弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2013年2月 8日
カエサル(上)
ヨーロッパ
著者 エイドリアン・ゴールズワーシー 、 出版 白水社
本のオビの言葉に驚きます。
勝負師カエサル。
ええーっ、カエサルって、勝負師だったのか・・・?
陰謀と暴力に彩られた激しい政治抗争の時代、元老院議員がみな、おのれの野心のために競っていたなか、なぜカエサルだけがいつも失策を犯しながら勝ち残れたのか。現実主義カエサルの人生を彼自身の言葉に基づいて、気鋭のローマ史家が検証する。
こんなふうに書かれたら、大いに興味をそそられますよね。読まずにはいられません。いったい、カエサルって、どんな人物だったのでしょう。といっても、上下巻2冊、1冊400頁近い大作です。どんどん飛ばし読みしていきました。
カエサルは、最終的にローマ共和政の最高権力を掌握し、称号までは得なかったものの、あらゆる実質的な意味で王として君臨した。
のちにカエサルの養子であるオクタヴィアヌスがローマ帝国の初代皇帝となった。その後、血縁関係も縁組関係もないのに、以後の皇帝たちはみなカエサルと名乗った。
カエサルは貴族層の一家族の出身、しかもかなり目立たない家族の出身だったのに、事実上、最高かつ合法的な権力を象徴する称号となった。カイザーもツアーも、いずれもカエサルに由来する名称である。
カエサルは、8年間にわたるガリア戦役で、少なく見積もっても10万人を殺害し、それ以上の人々を奴隷とした。ときにカエサルは冷酷きわまりなく、大虐殺や処刑を命じたし、大量の捕虜の手を切り落としたうえで、解放したこともある。
カエサルが打ち負かした敵に対して慈悲を示したのは、敵がローマの支配を受け入れ、新しい属州で平和裏に税を支払う住民になることを望んだから。カエサルの態度は、冷徹なまでに現実的だった。
カエサルは道徳的な男ではなかった。多くの点で道徳心を欠いている。そして、慢性的な浮気性で、妻や数多くの愛人に対して不誠実だった。
カエサルは若いころから、自分自身が他人よりも優れていることを絶対的に確信していた。
カエサルは共和政下のローマに生まれた。何世代にもわたってローマ人男性の大部分が軍務を果たした。それ以降、フランス革命期の政府が大規模な徴兵制を導入するまで、同程度の国家がこれほどの割合の人員を一定の期間をこえて動員したことはなかった。
紀元前2世紀の中頃までは、人々が動員に抵抗することはあまりなかったようで、ほとんどの男性が喜んで兵役義務を引き受けた。
軍団兵にはきわめて厳しい規律が課せられたにもかかわらず、軍団勤務はとても魅力的だった。というのも、戦利品や名誉を得る見込みがあったからである。
軍は財産額に応じて区分された等級ごとに兵士を採用した。個々の兵士は、もっとも富裕な者は騎兵として、大多数は重装歩兵として、貧しい者や新兵は軽装歩兵として、従軍に必要な装備を自分で用意するように求められた。
土地がもっとも一般的な財産の形態だったので、軍国の中核を構成したのは農民だった。農民兵にとっては、手早く勝ちを収めたら、自分の畑の収穫に間に合うように帰還するのが理想的だった。
マリウスの志願兵の募集は、有産等級の代表から構成された市民軍から、圧倒的多数がきわめて貧しい人々から採用された職業軍へ移行するという重大な変化をもたらした。
貴族層にとって子どもの教育の場はもっぱら家庭だった。ローマでは子どもを無料の小学校に通わせるのは、中産階級の傾向であった。
カエサルの弁論は聴衆を大いに引き付けた。そして、その弁論を出版した。
紀元前1世紀のローマにおいて、貴族の妻たちはかなりの自由を謳歌していた。その多くが夫とは別に、結婚時の持参金をふくむ相当の財産を有していた。
娘は、少なくとも子どもの頃は、その兄弟たちと同じような教育を受けていた。ラテン語とギリシャ語を学び、文学と芸術について深い審美眼を養った。
ローマ最古の成文法典である十二表法には離婚についての規定はなかったが、長い伝統によって離婚は認められていた。共和制後期には、夫も妻も一方的に相方と離婚できた。夫が妻に「自分の物をもっていけ」と言うだけでよかった。
カエサルは有権者の支持を得るために惜しみなくお金をつかった。相当な私財を費やして道路や建造物をつくった。有名なアッピア街道もその一つ。また、大規模な剣闘士士会も開催した。
カエサルの競技会には320組の剣闘士たちが登場し、全員が銀で精巧に飾られた鎧をつけていた。ローマの人々は無料で開催された見世物や競技に舞中になった。
カエサルはヒスパニア属州総督に就任した。これは金もうけの機会だった。
カエサルは41歳のときにローマを出発し、担当する属州へと向かった。帰国したのは9年後のこと。カエサルが軍を率いて戦闘にのぞんだのは全部で50回にもなった。そして、『ガリア戦記』全7巻を書き記した。
ローマ軍のもっとも重要な強みは、その規律と命令系統にあり、彼らが集団として効率的に動くことを可能にした。各部隊を補助するために、ローマの軍隊は、アウクシリア(補助軍)と総称された他国の兵士たちに頼った。その多くは、現地で採用された同盟者だった。
ガリアは、いかなる意味でも国家ではなかった。ガリア人の軍勢はまとまりに欠け、長期間の戦役で戦場を維持するための兵站能力を有していることは稀であって、指揮官たちが兵を操るのは困難だった。
ヘルウェティイ族は36万8000人が移動した。その4分の1が戦闘可能な年齢の男性で、残りは女、子どもと老人だった。
カエサルは、ローマ軍国の兵士に対して、「お前たち」とか「兵士諸君」ではなく、常に「戦友諸君」と呼びかけた。彼も彼らも、全員が良きローマ人であり、敵と戦うことで、共和制に奉仕し、それに伴って栄光と戦利品を獲得したが、それを全員が共有するよう、カエサルは持ち前の気前の良さで配慮した。
以下、下巻に続きます。下巻が楽しみです。いよいよ、『ガリア戦記』のクライマックスが登場します。
(2012年9月刊。4400円+税)