弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2012年3月24日

曹操墓の真相

中国

著者  河南省文物考古研究所  、 出版  国書刊行会 

 『三国志』に有名な曹操のお墓が発見・発掘されたというニュースは、日本でも大きな驚きをもって報じられました。2009年のことです。
 曹操は216年に漢の献帝により魏王に封ぜられ、220年春の死後、魏武王の諡(いな)を得た。曹操は赤壁の戦いでも有名ですよね。映画『レッドクリフ』は、そのイメージをよく再現していました。
『三国演義』では曹操は奸臣(かんしん)として描かれている。旧劇の舞台でもおなじく奸臣とされたため、曹操のイメージは固定している。ところが、毛沢東は曹操を高く評価して名誉回復に努めた。曹操の詩を好み、その気魄が雄大で情緒豊か、宇宙を呑吐する様を好んだ。毛沢東は、「曹操は素晴らしい政治家、軍事家であり、また素晴らしい詩人でもある」と評価した。
曹操は古くからの部下を封賞して抜擢すると同時に、新たに優秀な人材を招聘し、寛容の心で来たる者を大切にした。功績がある者を封賞し有能の士を登用し、広く人材を集めることを通して有効に国家の管理システムを支配し、軍隊を掌握し、自身のブレーンを築き上げた。
 曹操は、中国を統一する大志を抱いていた。そして、天下を兼併するには、軍糧を手にすることが必須であることに思い至った。そのため、屯田制を始めた。屯田制が拡充されると、穀物の生産量は大いに増加し、倉庫は充実した。
 赤壁の敗戦のとき、曹操は54歳、曹操による中国統一事業における悲壮な敗北となった。
この本は曹操墓が発掘されるに至った状況を写真入で詳しく紹介し、曹操の墓だと判断した理由を明らかにしています。盗掘にもあっていたのですが、手がかりはいくつも残されていたのです。
かつて、明の十三陵を訪問したとき、中国には未発掘の陵や遺跡がまだたくさんあること、後世のため発掘には慎重であることを知って感動したことがあります。下手に発掘して貴重な遺跡を台なしにすることがないようし配慮しているわけですが、なるほどその決断は正しいと思いました。たしかに貴重な遺跡を十分な保存技術のないまま掘りあげるべきではありません。
 写真を眺めているだけでも楽しく、『三国志』や『水滸伝』を読んでわくわくしたことを思い出しました。中国のスケールの大きさを実感させられる本です。
(2011年9月刊。2300円+税)

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