弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2012年10月14日

舟を編む

社会

著者    光浦 しをん 、 出版    光文社 

 辞書は、モノ書きを自称する私にとっては必須不可欠なものです。いまも本の最終校正の真最中ですが、辞書を引く手間を惜しまないようにしています。思い込みによる間違いも多々ありますし、何より同じ言葉を繰り返さず、異なった表現にするためには辞書を引いておかないと、とんだ恥さらしをしかねません。
 この本は、辞書づくの過程を面白く、ドキドキワクワクの世界に仕立て上げたものです。思わず応援したくなります。なんといっても、言葉との名義性には目を大きく見開かされます。
 めれんという言葉をはじめて知りました。慌てて私の愛用する角川国語辞典で探しましたが、幸いのっていませんでした。酩酊を意味する言葉です。「仮名手本忠臣蔵」に出てくる言葉のことです。
それにしても、声という言葉に、季節や時期が近づくけはいという意味があったなんて。信じられません。でも、たしかに「四十の声を聞く」という文章はありますよね・・・。
 辞書は、言葉の海を渡る舟だ。だから、海を渡るにふさわしい、舟を編む。
ここに、この本のタイトルは由来しています。
 辞書を作るのに、何年、いや10年以上かかるのは珍しくない。そして出来上がった辞書は出版社の誇りであり、財産だ。人々に信頼され愛される辞書をきちんと作れば、その出版社の屋台骨は20年は揺るがない。
山にのぼるとは言うが、山にあがるのが、まず言わない。天にものぼる気持ちといっても、天にもあがる気持ちとも言わない。なぜか?
 「こだわり」の本来の意味は、拘泥すること、難癖をつけていること。だから、いい意味で使ってはいけないのだ。そうだったんですか・・・。これまた、知りませんでした。
 辞書用の紙は特殊なもの。厚さは50ミクロン。重さも、1平方メートルあたり45グラム。そして裏写りはしない。問題は、ぬめり感。指に吸いつくようにページがめくれる。しかも、紙同士がくっついて複数のページが同時にめくれてしまうことがない。
 辞書づくりの人は用例採集カードを常時もって歩いている。何か目新しいコトバに出会うと、その場ですぐにカードに書きとめる。
 うむむ、辞書の作成にかかわる人々は、相当重症のオタクとみました。でも、そんなオタクの人々が、日本の文化を下支えしているのですね。とても面白い本でした。
(2012年2月刊。1500円+税)

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2012年10月13日

ロッシュ村幻影

ヨーロッパ

著者   井本 元義 、 出版   花書院 

 仮説アルチュール・ランボーというサブタイトルのついた本です。著者は私と同じ日仏学館で学ぶフランス語仲間です。
 会社を定年で辞めてフランスに何ヶ月間か住むという優雅な生活を過ごしています。そして、ランボー研究に精進しているのですから、すごいものです。
 パリでは、安い屋根裏部屋を借りて長期滞在するとのこと。料理なんかはどうするのでしょうか。自炊なのでしょうか。
 ランボーは、1891年11月、37歳の若さで亡くなります。
 ランボーを悩ませ走らせたのでは、それが歓びとして昇華されることがあっても、荒れ狂う言葉の群れとの葛藤だった。そして片方では、新たな言葉を吸い込もうとしている砂地のように乾いた脳の奥底があった。何千冊の読書をこなしても言葉は一瞬のうちに吸い込まれた。言葉は狂乱して止むことはなかった。輝いてリズミカルに跳びはねた。目ぼしいものを見つけると、遠い彼方の空間からも言葉が飛んできた。その音に共鳴して、さらなる言葉が襲来してきた。そして規則正しく配列して決して終わろうとしなかった。独りでに言葉が口をついて出してきた。単語そのものが音と色を放った。それらを詩にして紙に書きなぐったとしても収まることはなかった。それは激しい性欲に似ていた。満たされても満たされなくても、すぐに次の衝動は起こってきた。さらに激しくなって。
 ランボーはパリ・コミューンが成立する騒乱のパリに向かった。そして、1871年5月、パリ・コミューンが弾圧され兵士が虐殺されていくなか、ランボーはパリ脱出が成功した。
 ランボー自身の心理描写と著者の心象風景が混然とした小説風のエッセイでもあります。昨年(2011年)は、アルチュール・ランボーの没後120年だったとのこと。
 アフリカの闇に11年間もランボーが沈み込んでいた謎に迫ろうとする意欲にあふれた本でもあります。贈呈いただき、ありがとうございました。
(2011年10月刊。1800円+税)

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2012年10月12日

テレビは原発事故をどう伝えたのか

社会

著者   伊藤 守 、 出版   平凡社新書  

 ふだん、リアルタイムでテレビを見ることはまったくない私ですが、さすがに去年の3.11のときには、日本はこれからどうなるのかという不安とともにテレビを注視していました。
この本は、テレビが原発事故をきちんと国民に伝えていたのかどうか、それを検証しています。
 結論としては、ノーと言われざるをえません。「大本営発表」と同じで、心配ないと根拠なく繰り返した政府発表をなぞっただけでした。
 政府の「ただちに人体に影響のあるものではない」との発表をただ繰り返すだけのテレビ報道に対して、多くの人が不安や苛立ちをいだいた。
 NHKの解説は、政府の会見内容をより詳しく説明し、解説することに終始した。
だから、NHKって、本当に公共放送なのか、政府を唯一のスポンサーとする民法なのではないかと思ってしまうのです。
福島第一原発から飛散する放射性物質の量がはっきりしていないのに、放出される放射能は微量だと断定的に主張され、かつ、健康への被害はないと断定された。ところが、政府の中枢も、警察も、すでに放射能が飛散していることを承知していた。メディアは、その事実を把握できていなかった。
3月11日の15時30分に1号機が爆発した。日本テレビ系列の副島中央テレビのカメラがとらえていた。ところが、この映像が日本テレビ系列の全国ネットで放映されたのは、爆発から1時間14分も過ごした16時50分だった。
テレビは、政府や保安院の発表に依拠して、事態をむしろ楽観視する方向にリードしていった。政府発表にのみ依拠して、傍観者的に事態を説明するだけ。
 「即、人体に影響が出る値ではない」
 私たちは、3.11のあと、何度となくこのセリフを聞かされました。でも、本当でしょうか・・・???即死しなくても緩慢死というものがありますよね。本当に心配です。
(2012年6月刊。780円+税)

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2012年10月11日

続・アメリカ医療の光と影

アメリカ

著者   李 啓充 、 出版   医学書院 

 アメリカで、なんら医療保険を有しない無保険者が年々増え続けているのも、「負担の逆進性」が医療保険制度の隅々に張りめぐらされていることが大きな原因。
 つとめていた企業をレイオフされたり病気で失職すると、収入が減るだけでなく、保険料負担に耐えかねて、無保険者になってしまう。
 医療保険制度を市場原理で運営したとき、弱者が容易に切り捨てられ、無保険者となってしまう事態は避けられない。弱者の典型は、高齢者・障害者・低所得者であるが、これらの弱者が医療へのアクセスを拒否される事態を放置したら、社会そのものの存立が危うくなりかねない。
 「アメリカの医療は世界一」というイメージとは裏腹に、ことアクセスに関しては、アメリカは先進国中で最悪である。無保険者が国民の7人に1人(4600万人)という現実は、それだけで悲惨だ。
 国民の6人に1人といわれるメディケイド被保険者(5000人)を潜在的無保険者として数えると、アメリカでは実に国民の3人に1人が無保険者あるいは潜在的無保険者になっている。
 アメリカが公的医療保険の運営に投じている税額は国民1人あたり年額2306ドルに上り、これだけで日本の一人あたり医療費総額2130ドルを上回る。
 アメリカの「2階建て」医療保険制度は、社会全体としてべらぼうに高くつく制度となっている。医療保険制度を市場原理に委ねることの愚かさは明らかである。
 1970年の段階では、カナダもアメリカも医療費支出はGDPの7%ほどで同じだった。しかし、国家として「公」の医療保険制度を整えてきたカナダが、現在、GDPの9%しか医療費に支出していないのに対し、頑迷に「民」の医療保険制度を保持しているアメリカはGDPの15%を支出するまでになった。しかも、カナダでは、国民の医療へのアクセスが完全に保証されているのに対し、アメリカでは国民の7人に1人が無保険者であり、「公」と「民」の医療保険制度は、21世紀の今、完全に明暗を分けている。
だから、GMなどアメリカの大企業のホンネは、ヨーロッパやカナダ、日本のような「公」の医療保険制度をアメリカにもつくりたいというところにある。
 しかし、それを拒んでいるのがアメリカの保険会社である。市場原理の下で、アメリカの保険会社は、健常者を優先的に保険加入させる一方、医療サービスの質と量に厳しい制限を課す「利用審査」とか、患者の受療意欲を削ぐためのあの手、この手によって「医療にお金を使わない」ことに全力を傾涙している。
 アメリカの民間保険に個人で加入したときの保険料は、たとえば年間160万円と、日本では考えられないような高額なものとなる。それでも、保険料が高くても加入できればまだいいほうで、既住疾患を理由に保険会社が加入を断ることを認めている州のほうが多い。たとえば、子どもがニキビで高価な抗生物質を使用したことが「既住疾患」にあたるとして、家庭全体の保険加入を断られる例が続出している。
 ところが、その一方で、保険会社のCEO(経営者)には、220万ドル(2億2000万円)のボーナスを払っている。日本の財界も同じシステム、超高給とりを実現しつつありますよね。労働者の非正規雇用を増やして、自分だけはいい思いをしようというのです。
 アメリカの50歳以上の壮・高年層は全人口の4分の1を占め、その半数3500万人がAARR会員である。このAARRが巨大なパワーをもって医療や年金を守っているアメリカの団塊世代に比べて、学生時代をヘルメットをかぶってゲバ棒をもって暴れ回っていた日本の団塊世代は、自分たちの命を守るべき医療がおかしな方向へ向かっていることに、なんでこんなにおとなしくしていられるのか、不思議でならない。
そうなんです。今こそ私たち団塊世代は怒りをもって声をあげ、行動に移すべきです。かつてのように首相官邸を大きく取り囲むべきでしょう。
 最後は、池永満弁護士との対談でしめくくられています。アメリカのように日本はなってはいけないと痛切に思いました。
(2009年4月刊。2200円+税)

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2012年10月10日

地方都市のホームレス

社会

著者   垣田 裕介 、 出版    法律文化社 

 ホームレスの人々がいるのは、決して大都会である東京そして福岡市だけではありません。福岡県内の小都市にも少なからず存在しています。この本は大分市のホームレスの実情を聞きとりしつつ究明しています。
日本の野宿生活者は、1990年代に著しく増えた。2002年8月ホームレス自立支援法が制定、実施された。
 ホームレスのうち野宿生活をしていないものを、「野宿状態にないホームレス」と呼ぶ。厚生労働省によるホームレスの目視による概数調査の結果、全国には2003年に2万5千人、2007年に1万8千人、2008年に1万6千人を割るといった減少傾向にある。
野宿生活者は50~60代に集中している。野宿が5年以上の者が4割強。
 生活保護を野宿生活者が申請したとき、路上、公園のままでも開始決定するのは、自治体の2割にすぎない。
野宿生活者のなかで女性が1割を占める。
野宿生活の7割は収入のある仕事をしていて、その7割はアルミ缶などの廃品回収する都市雑業である。1割は建設日雇。仕事をしている者の平均月収は4万円。
年金を受給しながら野宿生活している人の年金月額は3万円、8万円、10万円そして14万円となっている。借金をかかえているため、その取立から逃れるため、野宿をしている。
 収入としては、自動販売機やコインパーキングのおつり拾いもある。食事としては、パン屋が廃棄する売れ残りのパンがある。コンビニの賞味期限切れ弁当は、以前と違って食べられなくなった。コンビニ側が食べられないようにしているから。
 野宿生活者の4分の1が、ひとり親世帯に生まれ育っている。
野宿生活者の最終学歴は、中学卒業が5割強、高校卒業(大学中退をふくむ)が4割強。
刑務所から出所した者が、野宿生活をすることも少なくない。
地方都市でもホームレスが増えているということは、それだけ家族の絆が弱まっているということですよね。人と人とのつながりをもっともっと強めたいものです。
(2011年6月刊。3000円+税)

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2012年10月 9日

挑戦する脳

著者   茂木 健一郎 、 出版   集英社新書  

 人間の脳の成り立ちは複雑で、多様である。脳の100億の神経細胞がお互いにどのような結合し、パターンを作るのか。その組み合わせの数は、無数にある。
天才とは、すなわち世間の既成概念にとらわれずに物事をなす人のことである。高度な創造性を示した人は、物理世界に提示される情報に支えられた視覚的一覧性に拘束されずに考え、感じるということを実行していたケースが多い。
 人生は続く。なんとか生きていかねばならない。ながらえる術(すべ)を見出さなければならない。そのとき助けになる「認知的技術」の一つが「笑い」である。
 「笑い」の背後には厳しい人生の現実がある。不安がある。恐怖さえある。「笑い」は、存在を脅かす事態に対して脳が機能不全に陥らないための、一つの安全弁である。そして、「笑い」は私たちが生きるエネルギーを引き出すことのできる、尽きることのない源泉なのだ。人は、笑うことができるからこそ挑戦し続けることができる。
大らかに笑うことができる人が、結局のところもっとも深く人生の「不確実性」というものの恵みを熟知している。杓子定規な真剣さは、往々にして臆病さの裏返しでしかない。
 本来、人間の脳のもっともすぐれた能力は、何が起こるか分からないという生の偶有性に適応し、そこから学ぶことである。予想できることばかりではなく、思いもかけぬことがあるからこそ、脳は学習することができる。
 今の時代、日本人は、「挑戦する」気持ちが足りないとされている。なぜ、日本人は「挑戦しない脳」になっているのか?
 脳は、自分の置かれた環境に「適応」する驚くべき能力を持っている。この世に生まれ落ち、育っていく中で、周囲の環境に合わせて脳の回路が形成されていく。日本人が「挑戦しない脳」になっているとすれば、挑戦しないことの方が適応的であるという、そんな因子があるのに違いない。
人間の脳は、本当に不思議です。たとえば、人前で話すとき、あらかじめ思っていたこととかなり違う話を自然と口にすることがあって、我ながら驚くことがしばしばあります。そんなとき、いったい、この思考回路は誰に指示されているのかと不思議に思えてなりません。
 これも100億個の細胞と無数の回路の組み合わせのなせる技(わざ)なのでしょうね。
 脳への関心は尽きることがありません。
(2012年7月刊。740円+税)

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2012年10月 8日

大往生したけりや医療とかかわるな

人間

著者   中村 仁 、 出版   幻冬舎新書  

 40歳になってから20年以上年に2回、1泊ドッグを続けています。でも、幸いなことに病欠したことは弁護士生活40年近くの今日までありません。1泊ドッグは私にとって読書タイムなのです。分厚い本を6冊もち込み、読了してきます。
風邪で寝込むということもありませんが、風邪気味になることはあります。そんなときは、卵酒を飲んで早々に布団にもぐり込みます。西洋医学には頼りたくありませんので、薬を飲むことはありません。いえ、皮膚科は別です。自然に近い生活をしているので、虫さされなどは避けられません。それにハゼマケにもなります。そんなときには皮膚科からもらった軟膏の効き目が抜群です。
 この本は、れっきとした医師が、西洋医学に頼りきるのは考えものだというのですから、説得力があります。
 そうだ、そうだ、そうだよねと思いつつ読みすすめていきました。そして、「がん検診」とか「人間ドッグ」に疑問を投げかけています。最近、私の身内にがんが見つかって手術をした人がいます。目下、抗がん剤の投与を受けています。
 果たして抗がん剤を受けたほうがいいのか、私には疑問があります(使いたくないということです)。でも実際に、自分がそう診断されたらどうするか、まったく自信はありません。
 この本で、そこまでやるかと思ったのは、自分の葬儀をリハーサルのようにやってみるというところです。
 私などは、死後は「無」というか「空(くう)」の世界に同一化するだけ、意識はないと考えていますので、そんなリハーサルは本当に必要なの?・・・と思うだけです。
 いずれにしても、西洋医学だけ、薬漬けだけにはなりたくありません。
(2012年5月刊。760円+税)

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2012年10月 7日

天一 ・ 一代

日本史

著者   藤山 新太郎 、 出版    NTT出版 

 面白い本です。車中で夢中になって読みふけっていました。奇術を見るのが大好きな私ですので、ゾウが消えた、あのイリュージョンはどんな仕掛けだったのだろうか・・・。両手の親指をしばったまま、目の前にある棒を通過させる技は一体どうなっているのか。不思議でなりません。
 でも、同じ芸をずっと見せられ続けていると客はあきが来る。それをカバーするのが話術だ。ここらあたりの説明は、なるほどなるほど、人間の微妙な心理をよくとらえていると感心します。
 大がかりな仕掛けだけでは、決して興行としてはうまくいかないというのです。そこでは、巧みな話術と人間性で勝負するというわけです。ふむふむ、そうなのか・・・。
この本は明治期に活躍した松旭天一の波瀾万丈の生涯をよくよく調べて紹介しています。すごいんです。日本で成功して、アメリカに渡り、そこで苦労して成功すると、今度はヨーロッパに渡って大成功をおさめます。ちょうど日露戦争のころ。日本人ってどんな人種なのか知りたい、見てみたいというヨーロッパの人々の好奇心にこたえることにもなって興行は大成功。そして、日本に帰国して、あの歌舞伎座で上演して画期的に成功したのでした。なにしろ持てる財産(1億5000万円)全部を投げ出してしまったというのです。そして、それを全国巡業で取り戻したというから、さすがです。
芸人にとって名前は重要だ。不遇な芸人は、とにかく卑屈な名前や洗練されていない名前をつける。大きくなる芸人は初めから大きい名前をつける。
 天一は、実子は誰も奇術師にせず、養子のみを奇術師にして、天二と名付けた。
 天一の声は太い胴間声で、実によく台詞が通った。天一は穏やかで丁寧な言葉づかいをしたから、多くの地位ある人に支持された。天一は、カイゼル髭を生やし、大礼服を着、堂々たる姿勢、綺麗な言葉づかい、舞台のマナーの良さがあった。
仕掛けの道具を入手しただけでは観客の心はつかめない。奇術師自身が立派で大きくなければ観客は呼べない。
 水芸の前半は、ひょうきんな芸を見せる。後半には、表情をほとんど入れず、堂々と構えたシリアスな演技に切り替える。まるで神々が無心に遊んでいるような天上の世界を見せようとした。そのため、天一は、表情を取り去り、まるで全能の神のごとく、何ら思い入れをせずに淡々と演じる。すると観客は、水芸を見ているうちに、どんどん高みに昇っていったような錯覚を覚え、日常を超越した世界に到達する。それは天一が生涯かけて表現したかった世界であり、この神々しい世界を当時の観客は絶賛した。
 奇術師が不思議を提供するだけで生きていけるのなら、その技のみに専念すればよい。しかし、現実には、それでは生きていけない。なぜなら、不思議は成功すればするほど観客に緊張を強いてしまう。緊張が連続すれば観客は疲れてしまい、奇術を見ることが楽しみにつながらない。そうなると、奇術は芸能として失格だ。そこで、奇術師は不思議を強調しつつ。冗談を言い、寸劇を演じ、緊張を和らげる。実は笑いはマッチポンプなのだ。奇術師は不思議を演じ、緊張を強いながらも、笑いで目先を変え、別の世界に連れ出し、緩和を提供する。こうすることが息長く観客に愛される秘訣なのだ。変な職業である。
 ここが分からず、不思議ばかり見せ続ける奇術師は恵まれない結果に終わる。もっともギャグの多すぎる奇術師もいけない。初めからおしまいまで馬鹿馬鹿しいと、すべてが嘘くさくなる。まず、観客が本気にならないことには奇術は成功しない。十分に不思議がらせて、そのうえで観客が入り込む余地を残しておく、ここのさじ加減が難しい。天一は、そこがうまかった。
 大きな成功をつかむためには、よい観客層を集めなければならない。よい観客はよい劇場にしか来ない。
 日本の奇術が目ざしていたものは演劇であった。日本の奇術は、歴史的にも、なぜそうなのか、なぜそう演じるかの背景をつくりあげている。演劇をみるのと同じように人物と情景を掘り下げて語っていく。
 天一は、弟子の誰にでも奇術を教え、隠すところがなかった。天一は弟子の長所を見つけ出すのがうまかった。その結果、数々の弟子が育ち、松旭斎の一門は天一の没後100年の今日に至るまで繁栄している。弟子たちの努力によって一座は引退間際まで大入りを続け、天一は有終の美を飾ることができた。
 天一は明治45年(1912年)、59歳で病死した。直腸がんだった。
 奇術に少しでも関心のある人には、こたえられない一冊です。
(2012年7月刊。2300円+税)

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2012年10月 6日

筑前竹槍一揆研究ノート

日本史(明治)

著者   石瀧 豊美 、 出版    花乱社選書 

 明治6年(1873年)6月に福岡県内で起きた竹前竹槍一揆は、参加者20万人とも10万人とも言われ、処罰されたものが6万4000人にもなる最大規模の一揆です。
 明治6年6月、大旱魃(かんばつ)を背景として、嘉麻郡の一角に起こった農民一揆は、たちまち筑前全域に広がった。一部は筑前地方をまきこみつつ、一揆の参加人員は30万人(少なくとも10万人)と言われる。福岡城内にあった福岡県庁の焼打ちにまで発展する空前の大一揆となった。
 福岡城内にあった福岡県庁といえば、現在、舞鶴中学校のあるところですから福岡の地裁・高裁のあるところの近くですよね。
 この一揆が何を要求していたかということについて、著者は「解放令」反対を揚げていた事実を直視すべきだとしています。この一揆は、その過程で、被差別部落2000戸以上の家屋を意図的に焼き払った。そして、そのとき、部落外に類焼しないよう細心の注意を払っていたことを明らかにしています。
 「解放令」が出た後の被差別部落民の積極的な行動が、一般民衆の目には傲慢とうつり、次第に発火点に達して、一気に爆発したのが竹槍一揆なのである。解放令が出たのは、明治4年のこと。
 一揆勢は、部落は有無をいわさず焼くが、部落以外は一軒も焼かないように、失火にすら気をつけるという見事な統制ぶりを示した。
 「解放令」は農商民と被差別民との間に妥協なき日々の戦いを強いることになり、筑前竹槍一揆勃発の直前まで、差別・反差別のせめぎあいが、ときに竹槍・刀で武装する戦いにまで至っていた。
 民衆が新政に反対し、ことに被差別部落の焼き打ちに及んだ背景には、政府が文明開化政策についての啓蒙を怠っていたこと、あまりにも急激な変化が矢継ぎ早に相次いだことがあげられる。民衆にとっては、これまで安住できた生活空間が破壊される恐怖感につながった。明治6年の筑前竹槍一揆については、私たちはもっと認識してよいと思います。昔の人は政府への怒りをストレートに行動に示していたのですから・・・。
(2012年5月刊。1500円+税)

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2012年10月 5日

マインド・コントロール

社会

著者   紅藤 正樹 、 出版    アスコム 

 今もオウム真理教の信者が全国に1500人もいるそうです。信じられない現実です。出家(専業)信者400人、存家信者1100人です。そして、あの死刑囚の麻原を今も教祖としてあがめているというのですから、世の中は一体どうなっているのかと、歯がゆい思いがつのります。これは、橋下現象なんていう浮ついたブームが起きるのと本質的に同じことなんでしょうね。当の本人たちは深く考えているつもりでも、実は肝心の足元をしっかり見ていなくて、流されるままだということでしょう。
 「依存心」は、マインド・コントロール状態に置かれた人の心理状態において、もっとも重要な要素の一つである。
 マインド・コントロールを施されると、以前にも増して活発になる場合の方がむしろ普通である。
 マインド・コントロールは強迫な手法なので、強迫に耐えきれなくなると、被害者がパニック障害を発症したり、うつ病を発症したりするケースがある。
 マインド・コントロールされた人を取り戻すとき、司法手続や警察に頼るだけではほとんど効果がない。脱会は心の問題なので、脱会カウンセラーの意見を聞くことと並行してすすめる必要がある。
中途半端な方法を親がやればやるほど、かえって親に対する憎悪心がふくらみ、親との断絶がすすんでしまう。
脱会後、精神的に急激に落ち込んだり自己嫌悪に陥ったりしてしまうことがある。精神的な高揚感そのものが、精神を強く抑圧するマインド・コントロールの後遺症なのだ。抜け出そうとして再び精神的な高揚感を求めて、新たな信教にはいることも珍しくはない。
だから、きちんと話しのできる人によるカウンセリングを受ける必要がある。
脱会させても、場所の次に心を引き離すプロセスが重要。戻ってきて、「もう大丈夫」と判断してカウンセラーや弁護士の世話になる必要もないと思うと、かえって失敗してしまうケースが少なくない。本当に立ち直るまで、最低でも1~2ヵ月、場合によっては何年もかかることがある。
日本は、カルトの世界的な穴場であり、カルトの世界的な吹きだまりになっている。日本は、カルトに対して、もっとも甘い。だから統一協会がもっとも繁栄することができた。
カルトにはまった子どもを前にして、親は子どもをほとんど説得できないものだ。自分がいちばん知っているという発想自体が、子どもに対する強引な押しつけなので、親との関係は悪化し、子どもは元のカルトに戻ってしまう。
マインド・コントロールは、ある日突然、パッと解けるもの。ただし、脱マインド・コントロールは、元の人格に戻すという変化をもたらすだけのこと。たとえば、優柔不断な性格の人は、元の優柔不断な性格に戻るだけ。だから、カルトから抜け出しても、社会に出ると、自分の努力が大切なのだ。
 フランスには、「無知・脆弱(ぜいじゃく)性不法利用罪」というものがあって、マインド・コントロールするものは3年の拘禁刑と37万5千ユーロの罰金に処せられる。
 統一協会は、その教祖(文鮮明)と本体の組織が日本で逮捕・処罰されたことがないそうです。驚きます。しかし、日本でも、フランスにらなった法律を検討すべきだという気がします。いかがでしょうか・・・?
(2012年6月刊。952円+税)

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2012年10月 4日

ソハの地下水道

ヨーロッパ

著者   ロバート・マーシャル 、 出版   集英社文庫  

 「シンドラーのリスト」と同じように、実話にもとづいた映画の原作です。まだ映画はみていませんが、ポーランドの小都市の地下水道に、子どもを含むユダヤ人11人がポーランド人の労働者に助けられて、ナチス・ドイツが撤退するまで14ヵ月も隠れていたというのです。すごい話です。早く映画をみてみたいと思いました。
 場所は現在のウクライナです。当時はポーランドの領内でした。ルヴフという小さな都市です。
 彼らは1943年6月1日に下水道に入り、1944年7月28日に地上へ出てきた。この間の14ヵ月を下水道で過ごした。どうやって・・・?
 ユダヤ人たちは地下室の床を掘り下げていき、下水道に出ようという作業が始まった。石灰岩のブロックを少しずつ削りとり、ついに縦坑が貫通した。下水道に通じることが出来た。そして、そこで下水道を管理しているポーランド人労働者と出会った。
 「力を貸すことはできるが、タダで、というわけにはいかない」
 「あんたらを密告すれば、ヒーローだ。ところが助けようとしても、もしそれが見つかったら・・・」
 「銃殺なんてものではない。女房も子どもも街頭の柱から吊されるんだよ」
こんなやりとりでも、結局、ポーランド人労働者は密告しませんでした。
ナチスがユダヤ人絶滅作戦を開始した。縦坑の存在を聞きつけたユダヤ人が続々と地下室に集まってきた。そして、次々に地下水道へ逃げ込んでいく。総数は400人から500人。でも、地下水道を流れる川におぼれ死んだり、我慢できずに地上に出て、次々に死んでいった。それでも100人は残った。いったい、100人もの人間が狭い都市の地下水道にいつまで隠れておれるものか・・・。
 ポーランド人は労働者のリーダーであるソハは4日目、70人以上の人間が地下水道にいる現実を知って、話したいと言ってきた。とても面倒みきれないのは当然だ。もっと人数を減らさなければ協力できないという。12人以下でないと無理だ。どうするか・・・。
 ヒゲルたちユダヤ人がポーランド人労働者のソハに支払ったのは、1日あたり500ズウォティ。当時の労働者の平均月収は200ズウォティ。下水道労働者だと150ズウォティ。だから、月収に等しい額を、毎日、ソハはもらっていたことになる。
でも、ソハは500ズウォティのなかから21人分の食料を危険覚悟で調達してこなければいけないのだ。
 本当にすごいことですよね。とてもお金ほしさだけでやったなんて思えません。恐らく、このユダヤ人グループのなかに2人の幼い子どもがいたのが良かったのでしょうね。
 ソハは、やってくると、子どもたちに自分の昼めし(パンやソーセージなど)を分けてやっていた。
 やがて、グループのなかにいさかいが起きます。そして一方のグループは、地下水道の暗闇から地上へ出ていくのです。もちろん地上に出たところで全員が殺されます。
 ところが、一人、地上に出て「取引」に成功する仲間もいるものです。ここらあたりが、人間の不思議なところです。地上の町と地下水道を行き来できる仲間もいるのでした。そのうえ、なんと、地下水道で出産する女性までいました。でも、赤ちゃんは無惨にも仲間に殺されてしまいます。その泣き声が困るからです。
なぜ、ポーランド人労働者がユダヤ人グループを1年以上も生命がけで助けたのか。お金だけでは決して説明がつかない。なぜなら、ユダヤ人たちはお金を途中で使い果たしてしまったから。
 ソハは、このとき、生まれて初めて他人から信頼の証を見せられたと感じた。それも、学があり、時代が時代なら、社会的名声もある紳士から、信用のおける人間だと思われた。これには、単なるお金以上の価値があり、それだけで、ヒゲルとその仲間たちが社会の追放者以上の存在に見えてきたのだろう。ソハにとって、ヒゲルとの関係はお金に代えがたい価値があるものだった。うむむ、なるほど、人間って複雑な存在ですよね。
 解放される寸前には、ロシア兵まで地下水道にやってきた。脱走ロシア兵だ。このロシア兵を逃したら、まだ残っているナチスにユダヤ人グループの存在がバレてしまう。ロシア兵を監視した。決して逃すわけにはいかない。
 このように最後の最後まで、地下水道では緊迫した状況が続いていきます。それでも、子ども2人をふくめて11人が助かるのでした。すごい実話です。ほっと胸をなでおろします。そして、ソハはどうなるのか、また、ヒゲルたちは・・・。ぜひ本書を読み、また映画もみてください。
(2012年8月刊。720円+税)

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2012年10月 3日

ワンランク上の説得スキル

司法

著者   小山 斎 、 出版   文芸社  

 著者には申し訳ありませんが、読む前はまったく期待していませんでした。ですから、得意とする飛ばし読みでもしようかと思って読みはじめたのです。ところが案に相違して、これがすこぶる面白く、かつ、実務的にも役立ち、また、反省させられもする本でした。
 著者は大学に入るため肺結核と診断されます。そのとき19歳、母や弟たちを捨てて、大学に向かった。すぐサナトリウムに入らないと死ぬと医者から言われていたのに、なんと長生きしたのでした。
 この本には、説得の見本ないし材料としていろんな本が紹介されています。「走れメロス」もその一つです。教科書に出ていましたよね。さらに、芥川龍之介の「羅生門」が登場します。黒澤明監督の有名な映画にもなった話です。いろんなストーリー展開が矛盾する形で展開します。まさに真相は「薮の中」です。次に、シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」です。これは、私はまったく知らない話でした。続いて登場するのは、森鴎外の「高瀬舟」。ここでは、弟を殺してしまったのか、自殺の手助けをしただけなのかが問われています。難しい問いかけです。
 人が相手から受けとる情報は、外見やボディランゲージが55%、声の調子が38%。言葉はわずか7%にすぎない。顔の表情が一番であり、やはり目がものを言う。
 コミュニケーションは、人を動かす力である。相手に共感、納得してもらったうえで、相手に自ら動いてもらう力なのだ。
 聴き方には次の4原則がある。1つ、目を見る。2つ、ほほえむ。3つ、うなずく。4つ、相槌をうつ。聴き方には、3つの方法がある。1つ、受け身で聴く。2つ、答えつつ聴く。3つ、積極的に聴く。 
 人間の脳が一番喜ぶのは、他人とのコミュニケーションである。そのなかでも、目と目が合うことが一番うれしいこと。脳が喜ぶとは、脳の中でドーパミンが放出されること。
 説得するときの6つのマジック。その1、会ってすぐに相手の名前を呼ぶ。その2、聴くとき、話すとき、体を少し乗り出す。その3、ほほ笑む。その4、相手に対して相手に対して気づかいを示す。その5、楽観的に、前向きであること。その6、相手を尊敬する。
 依頼者との打合せが終わるころ、雑談に入って、話の主導権を依頼者に渡す。すると、それまでと反対になって、二人の関係は対等になる。すると、依頼者は笑顔で帰っていく。
説得したい相手が怒っているときは、どうしたらよいか?冷静にふるまい、おどろきの表情も見せない。その怒りの原因がこちらにあるときは、心から、すぐに謝罪する。理不尽な挑発のときには、反発も反撃もせず、冷静さを保つ。そして、相手の立場を知り、相手の視点で、ともに考えて問題を解決したいという姿勢を示す。相手の挑発は、いずれ収まる。コーヒーブレイクをとる。場所を変える。
勉強になりました。著者の若いときのご苦労がしっかり生かされ、教訓化されているところは、さすがだと感嘆しました。
(2012年1月刊。1100円+税)

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2012年10月 2日

政府は必ず嘘をつく

アメリカ

著者   堤 未果 、 出版   角川SSC新書  

 アメリカって国は、とんでもない偏見にみちた国だと思います。なにしろ、国民皆保険を志向する人を「アカ」だなんていう、とんでもないレッテルを貼ってしまうのですから、始末が悪い。病気になったとき、大金持ちは救われても、そうでない人は野垂れ死にして当然だなんて、とんでもないことでしょう。ところが、それでいいのだと、大金持ちならぬ貧乏人が大きく手を叩いて支持するのです。なんという矛盾でしょうか・・・。
 アメリカで、がんは医療費が高すぎて、ほとんどの保険でカバーされていない。肺がんは手術代だけで1000万円をこえてしまう。
 うへーっ、1000万円だなんて・・・。医療費債務のために自己破産したというのは20年以上も前から聞いていましたが、ますます深刻になっているようです。
 2011年のイラク戦争は、アメリカ政府とマスコミが始めた戦争だ。2011年11月の終了宣言までに1兆ドルの税金をつぎこみ、のべ150万人が派兵された。4500人の戦死者と3万2200人の戦傷者を出した。帰還兵の2人に1人は脳障害や被曝に苦しみ、過半数を占める385万人が、今なお仕事に就けないでいる。
 イラク国内では100万人が死亡し、470万人が難民となった。
 国際機関IAEAは、原発推進、放射線利用の促進、核拡散分野での査察の3分野がある。その主目的は原発推進にある。
 日本の五大新聞はそろって、TPP推進という社説を書いた。人間の歴史をふり返ると、ファシズムをもっとも強力に生み育てるのは、いつだって大衆の無知と無関心だ。
答案用紙に正しい回答を書く能力は高くとも、批判的志向をせず、理不尽な権力に対して抗議せず、物事に対して好奇心や疑問を持たないロボットのような子どもたちが大量に生み出される社会。民主国家に不可欠の「市民」を育てる場所であるはずの教育現場が、市場原理を効率よくまわすための「従順な国民」をつくっていく。
テレビをみていると、人間の脳波は動きが鈍くなり、ある種の睡眠状態になる。冷静、客観的にものを考えることが難しくなる。その結果、人々は無意識に分断されていく。
 フェイスブックもツイッターも民間企業が運営している政策内容をぼかすという重要なステップは、ワンフレーズとセットでやってくる。
 アメリカでは、医療保険がないため4万人の患者が死に、保険がありながら100万人の被保険者が破産し、薬の副作用で30万人が生命を落としている。
 アメリカの危険な現実をつきつける本でした。
(2012年3月刊。780円+税)

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2012年10月 1日

リンチンチン物語

アメリカ

著者   スーザン・オーリアン 、 出版    早川書房 

 テレビで「リンチンチン物語」をみたという記憶はありません。それより、「名犬ラッシー物語」のほうは、今でもはっきり覚えています。庭のある広い家の食堂で、少年が登場して新鮮なミルクを大きなグラスで腹一杯のんで立ち去る光景です。アメリカ人って、なんて豊かな生活をしているのだろう、そんな憧れを抱きました。
 このリンチンチンはジャーマン・シェパードです。ドイツで軍用犬として誕生して活躍していました。この本は、ジャーマン・シェパードの誕生から、戦場での活躍ぶりまで調べて詳細に教えてくれます。もちろんアメリカでの無声映画、トーキーそしてテレビのドラマに出演するまでも明らかにしています。犬派の私には、こたえられない一冊でした。
 第一次世界大戦には、1600万匹の動物が配置された。さまざまな種類の動物だ。イギリスのラクダ部隊は、何千頭もの気性の激しいラクダを誇っていた。騎兵隊は100万匹近い馬を使っていた。何千頭ものラバが荷馬車や梱包した荷物を引いていた。何十万羽もの伝書鳩が伝言を運んだ。
犬はいたるところにいた。ドイツでは1884年に世界初の軍用犬訓練学校が設立され、3万頭の犬が任務についた。アメリカ以外のすべての国が戦争で犬を利用していた。アメリカ軍が犬の価値を評価したときには、もはや手遅れだった。そこで、必要に応じて、アメリカはフランス軍やイギリス軍から犬を借りた。
 犬はメッセンジャーとして働いた。衛生犬とか救助犬として知られる赤十字の犬は、戦いの終わったあの戦場で活躍した。犬たちは、医療品を手に入れたサドルバッグをつけたまま死傷者のあいだを歩きまわった。死体犬もいた。犬は兵士が生きているか、死んでいるか、においで嗅ぎわけた。煙草犬もいた。煙草を詰めたサドルバックをつけたテリアは、隊員のあいだを回って煙草を配るように訓練されていた。
 世界中の人々がジャーマン・シェパードを初めて目にしたのは戦争で、だった。
 ドイツ軍は、犬を高く評価しており、犬は「重要な将軍」とみなされていた。
 リンチンチンは、1918年9月に第一次大戦の激戦地であったフランス東部の戦場で生まれた。
 1920年代、映画はほとんどすべてのアメリカ人の世界に根をおろしていた。アメリカ人2人のうち1人は、毎週、映画をみた。動物は映画で人気だった。人間に都合が良かった。すぐに手に入り、出演料を払う必要がなく、簡単に指示したり、自由に操ったりできた。
 リンチンチンは、たった一本の映画で有名になった。リンチンチンあてのファンレターが何千通も毎週、映画製作会社(ワーナー・ブラザーズ)に配達された。当時、テレビはなく、映画が新しいエンターテインメントの形だった。ヒット映画は、誰もが見たがるショーであり、全国的なイベントだった。リンチンチンが映画のスクリーンに登場するきっかけになったのは、その運動能力だ。しかし、スターにしたのは演技力だった。
 1920年代の半ば、映画ビジネスはアメリカの10大産業の一つに成長していた。人口1億1500万人なのに、毎週1億枚近いチケットが売れた。おもにリンチンチンのおかげで、ワーナー・ブラザーズは繁盛していた。
 オスカーは獲得できなくても、リンチンチンは始終ニュースにとりあげられていた。ペットの王、映画の有名な警察犬、奇跡の犬、スクリーンの奇跡の犬、世界一の奇跡の犬、傑出した知性をもつ犬、驚嘆すべき映画犬、アメリカでもっとも偉大な映画犬・・・・。
 初めてリンチンチンが有名になったころ、世界中の大半の犬はおすわりすらできなかった。犬は仕事をするものだった。羊を集めたり、見知らぬ人間に吠えたり。だが、行儀よく振るまうという考えは、まったく存在しなかった。犬は農場や牧場などの戸外で暮らしていたので、エチケットはほとんど要求されなかった。それもあって、リンチンチンの映画や舞台での行動は驚異的だとみなされた。
 1939年にナチス・ドイツの電撃戦が始まったとき、ドイツは20万匹の犬の軍隊を所持していた。ヒトラーは、ジャーマン・シェパードを溺愛し、同じベッドで眠らせていた。
 犬について、さらに認識を改めさせてくれる本でした。
(2012年5月刊。2500円+税)

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2012年10月31日

障害のある人と向き合う弁護

司法

著者   西村 武彦 、 出版   Sプランニング 

 大変勉強になりました。知的障害のある人、とりわけアスペルガー症候群の人に向きあうときに役に立つ本です。
障害は病気ではないし、克服すべき対象でもない。障害は、その人の個性、特性の一つだ。
弁護士は親が付き添っていても、知的障害者自身から話を聞き出すべきだ。
 「どうして、私に質問してくれないのですか?私の言うことは信用できないからですか?私のことなのに、私では決められないのですか?」と、本人は心の中で叫んでいる・・・。
 本人と話をすれば、知的障害者がどういう人なのか、どういう問題があるのか、その回答のなかで理解できる。こういう質問だと質問の趣旨を理解できないのか、こういう言葉は理解できないのかこういう文字は読めないのか、こういう計算は無理なのか、そういうことを弁護士は理解できる。だから、同席している親や福祉関係の職員の説明を先に聞くのは絶対に避けるべきだ。
 知的障害のある人は、「自分は字が読めません」なんてことは、恥ずかしいから言わない。知的障害のある人は、「いいえ」「分かりません」とは、なかなか言わない。
 IQの数値は、その人の人格を測定したものではない。IQという概念は、子どもに最適の教育・療育を施すために、その子どもの抱えている問題を教育関係者が理解するための共通の目盛りである。
なぜ知的障害のある人が借金するかと言えば、そのほとんどのケースは、本人以外の誰かのせいである。
弁護士の言葉のつかい方になじめるような知的障害のある人はいない。客観的な情報で対応が可能なのであれば、知的障害のある人に難しいことを訊く必要はない。そして、楽しかったこと、うれしかったことは何ですかと訊くようにしている。
 知的障害のある人については、フレンドリーな関係を形成しないと、大事な話は聞き出せない。そして、もっと大切なことは、馬鹿にしたそぶりを見せないこと。「えっ、分からないの?」というのは、完璧に馬鹿扱いした言葉。「えっ、なんて言ったの?もう一回言って」というのも、注意したほうがいい。
 次に、難しい言葉は一切つかわないこと。アスペルガー症候群の人を、この本ではアスピィと呼んでいます。
 エジソン、アインシュタインがアスピィを代表するエリート。アスピィのなかには、場の雰囲気が読めないという特徴をもつ人がいる。臨機応変が苦手。相手の気持ちを考えるのが苦手な人がいる。
 アスピィは、相手の意志や気持ちを理解するのが得意でないだけではなく、自分の苦悩、怒り、悩みについても、自分自身が的確に把握できていない。
弁護士にとって大いに考えさせられ、実務的にも大変役に立つ貴重な本です。
(2008年3月刊。1000円+税)

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2012年10月30日

オスプレイとは何か?

社会

著者   石川厳、大久保康裕 ほか 、 出版   かもがわ出版 

 オスプレイとは、ミサゴという島の名前。ミサゴは魚をとって食べる島。獲物を見つけると、空中に静止し(ホバリング飛行)、その後、急降下して両足で獲物をとらえる。
オスプレイはアメリカ軍(主に海兵隊)が導入した新しい軍用機。
 海兵隊の作戦では、垂直に離着陸する軍事的な必要性が高い。戦争の初期の段階で、強襲揚陸艦に乗って適地に近づき、兵員と物質を上陸させて、アメリカ軍の作戦を遂行する拠点を築きあげる。
オスプレイは、GH-46というヘリコプターの代替機だが、行動半径は4倍、積載量は3倍、速度も2倍である。オスプレイは、イラクとアフガニスタンに派遣されている。オスプレイは、開発段階で事故が多発し乗員30人が命を失っている。「未亡人製造機」というあだ名までつけられている。
オスプレイは、輸送機なので対人兵器は着陸時の自衛用のライフル1丁、機関銃2丁しかもたない。重量がある割に、揚力があまりないので、兵器で機体の重さを増やせない。だから、作戦時は戦闘機の護衛が必要になる。
 海兵隊のオスプレイが海外に配備されるのは、日本のみ。海兵隊がまとまった戦闘部隊を配置しているのは、海外では日本だけだから。
 オスプレイの回転翼(ローター)は一般ヘリより小さい。これは強襲揚陸艦に積む場合の限度があるから。
 オスプレイは臨機応変の戦闘機動性に欠ける。これはコンピューター操縦のため。
CH-46ヘリの機体には、その平衡感覚を保つバランサーに劣化ウランが使用されている。
オスプレイが日本で事故を起こしたら、公務中だと考えられるので日本で裁判はできない。
オスプレイの低空飛行訓練は、地上の武装勢力の仕掛け爆弾設置とか、特攻自爆車が突っ込んでくるのを監視する。だから、低い上空を30分も40分もぐるぐる旋回する訓練をする。
日本地位協定にも、アメリカ軍は日本の法律を尊重する義務がありことを定めている。ドイツでは、ドイツ側の同意があって、低空飛行訓練のルートが設置されている。日本でも同じように交渉できないはずがない。
アメリカの言いなりで、何もものの言えない日本政府、民主党政権のだらしなさには呆れてしまいます。民主党政権とまったくかわりません。こんなことで日本人の生命・財産を守る政府と言えるはずもありません。腹立たしい限りです。
(2012年9月刊。1000円+税)

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2012年10月29日

脳には妙なクセがある

著者   池谷 裕二 、 出版   扶桑社 

 生後2日から5日という新生児の脳を調べると、すでに母国語と外国語を聞いたときで、左脳の反応が違っている。これは、胎児のとき、母親の腹のなかで、ずっと母国語を聞いていたからと考えるのが自然だ。
 笑顔は楽しいものを見出す能力を高めてくれる。
 人口の4%は音痴だ。音痴の人は、空間処理能力が低い。もともと音階は空間として表現されるもの。一般に男性のほうが女性よりも空間把握にすぐれている。ある実験で音痴であると判定された人の半数以上は女性だった。
20歳以前まで高かった幸福感は、20代で一気に落ち込み、40代から50代前半ころまでが最低迷期となる。そして、これを過ぎると回復を始め、調査された範囲では、最高齢である85歳に向けて上昇していく。つまり、歳をとると、より幸せを感じるようになる。
 働き盛りのビジネス人は、とかく時間に追われて心を失いがち。しかし、しかるべき時期を耐え抜けば、幸せなときが待っているということなのだろう。
 食欲のコントロールはもちろん、覚醒状態や記憶力に至るまで胃腸の支配を受けている。内臓をふくめた全身がバランスよく機能して、初めて脳の健康を保つことができる。
直感もひらめきも、「ふと思いつく」という状況は似ている。しかし、思いついたあとの様子がまるで違う。「ひらめき」は、思いついたあと、その答えの理由を言語化できる。ところが、直感は、本人にも理由の分からない確信をいう。そして、重要なことは、直感は意外と正しい。
単なる「ヤマ勘」や「でたらめ」とは決定的に異なる。ひらめきは「知的な推論」、直感は「動物的な勘」。ひらめきは陳述的、直感は非陳述的なもの。ヒトは、自分自身に対して他人なのである。
 自動判定装置が正しい反射をしてくれるか否かは、本人が過去にどれほどよい経験をしてきているかに依存している。よく生きることは、よい経験をすることである。人の成長は、反射力を鍛えるという一点に集約される。反射を的確なものにするためには、よい経験をすることしかない。
 いつも脳についての刺激的な指摘があり、大変参考になります。
(2012年9月刊。1600円+税)

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2012年10月28日

倭人伝を読みなおす

日本史(古代史)

著者   森 浩一 、 出版   ちくま新書  

 邪馬台国が九州に会ったというのは、ごく自然なことです。なにしろ、当時の文化文明は朝鮮半島の先、中国大陸にあったのですから。奈良の大和朝廷というのは、そのあとのことですよね。吉野ヶ里遺跡、そして西都原古墳群を現地で見たら、ここに古代日本の中心があったことを、きっとあなたも確信するはずです。
倭人は中国周辺の異民族のなかでは特異な集団として扱われていた。
 『魏志』倭人伝は、3世紀の倭人社会を知るうえでは最重要の史料である。しかし、この史料は日本列島の全域ではなく、九州島の北部、とくに北西の玄界灘にのぞんだ土地を詳しく書いている。
 倭人伝研究は書斎にこもって出来るものではない。日本列島にだけ関心のある人は、ときとして倭人伝しか読まない。それでは東夷伝の高句麗や韓の条で、すでに説明されていることを知りようがない。そして、倭人伝は近隣の国のなかでもっとも多い2013字を費やして説明されている。また、登場人物も10人と最多である。
 西暦紀元頃から、倭人は漢字に親しみ、その漢字を日本文化に取り入れていった。
景初2年(238年)までは、倭は公孫氏勢力の設置した帯方郡に属し、景初3年からは魏が任命した太守のいた帯方郡を介して魏に属するようになった。
 狗邪韓国には、貿易や航海の便宜のための拠点となる土地に倭人が住んでいたとはいえ、狗邪韓国全域を倭人が掌握していたのではない。
対馬は、昔は津島と読んでいた。津は、古代の港のこと、津島とは、津の多い島のこと。浦とは漁村のこと。浦のなかでも、交易のできるような港を津と言った。津々浦々というのは海国日本の側面をとらえた言葉だ。
常に伊都国にいた「一大率(いちだいそつ)」は、一人の大率の意味であり、公孫氏勢力の帯方郡が派遣していた。伊都国には、代々、王がいた。女王国より北の6ヶ国で『倭人伝』において王がいたというのは伊都国のみ。伊都は、ヤマト政権や、その後の律令政府にとっても、重要な地であった。
 全国の弥生土器のなかで、もっとも端正で品のよい土器は、人吉盆地を中心にして出土する免田式土器と東海のパレス式土器(宮廷土器)であろう。
卑弥呼の死について「以死」とあるのは、老齢の卑弥呼が権力闘争に敗れて従容として死を選んだということ。それは、倭国を分裂された責任をとらされての自死であった。卑弥呼が死んだのは、正始8年(247年)や、その翌年だろう。
心強い九州説の本でした。
(2012年3月刊。2800円+税)

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2012年10月27日

エリア51

アメリカ

著者   アニー・ジェイコブセン 、 出版    太田出版 

 アメリカの宇宙飛行士が実は月面に降りていなかったというという本があります。それを読んで前に紹介したことがありました。とんでもないデッチ上げの本でしたから、すぐに注意があり、訂正しました。
 その本は、月世界ではなくこの秘密基地で写真を撮ったというものでした。実際、この秘密基地(エリア51)月世界と似ているので、宇宙飛行士の訓練場ではあったようです。
ネヴァダ核実験場は核爆発によるクレーターがつきのクレーターにそっくりだった。だから、宇宙飛行士は月面歩行の感覚を体感するため実際にこの核クレーターを歩いていた。また、この秘密基地・エリア51から飛び立ったU-2偵察機はUFOとしばしば間違えられた。
 民間機が3000~6000メートル高度で飛行しているとき、U-2は2万1000メートルの高さを飛行した。翼の長さが胴体の2倍近くもあり、そのためU-2は空飛ぶ炎の十字架のように見え、よくUFOに見間違えられたのだ。
 1957年の夏、原爆実験によって閉鎖され、それ以来、休業状態にあったエリア51は1960年1月に再開し、活気を取り戻した。
 1960年5月、パワーズ飛行士の乗るU-2はソ連上空に出てスパイ偵察飛行中に撃墜された。ソ連上空での飛行はU-2によるものだけで24回、カーチス・ルメイ将軍による爆撃機での飛行はさらに数百回もあった。
 カーチス・ルメイ空軍参謀総長は1962年8月のキューバ危機のとき、キューバへの先制攻撃を仕掛けるように求めていた。こんな危険な戦争屋(ルメイ将軍)に日本政府は最高の勲章を授与しているのです。日本人として情けない限りです。
 アメリカの危険な秘密基地の実相が暴かれている本です。
(2012年7月刊。2400円+税)

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2012年10月26日

誰が中流を殺すのか

アメリカ

著者   アリアナ・ハフィントン 、 出版   阪急コミュニケーションズ 

 この本のサブタイトルは、アメリカが第三世界に堕ちる日、というものです。アメリカン・ドリームなんて過ぎ去った遠い日話です。弱肉強食、留めるものはますます富んでいく一方なのに、今なお多くのアメリカ人は過去の栄光にしがみつき、現実を直視していないように思えてなりません。
 アメリカが危険な道を歩みはじめたことを何より明確に示すのは、中流層の哀れな状況だ。アメリカの中流層は、今や「絶滅危惧種」と呼んでも誇張ではない。
 アメリカの5人に1人が失業中か不完全雇用の状態にある。9世帯に1世帯がクレジットカードの最低支払額を払えない。住宅ローンの8分の1が延滞か差押えされ、アメリカ人の8人に1人が低所得向けのフードスタンプを支給されている。
毎月12万以上の世帯が破産し、金融危機によって5兆ドルもの年金や投資が消えた。
年収が15万ドル以上だった層の失業率はわずか3%。中所得層では9%。所得が下から10%の層では、失業率は実に31%。
トリクルタウン経済とは、留めるものが富めば、乏しいものにも自然に冨が浸透(トリクルタウン)するという理論。高所得層の低い失業率が、所得の少ない層の雇用に結びついているようには見えない。
 アメリカが第三世界の国への道を歩んでいるように見える予兆は、不要な戦争を戦い、さらに強力な武器をつくるために膨大な予算を使いつづけていること。ローマ帝国の時代から、国力の衰退があらわれるサインのひとつは、ほかに優先事項があるのに、国防費を増やすこと。文明は何かに殺されるのではなく、たいてい自死する。
 2010年だけで、アフガニスタンとイラクの戦争に投じた1610億ドルを、国内でたたかいを強いられているアメリカ人のために使うべきだったのではないのか。でも、ワシントンで、そんな声はほとんど聞こえてこない。
 大学の学費を出せないために多くの才能ある若者がアメリカン・ドリームを追い求められない一方で、アメリカは古くて不要な国防プログラムに大金を使いつづけている。
 アメリカでは、今なお成人の過半数(53%)が自分を中流とみなしている。ええっ、本当でしょうか・・・。日本人は、かつてあった総中流意識はとっくに幻想だと気づいていますよね。
 2000年から2007年に、中流層の平均収入は1175ドル減り、支出は4655ドルも増えた。同じ時期に収入の上位1%の層は、ブッシュ時代の貸金上昇分の65%を手にしていた。
 中流層は、おおむねルールを守り、やがて職を失う。
アメリカの多国籍企業が外国で稼いだ収入は7000億ドルで、それに対して支払った税金は160億ドル、税率は2.3%だった。
 自己破産申立する人の56%が35歳~44歳の層。そして、その圧倒的多数が、失業したために月々の支払いが出来なかったり、高い医療費に困っている中流層だ。自己破産の62%は医療費が原因となっている。すなわち、140万人の破産者のうち、90万人が医療費によるもの。そして、その78%は医療保険に入っていた。医療保険は医療費の高騰をカバーできていない。
 アメリカには、家のない子どもが150万人いる。50人に1人の子どもに家がない。家のない子どもは、病気になるリスクが4倍も高く、学習・発達の面で問題をかかえる可能性が2倍も高い。
 この20年間に、アメリカの刑務所にかかる資金は大幅に増えた。刑務所のなかで暮らす人は200万人をこえ、20年前の3倍になっている。そして、刑務所のなかに15万人もの子どもがいる。中退率の高まりに伴って、アメリカの多くの高校が大学ではなく、刑務所に入るための準備機関になった。
アメリカン・ドリームは、今ではアメリカン・ナイトメア(悪夢)に成り果てている。
いやはや、すさまじい現実です。日本をアメリカのようにしてはいけません。
(2011年11月刊。2000円+税)

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2012年10月25日

アンネ、私たちは老人になるまで生きのびられた

ドイツ

著者   テオ・コステル 、 出版    清流出版

 オランダに住むユダヤ人のアンネ・フランクとクラスメートだった人たちが65年たって集まったのでした。アンネと同じ中学校に通ったのです。
 このユダヤ人中学校の建物は今もあり、現在は理容美容専門学校として使われている。ユダヤ人中学校の生徒たちは、半数が戦争を生き残ることができた。しかし、オランダのユダヤ人全体でみると、その数はわずか2割だ。裕福であること、コネがあること、頼られる友人がいることが、ある程度までは生き残る助けになった。
アンネはアンネ・フランクという呼び方が好きだった。
アンネが自分の家で開いた誕生パーティーのときには、アメリカの映画の「名犬リンチンチン物語」が上映された。
 アンネには、いつも男の子の友だちがたくさんいた。アンネは胡椒みたいな、おしゃまな女の子だった。教室でのアンネは、教師から指名されなくても平気で勝手に発言するような、生意気な女の子だった。
  アンネはとても活発な子だった。いつも人の輪の中心にいたがっていた。注目を集めるのが大好きだった。正直なところ、アンネは、どこにでもいる普通の女の子だと思っていた。アンネは、正直で一風変わった女の子。アンネは大人っぽくて、しっかりしていた。
あの年代の女の子が、友だちから引き離され、植物や動物からも引き離され、実際すべてのものから引き離されて、大人ばかりに囲まれた環境に身を置くと、いろいろなことが一気に成長するもの。あの特殊な環境のせいでアンネは急速に成長せざるをえなかった。だから、作家としての才能も一気に花開いた。アンネの文章は美しく、とても十代の少女が書いたものとは思えない。
 イギリスに亡命したオランダの政権の教育大臣は、ラジオで日記のような証言記録を残すことを呼びかけた。アンネは、呼びかけに答えて日記を書きはじめた。
 強制収容所ベルゲン・ベルゼンで、アンネはチフスと想像を絶する飢えに苦しみながら4ヵ月のあいだ生き抜いた。そして、1945年3月、解放のわずか数週間前に亡くなった。15歳だった。
 「アンネフランクのクラスメート」というドキュメンタリー映画がつくられたようです。みてみたいものです。読んでいるうちに、なんとなく元気の出てくる、いい本でした。
(2012年8月刊。1600円+税)

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2012年10月24日

災害派遣と「軍隊」の狭間で

社会

著者   布施 祐仁 、 出版    かもがわ出版 

 戦う自衛隊の人づくり、というサブタイトルのついた本です。
3.11災害で出動した自衛隊に対する国民の肯定的評価が圧倒的に高まりました。もちろん、それは自然な流れだと私も思います。でも、自衛隊って本当に災害救助隊なのでしょうか・・・。いえ、もちろん違います。この本は、その違いを多方面から迫っています。
 自衛隊の最大の任務は「国防」であり、災害派遣は「従たる任務」の一つにすぎない。そして、「同盟国アメリカの要求」を加えた三つの狭間(はざま)で揺れているのが現在の自衛隊である。
 陸上自衛隊がアメリカの要請でイラクのサマワに行ったとき、その宿営地に対して迫撃砲やロケット弾攻撃は13回22発もあり、移動中の陸上自衛隊の車列がIED(仕掛け爆弾)攻撃を2回も受けた。いずれも幸いなことに死傷者は出なかったが、その可能性は高かった。小泉首相(当時)は、イラクへ「戦争に行くのではない」と断言したが、実際には自衛隊が「武力行使」に踏み込む危険性がおおいにあった。
 イラクへ自衛隊を派遣した費用721億円の大半は600人の部隊を駐留させるために使われた。そして、費用対効果の面からいったら「自衛隊でなければならなかった」理由はない。
 結局、陸上自衛隊のイラク、サマワ派遣は、日米同盟の下での「派遣のための派遣」だった。つまり、災害派遣は日々の訓練のおまけでしかない。
アメリカ軍は、このところ新兵募集に成功している。2009年度は17万人近い新兵の獲得に成功した。景気が悪くなって志願者が増えたのだ。同じことは日本でも言える。2007、8年度は8万人台だったが、2009年度には10万4000人にまでなった。
なにしろ、高卒で衣食住がついて月16万円というのですから、たとえば母子家庭の子が早く親孝行したいと思って応募する気持ちは分かりますよね。
 そして、自衛隊の募集ポスターには銃などの武器がどこにも見あたらない。自衛隊は「軍隊色」を隠している。そこはアメリカ軍の募集ポスターとまったく異なる。
 自衛隊員のストレスは増大し、自殺者が増えている。年間50人だった自殺者が今では、80人から90人台へと増加している。イラクに派遣された自衛隊員については3倍の割合で自殺している。全体で5600人のうち16人が在職中に自殺している。
これについて、「自殺者は自然淘汰として対処する発想も必要」という内部文書があるのを知って、驚きました。「軍」になると、自殺も損耗率の一つにすぎないということなのでしょうね。
 自衛隊に若者を送り込むために学校、とりわけ中学・高校がターゲットにされているようです。そして、そのとき、若者に安定した仕事がないことが格好の材料にされているという悲しい現実があります。
20万人をこえる自衛隊を一挙に解消することができない以上、大災害救助隊に再編成するにしても、いろいろ考えることがあるというわけです。
(2012年7月刊。1500円+税)

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2012年10月23日

死刑囚弁護人

アメリカ

著者   デイヴィッド・ダウ 、 出版   河出書房新社 

 なんでもありのアメリカです。でも、死刑囚の弁護を専門にしている弁護士がいるなんて・・・。驚きます。いったい、それで食べていけるのでしょうか?
 著者は、1980年代後半から、テキサス州で死刑囚の弁護に従事しています。死刑囚の処刑を中止させるため処刑時間のギリギリまで粘って、裁判所に書類を提出するのです。でも、やがて、最高裁の書記官から電話が入る。「追加の書類は不要です。訴えは棄却されました」。そして、すぐに死亡宣告の連絡が入るのです。
 なんとなんと、こんなことが日常生活に起きるなんて、すごいストレスですよね。信じられません。
 1989年3月9日、木曜日、夜12時37分。デリック・レイモンドの処刑を著者は2人の地元記者などと一緒に見守った。いやはや依頼者が死に至る状況まで見守るとは・・・。
 死刑囚と話すとき、とにかく相手に希望のかけらも感じさせたくない。余計な希望をもたれると困る。本人が、「最後は、きっと勝てる」と思っているところに、「だめだった」と電話するなんて・・・。かすかな希望すら打ち消しておきたかった。まもなく死ぬ相手に、死ぬ覚悟ができているほうが、はるかに楽なのだ。
 たいていの殺人犯は、中肉中背。どこをとっても普通。殺人するような人間は怪物のような顔をしているはずだと思いたい。しかし、現実には、会ってみると、しごく普通の顔をしている。
 死刑囚の監房には、自動販売機が数台置かれていて、ジャンクフードやソーダ類が売られている。面会に来た人は誰でも買うことができる。小銭を入れ、ボタンを押す。商品を看守に取り出してもらい、そのまま死刑囚に届ける仕組みだ。紙幣を刑務所に持ちこむのは禁じられている。
死刑執行日が決まったことを電話や手紙で連絡しないようにしている。死ぬ日を電話で知らされるか、直接言われるか、何か違いがあるかと問われたら、たぶんない。しかし、その点にこだわる。
通常、死刑がからむ事件で上訴弁護人が最初にすることは、徹底的に調べ直すこと。
死刑囚の生活について、快適だという人がいる。午前中は、ウエイトトレーニングをして、夜はテレビを見て、1日3回ちゃんとした食事が出て、コンピュータの利用も読書もできて、いいことずくめだと。しかし、それは間違いだ。死刑囚監房は、ただの狭い檻みたいなものだ。
心に留めるべきことは、死刑囚は必ず、その残された短い時間のある時点で、心のなかまでも檻に囲まれてしまうということ。そうなってしまったら、思いもよらない刺激にも反応する。音のないミュージカルを見るようなものだ。気が狂いそうになるだろう。
死刑囚の多くは、子どものときに、自分の家族から隔離されるべきだった。だが、そうはならなかった。誰からも、一切関心をもたれず、誰からも関心をもたれなかったために、危険な人物となる。そのときになってようやく、社会は彼らに目を向けるのだ。もし、誰かがもっと早く気がついて関心を払っていれば、彼らの命は救われたかもしれない。
 刑務所の職員は、死刑囚と弁護人以外の来訪者と面会をひそかに録音している。弁護士との面会は録音しないことになっているが、やっていないはずはない。
死刑囚は三種の薬物のカクテルで処刑される。一つ目の薬物はバルビソール剤で、これにより死刑囚は意識を失う。二つ目の薬物で身体が麻痺し、最後の薬物で心臓が停止する。二つ目の薬物は、立会人のためのもの。もし死刑囚が麻痺状態にないと、三つ目の薬物で心臓が止まるとき、水揚げされた魚のように、のたうつことになる。一つ目の薬物は死刑囚のためのもの。もし、それが十分でないと、二つめの薬物で横隔膜が麻痺するとき、窒息死の苦しみを味わう。三つ目の薬物は、激しい痛みを伴う。傷口に塩酸を注ぐようなものだ。
人を絞首台に送る陪審員や裁判官は、自らの下した判決をきちんと見るべきであり、死刑の執行に立ち会うべきだ。死刑を支持する控訴裁判所の裁判官は一人残らず死刑囚監房を訪れ、自らのその知らせを伝えるべきだ。死刑の執行延期を拒む最高裁判所の裁判官も、死刑執行室まで陰湿な廊下をはさんで8歩の待機房で死刑囚に自ら伝えるべきだ。助手をつかって、その死刑囚弁護人に電話で伝えるのはやめるべきだ。
この社会において処刑を継続するのなら、それが無慈悲かつ無責任に他人の命を奪った人間にたいする妥当な刑罰と考えるなら、執行を止める権力を有する人間は、その刑罰を科す責任、少なくとも、その刑罰を否定しないことの責任を負うべきである。
 他者の決断により、他者が手を下すのなら、人を死に追いやるのは容易だ。現在の死刑制度は卑怯な精神をよりどころにして機能している。
大変重たい指摘だと受けとめました。死刑の存廃をめぐってはもっと大いに議論すべきです。何となく死刑賛成の日本人が多い気がしてなりません。ぜひ、あなたも一読してください。
(2012年8刊。1900円+税)

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2012年10月22日

ゴリラは語る

人間

著者   山極 寿一 、 出版   講談社  

 アフリカでゴリラとともに暮らし(?)て30年以上の山極(やまぎわ)博士のお話です。
ゴリラって、本当に人間(ひと)によく似ていますよね。なにより、アイコンタクトをつかっているのが驚きでした。
サルが目を合わせるのは威嚇するため。ところが、ゴリラは目をそらすと不満を示す。サルとちがってゴリラは、顔をのぞき込まれても視線をそらさず、目と目を合わせる。この「のぞきこみ行動」は、ゴリラの挨拶のひとつ。たがいに顔を近づけ、見つめあって挨拶するのが、ゴリラの流儀。そして、ゴリラ同士では会話も存在する。
 「ゥアゥ?」(フー・アー・ユー)は、問いかけ。とにかく速やかにこたえることが必要だ。
 「ウルウルウルウル」という高くてかわいい声は求愛の声。
好物のキイチゴを見つけると、うたうように声を発する。ハミング。
 「グコグコグコ」というのは笑い声。笑い声を出すのは、人間のほかは類人猿のみ。
 ゴリラは表情から判断するのが人間に比べて難しい。しかし、ゴリラは感情が目に表れる。うれしいときには、ゴリラの目は人間以上に光る。目の色が金色に変わる。
ゴリラは、一日に何度も、そして長く遊び続ける。レスリングや追いかけっこ、ターザンごっこ、お山の大将ごっこ、ヘビダンス。遊んでいる最中の出す「グコグコグコ」という笑い声は、「自分はいま楽しいんだよ」というのを相手に伝える手段。
 動物園に飼われているゴリラが交尾できなくなっているのは、同じ年ごろの子どもたちとたっぷり遊ぶ経験をもたないから。
 ゴリラのオスは、自動的には父親にはなれない。そこには母ゴリラの見事な子離れ戦略がある。母ゴリラは子どもが1歳になるまでは、子どもを片時も離さない。ところが、1歳を過ぎたあたりから、父親であるシルバーバックのそばに子どもを置いていくことがよくある。そうやって子どもが母親のもとを離れていけるように促す。子どもは母親から父親を紹介されてはじめて、父の存在を認め、頼りにするようになる。ゴリラのオスは、メスからも子どもからも認められないと、「父親」にはなれないようにできている。
 ゴリラのグループには、「核オス」と呼ぶリーダーのシルバーバックこそいるが、オスの間に序列はない。だからゴリラは、たとえ争いを起こしても、力の強さや年齢や性別によって負けることがない。勝者も敗者もつくらない。
 大人のゴリラがケンカをすると、子どもや若者たちが引き離して止める。
 サルは、ケンカが始まると、群れのほかのメンバーはどちらかに加勢してはっきり勝負をつける。しかし、ゴリラは、むしろ仲裁を期待している。納得していないことを示すために戦う姿勢は見せる。しかし、仲裁が入ると、それ以上は争わない。
となると、人間よりゴリラは、よほど徹底した平和主義者ですね。人間は見習うべきです。人が住んでもいない領土をめぐって戦争をけしかけるなんて、「賢い」人間のすることではありませんよね。大変わかりやすい、いい本です。
(2012年8月刊。1000円+税)

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2012年10月21日

緒方竹虎とCIA

日本史

著者   吉田 則昭 、 出版    平凡社新書 

 消費税の増税(5%から10%へアップ)を決めるとき、朝日も毎日も大新聞は一致して早く増税を決めろと一大キャンペーンをはりました。「不偏不党」の看板をかなぐり捨てて政権与党と同じことを言うマスコミは異様でした。
戦前の朝日新聞を代表する記者として活躍し、戦後は保守政治家となった緒方竹虎の実態を明らかにした新書です。日本の政治家の多くが戦後一貫してアメリカ一辺倒だったことを知ると、哀れに近い感情がふつふつと湧いてきます。
 緒方竹虎は、4歳のときから福岡で育っているので、福岡は故郷と言える。
戦後の緒方竹虎についていうと、CIAの個人ファイルのなかに、5分冊、1000頁もあって、日本人のなかでは群を抜いて多い。児玉誉士夫、石井四郎、野村吉三郎、賀屋興宣、正力松太郎などの個人ファイルがある。
 CIAは、緒方竹虎に「ポカポン」、正力松太郎に「ポダム」というコードネームをつけていた。この「ポン」というのは、日本をさすカントリーコードであることが判明した。
 緒方竹虎に対するアメリカ側の士作は1955年9月以降、「オペレーション」、ポカポンとして本格化し、実行された。
 日本の保守政治家の多くがアメリカのエージェントだったというのを知るのは、同じ日本人として、寂しく悲しいことです。表向きは日本人として愛国心を強調していたのに、裏ではアメリカに買収されてスパイ同然に動いていたなんて嫌なことですよね。
(2012年5月刊。780円+税)

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2012年10月20日

風のひと、土のひと

人間

著者   色平 哲郎 、 出版    新日本出版社 

 著者の元気のいい話を聞いたことがあります。
 大学を中退して世界を何年も放浪したなんて、すごい勇気がありますよね。臆病な私にはとても真似できません。お金もありませんでしたし、大学生のころ日本を出るなんて、一度も考えたことがありません。せいぜい東京から九州までどうやって安上がりに帰省しようかというくらいです。結局、夜行列車に乗って帰りました。まる一日、列車に乗っていた気がします。座席の下にもぐり込んで、新聞紙を敷いて、そのまま寝ていました。4人がけの席の下にもぐり込めたのです。
 著者は、長野で無医村だったような診療所で医師として働きます。大変だったようです。
 メディアの名医志向は、とどまるところを知らない。しかし、特定の名医でなければ病気は治らないというような報道姿勢は、ただでさえ崩壊現象が始まっている日本の医療を追い込むだけだ。
 長野県佐久地方には、「医療どろぼう」という言葉がある。医療保険のなかったころ、村民が医者にかかれば、診察料をごっそりとられた。現金収入の乏しい村民は、医者に診察してもらえば、「どろぼう」に入れられるようなものと覚悟を決めて往診を頼んだ。
 テレビでコメンテーターたちは、農産物をもっと安くしろと平気で言う。食料自給率が4割以下という危機的な状況や山林、野原、水源地の荒廃など、眼中にない。医療崩壊も、突きつめれば地方の農業崩壊、産業崩壊が原因だ。
 実は、地方にある医療部には地方出身者が少なく、大都市出身者が多い。都会で私立の中公一貫校や塾などに多額の投資をしたひとが地方の医学部に多く進学している。昨今の地方の切り捨てという風潮のなかで、地方に残ることを避ける傾向にある。
農村に医者が来ない、居つかない三つの理由。
 第一に、農村では勉強できず、技術が遅れて日進月歩の医学についていけなくなる。
 第二に、文化的環境から離れると子どもに医科大学に入学できるような教育を受けさせられない。
 第三に、村民は口うるさく、しかも、高給取りの医者を目の敵にする傾向がある。
果たして、現実はどうなのでしょうか・・・。
 書かれていることは、ごくもっともなことばかりでした。お医者さんも大変ですね。ともにがんばりましょう。
(2012年6月刊。1600円+税)

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2012年10月19日

えん罪原因を調査せよ

司法

著者   日弁連えん罪原因研究・WG 、 出版   勁草書房 

 なぜ、えん罪がなくならないのか、えん罪はどうやってつくられていくのか、裁判官が見抜けないのはなぜなのか、弁護人はいったい何をしているのか・・・。次々に湧いてくる疑問に答えてくれる本です。
 映画『それでも、ボクはやっていない』をつくった周防正行監督は、3年間で200回ほど裁判を傍聴したそうです。すごいですよね。そして今、法制審特別部会の委員になっています。
 警察や検察は、イギリスは1時間とか2時間の取調で起訴している。それでいいのか、と脅すように投げかける。そして、なぜ、そんなに治安の悪い国の司法制度を真似しようというのかと批判する。だけど、日本の治安がいいのは、決して日本の警察が優れているからではない。日本人の規範意識が高いからだ。
 マスコミは、よく「またも真相の解明はできなかった」と書くが、裁判は真相究明の場ではない。法廷に現れた証拠によって、被告人が有罪か無罪かを決める場である。大きな事件について真相の解明を求めるのなら、まったく違った機関で調べないと無理だ。
 このような周防監督の問題意識と同じようなところから、日弁連は独立した第三者機関をつくってえん罪の真相を究明することを提言しています。
 これまで日本で再審無罪となった事件では、短くて10年、長くて62年とか50年というものがある。最近、無罪となった布川(ふかわ)事件も、なんと44年かかっている。氷見(ひみ)事件の5年というのはもっとも短いもの。
 「やっただろう。認めろ」「いや違う」という不毛なやり取りと我慢くらべが続き、長時間の取調べがいつまで続くのか、明日も、明後日も、その後も続くのか、その不安から取調官に迎合して早く解放されたいと思うようになる。
 愛知県警察の取調マニュアルには、「調べ官の『絶対に落とす』という、自信と執念に満ちた気迫が必要である。調べ室に入ったら自供させるまで出るな。否認する被疑者は朝から晩まで調べ室に出して調べよ」とある。
 国連に提出した日本政府の報告書には、取調べを法律で一律に規律するのは難しいとしている。
 アメリカもEUも、ほとんどの加盟国では、弁護人の立会権を保障している。韓国も台湾も保障している。
 日弁連はえん罪の原因を究明する第三者機関も設置するように提言し、そのときの問題点も検討しています。
第三者機関については、国会の付置機関とするのが政策上妥協と思われる。というのは三権のうち、刑事司法機関と直接の指揮命令系統をもって関係しないのは、国会に限られるだろうから。
 アメリカでは、DNA鑑定によって、無実が明らかになって釈放された人は292人にのぼっている。1973年以降に、誤判が発覚して死刑台から生還した死刑囚が26州、140人にのぼっている。これが司法について深刻な反省を生む契機となった。
 そして、えん罪であることが分かった多くの事件で、死刑囚は、捜査段階で虚偽の自白をしていた。さらに、ビデオの前で自分の母親を殺害したと自白した無実の人さえいた。この自白はまったくの虚偽だった。
 やってもいない人が「自白」なんかするはずがない。これが世間一般のフツーの常識です。ところが、その常識が通用しない世界があるのです。警察そして検察が、その誤った体制を確固たるものにしています。
 私の畏友・小池振一郎弁護士より頼まれて買いました。なるほど、手抜き裁判はひどいものだ、でも、まだなくなっていないと思いました。
(2012年9月刊。2300円+税)

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2012年10月18日

「橋下総理」でいいんですか?

社会

著者   小西 進 、 出版   日本機関紙出版センター 

 日本に新しい政治が生まれる。アメリカのような二大政党が選挙の結果で政権交代していくシステムが出来た。
 こんな大きな期待を背負ってスタートして二大政党制ですが、今ではすっかり期待はずれの感があります。日本人の忘れやすさを代表するのが橋下徹・大阪市長が代表も兼ねる日本維新の会です。この本は、今や人気絶頂にある橋下徹の内実・真相に迫っています。
橋下徹の言葉は、いつも、いつもながらシンプルである。
 橋下徹は、TPP賛成で、ブレない。労働市場は基本的に自由化すべしと主張する。
 橋下徹は、昔から核武装論者を自認していた。日本は、アメリカの核の傘の中で守ってもらい、原子力空母や潜水艦によって守ってもらっていると主張する。
 橋下徹は次のように演説した。
 「自分でしっかり生きていくことができる力を持つ。分かちあい、助けあい、弱者切り捨てだけ、このような甘い言葉こそ、本当に危険。国民が自立することを忘れてしまい、他人を頼ることを根本原則にすれば、もはや国家として地域として成り立たない。社会保障は、もうもたない。もたれあい、たよりあい、依存しすぎ、悪しき流れをきちっと絶つ」
 驚くべき冷たさ、弱肉強食そのもの超保守政治家です。非正規社員、派遣社員ばかりで、とりわけ若者が自立できない労働環境になっていることを橋下徹は、すっかり忘れてしまっています。こんな政治家は無用です。
 高校生に向かって、「いまの日本は、自己責任がまず原則」と開き直る橋下徹。これほど政治家として無責任な放言はありません。「自己責任」ではどうしようもなくなっている現実をなんとかすることこそ、政治家の果たすべき使命ではありませんか・・・。
橋下府政は、その前の太田府政のときの借金2848億円(年平均)を上回る3587億円を借金した。
 大阪府の財政危機の大きな原因は、関西空港2期事業などの巨大開発。りんくうタウン、阪南スカイタウン、水と緑の健康都市の3事業だけで4440億円の赤字を生んだ。そして、同和対策事業に年50億円も投入して継続した。
その反面、橋下徹の弱い者いじめは徹底しています。
 敬老パスの有料化、コミュニティーバスへの補助費削減、国保料減免の縮減、障害者スポーツセンターの統廃合、などなど・・・。
 橋下徹は、能や文学が好きな人を「変質者」と呼んだ。
 2011年6月29日、橋下徹は有名な演説をした。
 「日本政治で一番重要なのは、独裁だ。独裁と言われるくらいの力、これが日本の政治に一番求められている」
 橋下徹の政治の中身は、民主党や自民党とまったく同じ、いや、もっとひどい政治を一気にすすめようとしています。右側から民主主義を攻撃する突撃隊の役割を果たしているのです。
 「決める政治」と言っても、悪い方向にどんどん強引に決められ、すすめられたら大変なことになりますよね。もう、いいかげんマスコミが橋下徹をもてはやすのは止めてほしいとつくづく思います。
(2012年8月刊。1143円+税)

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2012年10月17日

地熱エネルギー

社会

著者    江原 幸雄 、 出版    オーム社 

 この夏、電力不足で停電になると電力会社と政府・財界からさんざん脅されましたが、猛暑のなかでもなんとか停電もなく耐え抜きました。原子力発電所に頼らなくてもやっていけること、原子力発電所に頼ってはいけないことが次第に国民に浸透していることを実感します。
原発以外のエネルギーとして、地熱発電にもっと力を注ぎこむべきだと強調している本です。先日、同じことを伊藤千尋氏(朝日新聞)も言っていました。九州には、既に九重に大きな地熱発電所があります。それを大いに活用すればいいのです。
 地熱発電所の歴史は古く、いま世界各地で地熱発電も非常に熱心に進めている。世界最初の地熱発電は、1904年、イタリア北部のラルデレロに始まった。
現在、世界中30ヶ国で地熱発電がおこなわれ、2010年には世界の地熱発電所は1000万kwをこえた。2015年には1850万kwをこえる見込みである。
 日本では、1999年までに全国18ヶ所、54万kwの地熱発電国になったが、その後は原発推進のため、すすんでいない。日本の地熱資源ポテンシャルは2000万kwをこえると推定されている。
地球の中心は6000度Cと推定されており、偶然だが、太陽の表面温度と同じ。地球も堆積の99%は1000度C以上、100度C以下は0.1%にすぎない。したがって、地球は巨大な熱の塊と言うことができる。
 日本の地熱ポテンシャルが2000万kwというのは、アメリカ、インドネシアに次いで世界第3位。日本は世界に冠たる地熱資源大国なのである。ところが、現在、わずか2%、54万kwしか利用されていない。
安全で安いと言われてきた原発が、実のところ、人類がコントロールできないほど危険なものであり、その始末することが不可能なことを考えたら、コストは無限大のようなものだ。このことが明らかになってきた今、私たちは地熱エネルギーのコストが少しくらい割高でも、これを活用しない手はないと思います。
 とってもタイムリーな本でした。
(2012年3月刊。2800円+税)

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2012年10月16日

勝つまでたたかう

司法

著者   馬奈木昭雄弁護士古希記念出版会 、 出版   花伝社 

 久留米で古希を迎えた馬奈木昭雄弁護士に寄せた論稿集です。馬奈木イズムというネーミングには少々ひっかかりましたが、馬奈木弁護士の果たした成果は大きく、その取組には大いに学ぶところがあります。550頁、4200円という大作ですので、ずしりと重たく、若手には腰が引けるかもしれませんが、ぜひ馬奈木弁護士が到達した頂に挑戦してほしいと思います。
 まずは馬奈木弁護士の問題提起を紹介します。これは20年前の文章です。
同じ問題を抱えた人々が無数に存在している課題であれば(さらに言えば、その提起に取り組むことを存立目的としている大衆団体が、すでに大衆を組織して存在しているのであれば)、その人々から原告団をつくりあげていく運動に取り組むことは、困難ではあっても不可能ではない。しかも、すでに存立している大衆団体にとっては、同時に自分の団体を拡大し強化していく運動にもなる。
 なるほど、なるほどと思いました。さすが水俣病をはじめとする数多くの公害裁判をたたかってきた経験からの確信が伝わってきます。
 篠原義仁弁護士、現在の自由法曹団長であり、私の直接の先輩弁護士でもあります、は馬奈木語録について、次のように解説しています。
 「私たちは絶対負けない。なぜなら、勝つまでたたかうからだ」という馬奈木弁護士の言葉は、たとえば有明訴訟でいうと民事差止裁判をやって敗訴したら、行政処分の取消訴訟を、開発のための公金違法支出差止の監査請求そして住民訴訟をやる、仮処分も事訴も。原告団も地域ごとに、そして、一陣だけでなく、二陣、三陣訴訟もやる。多角的に重層的に、戦いを組織する。そして、運動で相手を追い込んでいくということ。
 敗訴すると、運動に悲壮感が生まれ、団結上も問題が生まれる。それでも「訓練された団結」を維持し、たたかい抜くためには、運動の中心、とりわけ弁護団への厚い信頼が絶対的に要求される。馬奈木弁護士には、強い信念を基礎に、厚い信頼を集める人柄、人間性が基本にあり、それは実践力に裏うちされている。たたかいの源は人間力、実践力で、馬奈木語録のなかに秘められた真意を汲みとることが重要だ。
 大阪の村松昭夫弁護士は、2011年から司法の場で吹き荒れている逆風について、次のように指摘しています。
 これらの不当判決の根底に流れているのは、国民の生命や健康を守るべき国の責務について、限りなくこれを後方に追いやり、ごく例外的な場合にしか国の責任を認めない。そのいっぽうで、被害発生の責任を労働者や零細業者、患者らのいわゆる「自己責任」に押しつけるという行政追随、被害切り捨ての思想である。その背景には、国の責任を広く認めると、国の財政が破綻するという「財政危機論」を口実にした、国による司法への「脅し」がある。
 さらに、久保井摂弁護士は次のように書いています。
被害者自身が被害を語る意味・・・。被害者であって、顔を上げ、名乗って、訴える正当な資格のある、人権の享有を許された権利主体なのだという確信こそが、その人らしく生きることを可能にする。
 被害を語るためには、自身の置かれた状況を権利侵書として言語化することが必要であり、その前提として、自己の権利を知る必要がある。
 筑豊じん肺訴訟原告弁護団長をつとめた故松本洋一弁護士の作成した陳述書は、ひと味ちがった。一人称で書かれていたが、聞き取りの場である居宅の光景、語り手や家族の姿を、観察者松本洋一の視線で再現する常体の文章が挿入されていた、それは、読みながら、部屋のたたずまい、明暗、室温、そこに漂う匂いまでよみがえる気のする、五感に訴える叙述だった。
 堀良一弁護士の次の指摘は、いつもながら秀逸です。
 運動の議論に時間をさかない弁護団なんて、ろくでもないに決まっている。
 注意しなければならないのは、日常業務に引きずられて何か裁判ですべてが解決するかのように思いがちな人々の幻想にきっぱりと釘を刺さなかったり、当事者や支援者それぞれの紛争解決に向けた役割と行動を提起しなかったり、裁判闘争を対裁判所だけの取り組みに矮小化したりすることだ。裁判の果たす役割と可能性が目の前にある社会的紛争を解決するための戦略と戦術のなかに正しく位置づけられはじめて、裁判闘争は紛争解決の真の力たりうる。
 まず、状況をきちんと分析する。歴史的、全体的にどこから来て、どこへ向かおうとしているのか。現在の観点からだけではなく、過去の観点から、未来の観点から事実にもとづいて正確に把握する。
 次に、何を目標として現在を変革するのか、しなければならないのか。そのゴールを明確にすることだ。社会的紛争を解決するというのは、現状を変革することに他ならない。そして、目標は人々に希望を与えるものでなくてはならない。
 そのうえで、目標に行き着くための課題を抽出し、それぞれの課題を達成するための行動計画を明確にする。それぞれの課題と行動は分かりやすく、たたかいの経過に応じて臨機応変に具体化しなければならない。行動計画は、どう動けばいいのか瞬時にイメージできるものでなくてはならない。それぞれの課題と行動計画は、相互に有機的に結びついて、目標達成の確信と、目標達成に向けた人々のエネルギーを沸き立たせ、それぞれの人々が目標に向けて、主人公としてやりがいを持ちうるものにしなければならない。
このほか、馬奈木語録をいくつか紹介します。
 弁護士は料理人であり、裁判官はこれを味わい、評価する人。うまい料理をつくらなければ、ダメ。
裁判官は何も知らないと思ってかからなければダメ。
善良だけで相手方にしてやられるような弁護士は、依頼者からみると悪徳弁護士といわれても仕方がない。
 専門弁護士といわれるためには、法律家の前ではなく、その分野の専門家の前で講演したり、学会誌に論文が掲載されるようにならないといけない。
 馬奈木弁護士の今後ますますの活躍を心より祈念します。
(2012年10月刊。4000円+税)

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2012年10月15日

家族進化論

人間

著者   山極 寿一 、 出版   東京大学出版会 

 人間とは何か、どういう生き物なのかを知るためには、サルやゴリラなど近縁の生き物との対比が欠かせません。
 狩猟採集民の研究が世界各地で進むにつれて、狩猟という生業様式が人間の攻撃性を高めるという考えは否定されるようになった。樹皮や葉を多く食べるゴリラは強大な大腸をもっている。主として果実を食べる霊長類の胃腸は比較的単純で短く、食物の消化時間も葉食の霊長類に比べて短い。
 ゴリラとチンパンジーは、同じ果実でも異なる利用の仕方をするため、両者が出会うことはめったにない。そして両者には敵対的な態度もみられない。どの場合も、先着したほうが食べ終わってその場を離れるまで後着したほうは待っていた。
 ゴリラは草食に、チンパンジーは果実食にあった採食戦略をもっている。
 ゴリラは、大量にあるけれど消化に時間のかかる葉や樹皮を補助食物にしたおかげで、草食動物のように群れ単位で採食することが可能になった。
 直立二足歩行がなぜ生まれたか。その一は、エネルギー効率を良くするため、その二は外敵への威嚇につかうため、その三は、食物を運ぶため。
 四足で歩くのに比べて敏棲性や速度こそ劣るが、時速4~5キロメートルで歩くとエネルギー効率が良いし、長い距離を歩くほどエネルギーの節約率が増す。また、直立二足歩行の利点は手を自由にしたことにある。
人間は食物の消化率を高めて、胃腸の働きを軽減した。そのため、胃腸にまわしていたエネルギーを脳に費やすことができるようになり、脳を大きくすることができた。胃腸の縮小と脳の増大はトレードオフの関係にある。
 食物を分配して一緒に食べるという行為は、人間以外の霊長類ではほとんど見られない。チンパンジーが食物を分配するのは、優位個体の社会的地位が仲間の協力と支持によって維持されているからだ。
 アフリカのピグミーの人々においては、大きな獲物を捕って還ってきた仲間を、村で待ちかまえていた人々が散々にけなす。なぜか?
 それは、肉の取得者に権威が集中するのを防ぎ、平等な社会を維持するための工夫の一つなのである。
ニホンザルのメスは、愛情に結びつかない時期は最優位のオスと交尾し、排卵日になると優位なオスの目を盗んで好みのオスと交尾する。メスは排卵日に限ってはお目当てのオスとだけ交尾をすることが可能なのだ。DNAによる父子判定によっても、けっして優位なオスがたくさん子どもを残しているわけではないことが分かっている。
乱交的な交尾は、どのオスにも自分の子どもと思わせ、オスから子どもの世話を引き出したり、群れ内のオスの数を増やして防衛力を高めようとしていると考えられる。
人間の女性も、排卵日が近くなると性的なパートナーの選択性が高くなる。そして、そのとき、いまのパートナーとは別のタイプの男性に性的魅力を感じる傾向がある。
霊長類社会では、育児や一緒に育った経験が交尾回避を引きおこす要因になっている。ギブツ(イスラエルの子育てシステム)の子どもたちは、一緒に育った異性の仲間の結婚の相手とはみなさない。
 私の子どもたちも、同じ保育園にいた仲間は恋愛そして結婚相手とすることはないし、大人になっても単なる親しい友人としてずっと交際しています。「おしめ仲間」とは結婚できないのですね。
ペアをつくるテナガザルや単独生活するオランウータンには、子殺しが報告されていない。そして、乱交的な交尾を好むボノボにも子殺しはみられない。
 チンパンジー、ゴリラ、オランウータンは、自分とはちがう種の相手でも、その身体に同化し、相手の意図までそっくり模倣する能力をもっている。
人間と家族の機嫌を根本的に考える手がかりとなる本だと思いました。
(2012年6月刊。3200円+税)

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