弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2012年8月29日

続・悩む力

人間

著者   姜 尚中 、 出版   集英社新書  

 『悩む力』は、最新の広告によると100万部も売れたそうです。すごいベストセラーになりました。どうぞ、10月4日(木)午後の佐賀市民会館での姜教授の話を聞きにきてください。「教育の原点をとりもどすために」という内容です。お願いします。
 3.11のあとの日本社会をともに考えようという呼びかけもなされています。
 人間はなぜ生きるのか。生きる意味はどこにあるのか。何が幸福なのか。この問いをギリギリまで問い続け、答えを見出そうとした先駆的な巨人がいる。夏目漱石とマックス・ウェーバーである。漱石やウェーバーが重要なのは、東西でほぼ同時代を生きた2人の巨人が既に100年以上も前に、慧眼にも「幸福の方程式」の限界について、ほかの誰よりも鋭く見抜いていたことにある。
 いまの私たちの日常世界を圧倒的に支配しているのは、幸福の弁神論である。つまり、自由競争のルールに従って優勝劣敗が生じることは当然であり、強者、適者が栄え、弱者、不適応者が滅びることには一定の正当性があるという考え方である。
 そのためか、自殺した人が亡くなるときには、「すみません」という言葉を残して生命を絶つことが多い・・・・・。
近代までは、自然や神といった、実態を反映していると考えられた秩序に慣習的に従っていれば、よくも悪くも人生をまっとうできていた。ところが、近代以降の人々は、自分は何ものなのかとか、自分は何のために生きているのか、といった自我にかかわることを、いちいち自分で考えて、意味づけしていかなければならなくなった。
 しかも、一人ひとりがブツブツと切り離されていて、つながりがなく、共通の理解もない状態なのだから、お互いに何を考えているのか分からない。そのため、それぞれ内面的には妄想肥大となり、対人的には疑心暗鬼となり、神経をすり減らしていくことになる。
 近代文明のなかで個人主義が進行し、人々の孤独が強まり、また自意識がどんどん肥大していくからこそ、逆説的に、宗教は昔よりも自覚的に、かつ熱烈に求められるようになった。
 ホモ・パティエンス(悩む人)である人間は生きている限り悩まずにはおれない。そのほうが人間性の位階において、より高い存在なのだ。
 『吾輩は猫である』のなかに次のような記述がある。気狂いも、孤立しているあいだは、どこまでも気狂いにされてしまう。しかし、団体になって、勢力が出てくると、健全な人間になってしまうかもしれない。大きな気ちがいが金力や威力を濫用して多くの小気ちがいを使って乱暴を働いて、人から立派な男だと言われ続けている例は少なくない。
 100万人のうつ病患者と、年間3万人をこえる自殺者がいて、10人に1人は仕事の状況で、しかもやがて訪れるという年金だけの生活におののきつつ、自分はどう生きていくかという、切羽詰まった自分探しをしている。
 そして、「ホンモノを探せ」と叫び、私たちをあおっているのは、ほかならぬ資本主義なのである。ホンモノ探し、自分らしくありたいという願いが、自分に忠実であろうとする近代的な自我の一つの「徳性」を示しているとしても、それが時には、ナルシズムや神経症的な病気をつくり出しかねないことにもっと注意を払うべきである。
漱石やウェーバーなどの生き方にあやかる意味でも、あの3.11の経験を、どうしても「二度生まれ」の機会にしなければならないと思う。ところが、マスコミの動向は、忘れることの得意な日本人たちは、早々と3.11を忘れ去ろうとしている。
 日本人は、世界のなかでことさら宗教心の乏しい国民というわけでもない。それは、鎌倉時代のころ、12ないし13世紀に登場した、法然、栄西、親鸞、道元、日蓮、一遍といった人々が次々にあらわれ、宗教改革を起こしたことからも分かる。ただ、戦前そして戦中に、政治的エネルギーを一種の宗教のように進行した結果、手痛い敗北をきっしたトラウマはとても大きかった。そのため、政治と宗教については、色をもたないほうがよいという教訓が導かれた。そして、ひいては何事に対しても、無逸透明であることが習い性のようになってしまった。
過去をもっと大切にしよう。いまを大切に生きて、よい過去をつくることだ。幸福というのは、それに答え終わったときの結果にすぎない。幸福は人生の目的ではないし、目的として求めることもできない。よい未来を求めていくというよりも、よい過去を積み重ねていく気持ちで生きていくこと。
恐れる必要もなく、ひるむ必要もなく、ありのままの身の丈でよいということ。いよいよ人生が終焉する1秒前まで、よい人生に転じる可能性がある。何もつくり出さなくても、今そこにいるだけで、あなたは十分あなたらしい。だから、くたくたになるまで自分を探す必要なんてない。心が命じるままに淡々と積み重ねてやっていれば、あとで振り返ったときには、おのずと十分に幸福な人生が達成されているはずだ。
 漱石とウェーバーをこれほど深く読み込むとは、さすがに大学の先生は違いますね。正編が100万部売れたとして、続編のこの本も何万冊と売れるのでしょうね。それはともかくとして、10月4日午後は、ぜひ佐賀市民会館に足を運んでくださいね。私も姜教授のナマの話を楽しみにしています。
(2012年6月刊。740円+税)

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