弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2012年11月14日
憲法九条裁判闘争史
司法
著者 内藤 功 、 出版 かもがわ出版
知的好奇心を大いに刺激し、満足させる本です。若手弁護士が大先輩の内藤弁護士から聞き出すという仕掛けが見事に成功しています。難しい話を面白く、分かりやすく語るという狙いが見事にあたりました。そのおかげで、伊達判決の意義がよく理解できます。
砂川事件が起きたのは1957年9月のこと、立川にあった米軍基地の滑走路延長のための工事に反対運動が起きて23人の労働者と学生が逮捕され、そのうち7人が安保条約にもとづく行政協定に伴う刑事特例法2条違反で起訴された。
この一審判決を書いた伊達秋雄判事は、満州国で裁判官をやっていた。そして、最高裁判所で調査官もしていた。その伊達裁判長が原告の申請でもなく、職権で外務省条約局長を証人喚問した。裁判長は原告弁護団より一般見識が上だった。伊達裁判長は『世界』をよく読んでいたようだ。
日本政府がお金を出し、予算を出し、施設を提供し、物資を提供し、労務を提供しているからこそ、米軍が駐留していられるのだから、駐留米軍は憲法9条において日本が保持している軍隊にあたる。
ところが、この伊達判決を田中耕太郎・最高裁長官たちがひっくり返した。
田中耕太郎は、1950年と1951年、裁判所時報の年頭あいさつのなかで、中国やソ連は恐るべき国際ギャング勢力だと言っていた。田中耕太郎が駐日アメリカ大使に裁判の秘密を漏らしていたこと、その指示を受けていたことは、前に本の紹介のなかで明らかにしています。本当に許せない、でたらめな裁判官です。
日本本土にある自衛隊の基地がアメリカ軍と共用関係にある。つまり、日本の自衛隊基地は全部がアメリカ軍の基地と化しつつある。その意味で、日本にあるアメリカ軍基地は実質的にこの10年来増えている。アメリカ軍だけの専用基地はふえていないけれど・・・。
これがいまの安保の変質、量的、質的変化の実態である。日本人は、自衛隊を日本独自の軍事組織と思い込んでいるけれど、それは間違いである。
アメリカにとって対等な日米同盟というのは、日本の軍隊が外国へ行って、アメリカの青年が死ぬかわりに、日本の青年に血を流してくれるように頼みたいということ。
日本全国にアメリカ軍がいて、しかも、自衛隊がアメリカ軍と一体化しているということは、日本は世界一位の軍隊をかかえているということではないのか・・・。
軍隊の強さをはかるには、兵器だけを見てはいけない。兵器だけで、軍隊が動くわけではない。それを動かす人間はどうなっているのか、隊員が本当に戦闘のモチベーションをもっているか。戦争目的、軍隊としての堅確な意志をもっているかどうかが戦力の要素を左右する。
日本の自衛隊は従属的な軍隊なので、堅確な意思はもっていなかった。自衛隊とアメリカ軍の装備だけを比べてみても本質は分からない。
航空自衛隊の戦闘機の純国産はアメリカが許さない。故障したとき、部品がなくなったときに、日本はアメリカに頼らざるをえない。戦闘機を握るか握らないかというのは、日本の自衛隊の急所を支配する。また、日本のイージス艦の主要部分、コンピューターの主要部分はアメリカ製のもの。自衛隊の本質は、アメリカ軍との従属性、一体性にある。
自衛隊は、単独で海外攻撃する正面装備はそろっているが、それを単独でやり抜く仕組みにはない。その装備が生かされるのは、アメリカ軍との共同、アメリカ軍と一緒という仕組みのなかである。
反米の方向に行く皇国史観は、アメリカが許さない。
陸上自衛隊は、イラク派兵以降、米国陸軍との一体化がすすんでいる。と同時に、アメリカ海兵隊との連携、一体化を目ざしていて、少し複雑な両面をもっている。いまでは、日本の自衛隊だけが先進国のなかで唯一、アメリカに深く従属する軍隊である。
日本の自衛隊は、アメリカ軍の作戦指導に従うしかない。世界戦略と世界軍事情報の力で劣るので日本の自衛隊は従うほかない。アメリカ軍の情報・アドバイスによって自衛隊はコントロールされ、作業指導されている。
航空自衛隊の任務は、アメリカ軍基地からアメリカ空軍が発進していくのを守ること。日本の都市を守ることではない。
遠藤三郎・元陸軍中将は戦争は、なぜ、誰が起こすものなのか。結局、軍需産業が原因だということを強調した。兵器をたくさん作るためには兵器を消耗した方がいいので、兵器をつかう戦争が必要になる。だから、軍需産業、民間会社の利潤を目的とする企業が兵器を作っていたのでは、戦争はなくならない。
アイゼンハワーも大統領を辞めるときに、国を誤るのは軍需産業と軍人の複合体であると述べた。
憲法は何の役にも立たないとか、憲法9条は無力だとか言われることがあるが、絶対にそうは思わない。憲法の存在と、その憲法を守ってたたかってきた運動、憲法意識の普及と定着というものが自衛隊の太平洋統合軍構想や日米同盟の強化を阻止し、遅滞させてきた力なのだ。
砂川・恵庭・長沼・百里闘争は憲法を武器にした生命と暮らしを守るたたかいなのだ。逆にいうと、自衛隊反対というのを最初から真っ正面に揚げて突進したたたかいではなかった。
裁判は一つの学校である。弁護士としての道場。ここが腕をみがく稽古場になる。
憲法がある限り、この論争は絶対に勝つ。だから相手は憲法論争を極力避けるわけだ。避けないで、憲法の土俵の上に引き上げて論争する。
裁判官は、我々が思うほど、記録を読まない。前の記録を整理して読もうという気持ちはない。今回の法廷をいかに早くすますか、と考えている人が案外多い。そこで、毎回、一から整理して話してやる。書面で、杓子定規ではなく、ナマの言葉で強調すると印象に残る。くどいくらい話す。そうやってポイントに誘導していく。裁判官に一番大切なところに着目してもらう。裁判官は、ともすると逃げ腰になる。そこで、原告を勝たせる肚を決めさせることが必要である。
傍聴している原告団や支援者に到達点と展望をいつも示す必要がある。そうやって裁判の意義を徹底する。法廷の中で聞くとまた一般と印象深い。
防衛省は、本当に「人殺し」できる軍隊、兵隊をつくりたいと考えている。このとき、自衛隊は災害救助、人を救う、人を活かす仕事をやるべきだ、人を殺す仕事なんてやってはいけないという方向に国民世論が動いたら困ることになる。
自衛隊と隊員を本当に活かしてやりたい。若い隊員を外国の人との「殺しあい」の戦場になんか絶対に送りたくない。
私、自衛隊員を愛す。故に、憲法九条を守る。
よい言葉ですね。広めたいものです。いろいろ、大変示唆に富んだ話が盛りだくさんでした。
(2012年10月刊。3000円+税)