弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2013年10月30日

抗日霧社事件をめぐる人々

日本史

著者  鄧 相揚 、 出版  日本機関紙出版

1894年の日清戦争で清国は日本に敗れ、翌1895年(明治25年)、台湾は日本に割譲され、台湾は日本帝国主義の植民地になった。
台湾統治の初期、日本人は自信満々で、すごく高ぶっており、横暴な征服者の態度で台湾に君臨し、台湾人や原住民を奴隷か牛や馬のようにみていた。
 1930年、モーナ・ルーダオが人々を率いて「霧社事件」をおこし、日本植民地政府の強権政治に反抗した。モーナ・ルーダオの地位は、暴動を起こして日本人を殺害した事件の首謀者というものから、歴史に名をとどめる「抗日烈士」へと変わった。
 ところが、同じ「霧社事件」で集団自殺をとげた花岡一郎、花岡二郎とその家族の歴史的な地位は、いまだ正視されず、評価もされていない。
 モーナ・ルーダオたちは1911年(明治44年)、日本内地観光に送り出され、4ヶ月にわたって、日本の政治経済そして文化教育の施設を見学した。見学させられたのですね。
 霧社事件のとき、抗日志士たちは、自分たちが学んでいたころの校長や教師を殺しただけでなく、日ごろ慈愛の心で治療してくれた公医の志柿源治郎医師の生命まで奪った。このことは、日本人に対して、抗日の人々がいかに深い恨みをいだいていたかをはっきりと表している。
 セクダッカ人は、祖先は白石山のポソコフニという神木から発祥したと固く信じており、大木で首吊り自殺をすれば、その霊は祖霊の住むところへ帰ることができると信じていた。
 また、死んだときに顔が天を向いていると美霊になれないとも信じていた。だから、花岡二郎以外の20の死体は、みな「蕃布」でおおわれていた。これは二郎が最後に首を吊ったことも示している。
 さらに、花岡一郎夫妻は、和服を着て切腹自殺をしていた。
 この霧社事件のとき、司法の裁きを受けて処罰された「反抗蕃」は一人もいない。みな警察官個人の手で極刑に処せられた。しかも、その死体は、ひそかに埋められてしまった。これらは、いずれも日本人の恥である。本当に、そうですよね。ちっとも知りませんでした。これほどの日本人の悪業を・・・。
 日本人警察官の小嶋源治は霧社事件で次男を失ったが、同時に「反抗蕃」の子ども、中山清を助けた。
 小島は強権統治者の化身であり、冷酷心と残忍な手段をつかう「人殺し」であった。そして、「保護蕃収容所」の襲撃を命じた。同時に、小島に助けられた中山清は勉強に励んで医師となり、ついには台湾省議会の議員にも当選している。そして、この中山清は高永清となり、戦後日本の1979年に小島源治と宮城県で再会した。この小島源治は、1983年(昭和58年)に、宮城県で亡くなった。このとき98歳だった。
 霧社事件では、抗日6部落のセイダッカは、1236人いたのが、最終的にはわずか259人となった。8割もの人々が戦死、自死、逮捕監禁されて亡くなった。そして、強制移住されたあと、210人になってしまった。
 日本の台湾統治における悲劇を調べあげた画期的な3部作が、この本で完結したのです。ぜひ、関心のある人はお読みください。
(2001年11月刊。1714円+税)

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2013年10月29日

ウェブ社会のゆくえ

社会

著者  鈴木 謙介 、 出版  NHKブックス

彼女(彼)とのデート中に、別の人物とのネットに夢中になるという話が出ています。
 二人で食事をしているときに、テーブルのうえに携帯電話を置くことすらマナー違反だ。二人でいるのに、他の人とも「つながりうる」状態が維持され、それが自分の前に提示されていることが不愉快なのだ。もちろん、そうですよね・・・。
 私の若いころにはありえなかった話です。学生のころ、下宿先の電話はかかってきたら大家さんが呼んでくれるのです。つまり、一家に一台しか電話はなく、間借り人は大家さんから呼ばれて初めて電話に出て会話が出来るのです。ともかく、会って話すことが何より欠かせませんでした。
 ところが今では、人との対面接触はテクノロジーを介したつながりに取って代わられ、生身の人間に対する興味が失われつつあります。
 現実の多孔化(たこうか)。現実空間に情報の出入りする穴がいくつも開いている状態のこと。生理的な距離の近さと親しさの関係が不明瞭になると、ある空間に生きる人々が、ある「社会」の中に生きているという感覚もまた、確かさを欠くものになるのではないか・・・。
 「セカイカメラ」は、画面にうつし出された場所に関する情報(エアタグ)をふわふわと中に浮いているかのように表示するアプリだ。
 テレビ、新聞、雑誌、そしてラジオという、いわゆる「四大媒体」の広告費は、軒並み右肩下がりである。これに対して、インターネット広告費だけが右肩上がりの成長を続け、今では新聞を抜き去る勢いである。
 我々は、ソーシャルメディアを利用させてもらう代わりに、個人情報を売り渡している。
 我々が直面しているのは、我々自身に関する「データ」が監視される社会である。
高級料理店で食事をとるとき、食べる前に写真をとって、それを自分のブログにのせることが流行している。でも、これもマナー違反として、高級料理店では禁止されている。
 ええっ、ちっとも知りませんでした。私の知人で、それをして好評なブログがあるのですが・・・。
 生身の人間同士のぶつかりあいの体験に乏しいと、現実の日本社会において生きていくのはとても難しいことです。それが分からないまま(実感できないまま)、実社会に出ている若者が増えている気がします。恐ろしいことです。
(2013年8月刊。1000円+税)

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2013年10月28日

アリの巣をめぐる冒険

生き物

著者  丸山 宗利 、 出版  東海大学出版会

アリそのものというより、アリと共生している昆虫の話です。アリを食べたり、アリの死骸を食べたり、いろんな昆虫がアリとともに生きているのですね。でも、昆虫ですからとても小さいのです。解剖するといっても、手先が器用じゃないとやれないでしょうね。
 米粒より小さい虫から交尾器を抜き出すのが解剖の作業になる。米粒に字を書くよりもずっと細かい作業である。
 しかし、そのミクロな世界を拡大すると、この世の生きものとはとても思えない奇妙奇天烈な姿と顔をした昆虫のオンパレードなのです。
 マンマルコガネは、カブトムシに似た形をしています。ツノゼミは奇妙な形です。奇想天外としか言いようがありません。
 オサムシの変てこりんな姿は、さすが我らが手塚治虫先生を思い出させるに値します。アリと共生するというより、アリを食べるアリもいるのですね。ヒメサスライアリです。アリを専門に食べるアリなのです。毒針を使って、自分よりはるかに大きなアリを仕留めます。
 この本の最後にある次の言葉が私の心に残りました。ああ、本当に好きでやっているんだな、いいね・・・と思いました。
 私は、これからもアリの巣を求めてあちこちをめぐりめぐるだろう。そして、新しい発見をするたびに、その感動を人に伝えたいと思っている。ああ、なんて楽しみなことだろうか。
 著者が引き続き元気に研究を続けられること、そしてその成果を広く伝えていただくことを期待しています。
(2013年1月刊。2000円+税)

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2013年10月27日

支倉常長・遣欧使節

日本史(戦国)

著者  太田 尚樹 、 出版  山川出版社

スペインに日本(ハポン)姓の人が800人ほどもいて、それは400年前の仙台藩の支倉常長たちの遣欧使節のヨーロッパ残留組の子孫だという話です。
スペインはセビリア郊外の川岸の町に日本人の子孫が800人ほど住んでいる。それは残留日本人5人の子孫たちだ。400年前、支倉常長一行がここを通過したとき、日本に戻るのを希望しなかった日本人がいた。
 ハポンとは日本のこと。名前にハポンというのをつけているのは、日本との関わりを残すためのもの。本当の名前は別にあったはず。
 「わが家には、ビョウブ、カタナ、ハシ、ワラジという言葉が先祖代々伝わっていた」
 ハポンの人々の多くは、赤ん坊のころ、お尻に蒙古斑が出る。
 ハポン性の人には富豪はいない。無難で、地道な生き方をしていた。漁業や農業、そして最近では公務員、教員、銀行員、医師を輩出している。
 支倉常長が会ったスペイン国王はフェリペ3世(37歳)。6歳のとき、同じ日本(ジパング)から4人の少年たちがスペインの宮殿にあらわれたときにも、立ち会った。
 支倉常長はキリスト教の洗礼を受けた。ただし、主人の伊達政宗は、キリストには関心はなく、ヨーロッパとの通商を考えていた。しかしながら、キリスト教の禁令は厳しさを増していた。
石巻を出発した船には、スペインの船員40人と日本人140人が乗っていた。日本人の多くは交易商人だった。4年後に仙台に帰り着いたのは26人のうち13人。少なくとも8人は日本に帰ってこなかった。
 支倉常長に対する評価は、当時のスペイン側の記録によると、ベタ誉めで、はったりのない、実直な人柄が評価された。
 支倉はスペイン国王やローマ法王の前でも、日本語で堂々と挨拶した。
出発したとき、42歳で、堂々たる腹のすわった人物だったようです。
すごいですね、400年たって、日本人の子孫がスペインにかたまって生活しているとは・・・。
(2013年8月刊。1600円+税)

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2013年10月26日

四万十川の盆の送り火

司法

著者  河西 龍太郎 、 出版  河西法律事務所

佐賀の河西弁護士が、なんと詩集を発刊した。あまりの驚きに、腰が抜けて歩けなくなってしまった。というのはウソです・・・。
 まあ、ホントにビックリはしたのです。河西さんは、私の学生セツルメント活動(川崎セツル)の先輩になります。この本にもセツルメントのことが書かれています。
 大学で労働者階級という存在を知った。お互いに引きずり落とすことで自分を守るのではなく、団結することで自分を護る労働者階級のたくましさに引かれ、将来、労働弁護士になることを決意した。
 そして、学生時代には労働者と生活の場で接したいと考えて川崎セツルメントの子ども会に入った。とくに子どもが好きだったわけでもないのに、川崎市の労働者のボーダーライン層の居住する川崎市桜本町に下宿した。大学に行かず、専ら桜本町で生活した。
 私も同じ川崎セツルメントに入りましたが、私は青年部で若者サークルで活動しました。そして、幸区の古市場に下宿しました。町工場がそこかしこにある下町の住宅街です。授業にあまりでなかったのは河西さんと同じです。
平日の昼間に一体何をしていたのか思い出せませんが、毎日毎日、忙しいハリのある生活でした。といっても、大学2年生の夏(正確には6月)から学園闘争が勃発し、そもそも授業がなくなりました。
 大学生活のうち3年あまりをセツルメント活動に没頭して過ごしました。人生で学ぶべきことは、みなセツルメントで学んだという感じです。
 そして、河西さんは、佐賀で開業してまもなくから、じん肺裁判で打ち込むのです。
 じん肺裁判の始まりから登場する原告、支援者、そして弁護団仲間の紹介が秀逸です。
 70歳になった河西さんは早々と弁護士稼業からの引退宣言をしてしまいました。ちょっと早すぎるのではありませんか・・・。
 カットまで河西さんが描いたというのもオドロキでした。
(2013年6月刊。非売品)

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2013年10月25日

里山資本主義

社会

著者  藻谷 浩介・NHK広島取材班 、 出版  角川ワンテーマ新書

タイトルを見ただけでは何のことか分かりませんが、要は日本の山林を見直せば、原発にたよらなくても日本はやっていけるという話です。なるほど、と思いました。
 浜矩子・同志社大学教授は、グローバル時代は強いものしか生き残れない時代だという考えは誤りだと指摘する。グローバル社会をジャングルと見て、そこでは弱肉強食の生存社会しかないという固定観念は、実は成り立たないもの。ジャングルには強いものだけがいるのではない。百獣の王のライオンから小動物たち、草木、果てはバクテリアまでいる。強いものは強いものなりに、弱いものは弱いものなりに、多様な個性と機能を持ち寄って、生態系を支えている。これがグローバル時代なのだ。
なーるほど、よく考えれば、そうですよね・・・。
新しい集成材、CLT。直角に張りあわせた板。通常の集成材は、板は繊維方向が平行になるように張りあわせているが、このCLTでは、板の繊維の方向が直角に交わるように互い違いに重ねあわせられている。これによって、建築材料としての強度が飛躍的に高まる。いま、オーストリアでは、このCLTによる木造高層ビルが建てられている。
 CLTで壁をつくり、ビルにしたところ、鉄筋コンクリートに匹敵する強度が出せることが判明し、2000年に法改正があって、今ではオーストリアでは9階建までCLTで建設することが認められている。
 オーストリアだけでなく、イギリスのロンドンにも9階建てのCLTビルがある。耐火性機能も十分で、CLT建築の一室で人為的に火災を発生させたところ、60分たっても炎は隣の部屋に燃え広がらないどころか、少し室温上がったかなという程度だった。
日本でも、このCLT建築に光があてられようとしている。
 日本の里山にある木くずをペレットにして、そこから発電してエネルギーをまかなう試みがすすんでいる。コストパフォーマンスはすこぶるよく、灯油と同じコストで同じ熱量が得られる。そして、エコストーブが普及しつつある。
 憲法に「脱原発」を明記して原発を全廃したオーストリアでは、今や木材資源がフルに活用されている。
 木材ペレットを個人宅あてに供給するタンクローリーまである。そして、オーストリアでは木材の管理を徹底させ、むしろ木材面積がどんどん増えている。
 これは、日本でも学び、行かすべき方向ですよね。
 「限界集落」というコトバが流行している日本ですが、このように山里の可能性を見直す取り組みが始まっているのを知り、少しばかり安心しました。
(2013年9月刊。781円+税)

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2013年10月24日

「対米従属」という宿痾

社会

著者  鳩山 由紀夫・孫崎 享・植草 一秀 、 出版  飛鳥新社

この本のなかで、民主党の鳩山・元首相が何度も謝罪しています。民主党の3人の首相のなかで、一番まともだった首相ですが、アメリカに嫌われ、日本の政財・マスコミから総叩きにあって早々に退陣させられました。「最低でも県外移設」という普天間基地移設についての方針がアメリカは許せなかったのです。
 日本は粉飾にみちあふれている。国民の多くはあまりに粉飾が多いので、それに気づかず、事実だと信じている。アメリカ、官僚、大手業界、政治家、そして大手メディアが既得権益を守るため、事実を粉飾して国民に伝えている。たとえば、TPPについて、なぜこれほどまでにアメリカに尻尾を振らなければならないのか、理解に苦しむ。
 福島第一原発からは、今でも毎日、大量の放射性物質が空に、海に、地中に漏れ出している。
 既得権とのたたかいに勝てなかったのはまことに申し訳ない。しかし、既得権社会に埋没するしかないとあきらめてはいけない。
以上は鳩山元首相の言葉です。本当に、そのとおりですよね。さらに鳩山元首相は、次のように言います。
私の安全保障に関する基本的なスタンスは、日本よ、もっと独立国としての気概をもてということ。
 これまた、私は同感至極です。なんでもアメリカの言いなりなんて、もうゴメンですよ。アメリカに対等にモノをいうのは、それこそ、今でしょ!といいたいです。
 孫崎氏は、オバマ大統領は安倍首相と意識的に距離をおくことを考えていると指摘します。
 そう言えば、中国と韓国の両首脳も、国際会議のときに安倍首相が近寄ってこないようにしてくれと日本の外務省に要求しているという報道が流れていました。安倍と一緒の写真なんかとられたらかなわないというわけです。アメリカ、そして、中国、韓国から嫌われて、安倍首相はいったい国際社会で何ができると思っているのでしょうか。日本がひとりで、孤立して生きていけるはずはないのですよ・・・。
 アメリカの「ワシントン・ポスト」紙は尖閣問題は棚上げにしろと主張し、次のように言った。
 我々アメリカは、日本にもっと軍備をやれとけしかけてきたけれど、それを今の安倍政権がやり始めると、都合が悪い。
そうなんですね・・・。安倍首相に対するアメリカの評価はここまで低いのです。
植草氏は次のように断言しています。
 自分のことがまず大事だと考える政治家は対米従属になり、自分の利益より魂を大事にする政治家は対米自立になる。
 まことに正しい指摘ではないでしょうか。残念ながら、自民党の政治家で対米従属でない人はいない気がしてなりません。前には少しばかり骨のある政治家もいたように思いますが・・・。
 それにしても、小泉純一郎元首相が脱原発を主張すると、マスコミなどの小泉バッシングのひどさには呆れます。鳩山元首相も、この本で、「できるだけ早い段階で原発はなくしてゆくべきだ」と明言しています。
 鳩山元首相は改めて、次のように言い切っています。
 総理まで経験させていただいた人間として改めて申し上げると、やはり、日本はまだ全く独立国になっていないと思う。アメリカに対しても、きちっと自分の意見を言える、尊厳のある日本に仕立てあげていく必要がある。
 本当に、そのとおりだと私も思います。保守で、強いことを言っている人間ほど、実は米国に依存している。日本の現実を知るために欠かせない告発書だと思います。
(2013年6月刊。1400円+税)

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2013年10月23日

日本兵を殺した父

日本史

著者  デール・マハリッジ 、 出版  原書房

前に『沖縄・シュガーローフの戦い』(ジェームス・H・ハラス、光人社)を紹介しました。
 1945年5月12日から18日までの1週間にわたって繰り広げられた沖縄の首里防衛戦、その西端にある、名もない丘をめぐる争奪戦で、アメリカ第6海兵師団は2000名をこえる戦死傷者を出した。
 最終的に丘を占領するまでに、海兵隊は少なくとも11回の攻撃をおこなった。中隊は消耗し、戦死傷者は500名をこえた。この中隊は2回も全滅したことになる。
 今は、那覇市おもろまち1丁目6番地で、頂上部分には給水タンクが設置されています。モノレール「おもろまち」駅前にあります。
 この本は、ピュリツァー賞作家が父親の死んだあと、その戦友たちから戦争体験を聞き出していったものです。
 アメリカ軍も、太平洋戦争のなかで、
 「敵の捕虜にはなるな。敵を捕虜にもするな」
 としていたという話が出てきます。実際、降伏した日本兵を次々に射殺していったようです。そうなると、日本兵も死ぬまで戦うしかありません。必然的に戦闘は双方にとって激烈なものになっていきました。
 グアム島にいた日本兵の集合写真が載っています。140名もの日本兵は元気そのものです。そして、まもなく、その全員がヤシ林のなかで死んでいったのでした。そのなかの一部の兵士の顔が拡大されています。今もよく見かける、いかにも日本人の青年たちです。その顔をじっと見つめると、こんなところで死にたくなんかないと訴えかけている気がします。
 生き残った元兵士に著者が質問した。シュガーローフ・ヒルの戦術について、どう思うか・・・。
「あれは馬鹿げた戦いだった。やっちゃいけないことばかりだった。オレたちは何度も疑問に思ったよ。あんな丘、迂回していけばいいじゃないかと。周囲に陣地を張って、24時間監視して孤立させればよかったんだ。そうしたら、もっと大勢が助かったよ」
そうなんですよね、まったく、そのとおりです。
アメリカ軍に1万2000人の死者と3万6707人の負傷者を出し、2万6000人をストレスで苦しめた。
「オキナワという無謀すぎる賭け」について、こんな疑問がある。
 「なぜ、これほど多くの戦死傷者が出たのか。それは防げなかったのか。戦術に致命的な誤りがあったのではないか。そもそもオキナワは、どうしても必要な目標だったのか。近くの小さい島々を短期間で占拠したほうが、深刻な損耗はなかったのではないか」
 仮に全長100キロあまりの島を北から3分の2まで制圧できたのであれば、残りは包囲するだけで、日本軍は飢えて戦えなかっただろう。
 アメリカ軍の地上戦死傷者の大半は、島南部にある日本軍の拠点に無謀な正面攻撃を繰りかえし、疲弊した結果、出たものである。だが、日本軍を自ら築いた防塞に閉じ込めることもできた。直接的な強襲にばかり頼る旧来の手法から離れる必要があった。
 日本がアメリカとやろうとしてゲーム、正面対決に、ニミッツ提督はまんまと乗ったのだ。これに対して、マッカーサーの戦略と戦術は、多くのアメリカ兵を生きてアメリカ本国に帰還させるうえで、大いに貢献した。
 海軍主導で戦った沖縄戦の甚大な被害にトルーマン大統領は衝撃を受け、マッカーサー支援に傾いていった。海軍は連合国軍最高司令官にニミッツを推していた。ニミッツは憤然としてAP通信記者にこう語った。
 「死傷者がどれだけ出ようとも、完遂させねばならない任務がある。あれは不手際でも、大失敗でもなかった」
 しかし、著者はニミッツを厳しく批判します。沖縄戦は、あんな戦いでなくても良かったはずだ。ニミッツの愚劣さが、沖縄戦における民間人15万人、日本兵11万人、アメリカ兵1万2000人以上の犠牲を引きおこした。そして、著者の父親も沖縄の戦場での脳損傷の後遺症を一生引きずったのです。
 1950年生まれの著者による太平洋戦争体験記(聴取録)です。アメリカ軍のとった戦術について批判があることを私は初めて知りました。
(2013年7月刊。2500円+税)

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2013年10月22日

血盟団事件

日本史(現代史)

著者  中島 岳志 、 出版  文芸春秋

 昭和史の闇を暴いた感のある、読みごたえたっぷりの本でした。
1932年2月、大蔵大臣の井上準之介が小沼正(おぬましょう・20歳)によって暗殺され、3月には三井財閥の総師団琢磨が菱沼五良(19歳)に暗殺された。小沼も菱沼も、ともに茨城県、大洗周辺出身の青年だった。彼らは幼馴染みの青年集団で日蓮宗の信仰を共にする仲間であり、日蓮主義者である井上日召(にっしょう)に感化されていた。
 いま、九州新幹線の新大牟田駅前には団琢磨の巨大石像が建立されています。
 その暗殺者、菱沼五郎は無期懲役の判決を受けたが、結婚して小幡五郎となり、戦後は茨城県議会議員となり、ついには県議会会議長までつとめる地元の名土となった。
 この本は、この血なまぐさい暗殺事件の社会的背景、軍部との結びつきを解明し、「一人暗殺」というのが当初からの方針というより偶然、そして仕方なくとられた手法であることを明らかにしています。
 結局、政財界の要人を暗殺したあとの展望は何もなかったのでした。これでは無政府主義と同じようなものですよね・・・。
当時の日本社会は、世界恐慌のあおりを受け、深刻な不況が続いていた。第一次世界大戦が終結したあと1919年以降、経済は悪化の一途をたどり、貧困問題が拡大していた。とくに地方や農村部の荒廃はひどく、出口の見えない苦悩が社会全体を覆っていた。
 彼らはそんな閉塞的な時代のなかで実在する不安をかかえ、スピリチュアルな救いを求めた。また、自分たちに不幸を強いる社会構造に問題を感じ、大洗の護国堂住職だった井上日召の指導のもと、富を独占する財閥や既得権益にしがみつく政治家たちへの反感を強めていった。
 井上日召は、中国に渡って諜報活動をしていた。つまり、日本のスパイだったわけです。井上日召は、東京帝大の憲法学者、上杉慎吉を「つまらんものだ」と切り捨てた。
 上杉慎吉は井上に言い負かされ、「いやしくも私は博士だ」と言ったとのこと。なるほど、つまらん「博士」です。
井上日召は、対機説法の名人だった。青年たちに難題を投げかけ、答えに窮したところを一気に畳みかける。不安にさいなまれる著者に対して断定的な見解を述べ、明確な答えを与えた。この繰り返しによって、相手との主従関係を築き、自らのカリスマ性へと転化していった。
井上日召は天皇を戴く日本団体を強調し君民協同の精神を説いた。そして、国民の多くが幸福から疎外されているのは、資本家が私利私欲をむさぼっているからで、彼らを排除する「改造」を行わなければ苦悩からは解放されないと説いた。井上日召の中に自己犠牲による国家への献身があると感じられた。
四元義隆は、当時23歳の東京帝大法学部生だった。偶然なことから、暗殺犯にならずに逮捕された。戦後は、政治のフィクサー的役割を果たした大物となった。中曽根、福田越夫、大平正芳、細川護熙などの首相に影響を与え、政界の指南役と言われた。
血盟団というのは、自称ではない。事件のあとで、マスコミが名付けたもの。
 井上日召にとって重要な存在は「破壊」であり、「建設」は二の次だった。血盟団のメンバーは、誰もテロ後の政権構想や具体的計画をまったくもっていなかった。彼らは、ただ自己犠牲をともなう破壊に生きようとした。テロ後をあれこれ想定しはじめると、世俗的な欲が湧き出してしまうからだ。
 1932年の2月、3月というと、その直後の五・一五事件を思い出します。五・一五事件を起こした海軍の青年将校たちは一部で英雄視されました。裁判が始まると、100万通をこえる減刑嘆願署名が集まったのでした。
 この世論の熱狂を巧みに利用したのは、軍部の指導層だった。彼らは、一転して、青年将校たちの側に立ち、政党政治家、財閥、特権階級を糾弾した。軍指導層は青年将校を政治利用、軍部への支持に回収していった。
 その結果、五・一五事件で起訴された青年将校たちへの判決は思いのほか軽い量刑だった。この判決の甘さが、後の2.26事件を括発することにつながる。
 ここには、今日の日本でも学ぶべき教訓があるように思いました。
(2013年9月刊。2100円+税)

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2013年10月21日

野生のオランウータンを追いかけて

生き物

著者  金森 朝子 、 出版  東海大学出版会

学者って、本当にすごいです。ジャングルのなかに一日中すわって、はるか樹上のオランウータンの挙動を観察し続けるのです。しかも、オランウータンは、ほとんど一日じっとしているのです。退屈このうえない観察作業です。ところが、動かないなら動かない様子をじっと観察ノートに何分間隔で記帳し、何か食べたら、地上に落下してきたものを素早く拾ってビニール袋に保存する。退屈だからといって一瞬でも目を離すとそのスキに姿を見失い、その日のそれまでの苦労が水の泡という悲惨な結末も待っています。
 とてもとても、好きじゃなければやってられない作業です。しかも、うら若き女性がじっと密林にいるのですよ、汚れなんて気にすることもなく・・・。
 野生のオランウータンの日本人研究者は著者の前には一人だけしかいない。
 オランウータン研究者に共通している特徴は、忍耐強くておおらかで、かつ、人当たりがよく社会交渉に長けている人。効率やコストパフォーマンス、業績を重視しすぎる計算高いタイプには、まず勧めることができない。
 森の中でオランウータンを見つけるのは容易なことではない。早朝6時から、樹上にいるオランウータンを探す。オランウータンの行動データは、少なくとも6時間以上は連続して追跡しなければ、そのデータは使用価値がない。
 すごいですね。6時間の連続追跡そして観察ですよ。
オランウータンは他の霊長類に比べて圧倒的に活動量が少なく、樹上でじっとしているときは、まったく物音がしない。そのため、発見するのが非常に難しい。まして、単独生活をおくるオランウータンは、ほとんど音声を発することがない。
 では、どうやって探すのか。それは、匂い。オランウータンの糞尿の匂いで探す。
 いちど匂いを見つけると、オランウータンを脅かさないように、足音を最小限に小さくして、一歩一歩ゆっくり歩く。話などはせず、ゆっくり周囲を見渡し、森の中の物音を盛らさずに聞きとる。オランウータンの追跡調査は、恐ろしく地味で、忍耐のいる、きつい仕事だ。うんざりするほど長い時間、じっと観察するために、鉄の意志をもたねばならない。
 森の中で長時間すごすといっても、簡単なことではない。森の湿度は常に80%を超えるから、居心地は決してよくない。
一日中、樹上にいるオランウータンを見上げていると、首が痛くなる。地面に寝転がって観察をし続ける。オランウータンは、そのほとんど単独で活動し、他の個体との接触も非常に少ない。観察中には、特別なことはまず起きない、「退屈な生き物」である。
 しかし、このようにオランウータンは1頭のフランジオスを中心に、緩やかな「つながり」をもつ社会を形成している。直接に触れあうことはほとんどなくても、フランジオスが遠くから発するロングコントロールが聞こえると、オランウータンたちは採食の手を止めて、音声が聞こえた方向をじっとみつめている。オランウータンは、ある一定の距離を保ちつつも、お互いを識別し、位置関係も良く把握している。オランウータンは決して他個体に無関心ではなく、むしろ自分の周囲に自分の好まない相手と接触しないように、他個体がどこにいるのかをよく把握して距離をとっている。
 オランウータンの魅力の一つは、その高い知能である。オランウータンが熱帯の森の中で生きていくには、多様な果実の場所と時間を記憶し、次に食べられる果実を予測しながら稼働しなければならない。
 オランウータンは、食べ物の乏しい環境下で、さまざまな工夫をこらしながら生活している。オランウータンは、ほぼ決まった属の食物植物を集中して食べ、かつ、わずかではあるが、多様な属の植物を食べている。オランウータンがよく食べているイチジクは、繊維質が多く、栄養価は低い。イチジクは、多種多様な種類のものが、毎月、森のどこかで結実している。
 オランウータンは、ある植物を薬草として使っている。
いやはや、著者のような学者のおかげで、野生のオランウータンの生態を知ることができます。まことにありがたいことです。
(2013年5月刊。900円+税)

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2013年10月20日

働く前の労働法教室

司法

著者  仙台弁護士会 、 出版  民事法研究会

ブラック企業が話題になっています。労働基準法なんかまったく無視して、死ぬまで労働者をこき使い、身も心もボロボロになると、ポイ捨てしてしまう企業のことです。
いままで週刊誌などで名前のあがった企業には、超有名な日本を代表する大企業がいくつもふくまれています。ユニクロ、ワタミ、コンビニそして全国展開中のコーヒー店などなどです。
 そんなブラック企業なんて、お仕置きよ、と世間が厳しく弾劾すればいいのですが、残念ながらマスコミも腰が引けすぎです。
ブラック企業が日本でのさばる背景には、労働組合への加入率が2割以下という現実も大きいように思われます。かつては泣く子も黙るといわれた総評がありました。国鉄労組が健在なころには、順法闘争をはじめとするストライキがしばしばあっていました。
今でも、フランスに行けば、ストライキで地下鉄が止まるのは珍しいことではありません。ストライキが死語同然になってしまった日本のほうが異常なのです。
 ところが、日本は労働者の権利をますます弱める方向で動いています。
 そんなとき、労働者に労働法があるのを弁護士会が宣伝しようというのですから、まったく時宜にかなっています。
 しかも、第3章の「事例で学ぼう!」がとてもよく出来ているのです。問答形式の笑える会話のなかで問題点をつかみ、正しい答えが詳しく解説されるのです。とてもよく出来た意欲的な本です。
ただ、あえて注文をつけるとすれば資料編はなんとなく、労働法の実況中継から始めたらよかったと思います。
 要は、労働現場で何が起きているか、そのときどうしたらよいかを考える材料を提供しようとするわけですので、もっと大胆カットしてスリムにしたら、さらに高校生が読みやすいものになったのではないでしょうか。
いずれにしても、仙台の弁護士の皆さんの意欲と労力に対して深く敬意を表します。
(2013年5月刊。1500円+税)

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2013年10月19日

信長の城

日本史(戦国)

著者  千田 嘉博 、 出版  岩波新書

私は岐阜城にも安土城にも、それぞれ2回、現地に足を運びました。
 どちらも小高い山の上にそびえ立つ山城です。岐阜城のほうは、ロープウェーがなければ山頂にある城にたどり着く自信はまるでありません。
 安土城のほうは、麓にある大手門から一直線で上る広い道を歩いていきました。やがて、つづら折になり、頂上には安土城天守閣の土台石が残っています。城跡のすぐ近くには壮麗な天守閣を再現した博物館があります。どちらも一見の価値がある城です。
 天守閣と呼ぶのは俗称で、正しくないそうです。史料用語としては、天守が正しい。閣をつけて呼ぶようになったのは明治よりあとのこと。
 織田信長が桶狭間の戦いに勝利できたのは、今川軍の主力と遭遇せずに、今川義元の本陣3000人と直接戦ったから。今川軍の主力は、信長軍の突入に気がついていなかった。信長は、今川軍よりひとつ北側の黒川筋の谷筋を抜けて、義元本陣を目指してまっしぐらに進軍していった。そのため今川軍の主力との遭遇が避けられた。
 信長の岐阜城をイエズス会の宣教師ルイス・フロイスとロレンソ修道士が訪ね、その報告記が今も活字として残っている。
 ふもとの池には水鳥が飼われていた。これは観賞用であると同時に、夜間に不審な人物が近づくと水鳥が騒いで、その発見を容易にしたため、城では水鳥が好まれていた。
 岐阜城、山上の城は何びとも登城してはならない、おかすべからざる禁令であった。信長は、登城をごくわずかな人に許可しているだけだった。信長は、山城から山麓館に下りてくる途中で、各地からの使者や武士、公家などに会った。これは、ほかの戦国大名と比べて珍しい行動だった。信長は、わざと身分の上下を意識しなくてよい路上での面談を行い、仕事の迅速化と効率化を図る意図があった。信長は、山麓館ではなく、山上の城に家族とともに住んでいた。
 安土城は、築城開始から6年、天主完成から3年、中心部の最終完成からは、わずか9ヶ月という、短命な城だった。
安土城こそは、佐和山城、坂本城の中間地点に位置し、尾張・美濃と京都とを連絡した陸路・水路の要の位置を占めていた。
 信長は、親衛隊を安土の城下に集住させた。しかし、信長の直臣たちが、すべて喜んで信長に従ったわけではなかった。親衛隊のうち民衆で60人、馬廻り衆で60人の計120人が単身赴任だということが判明した。安土城が築城されたあとも、重臣たちの妻子は、それぞれの城に住んでいて、安土城内の武家屋敷には常住どころか、そもそも住んでさえいなかった。一族や重臣たちが安土城に出仕した際に寝泊まりするための屋敷だった。
はじめての近世的城下町だった安土は、過渡的な様相を色濃くもっていた。日頃は、連絡と維持管理のためのわずかな番衆がいるだけで、ひっそりとした生活感のない武家屋敷街だった。
 当時、大手道を進むと、大手道のはるか先の高みに天主がそびえていた。大手道は、信長の権威を人々に印象づける、きわめて強い象徴性を発揮した。
 一族衆や重臣たちは大手道を登って出仕したが、それ以外の多数の直臣たちは、百々橋(どどばし)口から摠見寺をこえて安土城に向かった。
信長の城をその構造から特徴づけようとした説得力のある本です。
(2013年1月刊。840円+税)

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2013年10月18日

亡国の経済

社会

著者  しんぶん赤旗経済部 、 出版  新日本出版社

TPP(環太平洋連携協定)は、シンガポール、ニュージーランド、チリ、ブルネイの4ヶ国が結び、2006年5月に発効した協定がもとになっている。
 そのTPPにアメリカが参加することを最初に表明したのは、2008年のブッシュ政権時代のこと。アメリカが経済競争力を高めるためには、アジア太平洋地域とアメリカ経済の結びつきを強めることが重要になっていたからだ。
 このころ、アジア太平洋地域では、アメリカを除いた形での経済の結びつきを強める動きが表面化していた。「アジア重視」は、これに警戒感を抱いたアメリカ政府の巻き返しでもあった。オバマ政権は、その巻き返しを加速させた。
 アメリカ政府の対日要求は、アメリカの多国籍企業の要求を反映したものだ。小売業で世界最大手のウォルマートは、コメの関税が日本での企業活動を妨げている、米国産リンゴについて日本政府が防疫のための措置を義務づけとして輸出が抑制されていると不満を表明している。カリフォルニア・チェリー協会は、ポストハーベストの防かび剤の登録手続の緩和を、カリフォルニア・ブドウ協会は日本の残留農薬基準の緩和を要求している。
 本当にとんでもない要求です。自分たちの金もうけの前には日本人の生命・身体・健康なんて、どうでもいいとアメリカの企業は考えているわけです。
 アメリカ資本は、日本企業の様式取得を進めている。日本の有名な企業でも、外国人持ち株比率が30%をこえる企業が増え、60%をこえる企業も出てきている。オリックスは60%近い、楽天も4割に近い。中外製薬に至っては76%になっている。
 アメリカ型の企業は、株主配当を重視し、従業員のリストラが簡単に断行される。アメリカが押し付ける雇用の流動化によって、日本に進出したアメリカの人材派遣会社にとってはビジネスチャンスになる。
 TPP参加によって日本の食料主権がますます脅かされてしまいます。
安全な食料を安定的に入手することは、国連の諸決議も認める、人々の権利である。日本は、日米安保条約の下で経済的自主性を欠き、食料主権を著しく制限されてきた。それが日本農業の衰退と食糧自給率の低下を招いてきた根源である。
 農業を守るため、関税などの国境措置と国内での農業支援を組み合わせて実施するというのは、ヨーロッパでも行われている当然の措置である。ところが、TPPはそれを不可能にする。
 農業は守られなければいけません。それは第一義的なものです。国土を荒廃させては、日本人に食べるものがなくなってはいけないのです。政府、自民党のトップの頭の中にはお米や野菜、そして牛肉や魚などが、お金を自動販売機に入れたら苦労せずに手に入れると錯覚しているのではないでしょうか。とんでもないことです。
また、TPPが日本の司法に与える重大な影響も決して黙って見過ごせないものがあります。150頁ほどの薄い本ですが、考えるべき論点の指摘がぎっしり満載の本でした。
(2013年7月刊。1200円+税)

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2013年10月17日

伝説の弁護士、会心の一撃

司法

著者  長嶺 超輝 、 出版  中公新書ラクレ

最後まで面白く読み通しました。司法試験を長く目ざして挫折したという著者の本ですが、モノカキとして大成されていることに敬意を表します。引き続きのご健闘を期待します。
合格後のことを何も考えず受験対策に没頭している人ほど、がんがん受かっていく現実がある。
 本当に合格後のことについて何も考えていないのかはともかくとして、そのようにしか思われない多くの人が合格しているのは現実です。ただ、合格して弁護士になってみたものの、まったく不向きだったという人も少なくない現実もあります。人間に関心がない、現実の紛争の渦中に飛び込んで身をもって解決しようという発想のない人が弁護士になったら(そういう人が現にいるのです)、本人にも周囲にも、もちろん依頼者にとっても、大いなる悲劇となります。
 大阪空港騒音差止訴訟がとりあげられています。画期的な判決が出ました。もちろん私は関与していませんが、原告弁護団長の本村保男弁護士はとてもカッコ良かったですね。話しぶりがあざやかというか、さわやかでした。大阪弁護士会の会長に就任して、民事当番弁護士制度を実現するなどしたあと、70歳のときにアルツハイマー病にかかって亡くなられたたとのことです。
 水俣病訴訟もとりあげられ、久留米の馬奈木昭雄弁護士が登場します。私が一番最初に出会ったのは40年以上も前に、まだ司法修習生のとき、東京の弁護士会館での講演でした。弁舌鋭い闘う青年弁護士の話に、私はただただ圧倒されてしまいました。
 この本は、そのあと、戦後の日本の刑事裁判、そして戦後の極東軍事裁判をあつかっています。そうなると、欠かせない弁護士は誰でしょうか・・・。
この本は、いくつかの単語を伏せ字にして読み手に推理させます。残念ながら私は一問も正答できませんでした。
 答えは有名な布施辰治です。布施弁護士は、弁論の途中で突然、沈黙してしまいます。どうしたんだ、気分が悪くなったのか弁論のネタが尽きてしまったのか・・・。やがて、みなが動揺し、いらだち始めた。
 布施弁護士は、やおら口を開いた。
 陪審員諸君、私がいま発言を止めた時間は、何分ぐらいだったと思われるか?5分か、10分かと、相当長い時間と思われただろう。ところが、たったの30秒である。・・・。
 すごいですね。いろいろ、本当によく調べているのに感嘆しました。
(2013年9月刊。860円+税)

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2013年10月16日

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

日本史

著者  加藤 陽子 、 出版  朝日出版社

東大教授が中学生・高校生の20人に向けて近代日本史を熱く語っている本です。とても分かりやすく、しかも切り込む視点が鋭いので、思わず引きこまれてしまいます。
国民の正当な要求を実現しうるシステムが機能不全に陥ると、国民に、本来なら見てはならない夢を擬人的に見せることで国民の支持を獲得しようとする政治勢力が現れないとも限らないという危惧があり、教訓とすべき。
 日本国憲法を考えるときも、太平洋戦争における日本の犠牲者の数の多さ、日本社会が負った傷の深さを考慮に入れることが絶対に必要だ。巨大な数の人が死んだあとには、国家には新たな社会契約、すなわち広い意味での憲法が必要となるのは真理である。
戦争は、国家と国家の関係において、主権や社会契約に対する攻撃、つまり、敵対する国家の憲法に対する攻撃という形をとる。
 相手国がもっとも大切だと思っている社会の基本秩序、これを広い意味で憲法と呼んでいる。これに変容を迫るものこそが戦争なのだ。
ジャン・ジャック・ルソーは、戦争とは相手国の憲法を書き換えるものと喝破した。
 アメリカは、戦争に勝利することで、最終的には日本の天皇制を変えた。
イギリスの歴史教授E・H・カーは、歴史とは現在と過去との間に尽きることを知らぬ対話だと言った。
 田中正造は、日露戦争について反戦論、非戦論で、はっきりした立場をとった。ところが実は、日清戦争には賛成している。のちに足尾銅山鉱毒事件で明治天皇に直訴状を出した田中正造は、日清戦争について、「良い戦争だった」と書いていた。
 日露戦争に関して、ロシアの学者は、どちらが戦争をやる気だったかという点で、ロシアの側により積極性があったとしている。戦争を避けようとしていたのは、むしろ日本で、戦争をより積極的に訴えたのはロシアだという。
日露戦争(1904年)の前の1900年に山県内閣は衆議院選挙法を改正した。直接国税15円以上を納付するという制限から、10円以上にして、5円下げた。その結果、45万人だった有権者が98万人となった。そして、1908年の選挙の時には158万人になっていた。
 また、1900年の山県内閣の選挙法改正によって、被選挙権は基本的に納税資格が不要とされた。それまでは地主議員ばかりだった国会に実業家や新聞記者などが登場するようになった。
 1933年(昭和8年)、熱河侵攻作戦という、最初はたいした影響はないと考えられていた作戦が、実のところ国際連盟からは、新しい戦争を起こした国と認定されてしまう危険性をはらんでいた作戦だったことが衝撃的に明らかにされてゆく。天皇も首相も苦しむが、除名や経済制裁を受けるよりは、先に自ら連盟を脱退してしまえ、という考えの連鎖によって日本の態度は決定された。
 日本近代史の歴史を若い学生、生徒とともに考える絶好の本です。最後まで面白く読めます。
(2013年3月刊。1700円+税)

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2013年10月15日

白い包哮

生き物

著者  長澤 幹 、 出版  未知谷

圧倒的迫力の本です。すごいものです。日本狼の生態と猟師(またぎ)の生態・生きざまがことこまやかに描写され、息つく間もなく話が展開していきます。
 主人公は、初めのうちは、猟師の岩作です。
 猟師(またぎ)は、春から秋にかけて農業に勤(いそ)しみ、その合間に山の恵みや薪の採集などに努める。冬から春にかけて白神山地の奥深い森林で数日間にわたって狩猟を行う。狩猟の対象は主にカモシカとクマだ。
 夏場、狩りの季節の前に、あらかじめ森林の中に猟師小屋と呼ばれる簡易な小屋をたて、ここに食料などを運び込んでおく。狩猟が始まること、ここを基地として寝泊まりしながら狩りを行う。この小屋は非常に簡易かつ粗末なものなので、長持ちはしない。風雪にさらされて壊れると、翌年はまた新しい小屋を作る。
猟師は数人で組をつくる。棟梁は絶対命令者で、猟師の頭をシカリと呼ぶ。
 猟犬は獲物を見つけたら行動を制限し、留めておくことが重要で、優秀な猟犬はこまめに動き、獲物と一定の距離を保ちながら威嚇し続けることのできる犬でなければならない。そのためには、無闇な闘争心よりは、獲物の変化に応じた怜悧な判断力と獲物を引き止める胆力が優先する。
秋田犬は闘犬として好まれたが、その前身は「秋田マタギ」と呼ばれ山岳狩猟犬であり、 見た目に堂々とした風格があって、日本犬らしさをもった犬である。もともと闘犬としての資質をもっており、力も強いが、我も強い。反面、落ち着きがあり、飼い主の言いつけを忠実に守るという性格がある。
 秋田犬はもともと頭のいい犬で、上手にしつければ飼い主思いのいい猟犬になる。
秋田犬のユキが、ひょんなことからオオカミの群れの一員となり、ボスオオカミとの仔をもうけます。ギンゲです。太陽の光が当たると、胴体が銀色に輝くので、銀毛(ギンゲ)と呼んで岩作の子・源兵とともに生活しています。いよいよ、この本の本当の主人公ギンゲの登場です。
 猟師の岩作と熊がたたかううちに、岩作が転落死してしまうのでした。
 残された家族はギンゲを飼う余裕などありません。ついに犬好きの山林地主に譲り渡します。そして、さらに別の和歌山に住む大好きの大地主へと・・・。
 そこを嵐の夜に脱走したギンゲは故郷の白神山地へ仲間のオオカミの群れとともに戻ってきます。
 とにかくスケールも大きいオオカミの話です。
 鹿児島への出張の一日、ずっと読んでいました。本当に充実した一日となりました。ありがとうございます。著者にお礼を申しあげます。
(2013年5月刊。2200円+税)

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2013年10月14日

小さいおうち

日本史(現代史)

著者  中島 京子 、 出版  文春文庫

直木賞の受賞作です。モノカキ志向の私ですから、日頃、直木賞か芥川賞、それでなくても文化勲章を狙っていると高言している身として、この小説の出来の良さにはただただモノも言えません。直木賞を受賞したのに何の異論もありません。細かい部分(ディテール)の描写といい、筋の運びとして、そして見事な結末には息を呑むしかなく、文句のつけようもありません。
 山田洋次監督が映画にしてくれて、来年1月には見れるとのこと。今から楽しみです。
 先日、妹尾河童原作の映画「少年H」をみましたが、戦前の平和な生活がいつのまにか戦争へ突入していく情景が、きめこまかに再現されていました。
裏表紙に、この本のストーリーが要領よく紹介されています。
 昭和初期、女中奉公にでた少女タキは赤い屋根のモダンな家と若く美しい奥様を心から慕う。だが、平穏な日々にやがてひそかに"恋愛事件"の気配が漂いだす一方、戦争の影もまた刻々と迫りきて―。晩年のタキが記憶を綴ったノートが意外な形で現代へと継がれてゆく最終章が深い余韻を残す傑作。
 戦前の上流サラリーマンの家庭生活が、住み込み女中の目から、ことこまやかに描写されていますから、つい没入させられます。そして、いつのまにか微妙な男女の機微に触れていきそうです。
 女中タキのお見合い話をふくめて、戦争が日常生活に忍びこんでくるのです。
 この本には、私のつれあいがこよなく愛する永藤(ながふじ)菓子店が登場します。上野駅近くにあって、タマゴパンなどで有名なのでしたが、今は閉店してしまいました。
あと味もさわやかな、ロマンあふれる小説です。
(2013年6月刊。543円+税)

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2013年10月13日

ワークルール検定2013

司法

著者  NPO法人・職場の権利教育ネットワーク 、 出版  旬報社

職場で生かす労働法100問というサブタイトルのついた本です。働きやすい職場を実現するために、全国で初めてのワークルール検定試験が実施されるとのこと。その公式テキストブックでもあります。
 150頁ほどの薄い本です。設問が100問あり、正しいもの、あるいは誤っているものを選んでいく形式です。
 一般常識、労働契約、労働条件、雇用終了、労働組合の5分野に分かれた設問があり、基礎的なことがしっかり頭に入っていく仕掛けです。
 ブラック企業を見分ける指標として若者の早期離職があるが、離職率の高い業種を選べ、という設問もあります。
 キャリア権という私の知らない権利が紹介されていました。
キャリア権とは、労働権を中心において、職業選択の自由と教育権を統合した性格の権利である。
パワハラについて、OA機器を使えない上司に若い部下が嫌がらせをして、機器の使用方法を教えないとか、代わってやってあげないというのもパワハラに含まれるとのこと。OA機器の使えない私は、これを読んで、ああ、救われたと思いました。
懲戒解雇にあったとき、職業規則で不支給と定められているときにも退職金が支給されることがある。
 この点は、私も誤解していたことがありました。
 とりわけ若い人に大いに普及したい本です。
(2013年4月刊。1000円+税)

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2013年10月12日

影絵はひとりぼっち

人間

著者  藤城 清治 、 出版  日本図書センター

有楽町の駅近く、銀座に藤城清治の美術館があるのを発見しました。たまたまのことです。迷わず入館しました。すごいです。影絵によるメルヘンの世界にたちまち浸ることができます。
 著者が影絵を始めたのは終戦直後、軍隊から再び大学に戻ってからのこと。慶応大学では児童文化部。これって、大学のサークルのことでしょうか・・・。私の大学生のとき、セツルメント活動にも児童文化部がありました。今も絵本を描いている加古里子(かこさとし)さんは、セツルメントの大先輩です。
 影絵には先達がいない。ただただひとりで考え、工夫し、悩み、ひとりで暗中模索しながら、一本の影絵の道を歩いてきた。あるときは立ち往生し、あるときは脱線したり、よろめいたりしながら、危なっかしい足どりで、今日までやってきた。
 今になってみれば、それがかえってよかったのかも知れない。模倣したくても模倣するものは何もなかったから、すべて一から十まで自分で考えなければいけなかった。否応なしに世界中どこにもいない独自のスタイルの影絵劇が出来ていった。
 光を通してみる影絵には、反射光でみるものとは比べられない美しさがある。切り抜いた黒い線と形、うすい紙、色の紙の重なりなどを、光が通してつくり出す透明な階調は、実際に光にあててみると、ドキッとするほどの美しい魅力がある。
 影絵を展示するには、電源そのほか厄介な問題がたくさんあり、そのうえ破れやすいので持ち運びが大変だ。
影絵は実際に絵の具で描いた絵以上に、印刷されたとき原画との違いが大きい。
 さまざまの材質の紙や厚さの異なった紙に裏から光をあててみると、紙の光を通す度合いによって、いろんな階調が出来る。もちろん、光をまったく通さないところは、真っ黒になり、光をよく通すうすい紙はハーフトーンになる。和紙の繊維やハトロン紙の縞模様なども面白い効果となる。色セロファンやプラステートは透明感のある美しい色彩を出してくれる。最近は、プラステートにいろんなナンバーのうすい色から濃い色調まで何十種類の色ができたので、微妙な色調が意のままに出せるようになった。
 影絵の原画は1メートル近い大きさのものをつくる。印刷効果は、実際に印刷される大きさの1.5倍ほどが一番いいと分かっているけれど、10倍くらいの大きさでつくる。
 影絵の美しさは、なんと言っても逆光の美しさにある。逆光にうつし出される黒いシルエットの妖しい美しさに魅せられて、もう35年になる(1983年)。
 赤を出すためには、赤のフィルターを貼るしかない。しかし、赤いフィルターを貼っただけでは、逆光の場合、100%色は出ない。赤のまわりを、赤の色が出しやすいようにつくってやらなければならない。赤を赤らしく美しく見せるということは、赤だけの問題ではなく、赤を引き立てる環境をつくってやることが一番大切なことだ。
 このように、影絵の世界は奥深く極まりない。
 メルヘンの世界にしばらく浸ってみるのも、頭の洗濯になっていいものです。気分がすっきりします。あなたも、ぜひ足を運んでみてください。
(2007年4月刊。1800円+税)

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2013年10月11日

ビッグデータの正体

アメリカ

著者  ビクター・マイヤー・ショーベルガー 、 出版  講談社

この本を読むと、ビッグデータが世界を変えるかどうかはともかくとして、日頃の日常生活を私たちの知らないところで大きく変えようとするものだということは分かります。とんでもない社会に生きているのですね、私たちって・・・。なにしろ、私たちが何をしたかが知られているというだけでなく、何をしようとしているか、何をしたいのかまで機械的に高い精度で読みとられているというのです。
 グーグルは2009年、アメリカの冬のインフルエンザの流行を予測し、国内どころか週単位までの流行まで特定した。
 グーグルでは全世界で1日に30億件以上の検索が実行されている。そのうち、上位500万件の言葉を抽出し、インフルエンザとの相関関係を調べた。データ量、処理能力、統計処理のノウハウでグーグルは群を抜いていた。
 データ利用に関する知識が変化した。昔は、データは何のかわりばえもしない陳腐な存在と考えられていた。ところが、その常識は崩れ去った。データは、ビジネスの素材に生まれ変わり、重要な経済資源として、新たな経済価値の創出に活用されていることになった。
 フェイスブックでは、1時間に新規アップロードされる写真は1000万枚をこえる。「いいね!」ボタンのクリックやコメント投稿は1日に30億回。
 グーグルが運営するユーチューブは月間利用者数が8億人。ツイッターのつぶやきは、年200%の勢いで増加しており、2012年には1日に4億ツイートに達した。
 量が変わることで、本質も変わる。ビッグデータは、限りなくすべてのデータを扱う。
 量さえあれば、精度は重要ではない。重要なのは、理由ではなく結論である。
 固定電話を使った選挙世論調査はミスが大きい。ケータイしかもっていない有権者、これは若い世代やリベラル派に多い、が対象になっていない。だから、標本の無作為性が失われている。コミュニティーの外部の接点をもつ人がいなくなると、残った人々は、まるでコミュニティーが崩壊してしまったように、突如として求心力を失う。
 集団では外部の人々とつながりをもつ人間のほうが盛り上げ役になっている。つまり、集団や社会の中では、多様性がいかに大切かということ。
 ビッグデータの世界に脚を踏み入れるためには、正確はメリットだという考え方を改める必要がある。
 ビッグデータの恐ろしさは、次のような記述にもあらわれています。
 84ヶ国240万人のユーザーが2年間に投稿したツイッター5億9000万件を分析してみた。すると、1日のあいだに人々の気分が変化するパターンも、1週間に変化するパターンも、文化圏の違いに関係なく似ていることが判明した。今では、人々の気分までデータ化している。
 この本は、ケータイ使用によるガンの発生リスクの増加は認められなかった、としています。本当に安全なのでしょうか。
 ビッグデータを上手に利用している企業がすでに生まれている事実にも驚かされました。
 大企業だけでなく、小企業にもビッグデータは驚くようなチャンスをもたらしている。ビッグデータは、業界を超大手と小規模に2分してしまう。中堅どころには厳しい向かい風だ。
今や東ドイツの秘密警察(シュタージ)も舌を巻くほどの個人情報が収集され、蓄積されている。支払いにクレジットカードを使った時点で、あるいはケータイ電話で話をした時点で、私たちの行動は常に監視されている。
そうなんですね、ちっとも知りませんでした。この網の目から逃れるのは、とても難しいことです。だったら、現実を直視しなければいけませんよね。奥の深い本でした。
(2013年6月刊。1800円+税)

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2013年10月10日

憲法96条改正を考える

司法

著者  飯田 泰士 、 出版  ラボ

あなたは、改憲?壊憲?怪憲? うむむ、よーく考えましょう。
 そもそも、憲法96条とは何か。憲法96条は、憲法改正手続について規定している。
 現在、改正の動きで注目されているのは、国会の発議要件について。つまり、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会がこれを発議する。この要件を過半数に緩和しようというもの。
日本国憲法のように、憲法改正に通常の立法手続も厳格な手続を要求する憲法のことを硬性憲法という。ほとんど全ての近代憲法は、硬性憲法である。
 96条改正を先行させると、憲法改正を目ざす政党のいう憲法改正が実現しやすくなる。しかし、多くの国民が96条改正を先行させることに賛成していない。
 そもそも憲法は、権力を制限することによって自由を保障するためのもの(立憲的意味の憲法)。つまり、権力によって自由を侵害されてしまうおそれのある国民が、その自由を守るために、権力の側を縛るための道具が憲法なのである。そのため、本来なら、憲法改正の動きは、国民の側から起こるべきなのである。権力の側から憲法改正の動きが起こり、しかも、その憲法改正によって、権力の側が縛られにくくなるというのは、権力の側がより自由に権力を行使できるようになるというのは、それ自体、望ましくない。なぜなら、縛られている権力の側が、「縛らたくない!自由になりたい!自由に権力を行使したい!」と言っているということだからである。
 憲法96条を改正して、憲法改正を容易にすると、第一に権力濫用・社会の混乱につながる恣意的な憲法改正がされる可能性が高くなり、第二に、少数者の権利の保護が困難になる憲法改正がされる可能性も高くなる。
 国民投票を実施すると、1回で850億円の経費がかかる。96条を改正して憲法改正が容易になると、国民投票が何度も実施されることになるが、そのたびに850億円という経費がかかることになる。
 国民には、憲法改正の発案権は認められていない。国民投票にかけられる憲法改正案は、国会が発議したものだけ。
 憲法96条改正論にもとづく憲法改正案は、政府、政党、議員の憲法改正に関する権限を実質的に強化するものである。
 アメリカは、戦後、6回、憲法を改正している。ただし、ここ20年以上は憲法改正していない。最後の改正は1992年。
 ドイツで58回も憲法を改正しているが、その対象になっているのは、日本で法律レベルの規定されているものであったり、連邦と州との権限の見直しであったりするものであって、国のあり方にかかわるものではない。
 韓国では1948年以来、9回の憲法改正があっているが、民主化によって成立した1987年の第六共和国憲法は改正されていない。
 選挙制度が比例代表制になっていない日本では、とくに国民の中で占める割合と議員の中で占める割合を何の変換もせずに比較したり、同列に扱うのはおかしい。
 本当にそうですよね。国会といっても、いまの議員は裁判所が違憲状態にあるという不公正な選挙区割りの制度で選ばれているわけですから、そんな国会議員が憲法を変えようとすること自体が大きな問題だと私は思います。
 憲法96条改正問題にしぼって、いろんな角度から問題点を整理した本です。
(2013年8月刊。1800円+税)

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2013年10月 9日

読書について

人間

著者  ショーペンハウアー 、 出版  光文社文庫

多読が病みつきになっている私には耳の痛い指摘のオンパレードの本です。でもでも、多読しているからこそ、こんな良書にも出会えたというわけです。
 著者はデカンショ節で有名な人物です。えっ、デカンショ節を知らないというのですか・・・。驚きました。痛み入ります。ほら、あの、デカンショ、つまり、デカルト・カント・ショウペンハウアーという哲学者三人の本を読んでいた戦前の高校生(今の大学生)たちの決めゼリフのことですよ・・・。
 本を読むとは、自分の頭ではなく、他人の頭で考えることだ。たえず本を読んでいると、他人の考えがどんどん流れ込んでくる。
 多読に走ると、精神のしなやかさが奪われる。
 自分の考えをもちたくなければ、絶対確実な方法は、1分でも空き時間ができたら、すぐさま本を手にとることだ。
まさしく、私は1分でも空き時間ができたら、すぐに本を手にします。そのための本をカバンに常にしのばせているのです。
 あれこれ書き散らすと、ことごとく失敗するはめになる。学者、物知りとは物書きを読破した人のこと。
 本から読みとった他人の考えは、他人様(ひとさま)の食べのこし、見知らぬ客人の脱ぎ捨てた古着のようなものだ。本から読みとった他人の考えは、化石に痕をとどめる太古の植物のようなものだ。
 人生を読書についやし。本から知識をくみとった人は、たくさんの旅行案内書をながめて、その土地に詳しくなった人のようなものだ。
 ええーっ、そ、そうなんでしょうか。くやしいですよね。こんなに読書人がさげすまされるなんて・・・。
 読書は、自分で考えることの代わりであり、精神に材料を提供する。
 多読によって走るべきではない。少なくとも、読書のために、現実世界から目をそらすことがあってはならない。
 この点は、私も同じです。絶えず現実世界に身を置いて考え、実践しています。
誰だって、判断するより、むしろ信じたい。
 これが人間の本性なんですよね・・・。
どんなにすばらしい考えも、書きとめておかないと、忘れてしまい、取り返しがつかなくなる危険がある。だから、私は、すぐ身近にメモ用紙を置いています。車中にもメモとペンを置いていて、信号停止のあいだに素早くメモする要にしています。車中でひらめくことは多いのです。メモ用紙に最適なのは、カレンダーの裏紙です。いつも前月のカレンダーをはぎとると、カッターナイフを使ってメモ用紙にしています。その固さがメモするのにちょうどいいのです。
良書を読むための条件は悪書を読まないことだ。なにしろ人生は短く、時間とエネルギーには限りがあるのだから、悪書は知性を毒し、精神をそこなう。
 反省させられながらも、本を読み続けます。今年は今までに430冊を読みました。
(2013年5月刊。743円+税)

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2013年10月 8日

刑事裁判のいのち

司法

著者  木谷 明 、 出版  法律文化社

ながく刑事裁判を担当してきた著者が、中学生に対して刑事裁判とは何かを分かりやすく語っています。
 被告人が起訴された事実を行ったどうかは、神様と被告人以外には誰も知ることができない。しかし、社会の秩序を維持するためには、一定の証拠が提出されたときには、その被告人を処罰することも考えなければならない。
 ただ、そのとき、まず「被告人は無実である」という前提から出発しなければならない。検察官が提出した証拠を検討するときにも、「犯人らしく見える証拠が提出されているが、本当は被告人は犯人ではないのではないか」という頭で、とことん考え抜き、それでも被告人が犯人でないとしたら容易に証明できない事情があるとき(まず絶対に犯人であると考えられるとき)に有罪と認め、そうでないときには、被告人に無罪を言い渡すべきである。
 「合理的疑いを入れる余地のないまでの立証」という考え方は、真犯人処罰の要請と無実の者を処罰してはならないという要請とのギリギリの妥協点である。この二つの要請のうち、「無実のものを処罰しない」というのを基本に考えるべき。
 無実のものを処罰したときには、それによってそのものにいわれのない苦痛を負わせるだけでは、真犯人を取り逃す結果にもなってしまうからだ。
 刑事裁判において、もっとも重要なことは無実の者を処罰しないことであって、その結果、ときとして真犯人が逃れることがあってもやむをえないと考えるべきだ。
 刑事裁判を担当するなかで、検察官が被告人に有利な証拠を隠蔽するのに何度も出会った。検察官は、証拠開示に関する法制度が不備であるのを利用して、そういうことを日常茶飯事的にしてきた。
 検察官のこのような行為をチェックするのは、裁判所の役割であるはず。しかし、これまで裁判所はその役割を適切に果たしてこなかった。
足利事件の真の悲劇は、一審における弁護人が菅家さんから「事案の真相」を打ち明けてもらえなかったことに始まったと言ってもよい。
 弁護人は、被疑者・被告人の唯一の味方である。
 刑事裁判は、検察官が事実上とりしきっている。検察官が強すぎる。有罪率が極端に高い。検察官が被疑者の勾留を求めたとき、それが却下されることはほとんどない。保釈もなかなか認められない。
被告人が否認していると、まず保釈されないという現実がある。人質司法は検察の有力な武器である。
 重罪事件について、取調べ初日、まだ逮捕もされていない取調べ初日に嘘の自白をさせられてしまう人が現にいる。しかも、かなりの頻度である現実だ。自白の信用性を安易に認めてきた裁判所は深刻に反省するべきである。
 検察官が強く抵抗されると、それをひりきって無罪判決を書くのには、なかなかの勇気がいる。
 裁判官は、日頃、嘘をつく有罪被告人、つまり有罪であるのに嘘をついて責任を逃れようとする被告人を見慣れているから、被告人に騙されたくないという気持ちが強い。そのため、いったん被告人が重要な点について述べた弁解が嘘だと分かったりすると、その反動として有罪の心証に一気に傾く傾向がある。これを心証の雪崩現象と呼んでいる。
 私も40年間、弁護士をしていて、反省させられることの多い本でもありました。
(2013年8月刊。1900円+税)

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2013年10月 7日

鳥類学者、無謀にも恐竜を語る

恐竜

著者  川上 和人 、 出版  技術評論社

鳥は恐竜である。だから、恐竜は死滅(絶滅)したのではない。恐竜は今も生きて、あなたの身のまわりに存在する。
 これはすべて本当のことです。ええーっ、でも可愛い小鳥があの、いかにも怖いステゴザウルスと同じだなんてウソでしょ、という反発の声が聞こえてきそうです。だけど、本当に鳥は恐竜の一部なのです。これは、学界で定説となっています。
鳥類を除くと、ワニは恐竜にもっとも近い現生動物である。
 翼竜、魚竜、首長竜などは、恐竜ではない。
 恐竜が、二足歩行を実現することができたのは、それ以前の爬虫類と異なる脚のつき方を進化させたからだ。
鳥にとって独特の特徴だと思っていた羽毛は、恐竜時代に発達したと考えられている。多くの恐竜には羽毛が生えていた。
 二足歩行は、鳥類と恐竜の大いなる共通点である。シソチョウ(始祖鳥)は、羽ばたきは無理でも、滑空はしていただろうと考えられている。
翼竜は、空を自由に飛翔した、はじめての脊椎動物である。この点では翼竜は鳥類の先輩だが、系統的には鳥や恐竜とはまったく異なるものだ。鳥類が空に進出したときには、すでに翼竜が空を支配していた。
 鳥が羽毛をつかって飛ぶのに対して、翼竜は皮膜を利用して飛行する。
羽毛は皮膜よりも優秀な飛行器官である。羽毛は軽い。飛翔のための強度をもちつつ、とてつもない軽量さを誇っている。これに対して、翼竜の皮膜は、生きた皮膚であり、血流は水分を含み、必然的に羽毛より重くなってしまう。
 恐竜と鳥の大きな違いの一つが、尾の部分だ。恐竜において、バランサーやエンジンとして役に立っていた尾は、子孫の鳥では不要になってしまった。
ほとんどの翼竜には、立派な歯が残されている。その多くは、魚を食物としていた。
 鳥は、空を飛ぶために、むしろ歯や腕、尾を捨てた。
毒牙をもつと考えられる恐竜が見つかっている。実にシノルニトサウルスという小形恐竜である。牙に溝がある。
 恐竜の一部は渡りをしていた。
鳥類を研究する学者が恐竜を真面目に論じている面白いキョーリューの本です。なかなか恐竜展に行けないのが残念です。
(2013年6月刊。1880円+税)

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2013年10月 6日

職場を襲う「新型うつ」

社会

著者  NHK取材班 、 出版  文芸春秋

NHKスペシャルで放映された番組を本にしたものです。日頃テレビをみない私は、この番組もみていませんが、大牟田市にある不知火病院の「海の見える病棟」も紹介されたようです。私も見学に行ったことがある精神科の開放病棟です。実は、この病院の徳永雄一郎理事長は私の中学校時代のクラスメートなのです。
新型うつは、新型うつ病ではない。新型うつは、性格的な問題がからむうつなので、なかなか薬が効きにくく、慎重に薬を投与しなければならない。
 ところが、医師が従来型のうつ病と同じような処方をしてしまうケースが多い。その結果、薬が効かない、患者の症状は良くならない、薬を処分してしまって、症状はますます悪化するという悪循環に陥ってしまう。
新型うつを甘く見てはいけない。放置しておくと、重大な事態をひきおこす危険がある。
 統計をとると、かなり企業が新型うつに手を焼いていることがわかった。
新型うつの特徴は、仕事が出来ずに休んでいても、好きなことで遊んでいるのに何の罪悪感もない。自分から「うつかもしれない」と、いきなり人事部に申し出てくる。自分から病院に行って、自分から休みを申請して休む。訪ねると、だいたい家にいる。
精神的な特徴としては、三つある。ストレスに弱い。人間形成が未熟。失敗をものすごく恐れる。新しいものには食いつかない。ものすごく保守的。なんでも他人のせい、仕事のせい、もののせいにする。こだわりがすごく強い。プライドが強くて、間違いを認めない。ミスしたのは自分が悪いのではなく、教えてくれなかった上司であり、周りが悪い。
育った環境が大きい。母親は、自分の子に問題があるとは絶対に言わない。おそらく、親から叱られたことがない。新型うつの大きな特徴は、職場ではうつ、プライベートでは元気。
過労が原因になることの多い従来型のうつ病だと、しっかり休ませ、治療することが効果的なことが多い。
 新型うつが増えている根底には、上司や職場側と若者側との価値観のギャップがある。新型うつは、結局はコミュニケーション不全から生まれているのではないか・・・・。
 親の過保護・過干渉があったため、自分で考えて何かに挑戦したり、そこで失敗したり、成功したりする経験が少ないことによって、自分に自信を持てていない。自己否定感が低い。だから、会社で怒られたりすると、弱い自分を守るために他者を攻撃し、また逃避行動して、すぐに会社を辞めたりしてしまう。
 新型うつを克服するためには、本人が自分の非を認められるようになること、そのためには、本人が自分に自信を持てるようになることが必要だ。いわば、自己肯定感を取り戻すのだ。
 それにしても、最後のあたりに威張りちらすばかりで、仕事以外の場でのコミュニケーションのできない中高年のコミュニケーション能力の不足が指摘されているところは、耳の痛いものではあります。
 それと、日本社会に優しさが薄れているのも気になりますよね・・・・。
(2013年4月刊。1300円+税)

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2013年10月 5日

命のビザを繋いだ男

日本史(現代史)

著者  山田 純大 、 出版  NHK出版

1940年(昭和15年)、ナチスドイツに追われて逃げてきたユダヤ難民たちが、リトアニアの日本の領事館に日本へのビザを求めて押し寄せてきた。領事代理の杉原千畝(ちうね)は、人道的見地から、本国の指令に反して日本通過を許可するビザを発給した。そして、ユダヤ難民6000人がヨーロッパからシベリア経由で日本の神戸、横浜、東京へ渡っていった。
 ここまではセンポ・スギハラのビザ発給によるものとして、私も知っていました。この本は、日本にやってきたユダヤ難民のその後を扱っています。
 杉原が発給したビザは、あくまでも日本を通過することを許可するビザであり、許された日本滞在期間はせいぜい10日ほど。たった10日間で、目的地の国と交渉し、船便を確保するのは不可能。そして、ビザの延長も拒否された。
 そんなユダヤ難民の窮状を救ったのが小辻節三(こつじせつぞう)だった。この本の主人公・小辻節三はヘブライ語学の博士号をもち、ヘブライ語を自由に話すことができた。そして、60歳のときにユダヤ教に改宗した。
 最近も、外務省の元高官が晩年にユダヤ教に改宗した人がいるという記事を読んだことがあります。日本人でも、インテリにはユダヤ教に魅かれる人が少なくないのですね。この本は、その小辻節三を生い立ちから、その家族の現在に至るまで、よく調べていて、本当に感心します。
 日本が国際連盟を脱退したときの外務大臣として有名な松岡洋右(ようすけ)は、その前は満鉄総裁だった。そして、小辻を顧問として破格の高給で迎え入れた。
どうやら満州にユダヤ人を迎え入れようとする計画があったようなのです。
ハルピンで極東ユダヤ人会議が開かれたとき、小辻は1000人をこえる聴衆の前でヘブライ語で演説をはじめた。ただし、そのヘブライ語は、とても古典的なヘブライ語ではあった。みんな驚いたことでしょうね。日本人が古典的ヘブライ語を話すなんて・・・。
 ユダヤ難民が神戸へ上陸して苦労しているとき、小辻は頼まれて、その局面打開のために東奔西走した。そして、小辻に力を貸したのが、元満鉄総裁であった松岡洋右外務大臣だった。まさしく偶然のおかげでした
 松岡外相は、ドイツとの関係は良好に保ち、アメリカとの戦争は回避したいという立場にあったので、小辻のユダヤ難民の救出に手を貸した。
 その後、小辻は満州に渡り、そこでユダヤ人に助けられた。
小辻に神戸で助けられたユダヤ難民のなかには、アメリカに渡ったあとイスラエルの宗教大臣になった人もいました。
 小辻は、戦後、そのような人々との交流も大切にしたようです。まったく知られていなかった事実を、足で歩いて発掘していった著者に感謝したいと思いました。
(2013年4月刊。1700円+税)

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2013年10月 4日

市長「破産」

司法

著者  吾妻 大龍 、 出版  信山社

私は長く住民訴訟にかかわってきました。残念なことに、一度も勝訴したことはありません。それでも、一つだけ、マスコミの事前予測では「住民側勝訴」というものがあり、事前に取材を受けましたが、当日、「請求却下」判決が出て、がっかりしたこともあります。第三セクターの破綻によって30億円ものムダな公金支出をさせられたことについて、市長個人の責任を追及した住民訴訟でした。
この本は、住民訴訟をはじめ行政訴訟に精通している学者がペンネームで架空市の行政側の内幕をバクロする仕立てになっていますので面白く、分かりやすく、問題点を理解することができます。住民訴訟を担当している人、とくに裁判官にはぜひ読んでほしいと思いました。
 権利放棄議決というものがあります。これは、市長個人に市への賠償責任があるという判決が確定したとき、市議会が市に対する賠償は必要ないと議決して、市長の個人責任を免責するというものです。いわば脱法的な議決です。この有効性が裁判で争われて、最高裁は個々の事案毎に「諸般の事情を総合考慮」して、裁量権の範囲の逸脱または濫用にあたらないかで判断するとしました。権利放棄決議を無効とした判決もあります。
 京都のぽんぽん山訴訟では、元京都市長に一審で4億円の賠償が命じられ、高裁では、それが26億円にアップしました。最高裁でもそのまま認められて確定したため、元市長の遺族は限定承認をして8000万円を市に支払ったとのことです。
 住民訴訟の対象になるものはたくさんあります。要するに、フツーの市民の感覚からして、それは税金のムダづかいではないか、という公金の支出です。そして、失敗しても誰も責任をとらないというときに、住民訴訟という手法をとるのです(その前に住民監査請求をしなければいけません)。
 行政当局側の、市長と担当部局そして法規担当、顧問弁護士の対話がメチャメチャに面白いものになっています。真相は、あたらずとも遠からず、と言うところではないかと思って読みました。
 行政法の権威である阿部泰隆先生の書いた本です。
(2013年7月刊。980円+税)

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2013年10月 3日

憲法とは何か

司法

著者  長谷部 恭男 、 出版  岩波新書

憲法とは何か、改めてじっくり国民に考え直してもらおうという本です。
 憲法はわれわれに明るい未来を保障するどころか、ときに人々の生活や生命をも左右する「危険」な存在になりうる。憲法を変えたとき、われわれの暮らしが良くなるか否かは、憲法をどう変えるかによる。
 憲法にまつわるさまざまな誤解や幻想を指摘したい。
 憲法が権力を制限することで、人々の自由と権利を守る重要な役割を果たすことができる(立憲主義)。立憲主義は、近代のはじまりとともに、ヨーロッパで生まれた思想である。 
 衝突の調停と限界づけを目ざす立憲主義は、中途半端な煮え切らない立場である。立憲主義を選ぶことは、この「中途半端」な立場にあえてこだわることを意味する。立憲主義は、人間の本性に反している。というのは、人は、もともと多元的な世界の中で個人的に苦悩などしたくない。みんなが同じ価値を奉じ、同じ世界観を抱く「分かりやすい」世の中であれば、どんなにいいだろうかと思いがちなものである。
 プライバシーの権力や環境権を憲法に書き込むべきだという討論がある(いわゆる加憲のことですね)。しかし、これらは、憲法の条文に書き込んだとしても、国会の制定法や裁判所の判断を通じて具体化されなければ、何の意味もない。たとえばプライバシーの権利は、すでに憲法13条の解釈として裁判所によって具体化されており、その侵害に対しては差止めや損害賠償等の救済が認められている。憲法に書き込むことで新たにえられるものはなさそうである。
 憲法がなぜ、通常の法律よりも変えにくくなっているかといえば、意味のないことや危なかったことで憲法をいじくるのはやめて、通常の立場のプロセスで解決できる問題に政治のエネルギーを集中させるためである。不毛な憲法改正運動にムダなエネルギーを注ぐのはやめて、より社会の利益に直結する問題の解決に、政治家が時間とコストをかけるようにと、憲法はわざわざ改正するのが難しくなっている。
 憲法96条を改正して、3分の2を過半数に緩和しようとする考えは、最終的には国民投票で決着がつくのだから発議要件はそれほど厳格でなくてもよいという考えがある。
 これは一見もっともらしくあるものの、にわかに賛成しがたい。憲法の改正に単純多数決ではなく、要件の加重された特別多数決が要求されるのは、第一に、少数者の権利の保障のように、人々が偏見にとらわれるために単純多数決では誤った結論を下しがちな問題については、より決定の要件を加重することに意味があるから。
 第二に、憲法に定められた社会の根本原理をしようとするのであれば、変更することが正しいという蓋然性が相当高いことを要求するのは、不当とは言えないから。
 著者は、国会が憲法改正の発議したとき、国民投票まで少なくとも2年以上の期間をおくことを提案しています。なるほど、まったく同感です。ことを急ぐ必要はないのです。じっくり、あれこれ考えて結論を出したらよいと私も思います。
 立憲主義には広狭二つの意味がある。広義の立憲主義は、政治権力あるいは国家権力を制限する思想あるいは仕組みをさす。「法の支配」という考え方は、広義の立憲主義に含まれる。
 狭義の立憲主義は、近代国家の権力を制約する思想あるいは仕組みをさす。
 アメリカやフランスで何度も憲法が改正されているが、その内容は、道路の交通規制にも比すべきルールの改正である。内容のいかんより、とにかく何かに決まっていることが重要な問題に決着をつけることを目的とするルールが改正されているのにすぎない。フランスでも、同じように、国会の会期の延長や大統領の任期の短縮など、道路の交通規制に比すべきルールの変更のようなものである。すなわち、国家体制の根本的変革をもたらすようなものではない。
やや難しい言いまわしの部分もありますが、じっくり読むと、自民党の憲法改正草案はとんでもないものだということがよく分かる内容になっています。
(2011年2月刊。700円+税)

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2013年10月 2日

戦場の軍法会議

日本史(現代史)

著者   NHK取材班・北博昭 、 出版  NHK出版 

フィリッピンで死刑になった日本兵の裁判(軍法会議)がインチキそのものだったことを奇跡的に明らかにした本です。NHKスペシャルで放映され、大きな反響を呼んだ番組が本になっています。NHK取材班の執念が見事にみのった貴重な労作です。
 日中戦争が始まった1937年(昭和12年)以降、軍法会議で処罰される兵士が急増した。太平洋戦争末期の1944年(昭和19年)には、1年間に5500人をこえる兵士が処罰された。
 軍法会議とは、罪を犯した陸海軍の軍人、軍属といった軍の構成員を裁くために、軍の中に特別に設けられた軍事法廷のこと。
戦前の法務官は、司法資格をもち、軍の中で法の遵守をチェックする「法の番人」とされる存在だった。
 軍法会議は通常の裁判所とは別の「特別裁判所」だ。軍法会議の仕組みは、裁判官、検察官、弁護人、被告という構図であり、通常の裁判と変わらない。特徴的なのは、日本の軍法会議では、通常5人いる裁判官のうち4人を軍人が占めていること。軍人の中で階級が一番上の兵科将校が裁判長をつとめた。
 裁判官の階級は、必ず被告人と同等か、それ以上の階級のものが選定された。そして、5人の裁判官のうち必ず1人は「軍人」ではない「文官」の法務官が担当することが法律で定められていた。
 明治42年生まれの馬場東作は東京帝大法学部を卒業し、司法試験に合格できずに海軍法務官となった。馬場は大学生のころマルクス主義を学び、不正義を怒り、軍に不信感をもつ反戦主義者だった。
 中田という海軍上等兵は奔敵(ほんてき)未遂、窃盗、略奪で死刑に処せられた。
敵前逃亡に死刑があることは知っていましたが、奔敵という罪名は聞いたこともありませんでした。
 軍法会議で死刑判決を受けた兵士は、護国神社にも靖国神社にも祀られていない。兵士の逃走は飢えによるもの。日本軍上層部の「現地調達」という無茶で無謀な作戦、食糧を送りこまずに現地で調達せよというのはバカな、無責任な考えである。
 日本軍は、アメリカ軍と違って、前線に行けば行くほど食糧がなかった。
 そもそも食糧さえ満足に与えず、戦わせた軍に逃亡兵を処罰する権利があるのか・・・・。
 食糧難の軍にとって、兵隊の数が減れば、口減らしにもなる。餓死寸前の兵士のなかに、夢遊病者のようにフラフラと部隊を離れる者が続出した。餓鬼道の積み重ねのように、まったく軍とか人の集団というようなものではなかった。
「平病死」とは、軍法会議で死刑になったことや、自殺したことを意味する呼び方。
戦後になって、軍の法務官だった人の大半が弁護士になりました。私が35年前に故郷にUターンしたとき、軍の法務官だったという人が何人も弁護士として活動していました。もっと、いろいろ話を聞いておけばよかったと思いますが、時すでに遅し、です。軍法会議というものの本質がいいかげんなものであること、しかし、死刑になった兵士の遺族が汚名を挽回するのはとても困難なことを伝えてくれる良書です。
(2013年9月刊。1900円+税)

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2013年10月 1日

憲法を守るのは誰か

司法

著者  青井 未帆 、 出版  幻冬舎ルネッサンス新書

これまでの歴史をひも解いてみれば、権力行使の「行き過ぎ」の例は枚挙にいとまがない。だからこそ、本当に自由を奪われ、人権が侵害されないように、国家権力を縛り、コントロールしなければいけない。どんな人が統治にあたることになっても人権侵害が起こりにくいような「仕組み」をつくっておく必要がある。そうした、権力に服する側の国民の目線でつくられたのが、権力分立をともなう統治の仕組みを定めた憲法である。
 憲法によって国家権力を制限して人権を保障する、つまり政治を憲法に従わせるというのが立憲主義の考え方。
明治憲法の下では、政府のもつ権力がきちんとコントロールされ得なかったために、無謀な戦争に突き進み、多くの人々に生命・身体・財産における犠牲を強いながら、日本は焦土のなかで敗戦を迎えた。
明治憲法には、人々の自由や人権といった概念やその保証のための制度が大いに欠けていた。
 憲法は「道徳本」とは違う。国家は、人の心に入り込んで、その選択に介入してはならない。人権というのは、フワっとした概念で、とらえどころのないもの。
多数者に天賦人権を観念しなくてはならない切迫性はない。天賦人権論をもっとも必要としているのは、多数者から有形無形の圧力を加えられることに起因して苦しむ少数者だ。
選挙で勝った「時の多数者」によって、簡単に人権規定などの重い意味をもつ憲法の規定がコロコロと変えることができるというのは、選挙という民主的政治過程で負けてしまいがちな少数者の人権を危機にさらすことにほかならない。
 憲法96条改正先行論は、憲法改正は、少数者の基本的人権保障がかかわる以上、慎重にも慎重を期そうという現行憲法の狙いとするところを没却するもの。
 劣勢に立つ側の「武器」として憲法論は、法律の論理を外側から変化させる理屈として、もっと使えるはず・・・。
 戦争は、人々の生命・身体・財産・自由が奪われるという人権の問題だ。だから安全保障政策は人権の問題である。だからこそ、国家の統治を人権保障という観点から監視する必要がある。
 自衛隊は、日本政府の説明によると、国家固有の自衛権にもとづいて正当化されるもの。明治憲法の失敗の一つには、軍部の強い自律性を外部からコントロールできなかったことにある。天皇は戦前の軍部などの前に権威づけとして利用されていた。
 立憲主義とは、自由を守るための知恵である。自由や人権が保障されることが、憲法や立憲主義の目的である。
 有事の際に、弾となり、盾となるのは、私たち国民である。どう変えるのかも不明なままで、憲法改正に賛成することは具体的な制度づくりを政治家にゆだねるということになり、これは、無謀であり、危険が大きい。
 10月3日に広島で開かれる日弁連のシンポジウムで著者に基調となる講演をしていただきます。若手の学者による鋭い問題提起が聞けるのを楽しみにしています。
(2013年7月刊。838円+税)

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2013年10月31日

殺す理由

アメリカ

著者  リチャード・E・ルーベンスタイン 、 出版  紀伊國屋書店

なぜ、アメリカ人は戦争を選ぶのか。このようなサブタイトルのついた本です。
一見すると、人の良さそうなアメリカ人ですが、昔も今も、戦争が大好きな国です。ということは、大人の男は人を殺したことがある人が少なくないということも意味します。そこが、日本人とは決定的に異なります。世界の憲兵をきどって、自国の利益のためには侵略戦争だって平気です。ところが、自国の利益にならないと思えば、「ルワンダの悲劇」のような事態のときには、見て見ぬふりをして動きません。まことに身勝手な国です。そして、日本は戦後ずっと、そんなアメリカの言いなりに動いてきました。本当に情けない話です。
訳者は、あとがきで次のように指摘していますが、まったく同感です。
 近年のアメリカは、経済を浮揚させておくために軍産複合体を維持・拡大し、圧倒的な軍事力を容赦なく使い、「テロに対する戦争」という言葉によって、あらゆる異論や反論を封じこめようとしている。
 そして、この本の著者の結論を、訳者は次のように総括しています。
 本来なら実利にさといはずのアメリカ人が戦争を容認してきたのは、戦争が道徳的に正当化されると納得したときに戦争を選んでいる。そして、道徳的に正しいか否かの判断に、アメリカの市民宗教が大きな影響を及ぼしている。
 では、本文を紹介してみます。
アメリカは、大きな戦争を10回遂行したが、これにはアメリカの市民宗教が大きな影響を及ぼしている。アメリカは先住民諸部族に18回もの大規模な軍事攻撃をしかけ、25回以上も諸外国に軍事介入した。第二次世界大戦以降だけでも、アメリカが本格的に武力を行使したのは150回をこえる。 これほど好戦的な記録をもった近代国家は他に例をみない。
しかも、アメリカのペースは加速している。1950年代以降、アメリカは20年以上もの歳月を戦争に費やしてきた。朝鮮、インドシナ、イラク、アフガニスタンでの軍事戦争によって、10万人以上のアメリカ国民が戦死しその5倍以上が負傷した。そして、数百万人もの外国人が生命を奪われた。
 アメリカ史を特徴づけるものでありながら見落とされやすいのは、戦争が提唱されるたびに非常に強硬な反戦論が生じること、そして、戦争が始まると、この反戦論は弱まり、消えてしまうこと。
 うへーん、そうなんですか・・・。それは驚きですね、たしかに。
 アメリカ人が生まれつき攻撃的だという議論は、戦争が提唱されるたびに、多くの国民が異を唱え、反戦運動が広まっている事実に矛盾する。そして、戦争がはじまると反戦論は弱まり、戦争がうまく行かないと反戦論の勢いは盛り返す。
 9.11の前、アメリカ政府代表はタリバン指導部とビン・ラディンについて何度も協議していた。しかし、このことはアメリカ国民に知らされることはなかった。
 イラクのサダムがイラクで絶対的な権力を握って行使するのをアメリカ政府は支援していた。イランに侵攻し、クルド人などに化学兵器を使ったとき、サダムは、アメリカの信頼できる同盟者だった。サダムは強硬な反共主義者だったので、CIAは資金その他の援助をふんだんにサダムに与えた。
 サダムが数千人ものイラクの共産主義者を処刑したことは、アメリカのスポンサーたちを喜ばせた。そして、1980年にサダムがイラン・イラク戦争を始めたことこそ、アメリカの大義にもっとも貴重な貢献をした。
 今日、アメリカで徴兵制の復活を提案しているのは、議会内の反戦派メンバーである。徴兵制が復活すれば、イラクやアフガニスタンのような国々でのアメリカの軍事行動は再考を余儀なくされるからという考えによる。
 戦争が大好きなアメリカについて、深く分析した面白い本です。
(2013年4月刊。2500円+税)

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