弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2013年2月10日

拉致と決断

朝鮮

著者  蓮池 薫 、 出版  新潮社

著者は1957年に生まれ、1978年、21歳のとき、中央大学法学部3年に在学中に拉致され、以来24年間、北朝鮮での生活を余儀なくされました。
 何の落ち度もないのに、異郷の地に連れ去られ、仮面を被った生活を過ごさざるをえなかったのです。どれほど悔しい思いをしたことでしょうか・・・・。
 日本で考えられている自由の基準からすると、拉致被害者はほぼ完全に自由を奪われていた。「身体の自由」もままならない状態だった。行きたいところには行けず、連絡したい人とも連絡ができない。その理由は、拉致という事実、拉致被害者が存在するという極秘事項の漏洩と拉致被害者の逃亡を防ぐことにあった。招待所の周辺を散歩する自由くらいしかなかった。
 一番悔しかったのは、人生の幸せを追い求める自由を奪われてしまったことだった。
 著者一家は、日本人ではなく、「帰国した在日朝鮮人」と偽装した。著者たち拉致被害者が帰国できたのは、北朝鮮経済の不振が極限に達していて、指導部を窮地に追い込んでいたことによるものだろう。
 著者は子どもたちに日本語を教えなかった。それは、将来、工作員のような危険な仕事をさせられることのないようにするためだった。これは、夫婦で話しあって、ひそかに決めた。
 北朝鮮の社会はほぼ慢性的に食糧不足に苦しんでいた。だから、北朝鮮の人々は、食糧配給にことのほか敏感だった。引っ越しはもちろん、出張・旅行するときにも、配給制はついてまわった。配給制は、北朝鮮の人々の運命を大きく左右する国家のかなめの制度だったが、1990年代に入ってから、それがほころびを見せはじめた。
 子どもたちが寮に入ったとき、食べ物を小包で送ることはできなかった。届く前に郵便局員に奪われるのが常だったから。そこで、寮に戻る前に、子どもたちには煎った大豆をもたせた。十分に成長できないまま大人になってしまうのを心配して、1日2回、5、6粒ずつ数えて食べろと念を押して送り出した。うひゃあ、これはすさまじいことですね。
北朝鮮では、食べられるものが捨てられることなどない。
 節酒令や禁酒令は国民の健康や社会風紀維持のためというより、穀物(トウモロコシ)の浪費を防ぐのが重要な目的だった。著者も、トウモロコシが1粒落ちていても、拾っていたということです。厳しい社会環境ですね。日本にいると、とても想像できませんよね。
 著者は日本に帰国したあと、中央大学に復学し、今では著述業、翻訳家として活動しています。この本を読みながら、とても理知的な人だと思いました。
(2013年1月刊。1300円+税)

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