弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2013年9月18日

日本国憲法の初心

司法

著者  鈴木 琢磨 、 出版  七つ森書館

『路傍の石』の山本有三が日本国憲法の成立に深く関わっていたことを初めて知りました。直接的には、口語化ですけれど、広い意味では日本国民の意思を体現して現憲法の成立を推進したと言えると思いました。
 山本有三は1887年7月、栃木県で生まれた。一高から東京帝大独文科に入って学ぶ。一高時代、同級の近衛文磨と生涯と友となる。
 山本有三は強度の近眼のため、微兵検査で不合格となり、兵役は免れた。
 1920年に文壇にデビューしたが、1933年、共産党との関係を疑われて検挙された。
 戦後、日本国憲法をつくるというとき、山本有三は口語体にすることを強く主張し、口語体の文案をつくった。政府は山本有三の口語体文案をおおいに参考にしながら、現在の憲法をつくりあげた。
 山本有三は、戦後、1947年の参議院選挙に全国区から出馬し、9位で当選した。そして、無所属議員による緑風会に所属する。そして、文壇の大先輩である幸田露伴の死去にさいし、参議院本会議で追悼の演説をした。
 1956年の参院選挙のとき、自民党が憲法改正を叫んだのに対して、山本有三は次のように主張した。
 押しつけられた典に不満もないわけではない。いつかは改正しなければならないと思う。しかし、憲法改正は非常に重大なことであるから、軽々しく取り扱うべきものではない。
 本当にそのとおりですよね・・・。次に、山本有三の戦後の反省のコトバを紹介します。
 軍部や右翼がのさばったのは、たしかに不都合には相違ない。しかし、それをのさばらせたのは、国民の中にも何かがあったからではないのか。官僚や議員や報道陣が、常にときの権力に屈従しているのは、必ずしも彼らだけが悪いのではなく、そうさせるものが国民の中にもあるからではないか・・・。
 いのちを投げ出すことを最高の美徳と考えたり、それをほめたたえる思想は、封建主義的な思想だ。ヤクザ仁義の思想であり、軍国主義的な思想だ。こういう考え方、気風というものは、ぜひとも根だやしなければならない。
 日本は領土を広めようとして海外に乗り出したときは、必ず失敗している。
 「もし他国から攻撃を受けたとしたらどうするか」「武力をもたない日本は、ひとたまりもないではないか」
 この質問に対しては、逆に問い返したい。
 それなら、どれだけの兵力をもっていたら侵略をくいとめることができるのか?
 デンマークとナチスの例を考えたら、国防軍を備えていたところで、なんになったろうか・・・。問題は、どれだけ武力をもつかということではない。そんなものは、きれいさっぱりと投げ出してしまって、裸になることである。そのほうが、どんなさばさばするかもしれない。裸より強いものはない。なまじ武力なぞ持っておれば、痛くもない腹をさじられる。それよりは、役にも立たない武器なぞは捨ててしまって、まる腰になるほうが、ずっと自由ではないか。そこにこそ、本当に日本の生きる道があるのだと信ずる。
 戦前の厳しく辛い経験をふまえた山本有三の指摘は、今も生きているものだと思いました。
(2013年8月刊。1600円+税)
 稲穂が垂れて、畔に紅い彼岸花の咲く秋になりました。久しぶりに庭に出て、花を整理しました。
 夏のカンナを刈り、夜に芳香を漂わせる夜光木をカットしました。その隣には、エンゼルトランペットが黄色い花を咲かせています。
 娘が庭に植えていた芋を掘りあげました。なんとか食べられそうな芋を収穫することができ、さっそく秋の味覚として美味しく、みんなでいただきました。

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