弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2013年10月 3日

憲法とは何か

司法

著者  長谷部 恭男 、 出版  岩波新書

憲法とは何か、改めてじっくり国民に考え直してもらおうという本です。
 憲法はわれわれに明るい未来を保障するどころか、ときに人々の生活や生命をも左右する「危険」な存在になりうる。憲法を変えたとき、われわれの暮らしが良くなるか否かは、憲法をどう変えるかによる。
 憲法にまつわるさまざまな誤解や幻想を指摘したい。
 憲法が権力を制限することで、人々の自由と権利を守る重要な役割を果たすことができる(立憲主義)。立憲主義は、近代のはじまりとともに、ヨーロッパで生まれた思想である。 
 衝突の調停と限界づけを目ざす立憲主義は、中途半端な煮え切らない立場である。立憲主義を選ぶことは、この「中途半端」な立場にあえてこだわることを意味する。立憲主義は、人間の本性に反している。というのは、人は、もともと多元的な世界の中で個人的に苦悩などしたくない。みんなが同じ価値を奉じ、同じ世界観を抱く「分かりやすい」世の中であれば、どんなにいいだろうかと思いがちなものである。
 プライバシーの権力や環境権を憲法に書き込むべきだという討論がある(いわゆる加憲のことですね)。しかし、これらは、憲法の条文に書き込んだとしても、国会の制定法や裁判所の判断を通じて具体化されなければ、何の意味もない。たとえばプライバシーの権利は、すでに憲法13条の解釈として裁判所によって具体化されており、その侵害に対しては差止めや損害賠償等の救済が認められている。憲法に書き込むことで新たにえられるものはなさそうである。
 憲法がなぜ、通常の法律よりも変えにくくなっているかといえば、意味のないことや危なかったことで憲法をいじくるのはやめて、通常の立場のプロセスで解決できる問題に政治のエネルギーを集中させるためである。不毛な憲法改正運動にムダなエネルギーを注ぐのはやめて、より社会の利益に直結する問題の解決に、政治家が時間とコストをかけるようにと、憲法はわざわざ改正するのが難しくなっている。
 憲法96条を改正して、3分の2を過半数に緩和しようとする考えは、最終的には国民投票で決着がつくのだから発議要件はそれほど厳格でなくてもよいという考えがある。
 これは一見もっともらしくあるものの、にわかに賛成しがたい。憲法の改正に単純多数決ではなく、要件の加重された特別多数決が要求されるのは、第一に、少数者の権利の保障のように、人々が偏見にとらわれるために単純多数決では誤った結論を下しがちな問題については、より決定の要件を加重することに意味があるから。
 第二に、憲法に定められた社会の根本原理をしようとするのであれば、変更することが正しいという蓋然性が相当高いことを要求するのは、不当とは言えないから。
 著者は、国会が憲法改正の発議したとき、国民投票まで少なくとも2年以上の期間をおくことを提案しています。なるほど、まったく同感です。ことを急ぐ必要はないのです。じっくり、あれこれ考えて結論を出したらよいと私も思います。
 立憲主義には広狭二つの意味がある。広義の立憲主義は、政治権力あるいは国家権力を制限する思想あるいは仕組みをさす。「法の支配」という考え方は、広義の立憲主義に含まれる。
 狭義の立憲主義は、近代国家の権力を制約する思想あるいは仕組みをさす。
 アメリカやフランスで何度も憲法が改正されているが、その内容は、道路の交通規制にも比すべきルールの改正である。内容のいかんより、とにかく何かに決まっていることが重要な問題に決着をつけることを目的とするルールが改正されているのにすぎない。フランスでも、同じように、国会の会期の延長や大統領の任期の短縮など、道路の交通規制に比すべきルールの変更のようなものである。すなわち、国家体制の根本的変革をもたらすようなものではない。
やや難しい言いまわしの部分もありますが、じっくり読むと、自民党の憲法改正草案はとんでもないものだということがよく分かる内容になっています。
(2011年2月刊。700円+税)

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