弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2012年10月 1日

リンチンチン物語

アメリカ

著者   スーザン・オーリアン 、 出版    早川書房 

 テレビで「リンチンチン物語」をみたという記憶はありません。それより、「名犬ラッシー物語」のほうは、今でもはっきり覚えています。庭のある広い家の食堂で、少年が登場して新鮮なミルクを大きなグラスで腹一杯のんで立ち去る光景です。アメリカ人って、なんて豊かな生活をしているのだろう、そんな憧れを抱きました。
 このリンチンチンはジャーマン・シェパードです。ドイツで軍用犬として誕生して活躍していました。この本は、ジャーマン・シェパードの誕生から、戦場での活躍ぶりまで調べて詳細に教えてくれます。もちろんアメリカでの無声映画、トーキーそしてテレビのドラマに出演するまでも明らかにしています。犬派の私には、こたえられない一冊でした。
 第一次世界大戦には、1600万匹の動物が配置された。さまざまな種類の動物だ。イギリスのラクダ部隊は、何千頭もの気性の激しいラクダを誇っていた。騎兵隊は100万匹近い馬を使っていた。何千頭ものラバが荷馬車や梱包した荷物を引いていた。何十万羽もの伝書鳩が伝言を運んだ。
犬はいたるところにいた。ドイツでは1884年に世界初の軍用犬訓練学校が設立され、3万頭の犬が任務についた。アメリカ以外のすべての国が戦争で犬を利用していた。アメリカ軍が犬の価値を評価したときには、もはや手遅れだった。そこで、必要に応じて、アメリカはフランス軍やイギリス軍から犬を借りた。
 犬はメッセンジャーとして働いた。衛生犬とか救助犬として知られる赤十字の犬は、戦いの終わったあの戦場で活躍した。犬たちは、医療品を手に入れたサドルバッグをつけたまま死傷者のあいだを歩きまわった。死体犬もいた。犬は兵士が生きているか、死んでいるか、においで嗅ぎわけた。煙草犬もいた。煙草を詰めたサドルバックをつけたテリアは、隊員のあいだを回って煙草を配るように訓練されていた。
 世界中の人々がジャーマン・シェパードを初めて目にしたのは戦争で、だった。
 ドイツ軍は、犬を高く評価しており、犬は「重要な将軍」とみなされていた。
 リンチンチンは、1918年9月に第一次大戦の激戦地であったフランス東部の戦場で生まれた。
 1920年代、映画はほとんどすべてのアメリカ人の世界に根をおろしていた。アメリカ人2人のうち1人は、毎週、映画をみた。動物は映画で人気だった。人間に都合が良かった。すぐに手に入り、出演料を払う必要がなく、簡単に指示したり、自由に操ったりできた。
 リンチンチンは、たった一本の映画で有名になった。リンチンチンあてのファンレターが何千通も毎週、映画製作会社(ワーナー・ブラザーズ)に配達された。当時、テレビはなく、映画が新しいエンターテインメントの形だった。ヒット映画は、誰もが見たがるショーであり、全国的なイベントだった。リンチンチンが映画のスクリーンに登場するきっかけになったのは、その運動能力だ。しかし、スターにしたのは演技力だった。
 1920年代の半ば、映画ビジネスはアメリカの10大産業の一つに成長していた。人口1億1500万人なのに、毎週1億枚近いチケットが売れた。おもにリンチンチンのおかげで、ワーナー・ブラザーズは繁盛していた。
 オスカーは獲得できなくても、リンチンチンは始終ニュースにとりあげられていた。ペットの王、映画の有名な警察犬、奇跡の犬、スクリーンの奇跡の犬、世界一の奇跡の犬、傑出した知性をもつ犬、驚嘆すべき映画犬、アメリカでもっとも偉大な映画犬・・・・。
 初めてリンチンチンが有名になったころ、世界中の大半の犬はおすわりすらできなかった。犬は仕事をするものだった。羊を集めたり、見知らぬ人間に吠えたり。だが、行儀よく振るまうという考えは、まったく存在しなかった。犬は農場や牧場などの戸外で暮らしていたので、エチケットはほとんど要求されなかった。それもあって、リンチンチンの映画や舞台での行動は驚異的だとみなされた。
 1939年にナチス・ドイツの電撃戦が始まったとき、ドイツは20万匹の犬の軍隊を所持していた。ヒトラーは、ジャーマン・シェパードを溺愛し、同じベッドで眠らせていた。
 犬について、さらに認識を改めさせてくれる本でした。
(2012年5月刊。2500円+税)

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