弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2012年2月12日

日曜日の歴史学

司法(江戸)

著者  山本 博文  、 出版  東京堂出版 

 江戸時代について、たくさんの本を書いてきた著者の本を読むたびに目が開かれる思いです。伊能忠敬の目的が日本全国の地図づくりにあったのではなく、もっと大きな、地球の大きさを計算することだったというのを初めて知りました。しかも、歩いて算出した地球の外周(4万キロ近く)は、139キロの誤差しかなかったというのです。恐るべき精度ですね。腰を抜かしそうになりました。
家康も秀吉から豊臣の姓と羽柴の名字を与えられた。後に成立した江戸幕府は家康のこのような屈辱的な歴史を消そうとした。
 家康は秀吉に対して尺取虫のように平身低頭していたのが現実である。
家康が羽柴武蔵大納言と署名していたことがあるなんて、今の私たちからすると信じられませんよね。
嘆願すると住民は「恐れながら」と幕府を立てながら申し出た。しかし、それは武士が威張っていて、百姓が卑屈になっていたというものではなく、あくまで嘆願書の形式にすぎなかった。実際には、支配階級の武士といえども、被支配層の理解と支持なくして、自らの支配が成り立たないことを十分に承知していた。
  有名な桜田門外の辺について、彦根藩は、君主が傷つけられたというだけで、藩主の井伊直弼の首を取られたことを認めなかった。藩の面子があったからだ。そのため、この事件は殺人事件ではなく、幕府高官を集団で傷つけたという障害事件として処理された。ええーっ、ウソでしょ、と叫びたくなりました。ここまでホンネとたてまえを使いわけるのですね。まあ、これって、今でもありますね。
足軽というのは、最下層の武士かと思っていました。ところが、最近の研究では、足軽は百姓の出身者によって占められ、世襲されていない。つまり、足軽は士格ではあっても、武士とは言いがたい身分だった。
 私よりひとまわり若い著者ですが、さすがは東大史料編纂所教授だけあって、いつも史料を駆使した内容で、面白いうえに説得力があります。
(2011年11月刊。1500円+税)

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