弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2012年6月14日

ショージとタカオ

司法

著者  井手 洋子  、 出版  文芸春秋
 
 布川事件で被告人とされた桜井昌司(ショージ)と杉山卓男(タカオ)の両氏について、仮釈放以来、ずっと映像をとり続け、ついに映画にまでした監督が書いた本です。
 私は、残念ながら映画はみていませんが、このお二人の話は直接聞いたことがあります。実は、二人とも私とまったく同世代なのです。でも、私が大学に入って東京で生活を始めた年の10月に逮捕され、それ以来、29年のながきにわたって獄中にいたのでした。そして、ついに1996年(平成8年)仮釈放されました。ときにタカオは50歳、ショージは49歳でした。女子高生のルーズソックスがブームだったころです。
そんなわけで、このお二人は見かけこそ中年のおじさんなのですが、その心は若者のままなのです。私がお二人の話を聞いたときも、見かけは私と同じでも、その心持ちはずいぶん若い気がしました。それはともかく二人コンビで何か悪いことをしたわけでもないのに、運命のいたずらで事件は二人の「共犯による犯行」とされてしまい、それぞれ「自白」して、相手を「まき込み」、それがずっとお互いのわだかまりの元になっていたのでした。
そして、そんな二人の歩みをずっと映像にとっていたというのですから偉いですよね。だけどそのとき、この監督(この本の著者です)はどうやってメシを食べていたのか(収入を得ていたのか)、いささか疑問も感じました。配偶者の稼ぎに頼っていたということでしょうか・・・・?
ショージは、刑務所の独房のなかで、毎日、腕立て伏せを100回、腹筋を50回していた。部厚い広辞苑を鉄アレイ代わりにつかって、腕を振る運動もしていた。
1987年7月に無期懲役が確定して、千葉刑務所に暮らすようになってからのことです。偉いですね。さすがですね。
そして、ショージは刑務所のなかで靴を縫う仕事で法務大臣賞をもらったのでした。逮捕される前は定職についていなかったショージは、この際、しっかり働いて誰にも負けない、日本一の靴の作り手になることを心の中で誓っていた。
ショージもタカオも長い刑務所生活のなかで心の支えになっていたのは手紙だという。たまにある面会ではない。
支援者からの手紙に写真を同封するのは一切ダメだというのを、「保護者」が写っているのはOKだということになった。
タカオは六法全書を入手し、舎房のなかで、日々研究した。
ちょっぴりぐれかかった20歳前後の若者2人を警察が目をつけ強盗殺人の犯人に仕立てあげ、「自白」させた事件です。そして、それを40年以上もかかって再審無罪にしたというのです。もちろん二人がもっとも大変だったと思いますが、それを支えた周囲の人たちもすごいですよね。そして、日の目を見る保障がないなかで映像をとりはじめたというのも、すごいです。
   無実の人が「自白」するなんて簡単なことだという実例です。ぜひ映画を見てみたいものです。
(2012年4月刊。1200円+税)

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2012年6月13日

フィンランドに学ぶべきは「学力」なのか!

社会

著者  佐藤 隆、 出版  かもがわブックレット

 フィンランドは「学力世界一」として評判になっています。この本では、「学力」とは何なのか、それ自体を問い直してみる必要があると強調しています。
 教育の目的が、「学力向上」の一点に焦点化されるという事態は、果たして正しいことなのか?
メディアはこういう。「今の日本の子どもの学力は落ちている。だから『たたき直して』昔のように学力を高めるのだ。そうしないと日本は心配だ」
全国一斉学力テストは、学校を今以上に文部省の思いどおりに動くものに変えるためのもの。学校同士が競い合うような構造をつくりたいという狙いである。
 日本の子どもは、ふだんの授業では扱われないような問題やあまり考えたことのない問題には戸惑ってしまう。あるいは、分かっていても自信がもてない。まちがったら恥ずかしいという感覚をもっている。
 今の日本社会は、政治や企業の世界で嘘やごまかしがまかり通る社会になっている。
 ところが、フィンランドでは、汚職や公約違反が少なくない。大人が慎ましく誠実に生きることを大切なことだと考え、それを実行している社会で育つ子どもは、いつのまにか同じ価値観を身につけていくだろう。反対に、日本のように自分の利益のためであれば何をしてもよいのだという政治を見せつけられている子どもは、安心して育つことができない。
 本当にそうですよね。マニフェストだとか言って当選したら、そんなものは知らんと放り出す政権与党と政治家を見せつけられたら、誰だって大人というか人間を信じられなくなります。まさに、教育問題とは大人の問題ですね。
 フィンランドでは、どの教室も静かで落ち着いている。教師も子どもも、ゆったり話をする。手をあげた子どもは自分の順番が来るまで、静かに待つ。クラスのサイズは小さく、多くても20名ほど。待っていたら、ちゃんと自分の話を聞いてもらえる。
フィンランドでは、どんな教科書をつかって、そんな方法で授業するのか、すべて個々の教師にまかされている。
 信頼されるということは、何にもましてやる気にさせてくれること。ところが、フィンランドでも、学校の独自色や暖かな励ましの雰囲気が薄れようとしている。それでもフィンランドの教師には、たっぷりの休養と権利としての研修、そして安定的な身分の保障が十分になされている。だからこそ教師は教育の自由と責任の自覚のもとで子どもや保護者と対話しながら、誰もが納得できる教育的な判断を下すことができる。
日本がフィンランドに学ぶべきものが見えてきた思いがしました。私たち日本人の大人の責任が大きいことを痛感します。教師を叩いて日本の国がよくなるはずはありません。わずか60頁の薄いブックレットですが、しっかり考える材料がきちんと盛り込まれています。価値ある600円でした。
(2009年11月刊。600円+税)

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2012年6月12日

バイバイ・フォギーデイ

司法

著者  熊谷 達也  、 出版   講談社

 面白い本です。まったく期待せずに、読み飛ばすつもりで読み始めたのですが、案に相違して抜群の面白さでした。なんだか函館の町にいて、高校生に戻った気分で本に没入し、最後まであっというまに読みふけっていました。いやはや、すごい書き手です。
なにしろテーマは憲法改正なのです。こんな堅苦しいテーマをじっくり面白く読ませてくれる手法には、恐れいりました、としか言いようがありません。
舞台は函館のH高校。そして五稜郭が出てきます。私も一度だけ五稜郭に行き、タワーにものぼりましたし、五稜郭の周囲の池の端を少しだけ歩いてみました。もう、20年近くも前のことです。
オビの裏には、こう書かれています。
一見ミスマッチな青春と政治が、鮮やかな恋物語を紡ぎだす。
憲法改正についての国民投票実施が決まった春、函館H高校女子生徒会長の杉本岬は、全国の高校生による模擬国民投票に向けて動き出す。メディアに取り上げられ、有名人になった岬だが、掲示板サイトには彼女を批判する書き込みがされて苦境に陥る。岬の同級生の田中亮輔は、地元パンクバンドのギタリストだが、憎からず思っている岬を助けたいと願いながらも、なすすべがない。国民投票の結果は? そして、二人の恋と未来はどうなるのか?
すごいんです。なにしろ焦点は憲法9条なのです。国民投票で否決されたら自衛隊は解体されるのか、という重大な問いかけがなされます。その点にきちんと答えないまま国民投票で勝負しようというのはインチキじゃないかと高校生が迫るのです。まことに、そのとおりです。
そして、日本の海上保安庁の船が不審船に沈没させられると、世論は一気に憲法改正に賛成するムードになっていきます。そして、ネット社会で有名人になった女子高生の岬は、憲法改正による賛否を明らかにせよと迫られるのです。
憲法改正は9条がメイン。それ以外にも環境権とかいくつかあるけど、あくまでも憲法9条をどうするかが議論の中心よね。
改正案は、最小限度の項目にしぼられた。そして、国民投票については18歳以上のはずだが(今は、まだ決まっていません・・・・引用者)、今年度末までに満18歳になる人は、18歳以上とみなすということになった。
これまで、我々は憲法9条の解釈に常にふりまわされてきた。霧とか靄(もや)とかがかかったような状態に長いこと置かれてきた。それが、今度の国民投票で、よかれ悪しかれ、霧が晴れてすっきりした状態になる。どういう方向に向かうかは投票の結果によるけれど、いずれにせよ、視界が良好な世界へと踏み出すことができるだろう。だから、バイバイ・フォギーデイ。もやもやした霧の日よ、さようならというわけです。
今回の憲法改正案が否決されたとき、現行憲法を文字どおりに解釈して、自衛隊を解体するのか、あるいは改正案が否決されたのだから、現状維持でよしとするのか。
私は、自衛隊なんていう軍隊は日本からなくなってほしい、必要なのは災害救助隊だと、3.11東日本大震災のあと、痛切に思います。
インターネットの世界では抜きさしならない事態に見舞われ、大きな危機に瀕している。なのに、実際の風景は、いつもと変わらず、いたってのどかなものだった。
そして、いよいよ国民投票の日が迫ります。改正キャンペーンはやや下火になったものの、結局、改正賛成が多数を占めます。ああ、こんなことにならないようにしようと思ったことでした。
巻末に主要参考文献のリストがあります。ぜひ多くのみなさんに読んでほしい本ばかりです。
(2012年4月刊。1600円+税)

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2012年6月11日

魚は痛みを感じるか?

生きもの(魚)

著者   ヴィクトリア・ブレイスウェイト 、 出版   紀伊國屋書店

 魚が痛みを感じているのか?
 この問いかけに対する答えは、イエス。ではなぜ、一度エサにかかって釣りあげられた同じ魚が、再びエサで釣れるのか?
それは、ひもじいのに、ほかにエサが見つからなかったから。うーん、魚も痛みを感じているのでしたか・・・。モノ言わない魚も、実は痛みを感じていたなんて。
 痛みとは、単一のプロセスではなく、一連のできごとが集まったもの。皮膚の特殊な受容体が刺激を受けると、それは何かが皮膚にダメージを与えているという情報を身体に伝える。たとえば、最初にやけどが検出され、その情報が伝達する信号が脊髄背角へと伝わり、そこで反射反応が引き起こされる。そして、ヒトはやかんのふたを落とす。ここまでは、すべて無意識のうちに生じる現象だ。信号は、脊髄に到達して反射反応を引き起こしたあと、脳に至る。そのときはじめて、ヒトは痛みを感じはじめる。
 やけどによって引き起こされた不快な情動的感覚に意識的に気づき、脳はたった今自分がとった行動が痛みをもたらしたのだと告げる。何らかの痛みが感じられるまでに2秒ほどかかることがあるが、ほとんど痛みはそれより早く感じられる。
 マスに深い痲酔をかけて活動を完全に停止させ、何が起きているかをまったく関知できない状態にする必要があった。しかし、神経系は依然として機能している。ヒトの場合には、痛みを経験すると、呼吸と心臓の鼓動が速くなる。魚の場合には心拍数が早くなることが、エラ蓋の開閉数を数えることで分かる。
 マスをハチの毒や酢で処置したとき、エラの開閉数は、休息していたことに比べて、ほぼ倍になっていた。したがって、マスは痛みを検知する。そして、それが刺激されると、その情報が三叉神経に伝達される。それによって魚の行動が変化する。
 では、魚は感情を経験しているのか、苦しむ能力をもっているのか?
 魚はエサを迷路のなかでも素早く見つけるようになる。つまり、魚は学習できるのである。エサを早く見つけるため迷路のなかで、どこで曲がったらよいのか、そのときの目印は何かを魚(キンギョ)は学習し、記憶することができる。
フィルフィンゴビーという小さな魚は、満潮時に周辺の地形を覚え込んでいて、干潮のときには海水のたまるくぼみを記憶している。そして、捕食者が来ると、水たまりから水たまりへと飛び移って逃げる。周辺の環境を学習するには、満潮をたった一度だけ経験すればよい。
魚にも「知能」があって、学習できること。そして、魚も痛みを感じていることを実証した面白い本です。
(2012年5月刊。2000円+税)

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2012年6月10日

「地」的経営のすすめ

社会

著者   佐竹 隆幸 、 出版   神戸新聞出版センター

 大変面白く、また勉強になる本でした。企業って、やっぱり人の役にところでこそ価値があるのですよね。大企業の経営者ばかりが、とてつもない高給とりであるアメリカを日本の経営者がマネしていますし、それを日本経団連が恥ずかしげもなく後押ししているのを見て、苦々しく思っていました。そんなときに、こんなビジネス本を読むと、ほっと一息ついて、救われる気がします。
 経営品質のいい企業とはいったどんな企業なのか?
 こう問いかけられたら、挨拶のできる企業だと答える。従業員が本当にきちんと挨拶ができる、そんな企業こそ経営の質がいいということである。なるほど、そうですよね。
 従業員が、自分の属する企業に誇りを持てるようになれる、誇りをもてるようになれば従業員は当然に挨拶ができるようになり、それば発展して企業は信用力が高まり、さらには成長発展していくことができるようになれる。
 神戸には有名ケーキ店をめぐる観光タクシーがある。有名ケーキ6店を2時間でまわり、3人で6000円(飲食代は別)。
 なるほど、これなら乗ってみようかなという気になりますよね。
 三重県四日市の宮崎本店は日本酒と焼酎メーカー。清酒「宮の雪」と焼酎「キンミヤ」のメーカーとして、東京で下町の居酒屋では熱狂的なファンがいる。北村薫の『飲めば都』にキンミヤは「素直で口当たりのいい」として紹介され、また大前研一の『サラリーマン・サバイバル』に、「日本酒は三重県の『宮の雪』だ」と書かれている。
 この会社の偉いところは、これまで一度もリストラしたことがないということ。そして、社員の安全を重視してきたこと。社員も会社の株をもち、1割配当してきた。すごいですね。
 日本経済が全体として冷え込んでいるなかでも、こうやって地元に根づいて着実に前に向かって歩み続けている中小企業がいることを知ると、うれしくなりますね。
 キャノンの御手洗会長そして住友化学の米倉会長といった日本経団連のトップはあまりにも視野が狭すぎます。自分たちさえよければ、あとは野となれ山となれといった経営者がもてはやされすぎているのではありませんか。そして、そんな金もうけで本位の経営者が教育問題でもっともらしい説教をするのですから、世の中、間違うはずです。
(2012年3月刊。1600円+税)

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2012年6月 9日

インド・ウェイ、飛躍の経営

インド

著者   ジテンドラ・シンほか 、 出版   英治出版

 インドの企業はすごい。
 2010年に、インドはアメリカ、中国、日本に次ぐ世界第4の経済大国となった。日本のGDPは4兆3100億ドルに対して、インドは4兆100億だ。インド経済は、年7~8%の成長を続けている。
 日本とインド企業との連携の好例は、スズキだ。インドの自動車市場の45%のシェアである。
インド・ウェイとは、よその国とは異なるインド企業独特の組織能力、マネジメント慣行、そして企業文化の複合体だ。それは、作業員とのホリスティック・エンゲージメント、ジュガンドの精神、創造的な価値提案、高度な使命と目的の4つの原則から成っている。
 アメリカのMBAプログラムに入学するために必要なGMATの受験者は、10年間にアジアで74%増加したが、中国は161%、インドは341%も増えた。
インドでの販売の最大の課題の一つは、従来のマスメディアが人口の半分にしか届かず、5億人をこえる人が企業の製品やブランドについてほとんど知らない。およそ60万の村落の分散している農村部の住民は、新聞、電子メディア、鉄道につながっておらず、また半分以上は道路でさえ都市と接続していない。
 インド企業の驚くべき成功にもかかわらず、多くのインド人が貧困に窮しており、3億人以上の人々が1日1ドル以下で過ごしている。幼児期の死亡率は依然として高く、1000人の出生について57人が死亡する(アメリカでは7人)。
インドの中間層は急激に増えており、田舎の生活から離れ、新しい格差を生み出している。政府における汚職だけでなく、ビジネスにおける汚職も、インドでは日常的となっている。
 ごく低収入の人々に、ごく安い価格でアプローチするビジネスが生まれました。
 きわめて多数の顧客人口に対して、非常に低コストの通信サービスを提供した。世界でもっとも安いケータイ料金が1分10セントのとき、インドでは1分1セントというものだった。
 なーるほど、数は力なりですね。どんなに安くても、数が多ければ商売として成りたつというものです。
 世界に冠たるインド企業の内実を少しだけ知った気にさせる本でした。
(2011年12月刊。2200円+税)

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2012年6月 8日

介護と裁判

社会

著者  横田  一  、 出版   岩波書店

 ちょっととっつきにくいタイトルですから、本のタイトルとしては失敗しているんじゃないかと思います。それでも、読むと介護施設の寒々とした実情と問題を鋭くえぐった本です。みんな年齢(とし)をとったらお世話になるはずの介護施設の実態がこんなにひどいものだったとは、思わず身震いしてしまいました。
「あすにも社会的入院や寝たきりはなくなる」という標語は見事に幻想に終わった。いやあ、本当に残念です。
 介護保険制度は、保険料や公金など、年に7兆円以上もかけているのに、うまく機能していない。少なくとも合格点からは、はるかに遠い。うむむ、困ったことです。
 その理由の一つは、介護殺人や介護心中がなくならないどころか、逆に増えている事実にある。介護事故についての報告件数も年々増えている。
パンはこわい。パンを丸々一個口に入れて、ノドに詰まらせて死亡する例があとを絶たない。そこで、ケアの場では、日頃から歌などで声を出す練習をする。食べ物を飲み込むときに使う筋肉が、発声に使う筋肉とほぼ同じだから。舌を出し、頬をふくらませるなど、「お口の体操」をしてから食事に入る施設が少なくない。
介護保険法によれば、正当な事由なくサービス拒否することは禁じられている。しかし、実際には、施設は「客」を選ぶ。介護施設のよし悪しは、ヘルパーの力量いかんによる。質のよいところほど、スタッフのできのよいほど、できること、できないことをはっきり答えてくれる。有料老人ホームも玉石混交。肝心の職員研修が、手間や時間、経費がかかるためか比較的貧弱で、事故がじわじわ増えている。
 認知症の介護ではヘルパーが冷静にしていられるには、かなりの習練が必要となる。
世界最長寿のわりに、日本はリハビリ後進国といわれる。医療と介護をどうつなげてリハビリするかの検討も不十分だ。
 床ずれは、病院でおこせば「療養上の世話」のミス、つまり看護過誤。じつは、床ずれの有病率は、在宅高齢者に一番高い。
 支配されるお年寄り、介助者は王さま。これがケアの力関係である。
介護施設は、夜に20対1(ヘルパー1人で20人をケアする)というのはざら。
 拘束あるいは虐待の輪を断ち切るのは、看護師でもヘルパーでも、経営者でもない。身内なのだ。家族やまわりの善意の声が大きいかどうかで、対応は変わっていく。これが現実である。
 認知症の患者は、識別能力こそ弱っているものの、感情はある。
虐待発生のリスクは、ケア現場すべてに内在している。虐待するのは、20~30代の若手の介護士たち。そこで家族は、いろんな時間帯に面会するとよい。とくに、食事どきに食堂にすわる。そのとき、家族のいない年寄りがどう対応されているのかをよく見る。
 介護職場の大変さと、それを放置してごまかしている政府のインチキさがよくわかる本でした。
(2012年1月刊。1700円+税)

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2012年6月 7日

徹底解剖・秘密保全法

司法

著者   井上 正信 、 出版   かもがわ出版

 3.11東日本大震災の直後、福島第一原発のメルトダウンに至る状況は国民に十分知らされないままでした。知らぬが仏というコトワザはたしかにありますが、あのとき、むしろ欧米のほうがメルトダウンを察知して自国民の避難を急がせたのでした。
 そして、官邸の対応はあまりにも不手際が重なったと思います。それは東電の隠蔽体質によるところが大きいのでしょうが、最大の「敵」は「原子力村」と呼ばれ、今も根強い産学官複合体ではないでしょうか。
 そして、とんでもない「秘密」を当然視している人たちが、現状を法制化しようというのが、この秘密保全法制です。いやはや、その本質を知るにつれ、権力や権力にすり寄る人たちの厚顔無恥ぶりには怒りを通り越して呆れてしまいます。
 この本は、広島(尾道)で活動している弁護士が秘密保全法制をめぐる情勢とその問題点を分かりやすく多面的な視点から解き明かしています。
 秘密保全法は、その制定過程から秘密にされている何が秘密なのか、なぜ秘密にしなければいけないのか。それを明らかにできないのが、秘密の秘密たる所以なのです。
うむむ、なんだか、分かったようで、分からない話ですよね。早い話が、もし秘密保全法違反で逮捕され、裁判にかかったとしても、公開の法廷で、何が秘密だったのかが明らかになることはありません。もし、それが明らかにされたら、それをバラしたことで処罰されるなんてことは考えられないからです。いわばヤミからヤミへと処刑されるようなものです。
 だから、高名な憲法学者も入った有識者会議の報告書には、次のようなくだりがあります。
 「ひとたび、その運用を誤れば、国民の重要な権利利益を侵害するおそれがないとは言えない」
 この秘密保全法制は、対米公約の成果としてつくられようとしているものであります。つまりアメリカから押しつけられた法案でもあるのです。
国の秘密は、国民に対して秘密にするもの。秘密をつくる官僚や政治家にとっては秘密ではない。つまり国民には内緒にして、一部の官僚や政治家だけが知っている情報なのである。
といっても、著者も、国に秘密があることを認めないというのではありません。
 しかし、秘密が認められるためには、秘密が厳格に限定され、一定の時期が来れば必ずすべて公開され、秘密にすることが合理的であるかをチェックする第三者機関が必要だ。なーるほど、と思いました。
 既に日本には、秘密保護のために刑罰法規はある。自衛隊法96条の2、122条、刑事特別法、MDA秘密保護法など。
 「特別秘密」という概念はあいまいであり、限定がない。そのうえ、未遂を処罰するというのでは、あいまいすぎて、罪刑法定主義に反する。
 この秘密保全法制については、報道の自由を侵害するものなのですが、マスコミの反応が今ひとつ鈍いように思えます。マスコミの権力スリ寄り志向のせいなのでしょうか・・・。
 正当な取材活動も捜査の対象となるのですから、もっとマスコミは自覚してほしいところです。
 なお、1974年ウォーターゲート事件で内部告発したディープスロートは「最後まで誰かは不明」というのは正しくありません。そうではなく本人が名乗り出ています。こんな玉にキズがあるのも愛嬌です。
いつも難しい論文を書いている著者には珍しいほど平易な文章で一貫しています。本文150頁あまりのハンディな本です。ぜひ買ってお読みください。
(2012年5月刊。1600円+税)

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2012年6月 6日

記憶する技術

司法

著者   伊藤 真 、 出版   サンマーク出版

 としをとってもやれるものはたくさんある。いつのまにか還暦をすぎてしまった私のようなもの(決して老人なんて呼ばせません)を大いに励ましてくれる本です。
記憶するために必要なのは、頭のよさでもなければましてや気合いでもない。「記憶する技術」をもっているかどうかである。情報にあふれた現代において、たくさんの引き出しがあるだけではなく、それを適宜引き出せるということが大事だ。整理された引き出しが多ければ多いほど、アウトプットしやすい。そうすれば、それは生きた知識になる。同じことを何度も飽きずにくり返すことができること。あたりまえのことかもしれないが、これこそ記憶する技術の極意だ。つまり、対象に強い興味をもち、意識のポイントを変えることによって、何度となく学びを得ることができる。
人は、自ら欲した情報しか得ることができない。
 著者は教えている塾生、1年に300人を大体覚えているそうです。しかも、15年分です。すごいですね。
 対象に対して、強く興味や関心があると、記憶しやすい。だから、記憶するには、以下に対象に興味をもてるかに尽きる。
 いつまでも若々しい感性をもち、喜怒哀楽のはっきりしている人は記憶力もよい。喜怒哀楽の感情と結びつけて覚えると、あたかもそれを経験したかのような経験記憶となって、忘れにくくなる。
記憶のゴールデンタイムは「1時間以内」と「寝る前5分」。講義が終わったあと、席を立つ前に、その場でそのまま復習する。そして、毎日5分。それも寝る前の5分がいい。ポイントは、それまですべてをざっと復習すること。
部屋の整理ができず、整理が苦手だという人は、記憶力も弱い。ど忘れというのは、脳の前頭葉からの情報が求められているのに、側頭葉から答えが出ない状態をいう。
過去の記憶にどんな意味を与え、これからどんな記憶をインプットしていくのか。その技術こそが、生き方そのものだ。記憶とは量ではない、生き方なのだ。そして、忘れる力は、いわば生きる力なのだ。情報を消すこと、記憶を忘れることこそが命であり、生きている証拠だ。変化すること、忘れること、それこそが生きるためには不可欠なのだ。
生命にとっては、変化そのものが情報であり、変化の幅こそが次の反応をひきおこす手がかりになる。
 記憶力に自信がない人はいろいろ工夫するので、ゴールに到達しやすい。実際、早く合格する傾向がある。考える前提として、基礎的な知識は記憶していなければならない。つまり、記憶とは考えること。記憶を定着させるには、何度もくり返し、刺激を与えることが大切だ。
 考えるのをやめるというのは、つまり決断するということ。決断する訓練をしておかないと、試験に受からないし、実務家としても使いものにならない。技術が使いこなせない。
 記憶することは、人間が知的に感情豊かに生きるためにきわめて大切なことだ。
いい本でした。自らをふり返ってみるうえで大切なことがたくさん書かれている本です。若さを保とうとするあなたもぜひお読みください。
(2012年4月1300円+税)

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2012年6月 5日

教育改革のゆくえ

社会

著者   藤田 英典 、 出版   岩波ブックレット

 著者は教育改革国民会議の委員でした。国民会議による提案56のうち、7つに反対したところ、「反対ばかりしている委員」というレッテルを貼られてしまったそうです。今日の日本では、いかにもありそうなレッテル貼りです。
「改革すれば教育は良くなる」、「改革しなければ教育は良くならない」
 こういった改革幻想が支配的だ。しかし、改革したからといって必ず良くなるというものでもない。著者が反対したものの一つが、成果主義的・統制主義的・査察主義的な改革政策。すなわち、公立学校とその教師を理不尽に非難し、その自信と誇り、夢と情熱を低下させる可能性、その誠実な実践と学校改善・自己研鑽の努力を妨げる可能性の大きい改革に反対した。現実には改革は成功していない。それどころか、事態はますます歪み悪くなっている。
 日本の高校中退者は10万人前後、2%で推移しているが、これは世界でも異例の低い水準だ。アメリカの中退率は20%をこえている。そして、日本の少年犯罪の発生率は諸外国に比べてきわめて低い水準にある。
これまでの「ゆとり教育」は成功していない。不適切だった。問題解決能力も創造力も、定型的な知識・能力を基礎にしてこそより良く形成され、発揮される。
就学援助を受ける小・中学生数が急増している。 1995年に77万人、6%だったのが、2000年には98万人、2004年には134万人、13%となっている。10年間で倍増した。
地域間の格差も拡大している。経済的に比較的豊かな家庭、教育熱心な家庭の子どもが、地元の公立学校を敬遠し、私立学校や選択制のエリート校、入気校に入学する傾向が強まっている。
 東京都では、26%が私立中学に通う一方で、25%が就学援助を受けている。
最近の「学力重視」政策は、テストで測られる学力を重視し、学校間や地域間の競いあいを奨励している。
 テストの学力重視の圧力と自信の揺らぎは重大である。相次ぐ理不尽な改革・施策と公立学校批判・教師批判が続くなかで、教育への情熱・希望・気力が萎えていき、定年前に退職してしまう「優秀」と評判の教師が増えている。
 格差的・分断的な構造が定着すれば、その底辺を歩むことになった子どもは、青年期以降のどこかの時点で、自分たちは「差別され、ずっと底辺を歩かされてきた人だ」と思うようになっても不思議ではない。そして、地域社会の分断と教育力の低下が進んでいく。習熟度別学習は、学力差の固定化とその後の進路の差別化を招く可能性が大きい。
 学校教育は、教職員の連携、協力、協働によって支えられ、それが適切に機能してこそ、成功の可能性が高まるという点に重要な特徴がある。
教員免許更新制は、教師の身分を不安定にするから、優秀な学生にとっては教職がますます魅力のないものになる危険性が高い。
 かつて、日本の教育は、欧米諸国から一つの成功モデルとして注目されていた。それは、基礎学力の形成と、学校のケア機能の充実と、それを支える教職員の資質・力量の高さと協働制だった。そして、この四半世紀にわたる改革は、その優れた側面を否定し、その卓越性を支えてきた基盤を突き崩した。
 教育を政治の道具や政治化のおもちゃにしてはならない。教育現場はすでに疲れ切っている。教育は、現在と未来への投資である。お金も人手も時間もかけずに教育が良くなることはない。
わずか70頁の薄っぺらなブックレットですが、大切な、耳を傾けるべき提言が盛りだくさんでした。教育改革って、政治家に安易に言ってほしくないですよね。
(2008年3月刊。480円+税)

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2012年6月 4日

左利きのヘビ仮説

生き物

著者   細 将貴 、 出版   東海大学出版会

 人間に右利きと左利きがいるように、カタツムリにも右巻きと左巻きがいます。
 この本は右巻きカタツムリを主食とするヘビが、左巻きのカタツムリは食べられないことを実証した研究の過程を詳しく紹介しています。そう書いてしまうと、なあんだ、たいしたことないやんか、と思われるかもしれません。でも、実は、ものすごく 面白いのです。その過程が。
 まず、カタツムリだけを食べるヘビがいるなんて知りませんでした。よくぞ、それだけで生きられるものです。カタツムリばかり食べるヘビは、西表島と石垣島にしか生息していないイワサキセダカヘビという。樹上で暮らす夜行性のヘビだ。同じようにミミズとかナメクジだけ食べるヘビもいるとのこと。たいていのヘビはごく一部の動物しか食べない偏食家である。シマヘビは何でも食べる変わりもののヘビ。
 そして、カタツムリの右巻き、左巻きです。カタツムリも、人間と同じようにほとんどが右巻き。それで、カタツムリを食べるヘビの頭(口)は、それに適応するように左右不ぞろいな格好をしている。口の形から歯の数まで違うのです。それを発見したのは偶然ですが、それは執念のたまものでした。そこで、右巻きカタツムリを食べるのに適したヘビが左巻きカタツムリを食べようとすると、いったいどうするのかを実験してみたのです。その実験装置をつくるのが大変でした。さらに、その状況を映像を残さなくてはいけません。このヘビは夜行性ですので、カメラをセットして自動撮影にしておきます。
 なんと、右巻きカタツムリを食べるのに適した口をもつヘビは、目の前の左巻きカタツムリを食べることができなかったのです。よくぞ映像にとらえたものです。著者の執念による成果でもあります。
 この本を読むと、人間にも左利きが必ずいるが、「ほどほどに少数」いて、実は一人もいないということはない。そして、それがなぜなのか、その理由は解明されていないというのです。
 人間の場合、左利きになるのは、教育の成果だけでは説明がつかない。利き手の決定には遺伝子が関係している。
右巻きのカタツムリと左巻きのカタツムリとが出会っても交尾はできない。これも考えてみれば不思議なことですよね。前にフランスの自然映画で、カタツムリの交尾の様子を見たことがあります。お互いに触れあい、相性を確かめあって交尾に至るのですが、それはもう、見ている方が思わず赤面してしまうほどなまめかしい愛撫でした。
 カタツムリばかり食べるヘビは、西表島と石垣島にしか生息していないイワサキセダカヘビという。樹上で暮らす夜行性のヘビだ。同じようにミミズとかナメクジだけ食べるヘビもいるとのこと。たいていのヘビはごく一部の動物しか食べない偏食家である。シマヘビは何でも食べる変わりもののヘビ。森の中に入り、このヘビやらカタツムリを採取するというのですから、学者も大変です。なにしろ夜間です。例の毒ヘビ・ハブだっているのですよ。かまれたときの応急薬も持参します。それにしても、怖いですね。夜に森の中に一人で入っていくなんて・・・。勇気がありますね。
 まだ30代になったばかりの若手研究者による苦闘の研究が実感をもって伝わってきます。知的刺激にみちた本でした。
(2012年2月刊。2000円+税)

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2012年6月 3日

刑務所なう。ホリエモンの獄中日記

司法

著者   堀江 貴文  、 出版   文芸春秋

 いま長野刑務所に入っているホリエモンの刑務所体験記です。もちろん自由を奪われた生活なのですから、実際にはなにかと大変な苦労を味わっているのでしょうが、この本を読むと、開き直って楽しんでいるような印象さえ受けます。
 ともかく、よく書いています。もとから作家志望で、書くことは苦にならないようです。その点は、私とよく似ています。ともかくなんでも書いて、書きまくってしまうのです。そして、刑務所のなかでも新聞を読み、よく本を読んでいます。
 刑務所の臭いメシとよく言われますが、本当はとても美味しいようです。一人あたりの食費は安くても大量につくったら案外おいしいものができます。
 なにしろ、日頃の収容生活で最大の楽しみは食べることなのです。これがまずかったら、暴動が起きてしまうでしょう。
 ホリエモンは長野刑務所は全国屈指の美味しさだと誇っています。なかでもメンチカツは本当に美味しいようです。
 私も福岡刑務所を見学したとき、昼食を食べさせてもらいましたが、文句なしに美味しいと思いました。当初、それは見学者用だから美味しいのかと疑いましたが、そうではないようです。
 刑務所のなかの生活が、ときに実録マンガでも紹介されていて、500頁もある本ですが、飛ばし読みして1時間足らずで一気に読了しました。ホリエモンはこりることなく、意気軒高でした。ここらあたりは、人によって好き嫌いがあるところでしょうね。
(2012年3月刊。1000円+税)

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2012年6月 2日

「司法試験流」勉強のセオリー

司法

著者   伊藤 真 、 出版   NHK出版新書

 司法試験受験界のカリスマ塾長と最近、親しく話させていただいています。近くに寄っても遠くから見たときとまったく同じで、とても誠実、真摯なお人柄です。すぐに心をうちとけて話すことができました。
実感では、弁護士としての実務の中で法律の知識が占める割合は2割ほど。残りの8割はそれ以外のコミュニケーション能力であったり、共感力、イマジネーション能力、まさに人間力とも言えるものが必要で、実は、そうした能力が弁護士としての勝敗を分ける。その分野の特定の専門知識のいわゆる教養や雑学、経験などがあって初めて、現場で活躍できるのだ。
これは、私もまったく同感です。まったくの初対面の人とわずか30分ほどで、弁護士は相談の要点をつかみ、それなりに的確に回答し、この人と一緒に解決に踏み出そうという共感する関係を築き上げなければなりません。
 記憶するためには、自分にとって本当に必要なことだと脳に思い込みをさせることが必要だ。人間は忘れる動物なのだから、忘れることを前提に記憶する作業をすればいい。そのためには、まずは忘れることを怖がらないことが大切だ。記憶の基本は、やはり、「繰り返し」の作業である。記憶する力というのは、あきらめずに続ける力なのだ。
 若い人たちの想像力の衰退化の最大の原因は、本を読まなくなったことにある。本を読むということは、実は想像力を鍛える訓練になる。本を読むと、それが実はプレゼン能力の基礎力を鍛えていくことにつながる。
 わずか200頁の新書版ですが、若者にとって大切なことが盛りだくさんの貴重な本だと思いました。
(2012年4月刊。740円+税)

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2012年6月 1日

西都原古代文化を探る

日本史(古代史)

著者   日高 正晴 、 出版   宮崎文庫

 3月に2度も宮崎へ出張することがあり、宮崎空港の書店で目にして購入した本です。
 西都原(さいとばる)古墳の壮大さには圧倒されます。まだ行っていない人には、ぜひ現地へ足を運ばれるよう、強くおすすめします。佐賀県の吉野ヶ里遺跡も一見の価値が十分にありますが、規模では西都原のほうがすごいと私は思います。
 なにしろ宮崎県内には前方後円墳が160基、古墳全部では1590基もあるというのです。ここに古代文明の一大拠点が遭ったことは、このことからも明らかです。そして、宮崎県の中央平野部地帯に1200基あまりの古墳がまさに群在しているのです。奈良の古墳群だけを見て日本の古代文化を語るのは少し公平を欠くと思います。西都原だけで600基に及ぶ大古墳群があるのです。現地に行くと、その壮大な規模に圧倒されます。
 西都原古墳群には、前方部が細長く、その高さが低くて幅も狭い、特殊な形成の柄鏡(えかがみ)式古墳が散在する。この柄鏡式古墳は、広義の分類では前方後円墳の一形式である。
 そして、古墳群の中核をなす墳基として、男狭穂(おさほ)塚と女狭穂(めさほ)塚の存在が特筆される。全長200メートル前後、高さ15メートル以上、経100メートル前後というもの。帆立貝式古墳である。畿内と吉備地方以外には存在しない、西日本最大の巨大古墳である。
 なぜ、こんな辺鄙なところに160基もの前方後円墳があるのか?
『日本書紀』に語られる景行天皇の熊襲(くまそ)征討の伝承の九州行幸ルートにそって、柄鏡式系統の前方後円墳が点在している。
 男狭穂塚・女狭穂塚の築造された5世紀前半において、西都原地区を中心に古代日向の政治的本拠が確立されたと推測できる。畿内大和王権と密接な関連をもつ日向王権の勢力のもとに、西進・南下政策がとられてきた。
 飛鳥時代においても、古代日向の本拠は西都原地帯にあった。鬼の窟(いわや)古墳は、西都原古墳群のほぼ中央部に、一基だけ独立して存在する大形の円形墳である。
 私もこの「おにのいわや」古墳にのぼりましたが、広々とした草原の中央に大きな古墳があることに大いなる驚きを感じました。
 昔、この日向地区は、代表的な馬の産地でした。「日本書紀」下巻にもそのことが明記されているとのことです。そう言えば、都井岬には、今も野生馬がいるそうですね。
 「日本書紀」には応神天皇は、筑紫の蚊田(かだ)に生まれたと書いてあるとのこと。この応神天皇が九州にゆかりの深い天皇だということを知って驚きました。
 西都原を中心とした大古墳文化に象徴される日向勢力が畿内の大和王国と協調しながら、九州における中心的な拠点として、その地位を確立していた。
 大首長墓としての男狭穂塚、女狭穂塚の築造も、西九州のクマソ勢力に対して誇示するために巨大古墳の出現となった可能性が強い。
クマソに対抗する文化として西都原を拠点とする文化があり、それは、畿内の王権と密接な関係をもっていたようです。
 そうは言っても、現代日本では、西都原は福岡からはとても遠くて、行くのは大変で苦労するのですが・・・。
(2009年8月刊。1800円+税)

 今の時期しか食べられないエツのフルコースをみんなで食べに行きました。筑後川の下流、海水と河川の混じる気水域でしか取れないカタクチイワシの仲間です。ほっそりとした白身の魚で、刺身、煮つけ、塩焼、南蛮漬け、てんぷらと手を変え品を変えてフルコースで出てきます。
 今回は調理師による実演まであり、美味しくいただきました。佐賀県諸富町にある津田屋が行きつけです。

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2012年6月30日

帝の毒薬

日本史

著者   永瀬 隼介 、 出版   朝日新聞出版

 戦後まもなくの日本の東京で、銀行員12人が一挙に毒殺されるという前代未聞の殺人事件が発生しました。いわゆる帝銀事件です。死者12人、重体4人という大惨事が白昼に都心で起きたのですから、日本全土を震撼させたのは間違いありません。
 つかわれた毒は青酸カリ化合物。遅効性のものです。16人全員にゆっくり飲ませて、まもなくバタバタと死んでいったのでした。即効性の青酸カリではそんなことはありえません。だから、毒性を扱い慣れていなければ、素人でできる犯罪ではありません。なにしろ、犯人自身も実演しているのです。もちろん、自分の分は安全なようにトリックを使ったのでしょう。結局つかまったのは平沢真通という画家でした。
画家にそんな芸当ができるはずもないのに、いったんは自白させて、有罪・死刑が確定したのです。死刑執行にはならず、いわば天寿をまっとうしました。もちろん、刑務所のなかで、です。
 では、いったい誰が犯人だったのか。この本は、七三一部隊関係者しかあり得ないというのを前提としています。
 七三一部隊は、中国東北部、当時の満州で中国人などを拉致してきて人体実験していました。マルタと呼び、医学レポートでは「猿」とも書いたのでした。日本人のエリート医学者たちです。東大や京大の医学部出身で、そのトップは軍医中将にまでなりました。石井部隊とも呼ばれました。戦後日本では医学部教授にカムバックし、ミドリ十字などを設立して、その中枢におさまったのでした。
 みんな墓場まで秘密を持っていけ、と石井軍医中将は戦後、命令しました。
 帝銀事件の「真相」を小説のかたちで明らかにした本として読みすすめました。
 松川事件と同じく、アメリカ占領軍の関わりのなかで、秘密文書が掘り起こされないと、本当の真相は明らかにはならないのだろうなと思いながら読了しました。気分の重くなる470ページという大作でした。
(2012年3月刊。2300円+税)

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2012年6月29日

第三次中東戦争全史

中東

著者   マイケル・B・オレン 、 出版   原書房

 私が大学に入った年、1967年6月に始まったイスラエルとエジプト・シリア・ヨルダンのあいだの6日間戦争は、あっというまにイスラエルが圧勝して終わりました。
 600頁もの大作ですが、この第三次中東戦争の実相を縦横無尽に調べ尽くしていて、まことに興味深いものがあります。結果としてはイスラエルの先制攻撃によって始まりましたが、エジプト側も先制攻撃を企図していました。イスラエルの政府と軍部のあつれきのなかで先制攻撃が始まっているのですが、それに至るまでのイスラエルの首相の苦悩のほども伝わってきます。だって、下手すると、イスラエルという国が地上から抹殺される危険もあったわけですから・・・。
 そして、エジプトです。イスラエルなんてちょろいものという根拠のない楽観論が支配していたようです。十分な軍備と指揮命令が確立しないまま、大量の将兵が最前線に送られ、先制攻撃するつもりが、イスラエルの空軍によって一日目にして壊滅させられ、あとは逃げる一方のところをエジプト将兵は、大量虐殺されていったのでした。ところが、なんと、そのときエジプトのメディアは勝った、勝ったと嘘の報道をして、欺された国民は狂喜乱舞していたのです。まるで、日本軍のミッドウェー開戦についての大本営発表です。
 そして、アメリカとソ連の対応も興味深いものがあります。全体としてはイスラエル支持のアメリカですが、イスラエルの先制攻撃を支持して国際社会から叩かれるのだけは避けたいのです。ソ連は、政府指導部内で対立抗争があり、身軽にエジプト支援には動けませんでした。そして、ソ連が支給した武器を装備したエジプト軍が崩壊して、大きく威信を失うのです。
エジプト支配層は、敗戦の実相が国民に知られると、第二の嘘をつき始めます。イスラエルに負けたのではなく、アメリカとイギリスが直接乗り出してきたから負けたという嘘です。
 支配層というのは、どこでも日本と同じように嘘をつくものなんだと改めて思ったことでした。
 エジプトのナセル大統領は、34歳で権力の座についた。エネルギッシュで断固とした気構えの人だった。スエズ運河を国有化し、ソ連装兵器を取得し、英仏イの三国進攻を撃退し、アラブを統一した。
 ナセルはユーモアがあり、他人に対する気遣いの人として知られた。静かで、妻と子どもたちとの家庭生活はつつましく、職権乱用の収賄が幅を利かすエジプトでは珍しく汚職をしなかった。しかし、1967年ころには、肥満体となり、目がどんよりして精神不安定、被害妄想の気が濃厚で、すぐにカッとなって怒った。ナセル体制下の法律は、あってなきが如き存在だった。
 100%近い得票で再選され、閣議を統裁するナセルは、自分だけがしゃべり、暴言を吐いて怒鳴りちらすことがよくあり、執念深い軍人独裁者に堕していった。
 ナセルとアメル元師とは、親友であり、危険な敵同士であった。アメルは野心満々の人物で、反対者には冷酷だった。エジプト軍の上級幹部は、能力ではなく、門閥、血縁関係、帰属政党によって決まった。さらに悪いことに、中級幹部は、意図的に無能な人材が選ばれた。反抗され、上級幹部に脅威となっては困るからである。将校は忠誠心に欠け、将校同士、一般兵同士の信頼関係も薄かった。
 エジプト軍部のなかに反対勢力が存在した。強固な主戦派である。欠点はあっても、軍はイスラエルと比べて、航空機、戦車、火砲どれをとっても数倍をもっている。この優位性でアラブの勝利は間違いないと信じていた。
イスラエルのラビン参謀総長は、開戦前、神経衰弱によって職務遂行能力を失っていた。 9日間というあいだ、ほとんど何も口にせず、睡眠もとらず、矢つぎ早に煙草を手にして吹かし続けた。疲労困憊し、すっかり衰弱してしまった。
 エジプト軍の保有戦車のうち、想定で20%は戦闘で仕えない代物だった。火砲の4分の1、作戦機の3分の1が同じく使えなかった。そして、部隊のうち所定の位置についたのは半分以下。そこへ配置転換命令が出て、大変な混乱状態にあった。ナセルはアメリカの武力介入を恐れた。そして、ソ連の強力な支援を信じていた。
 アメリカ政府にとって、中東和平のために努力するものは、必ず双方から棍棒で殴られるという結論に達していた。それほど厄介な問題だった。アメリカのジョンソン大統領の脳中は複雑だった。苦境にあるイスラエルを助けたい。同時にアラブ世界の親米政権も支援したい。雪だるま式にグローバル規模になるような戦争は防止したい・・・。
イスラエル国防軍の兵力27万5000。戦車1100両、航空機200機。
 6月5日、午前7時10分、イスラエル軍の航空機が発進した。ミラージュ65機。エジプト軍の基地にいたツポレフ爆撃機が次々に爆発していった。
 この朝、エジプト空軍は420機のうち286機を失った。ところが、エジプトのラジオはまったくの逆の報道をした。1時間ごとに、赫々たる大戦果を報じた。すべてでっちあげ。カイロの群衆は、嘘で固めた戦勝報道に酔い痴れ、拍手喝采し路上で踊り狂った。なんと・・・。エジプト軍の高官たちは、恐れをなくしてナセルに事実を報告しなかった。ナセルが事実を知ったのは、午後4時のこと。そして英米軍が直接関与したというデマを流すことにした。これによって小国イスラエルに手もなくやられたというエジプトの不名誉は小さくなるし、ソ連の介入を求める理由として使える。
 そのうえで、エジプト軍の総退却を命じた。逃げるエジプト軍をイスラエルの空軍と陸軍が襲いかかった。大虐殺の始まりです。あまりの捕虜の多さに、イスラエル軍は、エジプト軍の将校のみを捕虜としました。
 この戦争の推移は、今なお中東世界に尾を引いていると指摘されていますが、この本を読むと、それも当然だと実感します。しっかり分析するというのは、この本のようなことをさすのだと認識させられたことでした。読みごたえ十分の本です。五月の連休中の成果でした。
(2012年2月刊。6800円+税)

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2012年6月28日

百姓たちの幕末維新

日本史(江戸)

著者   渡辺 尚志 、 出版   草思社

 江戸時代、全国にあった村は6万3千ほど。現在、全国の地方自治体は1800なので、一つの地方自治体に35ほどの村があった計算になる。平均的な村は、人口450人、戸数60~70軒、耕地面積50町、村全体の石高450~500石。
 江戸時代の百姓は、二重の意味で農民と同義ではない。一に、百姓のなかには、漁業、林業、商工学など多様な職業に携わっている人たちがふくまれていた。第二に、農業をすることが即百姓であることにはならなかった。
 農村における本来的な百姓とは、土地を所有して自立した経営を営み、領主に対して年貢などの負担を果たし、村と領主の双方から百姓と認められた者に与えられる身分呼称であった。つまり、百姓とは、特定の職業従事者の呼称ではなく、職業と深く関連しつつも、村人たちと領主の双方が村の正規の構成員として認めた者のことだった。
 百姓たちは、先祖伝来の所有地を手放すことについて非常に大きな抵抗感をもっていた。土地を失うということは御先祖様に顔向けできない大失態だった。
無年季的質地請け戻し(むねんきてきしっちうけもどし)慣行が存在した。
 借金返済期限がすぎて請け戻せず、いったんは質流れになった土地でも、それから何年たとうが、元金を返済しさえすれば請け戻せるという慣行が広く存在していた。質流れから、10年、20年、場合によっては100年たっても請け戻しが可能だった。
 これは、村の掟だった。村人たちが全体として貸し手に有形無形の圧力をかけることによって、この慣行は有効性を発揮した。
 百姓たちがとった没落防止策として、経営の多角化を徹底させることがあった。
 19世紀、とりわけ幕末になると、百姓たちもファッショ運に敏感になってきた。江戸などの大都市での流行が村にも波及し、10年周期くらいで流行が変遷した。
 江戸時代は、今以上に古着が広く流通していた。
 江戸時代の百姓が米を食べられなかったというのは、明らかな誤りだ。年間1石(150キログラム)以上の米を食べていた。近年の日本人の年間消費量は一人あたり60~65キログラムなので、倍以上も食べていた。ふだんは、米と麦、雑穀を混ぜて炊いた「かてめし」や粥(かゆ)や雑炊を食べ、婚礼などのハレの日には米だけの飯を腹一杯食べた。
江戸時代の百姓が肉類をまったく食べなかったというわけでもない。魚、鮮魚はあまり食べなかった。多くの村人が年貢納入に苦労しているときには、それを当人の自己責任に帰してすまさず、村役人が中心となって村として借金し、そのお金を困っている村人たちに融通していた。隣人の苦境を我がこととして、村全体で対策をとった。村人の所有地が貸し手に渡ってしまったあとは、そこからの小作料を納めないと言うことで貸し手に対抗した。
 江戸時代、幕府や大名・旗本は、領地の村々に対して、村全体の年貢納入額と各村人への割り付け方の原則を示すだけで、あとはすべて村に任せていた。実際に村内のここの家々に年貢を割り当て徴収するのは村だった。このように、年貢を一村の村人たちの連帯責任で納める制度を「村請制」という。したがって、領主は、村の一軒一軒がどれだけ年貢を納めているのか、正確には把握していなかった。
 村での年貢の割付・徴収業務を中心的に担ったのは、村役人、とりわけ名主だった。したがって、年貢の滞納者が出たとき、名主は自費で立て替えてでも上納しなければならなかった。
 村々では、村役人に無断で抜地などの不正な土地取引がさかんに行われたため、村役人も土地の所有関係を把握しきれていなかった。土地台帳が実態を反映しなくなっていた。
村人たちは、農産物価格の適正化を求めて国訴(こくそ)を起こした。幕府に訴え出たのです。日本人は昔から裁判が嫌いだったなんて、とんでもない誤りです。すぐに裁判に訴えるのが日本人でした。江戸時代は、実にたくさんの裁判が起こされています。
 百姓たちが代官をやめさせるのに成功した例もあります。老中や勘定奉行などの幕府の要人に対する非公式の働きかけを百姓(名主)がしていたのでした。
 江戸時代の百姓は、脇差を差すことが認められていた。
 江戸時代の村々には、多数の刀や鉄砲が存在していた。百姓一揆は、統制のとれた秩序と規定ある行動だった。一揆勢は、武装蜂起して武士と戦うことは考えておらず、人を殺傷するための武器も携行していなかった。手に持ったのは、自ら百姓であることを明示するための鎌や鍬といった農具だった。身につけた蓑や笠も、百姓身分を示すユニフォームだった。
 百姓一揆は反権力の武装蜂起というより、今日のデモ行進に近い。ただし、処罰を覚悟していた点が合法的なデモ行進とは異なる。
 ところが、19世紀になり、百姓一揆のあり方に変化が見られた。領主に対する要求より、買い占め、売り惜しみなどの不正行為をしたと見なされた富裕な百姓・町人に攻撃の矛先が向けられるようになった。武士に対するたたかいから、庶民内部の争いへと変わっていった。百姓一揆のなかで攻撃対象の百姓・町人の家を襲って建物・家財を破壊する打ちこわし頻発した。そのなかで一揆勢の秩序と規律が乱れ、略奪・放火・暴力行使など、従来の百姓一揆では見られなかった逸脱行為も発生するようになった。
 このように百姓一揆が攻撃性・暴力性を強めるにつれて、鎮圧する領主側との武力衝突も起こるようになった。
 江戸時代の村の様子そして百姓一揆の実態を知ることのできる本です。
(2012年2月刊。1800円+税)

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2012年6月27日

原発事故の被害と補償

社会

著者   大島 堅一、除本 理史 、 出版   大月書店

 2011年3月11日の巨大地震によって福島第一原子力発電所は壊滅的な打撃を受け、広い範囲に放射能を放出し、今なお多くの福島県民が避難を余儀なくされたまま、故郷に戻れないでいます。
 わずか170頁ほどの薄い本ですが、福島第一原発で起きた深刻な放射能放出、汚染の状況を明らかにしたうえで、その「補償」問題についての視点を確認し、問題点を指摘しています。コンパクトで、読みやすくまとめた本として、一読をおすすめします。
 福島第一原発事故の特徴は3つある。第一は、世界で初めて、地震や津波で起きた大事故であること。第2は、事故を起こした原発が一つではなく複数だったこと。第3は、事故の一定の収束に非常に長い期間を要していること。
 東日本に比べると西日本への放射能降下量は非常に少ないが、それでも福岡で17万ベクレル/㎢となっている。前年は「不検出」だったのに・・・。
 大気への放射性物質の放出は、事故直後の数日間がもっとも量が多く、毎時2000兆ベクトルだった。
 大気だけでなく、海洋への放射性物質の流出も重大である。原発内の汚染水に含まれる放射能は80京ベクレルと推定されている(2011年7月時点)。海洋に流れ出た汚染水に含まれる放射能は、4700兆ベクレルを超えている。
 現在の避難対象区域の設定によると、一般市民も原発で働く労働者並みの被曝を受ける危険性がある。子どもの放射性感受性が成人より3~5倍も高いことを考えれば、心配な事態である。
福島県内にとどまって生活している人々のなかには、もうこれ以上心配したくない、不安をあおられないでほしいと願う人も多いようです。
 「そんなに心配だったら、ここにいなければいい。ここにいるからには当局を信頼し、いろいろ質問すべきではない」という声が出て、それに満場の拍手が湧きあがったといいます。とても心配な現象です。
 補償にあたっての指針は、「半年たったら避難先に慣れて、生活のめども立っているだろうから精神的被害は軽減されるはずだ」という。しかし、生活と失業の基盤を根こそぎ奪っておきながら、半年たてば苦しみも半分になるかのような東電の主張は、もってのほかです。
そのうえ、東電は補償金を払う前に「合意書」に署名させようとした。補償を受けとって以降は、「一切の異議、追加の請求はしません」となっている。
電力会社が、「原子力村」を構成する諸主体とむすびつき、原子力政策に影響をもつやり方には、次の5つがある。第1は、電力会社が直接、政治に対して影響力を行使する。国会・地方議会に電力会社出身社を経営側、労働側それぞれから送り込んでいる。
 第2は、官僚との関係性を強めること。
 第3は、電力会社関係者が政策決定に直接関与するやり方である。
 第4は各種メディアを通じて原子力賛成の世論を形成すること。
 第5は、学者を使って、原子力発電に推進に学問的に権威づけをする。
 ここに、一般マスコミが脱原発をはっきり言わない、言えない根本原因があると思います。
 ぜひ、あなたもご一読ください。
(2012年2月刊。1600円+税)

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2012年6月26日

橋下「維新の会」の手口を読み解く

社会

著者   小森 陽一 、 出版   新日本出版社

 橋下徹的扇動手法には5つの手口がある。うむむ、どんな・・・・?
 第一の手法は、悪役・悪玉・敵役を意図的に捏造して、そこに攻撃を手中させること。小泉政権も、「悪玉づくり」の名手だった。「悪いのは、教師と公務員だ!」と単純明快な「悪玉づくり」を大きな声でいってくれる人がいると、それだけで落ち込んでいたのが救われた気持ちになる人も多い。そして、これには「あなたは悪くない」というメッセージをふくんでいる。
 第二は、多くの有権者の抑えに抑えているうらみや怒りに働きかけ、それを晴らすかのような幻想を与えること。実際には、むしろ出口なしの状況によりいっそう追い込んでいくことになるのだが・・・・。
 第三に、有権者に責任の所在を明らかにし、政策を生み出すような思考を行わせないこと。
 第四に、思考停止の強制。少し考えれば絶対に矛盾視することを、別に大きな声で言っておいて、世論の方向がどちらへ向くのかを見定めて、どちらでも選べるようにしておくという、有権者を侮辱したやり方である。このとき有権者に少し考える余裕すら与えず、「白か黒か」の二者択一を迫る。
 第五に、紋切り型の連鎖へのはめ込む悪玉連鎖をつくって、橋下自身は善玉として安泰になる。
 なーるほど、そうやって今、多くの人が騙されているんですね。
 「人材の育成」という基本理念を持ち込むと、教育についての考え方が歪んでしまう。
 そして、点数化された学力競争をすればするほど、点数さえ落ち込んでいく・・・・。教育における点数競争は、子どもたちに、何かと大人から学ぶという意欲そのものをなくさせている。
 マネジメントとは、人間が最初は野生だった動物を人間の思いどおりに家畜化する、あるいは家畜を人間の思うとおりになるよう訓練、調教するという意味合いをふくんだ言葉なのである。そうだったんですか。だったら、学校にマネジメントなんかふさわしくありませんよね。
 職務命令や分断支配によって校長の意図が強制される学校では、教師や子どもは実は家畜のように扱われるという事の本質が大阪の条例にあらわれている。
 橋下を支持している人に向かって、「あなたは愚かだ」と言っては連帯できない。橋下の主張の矛盾をていねいに解きほぐしながら、支持者と連帯できるようなしなやかな言葉のやりとりが大切である。「あなたがそう思うのは、よく分かる」ことをまず伝える。その人の思い、言い分をよく聞く。そして、橋下が何をしようとしているのかを論理的に明確にし、それで私たちは本当に得(トク)をするのか、具体的に語りあう。
 橋下を支持する人々の置かれた状態に注意を払い、その願いをよく聞き、寄りそいながら、橋下流の「改革」で本当に幸せになれるのか、よくよく話し込む。
 憎しみをあおるような言葉に気持ちを任せるのではなく、本当に生活を良くするためにはどうしたらよいか、一緒に考えることが大切だ。言葉を言葉で疑い、ウソをひっくり返していく。
 わずか85頁という薄い小冊子ですが、大切な指摘、今すぐ実践したくなるような珠玉の論文でした。ぜひぜひ、あなたもご一読ください。
(2012年5月刊。571円+税)

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2012年6月25日

テングザル

サル

著者   松田 一希 、 出版   東海大学出版会

 ボルネオのジャングルに分け入ってテングザルをじっと観察した成果が本になっています。大変な苦労があったことが生々しく伝わってくる本でもあります。
熱帯のジャングルのなかには、蚊、ヒル、ダニといった人間にとって疎ましい虫が多い。耳元で四六時中とびまわる大量の蚊にいらいらさせられ、身体中をダニにかまれて一晩中かゆみに苦しんだりする。 うひゃあ、ご、ごめん蒙りたいです。
テングザルの個体を識別する必要がある。そのうち尻尾の形にはいろいろのパターンがあることがわかってきた。どこを見たら個体識別ができるが、初めはとても骨の折れる作業だ。
 テングザルの産まれたばかりのアカンボウは、顔の肌の色が真っ黒だ。産まれてから1年半から2年くらいで、顔から黒色が消えて、子どもと分類される。区別の難しいのは、コドモとワカモノである。
テングザルは水かきの発達した四肢をもっている。それで体重20キログラムもある巨大なオスが高い木の上から勢いよく川に飛び込む。そして、川では犬かきのフォームで静かにスイスイと泳いで対岸へ渡る。テングザルは、対岸までの距離が6メートルにも満たない場所を選んで、川渡りする。テングザルは、水中の捕食者である。ワニによる攻撃を受けにくい場所を選んで川渡りしている。テングザルが止まり場所として好む場所も、対岸までの距離が短い地点だ。
 テングザルは、森の中で過ごす時間の大半を「休息」に費やしている。このときは、木の枝の上でじっとしている。24時間のうち21時間もの時間を休息に費やしていた。
 その理由は、「特殊な胃の構造」にある。コロブス科であるテングザルは、胃のなかでの分解・消化に多大の時間を要するため、その間じっと動かずに休息しておかなければならない。
 テングザルは、日中のわずか0.5%しか毛づくろい行動に時間を費やさない。テングザルは、188の植物種を採食した。テングザルは若葉のほか、果実そして花を採食した。ところが、テングザルが好んで食べた果実は、売れていない未熟なものだった。なぜか?
 もし糖度の高い、熟れた果実をテングザルが食べると、胃のなかのバクテリアの活動が急激に高まり、多量のガスを発生させて胃を膨張させる。そして、ついには、他の内臓器官もこの膨張した胃が圧迫して、テングザルを死に至らしめる。つまり、テングザルにとっては、熟れた果実はあまりありがたい食べ物ではない。うむむ、そういうことってあるんですね。美味しさが命とりになるなんて・・・。
 テングザルは平日の移動距離は最大1.7キロ、最短は220メートル。これも、テングザルが夕方までには必ず川岸に戻って眠らなくてはいけないからという理由だ。
 テングザルの胃の構造は草食に特化しており、全体として葉を多く食べる傾向にある。
 テングザルの生態をわかりやすく紹介した本として推薦します。それにしても学者って大変ですよね。
(2012年2月刊。2000円+税)

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2012年6月24日

おれは清麿

江戸時代

著者   山本 兼一 、 出版   祥伝社

 幕末の刀鍛冶の一生を描いた小説です。刀剣をつくりあげていく過程の描写の迫力には圧倒されました。
焼き入れた鉄の色は赤から黄に移っていく。濃い紫、小豆(あずき)色、熟(う)れた照柿(てりがき)の色、夕陽、山吹、満月そして朝日。色によって熱さが違い、やる仕事が違う。
 うへーっ、さすがは職人の芸です。こまかいです。こまかすぎます。
ここで鉄(かね)を沸かしちゃならん。赤めるだけ。あとの鍛錬のときも、湧かしすぎると鉄が白けて馬鹿になってしまう。焼き入れをしても刃が冴えず、ぼけて眠くなる。
下手な鍛冶は、炭をたくさん無駄につかって、鈍刀(なまくら)しか鍛えられない。上手な鍛冶は、少しの炭で効率よく鉄を赤め、沸かし、冴えた鉄で秀抜な刀を鍛える。
上古のころ、まっすぐだった日本の刀は、平安のころから反(そ)りのある優美な太刀姿となった。鎌倉のころから次第に力強く豪壮な姿となり、さらに戦乱の激しい南北朝となれば、より勇ましい長大な姿となる。ここまでが古刀(ことう)である。戦国の世が終わり、関ヶ原や大阪の陣のあった慶長のころからの刀は、新刀(しんとう)と呼ばれる。古刀とは、姿がずいぶん違う。
 腰で反っている古刀に対して、新刀は先のほうで細くなり、反っているものが多い。甲冑(かっちゅう)を着て闘った戦国乱世のころと違って、着物を着た戦いでは突き技の有効性が高いからだろう。
刀を見るときの奥義。刀を選ぶときは、まず、肌(はだ)多きもの好むべからず。肌とは、鉄(かね)を折り返して鍛えたときの模様が刀の地の表面にあらわれたものをいう。
 沸(にえ)多きものを好むべからず。沸は、焼き入れのときにできるごくごく微細な鉄の粒子。
刃文(はもん)深きもの好むべからず。焼きの入った刃の幅が広く深いということは、とりもなおさず焼きが入りすぎていて折れやすいということ。
 反り深きもの好むべからず、反りなきものを好むべからず。長きを好むべからず。短きを好むべからず。いずれも、ほどほどがよいということ。
 刃鉄(はがね)、心鉄(しんがね)、皮鉄(かわがね)につかう三種の鋼をそれぞれ積み沸かして、折り返し鍛錬する。それを本三枚で造り込む。軟らかい心鉄とやや硬めの刃鉄を硬い皮鉄ではさみ、鍛着させる。それを細長く素延(すの)べする。皮鉄を折り返し鍛錬するとき、質のよい鋼を挟み込んでおく。そうすれば、金筋(きんすじ)がうまく刃中や刃の縁にあらわれる。下手な鍛冶なら失敗してしまう。
 すごい描写に言葉も出ません。
(2012年3月刊。1600円+税)

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2012年6月23日

佐土原城

日本史(戦国)

著者   末永 和孝 、 出版   鉱脈社

 この3月は宮崎出張が重なりました。この本は、宮崎空港で買い求めたものです。
 佐土原城には行ったことがないのですが、宮崎は戦国時代、南の島津家と北の大友家とが激しくせりあったところと聞いていましたので、佐土原城の歴史を知りたいと思っていたのでした。
 佐土原城の歴史を語る本に、曾我兄弟の仇討ちの話が出てきたのに驚きました。
佐土原城主だった伊東氏の祖先は藤原不比等の子孫であり、藤原姓を名乗った。
 工藤祐経(すけつね)は、跡目(あとめ)相続をめぐって殺した子どもたちから富士野の巻狩のときに曽我兄弟から討たれてしまった(1193年のこと)。この工藤祐経は、京都にあって管弦や諸芸にすぐれ、公家の文化に通じていたので、源頼朝から側近として重用・厚遇されていた。工藤祐経が武将として認められ、幕府の有力御家人へと成長したのは、平家討伐のために西国へ攻めくだったときだった。
 農後国の佐伯で平家追討に功があった工藤祐経は、鎌倉に帰郷してから文武で秀でた武将として、源頼朝に仕えた。工藤祐経の死後、その子、祐時(すけとき)が、源頼朝を烏帽子(えぼし)親として元服した。やがて伊東姓を名乗り、伊東祐時と称した。祐時も源氏三代の将軍に仕えた。
 伊東祐時の四男・祐明は日向国那珂軍田嶋庄に地頭として下向した。島津氏は、島津忠久が1185年に島津荘の下司職(げすしき。地頭職)に任ぜられたことに始まる。忠久は、平家の政権下で平家の強い影響下にあった南九州に、源頼朝の信任あつい関東御家人として任命された。
 日向国に下向した伊東本家がまず手をつけたのは、本家より先に日向国に下向し、すでに本家と疎遠になっていた支族を束ね、伊東氏の権勢を高めることだった。
 伊東氏は、島津氏の勢力が日向国で強まることを恐れ、常に幕府とつながっていた。
 1578年、大友宗麟は、3万5千の兵を率いて日向に出兵し、延岡市に本陣を置いた。大友軍の総勢は5万、島津義久は弟の家久を佐土原城に置き、日向国諸将の総大将とした。
 島津氏の戦法は、釣り野伏せ(つりのぶせ)、穿抜法(うがちぬけのほう)、繰り詰め(くりつめ)である。うがちぬけのほうは、真一文字に敵に突入して切り抜ける戦法。これは、関ヶ原のたたかいのときに活用されました。敗戦必至のなかで打ち死に覚悟で家康本陣に切り込んで生きのびたのです。
 くりつめは、鉄砲を間断なく射撃する戦法。島津軍は、鉄砲を足軽に持たせず、すべて武将が持っていた。鉄砲を一番撃ち、二番撃ち、三番撃ちに分け、間断なく打ち続ける戦法である。
 戦国が江戸に生き、そして現代にも通じる話って、たくさんありますよね。
(2011年7月刊。1600円+税)

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2012年6月22日

タックスヘイブンの闇

アメリカ

著者   ニコラス・シャクソン 、 出版   朝日新聞出版

 税金は庶民が払うものだ。
これは、アメリカの大富豪(レオナ・ヘルムズリー)の言葉だ。
 そうなんですよね。民主党政権が自民党のできなかった消費税を10%にしようと奔走していますが、大企業と大金持ちへの減税をすすめながらのことですからね。そして、マスコミは大新聞そろって消費税率アップに大賛成です。
 タックスヘイブンは避難所である。ただし、一般庶民にとってではない。オフショアは、冨と権力をもつエリートたちが、コストを負担せずに社会から便益を得る手助けをする事業なのだ。オフショア・ビジネスとは、本質的には、国境を越えた資金移働の書類上のルートを人為的に操作することだ。
 人口2万5000人ほどのイギリス領ヴァージン諸島に80万社もの企業が置かれている。アメリカを中心とするオフショア・システムは三層構造になっている。連邦レベルでは、アメリカは外国人の資金を本格的なオフショア方式で引き寄せるため、さまざまな免税措置や秘密保持規定を設けている。たとえば、アメリカの銀行は、盗品の取扱などの犯罪から得た利益を受け入れても、その犯罪が海外で行われたものである限り、罪には問われない。きわめて低コストで、きわめて強力な守秘性を提供することで、世界中から不法資金はもちろん、テロ資金まで大量に引き寄せている。
 世界でもっとも重要なタックスヘイブンは島だと言っても誰も驚かない。しかし、その島の名はマンハッタンだと言ったら、人々はびっくりする。さらに、世界で二番目に重要なタックスヘイブンも島にある。それはイギリスのロンドと呼ばれる都市にあるのだ・・・。
 租税回避と脱税の差は、刑務所の壁の厚さだ。
世界的に著名な金持ちが税務当局の調査を受けたとき、こう言った。私が刑務所に行くという噂があるが、言わせてもらえば、私より先に刑務所に行かなくてはいけない法律事務所が四つほど、それに会計事務所が五つほどある。どれも、世界最大手の部類に入るところだ。
世界最大の法律事務所や会計事務所が脱税の手伝いをしているというわけです。これが悲しい現実なのでしょうね。
 スイスは依然として、ダーティーマネーの世界最大の保管場所の一つである。2兆ドルとか3兆ドルと言った規模である。ヨーロッパからスイスに持ちこまれる資金の80%、イタリアからだと99%が、税務当局に申告されていないお金である。
 ケイマン諸島にあるマグラントハウスには1万2000以上の企業が入居している。オバマ大統領は、かつて、この建物について、「これは史上最大の建物か、でなければ史上最大の税金詐欺だ」と批判した。しかし、ケイマン諸島の金融庁長官は次のように反論した。「オバマはアメリカのデラウェア州に関心を向けるべきだ。ウィルミントンの町には、全部で21万7000の企業が入っているオフィスがある」
 2008年には、デラウェア州は88万2000の活動中の企業が登記されている。
 1970年代になって、世界中で税率が急激に下がり、同時に国際的な脱税が世界各地で急増し、資本逃避という突然の災厄が頻発するようになった。タックスヘイブンが爆発的に増え、金融規制が緩和され、その後脱税と資本逃避が急増したのだ。
 大企業への課税税率を上げると外国へ逃げ出すからあげるべきでないという意見がありますが、それは実態を反映しないものだということがよく分かります。担税力のある大企業にきちんと税金を負担させ、庶民の負担は軽くして、福祉を充実させる。この方式の導入を日本人はもっと真剣に考えるべきではないでしょうか。大企業のインチキ宣伝なんかに負けてはいけません。
(2012年2月刊。2500円+税)

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2012年6月21日

自衛隊員の人権は、いま

司法

著者  浜松基地自衛官人権裁判を支える会 、  出版  社会評論社

 自衛官の自殺は多い。1998年に全国で75人、1999年も62人。そして、いじめが多く、それによる自殺も頻発している。
 自衛隊に対して裁判を起こすときは、調査不足のため弱点を突かれないよう、訴状を出す前に十分に調査しておく必要がある。相手は閉鎖社会なので、すべての情報と資料は自衛隊が独占している。
徒手格闘は、銃剣格闘、短剣格闘と並ぶ、自衛隊格闘術の一つ。武器が使用できない状況下で、素手で敵を倒すために編み出された。
 このところ、格闘訓練に名をかりたイジメやしごきが行われている。
なぜ自衛隊員の人権侵害が起こるか。その一つに、軍隊としての本質の問題がある。軍は武器をもって外敵と対戦する戦闘集団である。ここでは、戦時、通常の道徳規範に反する器物損壊、人員の殺傷が公然と行われ、生命を省みない危険な行動が求められる。そこで、軍では、軍人の基本的な人権が制約され、組織に特別の秩序を科し、任務を強制するなど、行動を強く規制する必要がある。
 要するに、「軍紀」とは通常の「道徳規範」とは正反対の、一般社会では許されない器物の損壊、人員の殺傷などの戦争遂行行為を、命令・規律という強制力をもって、自他の生命を省みないで行わせることにある。ここに、兵士の人権保障と軍隊の職務とのあいだの本質的な矛盾が存在する。
 自衛隊では、服務指導は、勤務に関する事項のほか、私生活にわたる事項もふくめ、組織に影響するものは、すべてを対象とする。これは隊員が職務に専念するためであり、隊員間の心情把握および私的な悩みに注意するとともに、任務遂行に支障を来す範囲の事項の除却にある。つまり、このように自衛隊では公私の区別がなく、プライベートの部分も自衛隊はきちんと把握している。
 ドイツには軍事オンブズマンが軍隊の中に置かれていて、軍隊をコントロールする一つの仕組みとなっている。ドイツの軍事オンブズマンは、連邦議会の指名により、議会の補助機関として置かれている。
 軍事オンブズマンにはスタッフが50人いる。軍事オンブズマンは年間6000件の苦情を処理している。一人の兵士を大切にすることが、軍隊を誤らせないことにつながるという考え方にもとづいている。
自衛官も、国民の一人として、憲法で保障された人権は守られなければなりませんよ
ね。全国25万人の自衛隊の人権を守ることは、私たち日本国民全体の人権を守ることに直結しているものだと痛感しました。私と同期の岡田尚(横浜)、塩沢忠和(浜松)という弁護士2人がこの分野でも活躍しているのを知って、うれしく思いました。
(2012年3月刊。1800円+税)

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2012年6月20日

格差・秩序不安と教育

社会

著者   広田 照幸 、 出版   世織書房

 教育にもっと光をあて、もっともっと教職員を大切にしないと、日本の将来は暗いばかりだと思います。なんでも競争させればいいなんて、まったくの間違いです。
ある次代に多数派を占めるビジョンがそのまま永続するわけではない。ましてや多数派の構想だから、それが「真」や「善」であるというわけでもない。野党勢力や少数派が別の社会構想に依拠しながら行う抵抗は、無意味ではない。
 教育は未来志向の営為である。教育という事象は、即時的な個人のニーズや利害を反映するだけでなく、未来の個人の人生や未来の社会のあり方に関する営みである。だから、「何が望ましい教育か」という問いには、常に未来の社会がどうなるかという点が関わらざるをえない。
 不況下でも成長している企業ほど、実は社内で能力開発に積極的に取り組んでいることが多い。必要なときに必要なだけの人材を外部から「即戦力」として調達する雇用戦略は、実は必ずしも有効な戦略とはいえないことを意味している。
 現在の日本では、家庭学習に時間をかける子どもと、家庭ではまったく勉強しない子どもとに二極分解しつつあり、それは社会階層と対応している。
 今では、親の行動によって子どもの進路に決定的な大差がついていく社会、「ペアレントクラシー」になっている。わが子にはほかの子よりも質の高い教育を受けさせたいという家族エゴイズムにもとづく教育要求が、近年ではなぜか、まかり通るようになっている。公教育を消費者へのサービスと見なす消費資本主義的な見方や、グローバルエリートの養成が日本社会で必要だという見方が、そうした要求を正当化している。これらの見方とどう向きあえばよいのかは、なかなか難しい問題である。
 ある子どもたちが制度的に優遇されることは、別の子どもたちが後の階段の選抜場面(進学や就職)で不利にされることを意味する。
公教育の社会的役割のなかには、「出自や学力が多様な集団だからこそ、学べることがある」という側面がある。
 日本では、階級ごとの集住が見られないため、学区制にもとづく義務教育が「さまざまな階級を混ぜあわせる特質」をもってきたと外国人学者から指摘されている。
 多様な出自や学力の生徒たちと一緒に学ぶという経験は、ある意味で「公共空間」をどの子どもにも擬似的に体験する、貴重な機会だと言える。
 早くから子どもたちを同質的な集団へと振り分ける仕組みが、もしも大規模に広がっていくならば、それは社会全体からみると、社会階層や学力・学歴で細かくスライスされた層状に分化した社会を作る出すことになってしまう。
 青少年がアイデンティティを模索する空間をすっかり脱政治化しておいて、「社会のことに関心をもたない今の若者」と大人が青少年を非難するのは、筋違いである。むしろ、現実の問題にふれる機会を青少年に準備してこなかった大人の側の責任である。
分権化論に無批判にのって、もしも教育委員会を廃止し、権限を首長にまるごと委譲したとしたら、おそらく局地的にもっとひどい事例が生まれる。
 教育の政治的中立性、安全性、専門性の確保が損なわれ、学校教育は知事や市長のオモチャになってしまう。教育の実際に詳しい知事や市長ばかりではない。にもかかわらず、教育をいじる政策は有権者にアピールしやすい。だから、選挙が近づくたびに、思いつきの「学校改革」が打ち出されるという事態が出てきてしまう。
 2009年7月に発汗された本ですが、まさしく大阪の橋下流「教育改革」の危険性を暴いていると思いました。もっと、教育について広い心をもって、ゆったりと討論したいものですよね。だって、日本の明日を語ろうというのですからね。だれかを「敵」にしただけでは何も解決しません。ましてや教職員が「叩くべき敵」なんかであろうはずがありません。
(2009年7月刊。3600円+税)

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2012年6月19日

チェルノブイリ原発事故がもたらした人体被害

ロシア

著者   核戦争防止国際医師会議 、 出版   合同出版

 1986年、チェルノブイリ原発で大事故が発生しました。
 その処理作業に従事した人々をリクビダートル(後始末する人)と呼び、83万人いる。
 今日、大勢のリクビダートルが白血病や肺がんなどに苦しんでいる。リグビダートルとして働いたあと、車の運転中に眠りに落ちてしまうことが続いたため、仕事を辞めるしかなかったドライバーが大勢いる。発語障害、うつ病、記憶機能障害、集中力低下に苦しんでいるリグビダートルは数万人存在する。統合失調症も増加している。
 リクビダートルは、50~200ミリシーベルトの放射線に被曝していたが、これは原発労働者が10年間に受ける線量とほぼ同じである。
 ベラルーシでは、発ガン率が有意に4割増加した。とりわけ増加したガンは、大腸がん、肺がん、胆のうガン、甲状腺ガンだった。女性の乳ガン発生率も増加し、乳ガン発症年齢が若年化している。
 ところが、1991年春、200人の西側科学者と500人のロシア科学者は、放射線被曝による健康被害は発生しておらず、検診を受けた子どもたちの健康は概して良好だったという結論を出した。
 これって、日本のマスコミで、「すぐには健康被害は心配ない」と言い続けた学者と政府要人と同じですね。無責任の極みです。
 1986年、ベルリンでは異常な乳幼児死亡率の増加がみられた。
 ウクライナでは、1987年から1992年の間に、内分泌疾患は125倍、脳神経疾患は6倍、循環器疾患および神経疾患は53倍も増加した。そして、子どもと若者のI型糖尿病も急増した。
 ドイツではチェルノブイリ事故のあと、ダウン症候群をもつ新生児が有意に増加した。チェルノブイリ原発事故によって死亡した乳幼児は5000人。ドイツのバイエルン地方だけでも、1000人から3000人の先天性奇形児が超過発生した。西ヨーロッパでは1万人から2万人が流産した。
 がんの多くは、発病するまでには25~30年かかる。リクビダートルには、前立腺がん、胃がん、白血病、甲状腺がんが増えている。
日本では原発再稼働を民主党政権が執拗に企図しています。電力業界を中心とする経済界がお金にあかせて強力に後押ししているのです。そして、マスコミは経済界と一体となって電力不足キャンペーンを張って、今なお日本は原発に依存するしかないなんていう嘘を恥ずかしげもなくまき散らしています。そんなとき、チェルノブイリ原発事故によってヨーロッパとロシアで何が起きたのかを冷静に明らかにした本書を紹介するのは大きな意義があります。
 原発事故の恐ろしさには目をふさいでしまいたいのは私も同じ気分です。でも、怖いもの見たさではなく、本当に何が起きるのか知る必要があると思って読みすすめました。あなたもぜひ、手にとってお読みください。
(2012年3月刊。1600円+税)
日曜日、年2回、恒例のフランス語検定試験(1級)を受けました。試験会場となっている大学に大勢の人が入っていくのですが、それは漢検のほうでした。
 この日は、朝6時に起きて、仏検の過去問10年分を復習し、頭の中をフランス語モードに切り替えます。出張先の鹿児島から新幹線に乗って福岡に出かけ、車中でも一心不乱にフランス語に集中します。残念なことに、前に習って覚えた単語もすっかり忘れていて新鮮です。何とかフランス語の勘を取り戻したいと必死にがんばるなかで本番が始まりました。
 いつものように、文法はからきしダメです。歯が立ちません。今日はいったい何をしに来たのか、自分がみじめになります。長文読解のところで、少し分かり、作文はなんとか書き、書き取りはまあうまくいきました。
 3時間の長丁場が終わったときにはぐったり疲れました。自己採点で56点(120点満点)でした。初めて4割を超えていると思います。緊張の一日でした。

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2012年6月18日

民間療法のウソとホント

社会

著者   蒲谷 茂 、 出版   文春新書

 著者は私と同じ団塊世代の人であり、健康雑誌の編集長をつとめていました。ですから、民間療法の表だけでなく、裏も知り尽くしています。いま、いろんな民間療法がもてはやされていますが、この本を読むと、民間療法の大半が根拠のないものに見えてきます。
 紅茶キノコ、酢大豆、尿療法、ヨーグルトきのこ、ダイエットテープ、美肌水、にがり、爪もみ、トイレ掃除、魔法の言葉、腰回し、手相書き、朝バナナ・・・・
 これは、みな『状快』という雑誌が天まで高くもてはやしたものです。すごいですね。たしかに一時はすごいブームになりましたよね。そして、今ではすっかりみんな忘れ去っています。私は、幸いにして、どれも利用していません。
 私が10年来、愛用しているのは青汁です。このおかげで、境界型糖尿病と診断されたこともある私ですが、とんと無縁になりました。ありがたいことです。効能を信じて飲み続けています。
 健康雑誌が自作自演するほど罪つくりなことはない。ブームをつくり、自社で販売するわけなので、自浄作用がない。そして、健康食品、民間療法を批判できなくなった。
 健康食品の広告の中心は、なんといっても体験談である。体験談はつくりものの可能性もあり、信用するのはむずかしい。
たとえ学会に発表されたものと書かれていても、電子版だと査読されずに掲載されていることがあるので、うかつに信用はできない。
 健康雑誌は、お年寄りの『少年ジャンプ』だね。子どもたちの夢と希望をのせるマンガ雑誌と同じで、健康雑誌はお年寄りの夢と希望を実現しようとしている。
 アガリクス、ウコン、コラーゲン、グルコサミン、セサミン、黒酢、みんないわれるほどの効能はないようです。それどころか、下手すると副作用があるといいます。
 実は、私は毎晩、健康酒を飲んでいます。梅酒から始まって、しいたけ酒、ニンニク酒、プラム酒などです。私の一番のお気に入りは、姫リンゴ酒です。上品な香りで舌ざわりもよく、最高の果実酒です。ほんのちょっぴり甘いのがいいのです。今も、ちびりちびり飲みながら書いています。おやすみなさい。
(2011年9月刊。730円+税)

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2012年6月17日

マンガのあなた、SFのわたし

社会

著者   萩尾 望都 、 出版   河出書房新社

 同世代で、同郷の出身者としてなじみのある著者ですので、つい手にとって読んでみました。
 著者は、こんど目出たく叙勲されました。お互い、それだけ年齢(とし)をくってしまったというわけです。うれしいような、悲しいような、でもそれが現実です。
 幼いころからマンガを描き続け、親とりわけ母親とは相当の葛藤があったようです。前にも書きましたが、著者はますます、私もよく知る母親そっくりです。その似ていることは、びっくりするほどです。
 でも、手塚治虫と対談しているときの著者の顔写真はまだあどけない少女の面影がたっぷり残っています。そう言えば、わが家にも彼女が少女時代に来たときの写真があったような気がします。と思って探してみましたが、ありませんでした。私の勘違いのようです。
『11人いる』という作品は何回か読み返しましたが、その発想の斬新さには驚かされます。まさしくSF超大作です。
 パリに行ったことがなくてもパリの下町の雰囲気を出した絵が描けるというのは、さすがはプロのマンガ家です。『百億の昼と千年の夜』の想像力のすごさにも圧倒されました。
 そして『残酷な神が支配する』なんて、どうしてこんな物語を発想できるのか、不思議でなりませんでした。
この本に出てくる著者の言葉で次のフレーズが強烈な印象を残しました。
 手塚治虫の『新撰組』を読んですごいショックを受けて、ガーンと頭を殴られたみたいになって、一週間ボーッとしていた。それで、自分もマンガを描いて誰かを一週間ぐらいボーッとさせたいと思った。
 すごいですね。それほど書かれている内容が胸に迫ってくるものがあったということです。私も、いつかは、そんな物語を書いてみたいものだと思ったことでした。
(2012年3月刊。1400円+税)

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2012年6月16日

憲法が教えてくれたこと

司法

著者   伊藤 真 、 出版   幻冬舎ルネッサンス

 みずみずしい感覚で憲法の条文を読み直すことのできる画期的なケンポーの本です。著者は司法試験受験界では名高いカリスマ講師です。ところが、情熱をかけているのは受験指導だけではありません。日本国憲法を本当に国民生活のなかに根づかせたいという気持ちで、毎日がんばっているのです。すごいですね。私も、憲法を日々の暮らしのなかに根づかせ活かしたいという同じ願いから、日弁連の委員会で一緒に活動させていただいています。
 実は、この本は著者から贈呈を受けた3冊のうちの1冊なのです。まっ先に読んだのが、この本です。なんといっても、サブタイトルに魅かれました。
 それは、「その女子高生の日々が輝きだした理由」とあるからです。
 そして、読み終わった直後に著者に会ったので、女子高生に「密着取材」をしないとかけないと思いますが・・・、と尋ねたのでした。すると、著者は照れ隠しの笑いのなかで女子高生に「取材」したことを認めたのです。
 女子高生は、なんと走るのが好きで、高校駅伝に出場するのが夢だったのでした。そして、その女子高生の父親は弁護士なのです。ところが、父親の弁護士の陰は薄く、むしろ今ではリタイアした祖父の影響力のほうが強いんです。
それにしても、県立高校の陸上部に入った主人公の女子高生を取り巻くストーリー展開のなかで、憲法前文や条文が自然に組み込まれ、その意義が解説されていく手法は見事なものです。
 こんなかたちで、すーっと胸に落ちるような憲法の話を私も若い人たちにしたいものだと思いました。著者のますますのご活躍を心から祈っています。
(2012年4月刊。1200円+税)

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2012年6月15日

地球を活かす

社会

著者   伊藤  千尋  、 出版   シネ・フロント社

 市民が創る自然エネルギーというサブ・タイトルのついた、楽しくて、明るい展望の開ける本です。
 原発をなんとか再稼動させようという財界と民主・自民両党は、原発なくすのは、「自殺行為」だなどと国民を脅しています。決してそんなことはありません。
 世界60カ国を新聞記者として見分してきた著者は、たとえば地熱発電所を例にとって次のように紹介しています。
 アイスランドやコスタリカでは地熱発電がやられている。ところが、その技術は日本のもの。そして、実は日本でも大分に地熱発電所がある。このように、日本には技術があり、条件もある。あとは政府の方針だけ。ななのに、日本政府は原発にあくまで固執し、地熱発電所に目を向けようとしない。
 アイスランドに世界最大の露天風呂がある。なんとサッカー場より広い5000平方メートルもの広大さ。地熱発電所の余熱利用でつくられたもの。
 日本だって、このアイデアは活用できるはず。本当に、そのとおりだと思いました。なにしろ、地熱発電所ってまったく無公害発電そのものなのですから・・・・。
 日本できちんと地熱発電を開発したら2000万キロワット、つまり原発20基分の発電がまかなえる。
ドイツは3.11のあと早々に脱原発を決めた。そして、自然エネルギーを活用している。この自然エネルギーの分野で新たに生み出された雇用は37万人にのぼった。
 むひょう、だったら、日本でも早速とり入れたらいいですよね。財界と大企業のもうけは原発とちがって少なくなるかもしれませんが、そんなことはどうでもいいことですよね。
 オーストリアは1999年、憲法に原発をつくらない、つくっても使わないという条文を新しく盛り込んだ。原発をつくってしまったけれど、国民投票して原発可動に反対する人が50.5%出たからだ。すごいですよね。日本だったら、恐らく、せっかくつくった原発だからひとまず使ってみよう。そして具合が悪ければ止めようということになったことでしょう。ところが、スイスでは、つくったけれど、ここはキッパリ使うのをやめたというのです。
 イタリアでも、国民投票をやって原発再開反対が95%となって、脱原発が決まった。
 著者とは面識ありませんが、大学では私の一学年下だったようです。先日、講演会で話を聞きましたが、2時間にわたって、立ったまま立て板に水のたとえのとおり爽やかな弁舌で圧倒されました。思わず若いね、あなたは・・・とうなってしまいました。私も負けずにがんばろうと思います。
(2011年12月刊。1000円+税)

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