ってきたか

日本史


著者  山田 朗 、 出版  高文研

歴史から学ぶということは、私たち人間にとってきわめて大切なこと。なぜなら、人間は、自分自身以外の体験以外から学ぶことのできる唯一の動物だから。
 なるほど、そのとおりですね。でも、学びたくない人、過去に目をそむけたい人が残念なことに少なくありません。
一時的に「日本人の誇りを傷つける」ような事象であっても、それを直視し、そうした事象の後始末や、今後の歴史に生かす試みを主体的にできることこそ、真の人間の「誇り」ではないか。人間の「誇り」とは、いたずらに過去の歴史の「栄光」を自画自賛することで得られるものではなく、歴史を直視することを土台にして過去の負の遺産を克服しようとすることから生まれてくるもの。
 1993年8月の河野談話は慰安婦が強制連行されたことは述べていない。ところが、安倍首相は、あたかも強制連行があったことを認定したように描き、それは事実確認だと高言する。ひどい話ですね。安倍首相の認識の軽さは厳しく批判されるべきです。
 1995年8月の村山談話についても、安倍首相は気にくわないもののようです。
 「侵略という定義については、これは、学会的にも国際的にも定まっていないと言ってもいい」
 しかし、これは事実として誤っています。侵略の定義は国連でなされて定着しているのです。
 靖国神社は、現在は東京都知事が認証した単独の宗教法人である。戦前は、陸軍省と海軍省が協同で所管する、きわめて特殊な、国家の戦争政策と切り離せない神社だった。神社の運営費は陸軍省の予算から出され、社域の警備には憲兵があたっていた。
 靖国神社は、天皇の軍隊としての一体性を構築するための日本軍にとって不可欠な機関であり、次の「英霊」をつくるための国民に対する精神教育の場でもあった。
 日本側にアジアの植民地を解放しようなどという考えがなかったことは、台湾や朝鮮などの古くからの植民地を「解放」しよう(独立させよう)と考えたことがなかったことからも明らかである。
死亡した人の死の意味を「犬死に」(意味のない死)のままにするのか、それを意味ある死にするのかは、生き残った人や後世の人の行動にかかっている。
 もし私たちが再び多くの戦死者を出すような事態を招いてしまえば、私たちは戦死者の死を意味のないものにしてしまうことになる。
 わずか190頁ほどの薄い本ですが、とっても内容の濃い本でした。
(2013年9月刊。1700円+税)

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