弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2012年11月 7日

東電福島原発事故、総理大臣として考えたこと

社会

著者   菅 直人 、 出版   幻冬舎新書 

 福島第一原発事故がいかに恐ろしいものだったのかを、当時の菅首相が暴いています。今も日本人の多くがぬくぬくと暮らせているのは、まったくの幸運にすぎなかったこと、3.11の直後、日本の首都が壊滅状態となり、日本経済が完全に行き詰まる寸前だったのです。
 そして、首相が浜岡原発の操業を許さないと指示すると、法律上の明文の根拠はなくとも電力会社は操業できないという関係にあることも明らかにしています。だからこそ脱原発を叫んだ菅首相は、よってたかって首相の座から引きずりおろされてしまったのでした。
 誰が引きずりおろしたのか?
 それは、アメリカであり、日本の財界であり、その意を受けて動いた民主・自民などの政治家です。まだまだ隠されているところは多いのでしょうが、かなり真実を暴いているのではないかと思いながら読みすすめました。
 原発事故は、たとえば火力発電所の事故とは根本的に異なる。
 火力発電所の火災事故だったら、燃料タンクに引火しても、いつかは燃料が燃え尽き、事故は収束する。ところが、原発事故では、制御できなくなった原子炉を放置したら、時間がたつほど事態は悪化していく。燃料は燃え尽きず、放射性物質を放出し続ける。そして、放射性物質は風に乗って拡散していく。厄介なことに放射能の毒性は長く消えない。プルトニウムの半減期は2万4000年だ。いったん大量の放射性物質が出してしまうと、事故を収束させても、人間は近づけなく、まったくコントロールできない状態になってしまう。
 原発事故が発生してからの1週間は悪夢だった。福島原発事故の「最悪のシナリオ」では、半径250キロが人々を移転させる地域になる、そこには5000万人が居住している。
 もしも5000万人の人々が避難するというときには、想像も絶する困難と混乱が待ち受けていただろう。そして、これは、空想の話ではなく、紙一重で現実となった話なのだ。原発事故は、間違った文明の選択に酔って引きおこされた災害と言える。
 人間が核反応を利用するには根本的に無理があり、核エネルギーは人間の存在を脅かすものだ。現在の法体系では、基本的には、原発事故の収束を担うのは、民間の電力会社であり、政府の仕事は住民をどう避難させるかということになっている。原災法上、総理大臣である原子力災害対策本部長は東電へ指示できることになっている。原子力事故を収束させるための組織がないのは、事故は起きないことになっていたから。そんな組織をつくれば、政府は事故が起こると想定していることになり、原発事故にあたって障害になるという理由だ。
 福島第一原発には、6基とも手がつけられなくなったら、どうなるのか。ぼんやりとしていた地獄絵は、次第にはっきりとしたイメージになっていた。東電本店では、当時、福島第一原発の要員の大半を第二原発に避難させる計画が、トップの清水社長をふくむ幹部間で話し合われていたことは証拠が残っている。
 しかし、東電の作業員たちが避難してしまうと、無人と化した原発からは、大量の放射性物質が出続け、やがては東京にまで到達し、東電本店も避難地域にふくまれるだろう。
 原発事故の恐ろしさは、時間が解決してくれないことにある。時間がたてばたつほど、原発の状況は悪化するのだ。だから、撤退という選択肢はありえない。
 誰も望んだわけでなはないが、もはや戦争だった。原子炉との戦い、放射能との戦いなのだ。日本は放射能という見えない敵に占領されようとしていた、この戦争では、一時的に撤退し、戦列を立て直して、再び戦うという作戦をとれば、放射性物質の放出で占領が上界し、原子炉に近づくことは一層危険で、困難になる。そして、全面撤退は東日本の全滅を意味している。日本という国家の崩壊だ。
私たちは、幸運にも助かった。幸運だったという以外、統括のしようがない。そして、その幸運が今後もあるとは、とても思えない。
 中部電力に対して、稼働している原発を止めろと命令する権限は、内閣にはなかった。そのため「停止要請」という形をとったが、許認可事業である電力会社が要請を断る可能性はないと考えていた。実際、中部電力は浜岡原発の停止を決めた。
「イラ菅」と呼ばれていた首相ですが、原発の危険性は本当に身にしみたと思います。多くの日本人が読むべき本だと思いました。原発なんて本当にとんでもない存在です。
(2012年10月刊。860円+税)

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