弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2013年10月16日

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

日本史

著者  加藤 陽子 、 出版  朝日出版社

東大教授が中学生・高校生の20人に向けて近代日本史を熱く語っている本です。とても分かりやすく、しかも切り込む視点が鋭いので、思わず引きこまれてしまいます。
国民の正当な要求を実現しうるシステムが機能不全に陥ると、国民に、本来なら見てはならない夢を擬人的に見せることで国民の支持を獲得しようとする政治勢力が現れないとも限らないという危惧があり、教訓とすべき。
 日本国憲法を考えるときも、太平洋戦争における日本の犠牲者の数の多さ、日本社会が負った傷の深さを考慮に入れることが絶対に必要だ。巨大な数の人が死んだあとには、国家には新たな社会契約、すなわち広い意味での憲法が必要となるのは真理である。
戦争は、国家と国家の関係において、主権や社会契約に対する攻撃、つまり、敵対する国家の憲法に対する攻撃という形をとる。
 相手国がもっとも大切だと思っている社会の基本秩序、これを広い意味で憲法と呼んでいる。これに変容を迫るものこそが戦争なのだ。
ジャン・ジャック・ルソーは、戦争とは相手国の憲法を書き換えるものと喝破した。
 アメリカは、戦争に勝利することで、最終的には日本の天皇制を変えた。
イギリスの歴史教授E・H・カーは、歴史とは現在と過去との間に尽きることを知らぬ対話だと言った。
 田中正造は、日露戦争について反戦論、非戦論で、はっきりした立場をとった。ところが実は、日清戦争には賛成している。のちに足尾銅山鉱毒事件で明治天皇に直訴状を出した田中正造は、日清戦争について、「良い戦争だった」と書いていた。
 日露戦争に関して、ロシアの学者は、どちらが戦争をやる気だったかという点で、ロシアの側により積極性があったとしている。戦争を避けようとしていたのは、むしろ日本で、戦争をより積極的に訴えたのはロシアだという。
日露戦争(1904年)の前の1900年に山県内閣は衆議院選挙法を改正した。直接国税15円以上を納付するという制限から、10円以上にして、5円下げた。その結果、45万人だった有権者が98万人となった。そして、1908年の選挙の時には158万人になっていた。
 また、1900年の山県内閣の選挙法改正によって、被選挙権は基本的に納税資格が不要とされた。それまでは地主議員ばかりだった国会に実業家や新聞記者などが登場するようになった。
 1933年(昭和8年)、熱河侵攻作戦という、最初はたいした影響はないと考えられていた作戦が、実のところ国際連盟からは、新しい戦争を起こした国と認定されてしまう危険性をはらんでいた作戦だったことが衝撃的に明らかにされてゆく。天皇も首相も苦しむが、除名や経済制裁を受けるよりは、先に自ら連盟を脱退してしまえ、という考えの連鎖によって日本の態度は決定された。
 日本近代史の歴史を若い学生、生徒とともに考える絶好の本です。最後まで面白く読めます。
(2013年3月刊。1700円+税)

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