弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2012年1月13日

国旗・国歌と「こころの自由」

社会

著者   大川 隆司 、 出版   高文研

 卒業式のとき「君が代」を全員起立して歌わせる、歌わせないと処分する。これって、やっぱり異常だと私は思います。
 厳粛な式でなければいけないから、強制するのはやむをえないという考えがあります。
 でも、生徒が卒業式を企画し運営していくというのがあっていいでしょ。泣いたり、笑ったり、あまり型にはめない卒業式のほうがよほど楽しいし、あとで良い思い出になるんじゃないですか。じっと黙ってありがたい祝辞を聞いているだけ。歌いたくないから、口パクだけして時を過ごす。そんなの、いやですよね。私も、実際、口パク組の一人だったように思います。「君が代」って、暗いし、ぴんと来ない歌ですからね。どうせなら、もっと明るい歌にしたらどうなんでしょうか?
 かつての卒業式は、在校生が卒業生の卒業を祝って送り出し、卒業生が在校生を激励する。いわば、生徒のための式典だった。同じく、入学式は在校生が新入生の入学を祝って迎え入れる、やはり生徒のための式典だった。そうですよね。これが本来の姿でしょう・・・。
 日本政府は日の丸掲揚にについて、1920年代まで、まったく熱意をもたなかった。
 「君が代」について、政府の見解は、「天皇を象徴とするわが国」のことだとする。しかし、政府は英語では、はっきり「天皇の治世」としている。今の天皇は、国旗・国歌について、「やはり、強制になるということでないことが望ましい」と発言しました。これこそ日本人の健全な常識合致しているものだと私も思います。
 「日の丸に対する敬意の強制が、思想および両親の自由を損害する強制とならぬよう、慎重な配慮が望まれる」
 これは大阪高裁判決(1998年1月20日)の判決ですが、まさしくそのとおりです。
 反対意見を強制的に排除しはじめると、やがて、それは反対者を根絶することへとつながってしまう。意見の統一を強制することは、ただ墓場という同一化をもたらすだけである。これは、アメリカ連邦最高裁の判決(1943年)です。本当にいいことを言っていますよね。
 子どもたちが学校で伸びのびと学びあうためには、教職員にも自由闊達さを保障しなければいけません。橋下徹のように、上から何でもがんじがらめに統制してしまえば、教職員は萎縮してしまい、子どもたちはおどおど、おろおろするばかりです。橋下徹の教育は一部エリート養成には都合がいいかもしれませんが、日本全体が底無し沼に沈み込んでしまうだけです。
 それにしても、そんな橋下流の「改革」に「底辺」であえぐ若者の多くが同調しているのですから、世の中はまさに矛盾だらけです。
 著者は、私にとって学生セツルメントの大先輩にあたります。
(2006年2月刊。1100円+税)

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