弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2012年1月27日
狡猾の人
社会
著者 森 功 、 出版 幻冬舎
狡猾(こうかつ)って、ずるがしこいという意味ですよね。防衛省のトップの事務次官として4年間も居座り続け、ついには防衛省の天皇とまで呼ばれた高級官僚について書かれた本です。この本を読むと、防衛族なる国会議員、防衛省のトップそして自衛隊の高級将官が日本の国土と国民を守ると豪語しながら、実は、それは単なる口実であって、要するに自分とその家族を守ることにしか念頭にないことがよく分かります。こんな人たちに日本人は愛国心が足りないなんて言ってほしくありません。
軍需産業が昔からボロもうけだったのは、まさにそこが競争のない世界だからです。定価なんてまるでありません。戦車1両が10億円とするとメーカーが言えば、防衛省は値切ることもなく、はい買いましょう、100両買いましょうなんて言って、惜しげもなく税金を注ぎ込むのです。もちろん、そこには中間に介在する人々へのもうけもしっかり保障されています。防衛省そして軍需産業のえげつなさが暴露され、お金のためには国すら売り渡してしまう人々が、表向きは愛国心を鼓舞していると言うことが分かって嫌になってしまいます。
日本政府は1機100億円するE-ZCを13機購入した。1300億円だ。ところが、今度はAWACSを買うという。AWACSは550億円もする。このAWACSを3機も購入しようという。
日本って湯水のようにムダなところにお金をつかうのですね。だって、これって、日本の国土を守るというより、アメリカ軍のお先棒かつぎというだけなんですよ。
自衛隊の装備の購入の7割が一般競争入札で随意契約は3割。ところが、これは件数の比率であって、金額のみでみると逆転する。7割が随意契約である。航空機や戦車などは主要なものは、みな随意契約。
要するに軍需メーカーの言うとおりに国は買っているというわけです。
軍事装備は市場性がない。競争相手なんていないから、定価というものが考えられない。水増し請求は日常茶飯事である。防衛省には、メーカーの提示する価格を徹底的に検証する能力はない。だからメーカーの言い値どおり買うしかない。
仲介する商社の手数料は代金の1.4%と決まっているから、民間の取引場である10%の手数料にあわせるため、価格の水増しが起きる。
守屋武昌元次官は自民党の防衛族として有名な石破茂元防衛庁長官を口舌(こうぜつ)の徒と評する。さらに、田母神俊雄・元航空幕僚長についても、ジョークが得意だけで、本来、幕僚長になるような器ではなかったと酷評する。
アメリカは自動車産業は日本に負けたが、航空機と宇宙産業は手放さない。日本の参入を許さない。アメリカのものを買えと、露骨に要求し、日本政府はそれ唯々諾々と従っている。
4年間も防衛庁の事務次官を務めた守屋武昌の退職金は6000万円だった。うひゃあ、これって、やっぱり高すぎますよね。防衛省って、そこにいる人たちの生活を防衛する、名ばかり官庁のようです。
(2011年12月刊。1400円+税)
2012年1月26日
昭和天皇伝
日本史
著者 伊藤 之雄 、 出版 文芸春秋
私にとって昭和天皇というのは、高校生までは「あっ、そう」としか言わない、よぼよぼの老人。大学生になってからは、日本を戦争に導いた最大の戦犯なのに、マッカーサーにこびへつらって戦犯になるのを免れた、こんなイメージでした。ですから、第二次大戦に至までの戦前、30代から40代という若さだったという感覚がまったくありませんでした。
天皇の戦争責任について、日本では真正面から議論することがあまりに少ないと思います。戦後すぐには退位すべきではなかったかという意見も有力だったわけですが、今ではなんとなく昭和天皇は平和主義者であって、開戦は自分の意思ではなかったけれど、終戦のときは身を挺して戦争を終わらせたという雰囲気の論調です。だけど、昭和天皇が本当に根っからの平和主義者だったら、やはり日本が太平洋戦争に突入することはなかったと私は考えています。
この本は、天皇が軍部との関係で絶えず緊張関係にあったことを明らかにしています。軍部は天皇を利用しようとしていたし、天皇は軍部が自分の言いなりにならないことから、妥協しつつ自己の意思をつらぬこうとしたようです。
即位したばかりの若い昭和天皇は、陸軍将校とつながる平沼騏一郎などの右翼、倉富枢密院議長などの保守派からの不安の目で見られていた。
張作霖爆殺事件のとき、昭和天皇は田中義一首相に異例の「問責」をしたが、このとき、若い天皇が右翼・保守派・軍部に対して威信を失ってしまい、軍部の統制を確立できない結果をもたらした。
ええっ、昭和天皇は若いから威信がなく、周囲から不安の目で見られていたのですね。つまりは、信用されていなかったということです。
昭和天皇はフランス語は学んでいたが、英語は生涯自由に話せなかった。でしたら、イギリスを訪問したときは、フランス語で会話していたのでしょうか・・・?
右翼は、天皇制を支持し、天皇親裁を唱えるが、彼らはあるべき天皇像を持っており、それと異なると、なかなか従おうとはしない。
つまり、右翼にとって、天皇は絶対的存在ではないのですね。自分に都合のよいときには、それを錦のみたてとしますが、気にくわなければ天皇を追放(代替わり)するのもいわないというわけです。
昭和天皇は、若いころ歴史に非常に興味を持っていた。しかし、元老たちが「歴史は、かえってお悩みの種になる」と危惧し、次に好きな生物学を選ぶようにすすめた。なるほど、生物学は俗世間との結びつきがより少なくて、無難なものでしょうね。
昭和天皇は、若いころは毎朝、何種類かの新聞に目を通していた。昭和天皇の言動について、宮中内部の有力者のなかに、細かいことに関わりすぎるという、その人格への不満や批判まで出てきた。
田中義一首相が辞任することになって天皇批判が出てきた。このことは、自らの誠実さに対する国民の人気を信じ、はりきって政治との関わりを求めてきた若き昭和天皇にとって、大きなショックとなった。
満州事変のとき、軍部の独断専行について、昭和天皇は問責をあきらめた。このとき30歳の昭和天皇は、浮き足立ち、弱気になっていた。
5.15事件が起きたとき、31歳の天皇は何かをせずにはおれなかった。クーデターで首相が殺害され、陸軍が政党内閣の拒否を公言するという初めての異常事態に直面したのだった。
昭和天皇は、一貫して美濃部達吉の天皇機関説を支持していた。しかし、公式に支持表明はしなかった。陸軍が機関説排撃に加わっているため、「公平な調停官」としてのイメージを傷つけないようにしたのだった。
2.26事件(1936年)のとき、陸軍はクーデター部隊を容認する方向で動いていた。これに対して、昭和天皇は反乱部隊の鎮圧を督促した。ところが、速やかに鎮圧せよという天皇の意思は、10数時間ほども陸軍当局に無視された。昭和天皇は大元師の命に従わない陸軍への憤りと、大きなあせりと、恐怖を感じた。大元師としての自らの命令がさらに一日実行されないことに対し、陸軍への不信を強めていった。そして、3日後にようやく収拾することができた。これによって昭和天皇は、陸軍に対して強い不信感をもつとともに、陸軍統制の困難さを考えたはずだ。
日米開戦が現実化することについて昭和天皇は大きな不安を抱き、ためらいがあった。もし天皇が開戦論を止めたなら、本当にクーデターが起きたかどうかは分からないが、2.26事件で陸軍が長時間、昭和天皇の命令を無視したことなどの経験から、昭和天皇がそう信じたことはありうる。昭和天皇は、米、英との開戦に最後まで躊躇していた。
昭和天皇は、太平洋戦争のころは40歳代の前半であり、身体にとくに悪いところはなかった。
昭和天皇は1943年3月末の時点で戦争に勝てないと考えはじめた。ニューギニアで突破された1943年9月には勝利の見込みを失っていた。もっとも、昭和天皇は、完全に日本の敗北を確信していたのではなく、1945年5月に沖縄戦の敗戦が確定するまで、講和へのわずかな望みを抱いていたと思われる。そこで昭和天皇は、アメリカ軍に大打撃を与えて講和に持ち込むしかないと考えていた。
1944年10月、神風特攻隊のことを知ると、昭和天皇は驚きつつも激励し、「もう一息だよ」と参謀総長を励ました。
1945年4月からの沖縄戦でも、上陸したアメリカ軍の背後をついて日本軍が逆上陸するように参謀総長にすすめるなど、積極的な戦争指導は沖縄戦の敗北が確定するまで続いた。
本土決戦を唱える陸軍主流をそれほど考慮することなく、昭和天皇が終戦に向けての行動を開始できたのは、ポツダム宣言が出され、広島への原爆投下とソ連参戦で、戦争終結に反発する陸軍の抵抗が弱まったからである。
天皇が「聖断」を出しても、万一、軍部が受け入れなかったなら、「聖断」は効力がない。昭和天皇は、天皇制維持の確証があるという姿勢で日本を終戦に持っていこうとした。
戦後、昭和天皇は沖縄についてアメリカが軍事占領することを希望すると表明した。これは象徴天皇として明らかに逸脱した行動であった。
昭和天皇の実像を知るための貴重な労作だと思いました。560頁ほどもありましたが、読みやすく、なんとか読み通しました。
(2011年9月刊。2190円+税)
2012年1月25日
アフガン諜報戦争(下)
アメリカ
著者 スティーブ・コール 、 出版 白水社
アメリカがウサマ・ビンラディンを拘束・殺害する計画というのは、昔から、あの9.11より前からあったのですね。CIAの公式計画になっていたのです。それは、遅くとも1996年から始まっています。
CIAは、1997年にはビンラディンがときおり滞在する住居を知っていた。それはオマル氏が用意したカンダハル市内外の屋敷だった。
ワシントンは1998年、ビンラディンを捕獲する計画の構想を承認した。ビンラディンを捕まえたら、アフガン南部の洞窟内に3日間拘束する計画だった。カンダハル空港の近くにあるビンラディンの農場を襲撃する計画をCIAは立案した。ところが、実施直前、ぎりぎりのところで、クリントン政権はこの計画を放棄した。
1998年8月、アフリカのケニア(ナイロビ)とタンザニア(グルエスラサーム)で自爆攻撃があり、アメリカ人を含めて数千人の死傷者を出した。この事件の背後にビンラディンがいる可能性は高いとCIAは分析した。
CIAの任務はアメリカへの奇襲攻撃を防ぐことだった。そのために何千人もの分析官などが仕事をしていた。
諜報の泥沼のなかに不気味なパターンが見えた。その一つは、ビンラディンの工作員たちが航空機に関心をもっていることだった。また、ビンラディンがアメリカ本土での攻撃を計画していることが次第に明らかになっていた。CIAが世界規模で活動を強化したにもかかわらず、盗聴からも取り調べからもハンブルクを拠点とする4人のアラブ人が密かにアフガニスタンを出入りしていたことはつかめなかった。
数年間にわたる努力にもかかわらず、CIAはアルカイダの中核指導部に一人もスパイを獲得できなかった。
ビンラディンは徹底的で実践的な安全対策をしていた。電話の使い方も用心深かった。身の回りの護衛にはアフガン人を入れず、旧知の信頼できるアラブ人だけを使っていた。絶えず移動ルートを変え、同じ場所に長く滞在せず、行動計画はないリンのアラブ人以外には誰にも明かさなかった。
CIAの情報源とスパイは主にアフガン人で、ビンラディンの中核指導部にいる護衛と指導グループによって隅に追いやられていた。
CIA工作員は、ビンラディンの保安上の弱点は、数人の妻たちにあると考えていた。
ホワイトハウスが国防総省にビンラディンを攻撃し拘束する作戦立案を初めて依頼したのは1998年秋のこと。
2001年春、CIAのビンラディンに関する脅威報告は、テロ対策センターがめったに見たことがないレベルにまで格上げされた。ビンラディンのチームがアメリカにカナダから爆発物の密輸を試みているという報告を得た。
8月6日。「ビンラディン、アメリカ攻撃を決意」、これがブッシュ大統領に対する朝の報告の見出しだった。
「我々はもうすぐ攻撃されるだろう」国防総省のテロ対策会議での発言である。
ハイジャック犯たちの資金は、アラブ首長国連邦に住むアルカイダ関係者から送金されていた。
CIA最大の凡ミスは、テロ対策センターが2000年の前半にアメリカのビザを所持するアルカイダ支持者2人の存在を知りながら、監視対象者リストに乗せそこなったこと。
9月9日、アフガニスタンでカメラマンに化けた暗殺者の自爆テロによってCIAと連絡していたマスードは殺された。
この部厚い本を読むと、アメリカ(CIA)はビンラディンの住所を追い、その動きを一貫して警戒していながら、9.11を防ぐことが出来なかったというわけです。なんだかむなしくなります。テロ防止には武力(軍事力)だけではダメだということを改めて思い知ったような気がします。
(2011年9月刊。3200円+税)
2012年1月24日
ヤクザと原発
社会
著者 鈴木 智彦 、 出版 文芸春秋
この本を読みながら、本当に原子力発電所が安全だというのなら、東京電力は下請まかせなんかにせず、すべての作業を自社の正社員のみでするべきなんじゃないかと思いました。保守・点検そして清掃・片付など一切の作業です。だって、東電が払った日当は最大1日10万円ですよ。今でも、1日に2~3万円のようです。東電の社員の給料がいくら高いといっても、1ヵ月300万円とか40万円の人ばかりではないでしょう。
ないはずの危険な汚れた仕事を下請に出すから、この本が指摘するような暴力団のしのぎ(稼ぎ)の場になってしまっているわけです。
本当は危険だから東電の社員にはやらせられないのだというのだったら、なんで同じ日本人、人間なのに下請の社員にそんな仕事をさせるのでしょうか。絶対おかしいと私は思います。
原発にかかわる仕事は電力会社の社員、それも一定の資格ある社員に限る。国会はこんな法律を制定すべきではないでしょうか。
この本の著者は、ヤクザ専門週刊誌の編集長も務めたこのとある暴力団ウォッチングのジャーナリストです。福島第一原発の事故のあと、そこに潜入して労働したという体験記なので、まさに身体をはっています。
しかし、そうは言っても「フクシマ50人」だけでなく、実際には、そこに数千人の労働者が今も現に作業しているのです。そのこと自体には本当に頭が下がります。でも、現場にイレズミ男、現役の暴力団組員もまじっていると聞くと、複雑な気分になります。もう、これまでみたいな、いいかげんな仕事はしてほしくないなというのと、暴力団の荒稼ぎの場になってほしくないということです。
どこの原発にもヤクザがいると思って間違いない。原発には、薬食って仕事やっているのが一杯いたよ。時間がたつのが早いし、怖いもんなしになるから、この仕事に向いているんだよ。
電力会社は一応の注意はするけれど、それは建て前なんだから。なにかあったとき、私たちはきちんと指導していましたって、そう言いたいだけ。実際のところは、みんな下請まかせ。
バブルの時期は、作業員1人について月100万円が支給された。40万円の月給を払っても60万円が仲介した暴力団の懐に落ちる。いいもうけになる。
暴力団が原発の深くまで根を張っていることは間違いない。
原発事故直後は、日当が5~20万円が相場だった。なかには50万円という組もあった。
条件は40歳以上、65歳以下の男性。ただし、住民票が必要。
東電は事故直後、下請に「死んでもいい人間を用意してくれ」と言ったという。
作業員の多くは放能に関する専門的な知識をもっておらず、毎日のニュースすら知らない情報弱者である。自分がどれほど危険な作業をしているか漠然としか理解していないうえ、新たな情報も得られず、慣れが恐怖心を鈍化させてしまう。
福島第一原発がたて続けに水素爆発を起こしたとき、多くの作業員はオンタイムで被曝数値のわかるデジタル線量計をもっていなかった。
フクシマ50の中に暴力団員が数人いるのは、ほぼ事実と考えてよい。
作業員にとって死に直結する危険は放射能ではなく、熱中症と交通事故だ。
九州の大牟田・荒尾からも作業員が来ていた。
すべてを包み隠さずに言えば、原発は人間の手に負える代物ではないという結論が出る。そうなると、どこでも原発の再稼働は難しいし、新規原発の建築は中止となる。そのうえ、放射能パニックも起きるから、政府の要請もあって、情報は小出しにせざるを得ない。
原発の恐ろしさを改めて認識させられる本でした。260頁ほどで、さっと読めますので一読をおすすめします。
(2011年12月刊。1500円+税)
2012年1月23日
リスの生態学
生き物
著者 田村 典子 、 出版 東京大学出版会
日本内外のリスを追いかけて、その生態を明らかにした面白い本です。
リスって、公園で見かけると可愛いものですが、九州では残念なことにあまり見かけませんよね。
リスの祖先は3600万年前に地球上に出現した。
リス科は、50属260種いる。リスの宝庫は意外なことに熱帯地域である。地上性リスの種は13属100種いて、全体の4割近くを占める。ムササビやモモンガもリス科に属する。
リス科は、地上性、樹上性、滑空性の3タイプに分けられる。
リスの門歯には歯根がなく、一生伸び続ける。だから、固い種子を毎日かじり続けて歯が摩耗してしまうことはない。むしろ、かじることによって門歯をとぎ、優れた切削道具として維持できる。
リスの眼球は、魚眼レンズのように突出し、前方、後方、上方まで幅広い視野をもつ。
枝から枝へ飛び移る樹上での移動において、瞬時に次に渡る枝までの距離を推定する必要がある。距離感を得るには、両面での立体視が必要である。
リスは圧倒的に乱婚制である。メスが発情し交尾を受け入れる1日に、複数のオスたちが交尾のチャンスを狙って集まる、いわゆる交尾騒動が繰り広げられるのがリス類の配偶行動の特徴の一つである。
リーダーオスがメスを独占するといっても、それは交尾の83%。次のオスが辛抱戦略をとるのが10%。さらには、盗み交尾も7%ある。交尾をすませたオスは、たいてい、それ以降の交尾騒動には参加せず、姿を消してしまう。秩序正しい乱婚である。この乱婚性について、その合理性が解明されています。子殺しの行動の可能性のある社会では父親隠蔽の必要性がある。自分が父親である可能性が少しでもあれば、子殺し行動は抑制される。メスは、多くのオスと交尾することによって、父親である可能性を担わせ、自分の子の生命の安全を期している。なーるほど、これってとても合理的なシステムですよね。
リスの鳴き声にも意味があるようです。
それにしても、リスの生態調査のために森の中に入っていき、毒ヘビを踏みつけそうになったという体験も紹介されていますが、怖いですよね。よく調査したものです。学者も大変ですね。
(2011年9月刊。3800円+税)
日曜日にフランス語の口頭試験(準1級)を受けました。問題は2問あって、そのうち1問を選びます。3分前に渡されます。1問目は、3.11のあと海外からの旅行者が減っているが、どうしたらよいかというものでした。むむっ、原発の対応をきちんとやること、その成果を広報すべきだと一瞬考えたのですが、日本語つぃて本当にそれでよいのか不安だったうえに、修復というフランス語が思い浮かばなかったのでやめました。2問目は、政府は国民にすべてを告げるべきかというものでした。日本政府はすべてを国民に伝えていない現実をふまえて、軍事、外交、個人のプライバシーなど死活的に重要なことを除いて伝えるべきだと言いたかったのですが、なにしろ残念なことにフランス語が出てきません。3分間のプレゼンは、実際しどろもどろでした。そのあとフランス人の質問があり、マスコミとの関係で政府がコントロールしているとか、なんとか会話は成立しましたが、客観的には半分程度の成績だったでしょうね。今回は結果は厳しいことを覚悟しました。
年に一度、最大限の緊張感を強いられる一日でした。
2012年1月22日
蛍の航跡
日本史
著者 帚木 蓬生 、 出版 新潮社
『蠅の帝国』の続編です。
軍医から見た太平洋戦争の悲惨な戦場の実相が語られています。とりわけ印象的だったのは、ビルマにおけるインパール作戦について、牟田口司令官の無暴きわまりない命令に反抗した師団長が精神異常かどうかという鑑定させられることになった話です。
食料も弾薬の補給もないまま、攻撃せよ、前進せよというだけの軍司令官の命令に師団長が従わなかった。精神状態が正常なら軍法会議にかけられ、直ちに死刑に処せられる。呼び出された51歳の師団長はありのままを軍医に語った。軍医も嘘は書けない。作戦中も現在も、精神状態はまったく正常であるという鑑定書を作成した。ところが、軍法会議は開かれず、うやむやになってしまった。そのうち、軍医のほうが転進して、それどころではなくなった。
異常な司令官の下で突撃させられ、無為に死ななければならなかった将兵こそ哀れです。戦争の不条理さを痛感させられました。
シベリアに抑留された軍医もいます。何もないなかで、日本兵たちがマンドリンのオーケストラをつくって演奏したというのです。そして、収容所から解放されたとき、収容所で亡くなった2000人の死亡患者名簿をこっそり日本に持ち帰ったのでした。見つかれば生命の危険がありました。たいした勇気です。
軍の慰安所を軍医として管理していた話もあります。日本政府は慰安所の存在を否定したり、軍とは関係ないものとしらばっくれていますが、このように日本軍が慰安所を管理していたことは歴史的な事実です。日本政府はきちんと責任を認めるべきだと思います。
前著の『蠅の帝国』と本書で30人の軍医の姿を描き終えた著者の感想を紹介します。
戦争の実相とは、つまるところ、傷つきながら地を這う将兵と逃げまどう住民、そして累々と横たわる屍ではないのだろうか。軍医は、その前で立ちすくみ、医療に死力をふりしぼりながら、ついには将兵や住民と運命を共にしたのだ。
巻末の資料にたくさんの日本医事新報がのっています。これらの記事をもとに一つ一つ、丹念にまとまったストーリーを組み立てていった著者の力量に改めて敬服します。
決して面白くはなく、読んで楽しい本でもありませんが、それでも、先人の苦労をしのぶためには読まなければいけない本です。読み終えると、気持ちがずんと重く沈んでしまいますが、ご一読をすすめます。
(2011年12月刊。2000円+税)
2012年1月21日
宇宙で最初の星はどうやって生まれたのか
宇宙
著者 吉田直記 、 出版 宝島社新書
宇宙誕生から38万年後、宇宙の温度が3000度Cに下がったとき、原子核と電子が結合し、原子が出来た。水素原子とヘリウム原子である。これが最初の星の材料となった。
最初の星が生まれたのは、宇宙が誕生して3億年たったとき。
宇宙にあるダークマターという物質のもとに、水素やヘリウムのガスが集まってきた。次第に凝縮していき、濃密なガスの魂となり、その中心部で核融合反応が起き、いくつもの重い原子を合成しはじめる。この核融合が始まると、ガスの魂は明るく光り輝き出し、宇宙を照らす量となる。
1万光年立方の空間に1個の割合でファーストスターは誕生した。現在、10万光年サイズの銀河の中に星は1000億個もある。それに比べると、ファーストスターはずい分と少ない。
ファーストスターの寿命は300万年ほど。寿命を終えると、超新星爆発を起こす。そのとき、星の内部の核融合で作られた元素、酸素や炭素や窒素を宇宙にばらまく。
このファーストスターの超新星爆発によって、はじめて宇宙に水素とヘリウム以外の元素が存在し、広がるようになった。そして、それが次の世代の星の材料となり、やがて人間の生命を形づくる素となっていった。
私たちの宇宙には、金や銀、銅、ウランなど鉄より重い重元素にあふれている。これらは、第2世代の星の内部で作られ、第2世代の星が超新星爆発を起こした時に宇宙にばらまかれたと考えられる。
重元素を吐き出す星の寿命は長くて1000万年。1000万年を10回くり返すと1億年。宇宙の歴史は137億年なので、1000世代は交代しているということになる。
宇宙には果てもなく、形もない。無限に平坦な空間が広がっているとしか言いようがない。
たまには無限の宇宙空間に思いをはせてみるのもいいものですね。
(2011年10月刊。667円+税)
2012年1月20日
勾留120日
司法
著者 大坪 弘道 、 出版 文芸春秋
大阪地検特捜部で証拠改ざん事件が起きて、特捜部長が逮捕されました。この本は、その元特捜部長が書いたものです。無実を訴え、最高検察庁および古巣の検察庁を激しく糾弾しています。
検察官による証拠改ざんが前代未聞と言えるものなのかどうか、実は疑問があります。警察と検察による証拠隠しは弁護士にとって日常茶飯事、いつものことという感覚です。被告人に有利な重要証拠を検察官が手にしていても隠して出してこないというのは、これまで無数といってよいほどありました。今回の証拠改ざんは、このような証拠隠しの延長線上にあるものではなかったでしょうか。
それはともかくとして、取り調べる側が取り調べを受け側に転落したことの苦しさ、悔しさが本書を貫いています。同時に、逮捕・勾留された身の辛さを初めて実感したことも正直に書かれています。
大阪拘置所で過ごした120日間、著者は3畳の独房で自らの胸に去来する事柄を日々ノートに書きつづったのでした。ちなみに、著者の逮捕罪名は、犯人隠避(いんぴ)容疑です。
取り調べのはじめに有無を言わせない形で相手の弱点をせめて萎縮させ、一気に有利な立場に立ち、その動揺に乗じて自白をとる。これは取り調べのテクニックの一つ。ただし、弱い相手にだけ通用する取り調べ方法である。
今回の逮捕はマスコミの風圧に検察が扇動されたようなものであり、結果的にマスコミに殺された。著者はこのように自分の気持ちを吐露しています。
ホワイトカラーは、勾留生活に入るとき下着を脱いで裸にされたうえで屈辱的な手続を受けるが、これによって、それまでの地位から転落した現実に直面させられ、絶望感と苦痛の心理状態に陥る。
拘束される立場に置かれることによって、初めて拘束させることの厳しさと辛さをこの身をもって思い知った。自分がかつてここに送り込んだ多くの人たちも、今の自分同様の苦しみの中にあったことを思った。
知らず知らずの間に多くの罪を重ねてきたという罪悪感を心の中で感じるようになった。司法というものは恐い。これが偽らざる気持ちであった。
あれほど、熱い気持ちを抱き続けてきた検察という組織は、これまでの著者の努力といささかの貢献を一顧だにせず、内部調査と称して完全な被疑者扱いをし、無理筋の容疑で逮捕するに至った。
そして、これまで親しい関係にあった検察官たちは、ひとたび組織が「大坪を切り捨てて、逮捕する」と決定すると、忠実に「一捜査官」になり切った。
27年前、若い血をたぎらせ、検察は国民の最期の拠り所であると憧れて任官した検察の組織が、かくも冷酷非情で脆弱な組織であったことを思い知らされた。
「私が知っているすべての秘密をバラして、検察をがたがたにしてやる」と著者は大声で怒鳴った。
この本には、その「すべての秘密」が何かは明らかにされていません。例の裏金のことなのでしょうか、それとも他にも検察がガタガタになるような秘密があるのでしょうか。
司法というものは、まことに恐ろしい権力である。人を極限に追い詰める権力である。人の生身を切りきざむ物理的な権力である。
いつしか自分自身が権力の魔力に取りつかれていたのかもしれない。
若いころは、おののきの気持ちをもって恐る恐るその権力を行使していたのが、いつのまにかその権力行使に慣れ、習熟するなかで権力の側からしか相手を見なくなっていたのかもしれない。
まことに権力というのは恐ろしいものだと実感させる本でした。現在、無罪を主張して公判中です。判決はどうなるのでしょうか・・・?
(2011年12月刊。1400円+税)
2012年1月19日
国家と情勢
司法(警察)
著者 青木理・梓澤和幸ほか 、 出版 現代書館
この本を読むと、警察って罪なき人々を無用に関しして、「犯罪」をつくりあげるところなんだなという感想と同時に、こんなマル秘のデータが外部に流出するなんて、日本の警察もたいしたことない役所だね、そんな哀れみすら覚えます。
後者のきわめつけは、国際テロリズム緊急展開班の班員名簿として13人の現職警察官の個人情報が詳細に記載されたものが外部に公表されていることです。なにしろ、公安機動捜査隊第三公安捜査班所属で警部補とか、自宅の住所、家族全員の氏名・年齢、職業、同居の有無、健康状態まで記載されています(2008年9月12日現在)。この本では黒塗りしてありますが、どうやら顔写真もついているようです。先日のアメリカ映画『フェア・ゲーム』じゃありませんけど、当局がCIA捜査官を自ら暴露したのとまるで同じです。
今回流出した警察資料の大半は日本のイスラム教徒関係の監視状況をまとめたレポートです。何も犯罪とは関係ないのに、イスラム教徒だからというだけで監視対象として尾行・監視していたというのは許せませんし、まったく税金の無駄づかいの典型です。400頁もある分厚い本ですが、その半分以上は流出した資料です。黒塗りしてありますので、「面白さ」は半減しますが、これが自分のことだったらぞっとしますよね。ですから黒塗りするのは当然です。ところが、黒塗りしないまま公刊しようとした出版社があるというのですから驚きました。さすがに裁判所は出版差止を命じたようです。
情報が流出したのは、2010年10月30日のこと。流出した資料は114点、1000頁ほど。警察は、流出した情報が警察由来のものだとなかなか認めず、2ヶ月後にようやく認めた。この差によって、被害拡大を防止する措置が遅れた。
警視庁では、1995年当時、刑事部の捜査第1課に300人の捜査員がいた。ところが、公安部公安第1課は、それより多い350人もいた。刑事より公安が多いだなんて・・・。
ながく警察官僚のエリートコース、出世コースは警備・公安部内とされてきた。警察庁長官は、ずっと警備・公安部門の要職を歴任した人物で独占されてきた。
ところが、今や公安警察はジリ貧状態にある。公安部公安第1課も230人になっている。そして、2002年、警視庁公安部に新設された外事第3課は、34年ぶりに新しくもうけられた課である。公安警察がじり貧状態から抜け出し、反転させられるかもしれない期待の課が新設された。この外事第3課は当初70人から今では150人もの捜査員をかかえる大世帯となった。
警視庁は都内に16あるモスクの全部について、人の出入状況、出入車両その他をことこまかく情報を収集している。そして、イスラム周辺支援組織として39団体が情報収集の対象となっている。そのなかには、国境なき医師団や、ユネスコ・アジア文化センター、はてはJICAまで監視対象団体とされている。JICAって、準政府機関ですよね。ここまで監視する警視庁って、一体何なのでしょうね・・・?
ジャーナリストは、外事第3課がなぜできたのかという理由を、それは公安がヒマだからだと断言しています。これは、公安調査庁と同じですよね。日本共産党を監視するということで存在価値があるかのように見せてきた公安調査庁は共産党が国会でそれなりに定着して、一定の支持を得てしまうと無用の長物視され、あやうく廃止寸前にまで追い込まれてしまいました。それを救ったのが、かのオウム真理教でした。でも、オウム真理教の監視って、なにも捜査能力もない公安調査庁がやらなくたっていいのですよね。それなのに、まだ居座ったままです。公務員減らしをやるとすれば、まっ先に公安調査庁を対象とすべきだと私は思います。
同じジャーナリストは、150人の捜査員のいる外事第3課の生き残り策として、イスラム教関係者の監視をするという「仕事」をつくり出したのだと断言しています。
あーあ、やんなっちゃいますね。無用の仕事、まったくの税金のムダづかい、そして、罪なき人を危うく「犯罪」者に仕立てあげ、世間の誤解をかきたてる。自分の子どもに、お父ちゃんの仕事は何をしているんだと胸をはって言えるものではありませんよね。これって・・・。哀れです。そして、こうやって情報が流出していき、個人情報が広く流出してしまうと、それが一人歩きして、あたかもテロリストと関係あるかのように世間から誤解されてしまうのですから、たまったものではありません。
アメリカでも似たようなことが起きていると聞きましたが、日本でもこんなことが起きているのですね。恐ろしい世の中です。
(2011年10月刊。2200円+税)
2012年1月18日
プレニテュード
アメリカ
著者 ジュリエット・B・ショア 、 出版 岩波書店
この本を読んで一番おどろいたのは、次の一節です。
衣料品は、今や一着いくらではなく、一ポンド(450グラム)の山が1ドルといった低価格で購入される。ええーっ、そうなんですか・・・。そう言えば、私の町にもアメリカの古着を安く、大量に売っている倉庫のような大型店舗があります。
西洋では、衣料品は生産が高くつき、何世紀にもわたって高価で基調な商品だった。いったん作られると、衣服はさまざまに用途を変えながら、長期間つかわれてきた。
今のアメリカでは、事実上無価値な衣料品を文字どおり山積みにしている。消費システムは、作られた製品をほとんど瞬間時に不要にする。衣料品の山ができたのは価格の急速な下落があったから。頻繁に買うことは、衣料品全体のあり方を変えることになった。数年単位で比較的ゆっくりと変化するデザインから、刻々と変化する流行を特徴とするファッションへの転換があった。
今や、おしゃれではなくなっているという理由だけでモノを捨てることが出来る。そういう浪費する余裕があることを顕示するために、私たちはファッションを喜んで受け入れている。ファッションは、ある程度は軽率さへの受であり、少なくとも必要からの逃走である。
私自身は衣料品を店で買うことがほとんどありませんが、衣料品を一山いくらで買うという発想にはショックを受けました。現代の浪費はここまで来ているのですね・・・。
衣料品の廃棄物が劇的に増加している。古着産業は10億ドルをこえる。
コンピューターはペーパーレス社会を実現すると考えられていたが、現実には、アメリカの1人あたりの紙の消費量は1980年から増加し、2005年には300キロ近くになって世界最大となった。世界人口の4.5%を占めるアメリカが紙消費の3分の1を占めている。
私たちは、ただならぬ時代に生きている。現代の消費ブームは歴史的に異常である。減少すると予測されていたモノの移動は、加速された。これほど多くの人が、これほど短期間に、これだけたくさん買ったことはなかった。しかし、どんなドンチャン騒ぎにも終わりがある。
アメリカの平均的な労働者は2006年には1979年より180時間も多く働いている。働き過ぎている労働者は、ストレスレベルがとても高く、身体的な健康状態も悪く、うつ病にかかる割合も高く、身の回りのことを自分でできる能力も低い。
アメリカの、あまりにも営利を追求する民間会社主導の健康保険制度は崩壊しつつある。アメリカ企業は、めまいがしそうな勢いで労働者を削減している。2009年10月までに800万人の雇用が失われ、勤労者の6人に1人が失業者か半失業者と化した。私たちは生産性の伸びを利用し、各仕事にともなう労働時間を削減する必要がある。こうすることで、企業は人員をレイオフすることなしに革新を行い、売り上げ減を緩和し、需要が拡大したときには仕事を増やすことが出来る。
時短は富を生み出し、富を共有する解決策なのである。時短の前進に再び取り組まなければ、少なすぎる仕事に労働者が押し寄せて、失業が増えるだろう。
いったい何が幸福度を高めるのか。より多くの時間を家族や友人たちとともに過ごすこと、より多くの時間を親しい人との関係のために使うこと、食事やエクササイズにもっと時間をかけること。自然そのものも幸福の源泉である。
この本のタイトルであるプレニテュードとは聞き慣れない言葉ですが、豊かさのことです。
豊かさには4つの原理がある。第一は、新たな時間の配分。第二は、自分のために何かを作ったり、育たり、行ったりすること。第三は、消費について環境を意識したアプローチをすること。第四は、お互い同士と私たちのコミュニティの投資を回復させる必要性。
豊かさに関する個人の原理は、労働と消費を減らし、創造と絆を増やすことである。これは、エコロジー的利益と、楽しみと健康を増やすと言う人間的利益を生み出すものでもある。
この本のあとがきに、本のタイトルをどうするか悩んだと書いてあります。たしかにプレニテュードなんて書かれても何の本だか、まるで見当もつきません。内容がとてもいい本なので、やっぱりタイトルは変えてほしいものだと思いました。むしろ、サブタイトルである「新しい〈豊かさ〉の経済学」というほうが、私をふくめて一般にピンとくるし、読んでみようかなと思わせると思います。やっぱり本は読まれなくてはどうにも仕方ありません。本のタイトルは大切です。
この本も訳者の一人である川人博弁護士より贈呈を受けました。いい本をありがとうございました。
(2011年11月刊。2000円+税)
2012年1月17日
「子どものために」は正しいのか
社会
著者 金森 俊郎 、 出版 学研新書
なるほど、なるほどと同感できるところの多い本でした。
最近の子育てや教育は過程を軽視しすぎではないのか。「できた」という結果のみに目を向けるから、「できない」と自信を失い、立ち直れない。自信を失ったときに支えてくれる友だち、人間関係がないから、自己否定や自己喪失感に襲われる。
温かい人間関係がなければ、人は生きていけない。人間が孤独でつらい、苦行になってしまう。今の子どもたちがどれだけ傷ついているか、大人は気がついていない。それが一番怖い。
これって、橋下徹に聞かせてやりたいセリフですよね・・・。6人の子の親として、自信満々なのでしょうか?もし、本当にそうだとしたら、それはそれで怖いことですね。
「できたこと」だけをほめていたのでは、子どもは「できたこと」しか報告しなくなる。「できなかった」ことを恥じ、自分を追い詰めていく。何より、「できる」までのプロセスの尊さに気がつかなくなる。努力した自分、励ましてくれた友だち、教えてくれた大人といった豊かな人間関係があってこそ出来たのだということに目が向かなくなり、「できた」のも「できなかった」のも、自分一人の手柄であり責任であると孤立化してしまう。
私が司法試験を目ざして苦しい受験生活をしていたころを急に思いだしました。もちろん勉強自体は一人机に向かうことが多かったわけですが、周囲にいた友人たちのときどきの励ましが、私を大きく支えてくれていました。
困っている子どもに「がんばれ!」とだけ言ってもダメ。がんばれないから、その子は困っているのだから。子どもの弱さを一方的に非難せず、パパ(お父さん)も、そうだったと共感し、理解を示す。子どもから話を聞き出す前に、まず親が語り込むことだ。励ましや説教ではなく、自分の体験、生き様を語るのだ。
親が自分の体験を語ると、子どもは共感し、安心する。言い出す素地ができる。
そのとき、場所選びも大切だ。散歩に連れ出したり、河川敷に並んで座ったりして、話しやすい雰囲気をつくることだ。
子どもの受ける苦しみに共感して、寄り添ってくれる人がいれば、人間は生きていける。逆に、周りが共感的に受けとめず、表面的な憐憫や哀れみだけしか示してくれないと、子どもはその苦しい現実を自分の内面深くに固く閉じ込めて生きていかなければならず、悩みはどんどん深刻化していく。
エネルギーを正しく投入できる場があり、正当に評価される場があると、子どもは変わる。
これって、大人だって同じことですよね。じっくり味わい深い、内容の濃い教育書だと思いました。さすがは38年間、小学校の現場で子どもとトコトン向きあった教師だけはあると思います。
(2011年10月刊。740円+税)
2012年1月16日
アフリカで誕生した人類が日本人になるまで
人間
著者 溝口 優司 、 出版 ソフトバンク新書
ヒトが誕生したのはアフリカだというのは動かない事実です。
200万年前よりも古い人類の化石はアフリカでしか発見されていない。現代日本人の最古の祖先は2001年に中央アフリカのチャドで発見された猿人・サヘラントロプスだ。700万年前に棲息していた。
ヨーロッパ人は歯が小さい。そのため、顎の力を受けとめるため、カラベリとういう補強構造を発達させている。
日本人を含む現代の人類は、世界中のどこでも、どんなに外見の異なる人同士でも子ができ、孫が生まれる。完全交配が可能な同じ種なのである。つまり黒人だから、黄色人種だから、白人と種が違うというものではないのですよね。
ネアンデルタール人とホモ・サピエンスとは、交配することで次第にホモ・サピエンス集団に吸収されていって、消滅していったと考えられる。
類人猿などにある体毛がホモ・サピエンスでは極端に薄いのは、人類の祖先が森林を出て、草原で直立二足歩行するようになったことと関連している。というのは、暑い昼間、長時間走り続けるには、効率的に体温を下げる必要がある。体毛があって汗腺が発達していないときは、それは不可能だった。しかし、突然変異で体毛が薄くなり、汗腺が発達して大量の汗をかけるようになった。昼間の狩りで獲物をしとめるようになったヒトだけが子孫を残すことができた。
四つん這いやナックル・ウォーキングのときにはよく見えていた生殖器が直立したことで見えなくなったことをカバーするため、粘膜で出来た唇があり、女性の胸がふくらんだ。
唇は生殖器の、乳房はおしりの擬態である。
アジア大陸をいったん北上した人々が、寒冷地適応をし、農耕技術を身につけたあと再び南下して、もとからいた人々と混血し、東南アジアの現代人になった。
縄文人の祖先は、オーストラリア先住民(アボリジニー)などの祖先と同様、氷期にはスンダランドにいた人々。
琉球人はアイヌと同型統ではない。むしろ本土日本人に近い。
弥生人が寒冷地適応をした北方系の特徴をもつのは、もともとバイカル湖近辺の人々が祖先であったため。そして、弥生人が水稲栽培の技術を持っていたのは、日本に渡来する前に暮らしていた朝鮮半島で身につけたから。
このように、日本列島には、南方期限の縄文人が先にきて北方起源の弥生人が後からやって来たのは、ほぼ確実だ。そして、大陸から渡来した弥生人が、もともと日本に住んでいた縄文人と混血しながら広がっていき、かなり置き換わったのに近い状態になった。
なーるほど、そういうことなんですね。なんだかネアンデルタール人と縄文人って、置かれている状況が似ていますよね。
(2011年9月刊。730円+税)
2012年1月15日
蠅の帝国
日本史
著者 帚木 蓮生 、 出版 新潮社
軍医として戦争に従事した人たちの手記が丹念に掘り起こされ、その悲惨で苛酷な戦場の状況を追体験することができます。
戦争の不条理さには息を呑むばかりです。
ハエは瀕死とはいえ、まだ生きている人間に卵を生みつける。ハエは、いずれ死にゆく人間の見分けをつけている。
ええーっ、そんな・・・。むごいことです。病人はウジがはいまわるので、かゆいかゆいと苦しみながら死んでゆくのです。
終戦後、満州から引き揚げてくる列車のなかで、牡丹江から鉄嶺に着くまでに、恐怖と心配から13人もの妊婦が出産した。幸い早産であっても、死産はなかった。でも、出産した赤ん坊はどうなったのでしょうか。みな、無事に日本へ帰国できたとは思えません。残留孤児になってしまった赤ん坊もいたことでしょうね。
軍馬についての統計がされています。
日清戦争での出征人馬数は、日本が兵員24万人に対して馬数は5万8000。清国は兵員35万人、馬数7万3000。
日露戦争では、日本の兵員は100万9000、馬数は17万2000。ロシアは兵員129万、馬数29万9000。兵員100に対して馬数は2割前後。
馬は倒れるまで全力をふりしぼって動く。従って、疲労を早めに発見して休ませ、水を飲ませなければならない。
うひゃあ、そうなんですか・・・。ちっとも知りませんでした。
騎兵連隊では、人より馬を大切にする。
「馬がなくては騎兵ではない」
ええっ、うむむ、なんだか違う気が・・・。
馬は暑さに弱く、熱地作戦には向かない。
寒さには耐えられるのでしょうか・・・?
さすが現役の精神科医であるだけに、専門用語も駆使されていて、軍医の手記が見事に今によみがえっています。
(2011年7月刊。1800円+税)
2012年1月14日
織田信長のマネー改革
日本史(戦国)
著者 武田知弘 、 出版 ソフトバンク新書
織田信長のやったことを経済学的に解釈していて、なるほど、そういうことだったのかと感嘆させられました。
織田信長は石山本願寺と戦っているとき、鉄甲船をくり出した。新兵器だった。鉄は、当時、貴重品だった。その貴重品を船の全面に貼りつけたのだから、費用は莫大だった。そんなお金を信長は、どこで手に入れていたのか。
信長公は、金、銀、米、銭に不足することがなかった。
寺、城、港が信長を富貴にした。信長は多くの寺社の利権を奪った。
信長は4回も居城を変えたが、そのたびに富貴になった。なぜか?
信長の城は、敵に対しての牽制でもあり、領民に対して威圧と安心を与えるものだった。逆にいうと、安土城は、巨大な税務署でもあった。
信長は、かなり細かい検地を実施した。信長の城つくりは、すなわち街づくりでもあった。街が発展すると、信長にとって戦略物資を調達しやすくなる。そして、市をたてさせ、地子銭はとらないけれど冥加金はとって、収入を増やしていた。
信長は港を欲した。港によって莫大な関税収入が保障された。
信長は、中央政権として、日本史上初めて通貨として金銀の使用を促し、金銀と銅銭の価値比率を制定し、体系化した通貨制度をつくった。また、物を量る単位として、「枡」を統一させた。
信長は道路網整備のために大がかりな掘削工事も行っている。両端には側溝があり、土手もある本格的な道路である。
信長の時代には、人々は安全に、夏は夜間でも安全に旅ができた。
信長は、庶民には減税し、金をもっているものから果敢に税金をとろうとした。それが楽市楽座であり、地子銭の免除、比叡山焼き打ちなのである。
なるほど、なるほど、と思いながら車内で一気に読み終えました。
(2011年7月刊。730円+税)
2012年1月13日
国旗・国歌と「こころの自由」
社会
著者 大川 隆司 、 出版 高文研
卒業式のとき「君が代」を全員起立して歌わせる、歌わせないと処分する。これって、やっぱり異常だと私は思います。
厳粛な式でなければいけないから、強制するのはやむをえないという考えがあります。
でも、生徒が卒業式を企画し運営していくというのがあっていいでしょ。泣いたり、笑ったり、あまり型にはめない卒業式のほうがよほど楽しいし、あとで良い思い出になるんじゃないですか。じっと黙ってありがたい祝辞を聞いているだけ。歌いたくないから、口パクだけして時を過ごす。そんなの、いやですよね。私も、実際、口パク組の一人だったように思います。「君が代」って、暗いし、ぴんと来ない歌ですからね。どうせなら、もっと明るい歌にしたらどうなんでしょうか?
かつての卒業式は、在校生が卒業生の卒業を祝って送り出し、卒業生が在校生を激励する。いわば、生徒のための式典だった。同じく、入学式は在校生が新入生の入学を祝って迎え入れる、やはり生徒のための式典だった。そうですよね。これが本来の姿でしょう・・・。
日本政府は日の丸掲揚にについて、1920年代まで、まったく熱意をもたなかった。
「君が代」について、政府の見解は、「天皇を象徴とするわが国」のことだとする。しかし、政府は英語では、はっきり「天皇の治世」としている。今の天皇は、国旗・国歌について、「やはり、強制になるということでないことが望ましい」と発言しました。これこそ日本人の健全な常識合致しているものだと私も思います。
「日の丸に対する敬意の強制が、思想および両親の自由を損害する強制とならぬよう、慎重な配慮が望まれる」
これは大阪高裁判決(1998年1月20日)の判決ですが、まさしくそのとおりです。
反対意見を強制的に排除しはじめると、やがて、それは反対者を根絶することへとつながってしまう。意見の統一を強制することは、ただ墓場という同一化をもたらすだけである。これは、アメリカ連邦最高裁の判決(1943年)です。本当にいいことを言っていますよね。
子どもたちが学校で伸びのびと学びあうためには、教職員にも自由闊達さを保障しなければいけません。橋下徹のように、上から何でもがんじがらめに統制してしまえば、教職員は萎縮してしまい、子どもたちはおどおど、おろおろするばかりです。橋下徹の教育は一部エリート養成には都合がいいかもしれませんが、日本全体が底無し沼に沈み込んでしまうだけです。
それにしても、そんな橋下流の「改革」に「底辺」であえぐ若者の多くが同調しているのですから、世の中はまさに矛盾だらけです。
著者は、私にとって学生セツルメントの大先輩にあたります。
(2006年2月刊。1100円+税)
2012年1月12日
民法改正
司法
著者 内田 貴 、 出版 ちくま新書
40年近く弁護士をやっていて、法律が変わると、ついていないと悲鳴をあげてしまいます。脳が新しいものを受けつけないのです。商法は今では完全に投げています。まるで分かりません。有限会社がなくなってしまって、私の時代は過ぎたという気がします。
最後の頼みの綱である民法までも変わってしまったら、もう弁護士廃業するしかありません。トホホ・・・。
日本民法は明治31年(1898年)7月に施行されています。公布(1896年)から、すでに115年が経過しています。現在、拘束力を持っている法律で民法より古いものは5つしかない。ええーっ、5つもあるのですか・・・。何でしょう?
爆発物取締罰則、決闘罪に関する件などです。なーるほどですね。
法律の学習は外国語の習得と似ている。日本語で書いてあるから読めば分かるだろうなどと思ってはいけない。日常語などと思ってはいけない。日常語とは違う言葉であり、日常とは違う文法があるのだ。
なるほど、なるほど、そうなんですね。英語ができるからといって、アメリカですぐ弁護士になれるわけではないのですよね。
日本民法の成り立ちを改めて勉強しました。
日本民法は、内容的には、フランスとドイツの影響を半々程度に受けた法典である。イギリスやベルギーの影響を受けた規定もある。したがって、フランスとドイツをともに母法とする法典と言える。
日本民法は条文の数が極端に少ないという特色がある。フランスは2486条、ドイツは
2385条なのに、日本は半分以下の1044条しかない。これは、細かな条文を全部落として、原則だけ、それも非常にシンプルに書くという方針が採用されたことによる。
日本の民法をつくるとき、法典の名宛人から、一般国民は完全に抜け落ちた。西洋式の民法はできても、その条文だけでは裁判ができない。あるいは行動の具体的な指針を民法から導くことができないことになった。
初期の段階から、条文に書いてあることと解釈論が乖離していた。条文はフランスからきているが、解釈論は異なる条文を前提としたドイツからきているということが珍しくなかった。解釈といいながら条文の解釈などしていないというのが日本の解釈論の難しさの原因だということが分かりました。
いま、国際的に、消滅時効期間の短縮化が大きな流れになっている。ドイツでは時効
30年から3年に短縮した。フランスも30年を5年にした。
日本でも20年を除斥期間ではなく、時効と解する動きが出ている。
約款は19世紀の末にできた日本民法典の知らない現象である。
ええーっ、なんということでしょうか・・・?読んでもいない約款条件が、なぜ契約内容になっている当事者を拘束するのか、というのは難問である。
ふむふむ、そう言えば、そうでしょうね・・・。
民法改正の必要性を実に分かりやすく解説した本として、感心しながら読みすすめました。まだまだ、いろいろ難所はたくさんあるようですが・・・。
(2011年11月刊。760円+税)
2012年1月11日
ラーメンと愛国
社会
著者 速水健朗 、 出版 講談社現代新書
ダイエットにいそしんでいる私はラーメンをほとんど食べません。いえ、好きなのです。ラーメンとギョーザなんて最高です。でも、我慢、ガマンです。
トンコツ・ラーメンを食べ慣れていましたので、高校生のとき修学旅行で初めて東京に言ってラーメンを食べて、そのまずさにびっくりしました。なに、これ、ウドンじゃないの。東京の醤油味ラーメンに舌がついていけませんでした。東京で大学生になってからは、タンメンを愛好しました。やっぱり野菜を少しでも摂ろうとしたのです。
ラーメンほど激しく変化する食べものも珍しい。
醤油やみそ、塩が定番だった時代から、現在の主流はとんこつ魚介、しょうゆとんこつ、そしてつけ麺が定番となった。ラーメンの具も、ナルトとほうれん草が消え、海苔と煮玉子が登場し、定着している。
ラーメンほど呼び名が変わる料理も珍しい。かつては南京そば、以後、支那そば、中華そば、ラーメンと変わってきた。いまどきのラーメン屋は、ラーメンとは名乗らず、麺屋、麺処などが主流。
南京そばがラーメンに変わるには3つの大きな発明があった。一つは、スープに醤油を入れたこと、二つ目は、かつお節やニボシなど和風ダシを加えたこと。三つ目には、麺を縮らせたこと。
ふむふむ、ラーメンといっても、この100年という短い歴史の中で呼び名も中味も大きく変化してるんですね。
戦前の支那そばは、都市下層民の深夜飲食の楽しみとして、娯楽的に食していたもの。また、深夜労働者が安価な夜食として食していたものだった。
戦後はじまった「サザエさん」のなかで、シナソバが中華そばに変わったのは1950年のこと。
カップヌードルが普及したのは1972年のあさま山荘事件のとき、警察が愛用しているのをテレビで放映されたことによる。
2005年7月、宇宙食ラーメンとしてスペースシャトルに搭載された。実はラーメンという言葉がいつどこで生まれ、誰が命名したのか、定説はない。1900年より前のことではある。1970年ころ、フランチャイズのラーメン店が全国に広がった。札幌ラーメン系なのである。1990年代末、ラーメン屋を代表するスタイルとして作務衣系が定着した。
インスタントラーメンは915億食。中国がダントツの1億。ベトナムではエースコックが26億食。「マルちゃん」はカルフォルニアの刑務所で人気がある。通貨がわりとしても通用している。
ラーメンって、すごい力を持っているのですね。よく調べてあるのに驚嘆しました。
(2011年10月刊。760円+税)
2012年1月10日
60歳からのマジック入門
社会
著者 麦谷眞里 、 出版 東京堂出版
私はマジックにとても興味があります。ハウステンボスに泊まったとき、2度ほど大がかりなマジックショーを見ました。舞台の上でオートバイに乗っていて、姿が消えたと思ったら、会場の奥、舞台の反対側からオートバイに乗って同じ人物が姿を現すのです。まさに瞬間移動術です。これんなことが出来るのなら、飛行機なんて不要ですよね。ドラえもんの「どこでもドア」と同じなのですからね。私も欲しいです。
そして、いかにも重たい本物のゾウが舞台(地面そのものです)にいて、そのゾウの周囲を大きな鏡で取り囲んでしまいます。そして、鏡を開け放ったときには、なんとゾウの姿はどこにも見当たらない。そんなマジックに驚嘆しました。
東京には手品ショーを身近でやってくれるスナックがあります。知り合いの弁護士に連れていってもらいました。お札がどんどん増えていく手品もあります。これじゃあ、まともに働くことなんてバカバカしくなってしまいますよね。こんなのマジックの種明かしをぜひ知りたいと常々思っているところに、本書を手にしました。
著者は、なんと厚生労働省の現役官僚で、日頃は高齢者対策に関わっています。そして、マジック歴50年という医師でもあります。つまり、子どものころからマジックに取りつかれた人なのでした。
マジックは、見ている観客が錯覚を楽しむ高尚な娯楽である。
手を目より早く動かすことはできない。観客が実際に見ているものや見えているものが大事なのではなくて、観客の「心」が本当に何を見ているのかが重要なのだ。観客の「心」を別方向に誘導することに成功すれば、どんなマジックも上手に演じることが出来る。
観客の「心」の誘導は、実は、人生経験が豊富な人ほど巧みなのだ。だから、マジックを60歳から始めるのは時宜を得ている。うむむ、そうなんですか。といっても、私のように不器用ではむずかしいのでしょうね・・・。
マジックは、これから何が始まるのかをあらかじめ観客に言わないのが大原則である。ハンカチーフを丸めて握った手のなかに入れていくと、手を開いたときには卵になっているというマジックのタネ明かしがされています。なーんだ、そういうことだったのか、というネタです。
また、コップのなかの大量の牛乳を丸めた新聞紙に注ぎ込んでいき、その新聞紙を開いてみると、どこにもミルクがない。ミルクは、いったい、どこに消えたのか?
このネタ明かしは、コップが2重になっていて、大量のミルクと見えたのが錯覚なのでした。やっぱり、何にでも、タネも仕掛けもあるのですよね。
かなりの練習を必要とするようですし、私には向いていないと思いますが、そうは言っても、マジックの一つくらい身につけておいて、若い女性の前で披露して注目を集めてみたいものなんですが・・・。
(2011年9月刊。2500円+税)
明けましておめでとうございます。
今年も引き続きご愛読ください。
正月休みに恒例の人間ドック入しましたが、今年はなんと肥満と診断されてしまいました。ガーン、ショックです。体重がそれほど増えていないのですが、お腹まわりがぷっくらしています。いま注目のタツノオトシゴはオスが子育てするので、ぷっくらでもメスにモテるそうですが、今さらお腹ぷっくらでもてても仕方ありませんよね。なんとかウエストを減らすつもりです。
お正月はせっせと庭づくりに励みました。おかげで庭がすっきりしています。春に向けての手入れが欠かせません。
いま黄色いロウバイの花が盛りです。ジョウビタキの姿を見かけるのが少ないのが残念です。
今年が良い一年であることを願っています。
2012年1月 9日
アメリカのスパイ・CIAの犯罪
社会
著者 山田 善二郎 、 出版 学習の友社
著者は日本国民救援会の元会長です。24歳のころ、CIAに雇われて働き、拉致・監禁されていた鹿地亘(かじわたる)を救出することに一役買ったのでした。
拉致したのはGHQの秘密諜報機関であるキャノン機関とCIA。海岸を散歩中の鹿地を拉致して都内に監禁していた。これって、まったく北朝鮮がやったことと同じですね。
著者はキャノン機関でコックとして働いていた。鹿地の状況を同情して救出に動いたのであって、そこには思想的な背景はなかった。左派社会党の猪俣浩三代議士が国会で追及したおかげで、鹿地は無事に解放された。
キャノン機関の本拠地は東京・湯島の岩崎邸にあった。私が40年ほど前に通った司法研究所も、その一角にありました。
キャノン機関は朝鮮戦争で捕虜となった中国人をスパイとして教育し、中国本土へ送り込む仕事もしていた。その数は200人をこえる。しかし、これはことごとく失敗したとみられている。
キャノン機関は日本の警察幹部を招いてのパーティーをよく開いていた。
著者がCIAやキャノン機関の力を恐れつつ、鹿地救出に奔走する実情が生々しく紹介されています。まさに手に汗にぎる場面の連続でした。
アメリカも、日本の国会で追及された以上は、鹿地を手放さざるをえなかった。
それにしても不甲斐ないのは日本の警察です。明らかに日本の主権を侵害しているのに、アメリカに対して抗議の声をあげようとはしませんでした。昔も今も、日本の当局がアメリカべったりなのは変わりませんね。残念です。
60年も前の事件ですけれど、今も同じようなことはきっと起きているのでしょうね。
(2011年6月刊。1333円+税)
2012年1月 8日
指導者は、こうして育つ
ヨーロッパ
著者 板倉 康夫 、 出版 吉田書店
フランスの高等教育、グランゼコールを紹介した本です。
グランゼコールの一つ、シアンスポはパリの中心部、カルチェラタンにあります。実は、今、私の娘がそのすぐ近くに下宿しているのです。この夏、パリに行ったときに娘の住所を探しているうちにシアンスポを発見したのでした。シアンスポは、ニコラ・サルコジ大統領の出身校でもあります。シアンスポとは、パリ政治学院のことです。
グランゼコールとは、大学とは別のエリートを選抜するための高校教育機関である。そこに入るには猛烈に勉強しなければいけない。
フランスで大学に進学するにはバカロレアに合格しなければいけない。いま同世代の66%ほどがバカロレアに合格し、その82%が大学に進学する。それとは別に存在するグランゼコールは、300校、全国で12万4000人の学生が在学する。フランス全土の大学生132万人の1割以下である。
グランゼコールの卒業生がフランスの支配層を形づくっていると言われています。官庁も企業も、彼らによって占められているのです。
私の好きなポール・ニザンもグランゼコール(パリの名門のひとつであるアンリ四世校)の卒業生でした。ここでサルトルと知り合い、激しい首席争いをしたのです。
そして、ポール・ニザンは共産党に入り、教員となったあと徴兵され、ダンケルクから撤退する途中で戦死したのでした。
20歳がひとの人生で一番美しい年齢だなどとは言わせない。これは「アデン・アラビア」の一節ですが、私も大学一年生のとき(まだ20歳になる前のことです)に読み、感銘を受けました。
フランスのようなエリート・システムを日本も真似してよいのかどうかは疑問がありますが、フランスという国を知るには、このグランゼコールを知らなければいけないと私も思います。それにしても、バカロレアの試験問題があまりに哲学問答なのに驚かされます。この点については日本も真似てよいと思います。
(2011年9月刊。1900円+税)
2012年1月 7日
不屈、瀬長亀次郎日記
日本史
著者 瀬長 亀次郎 、 出版 琉球新報社
すごい人物だと思います。日本の誇れる政治家の一人です。不屈というタイトルのとおり、不屈の一生を貫きとおしました。カメさんの背中に乗って祖国へ復帰しよう、こんなスローガンがあったと聞きます。まさに頼れるカメさんです。
この本は、瀬長亀次郎の手書きの日記を判読して活字にすると同時に、歴史校証をする解説がついていますので、その日記の意味しているところがよく理解できます。そして、さらに面白いことにアメリカの内部の文書が日記の記述を裏付けています。
瀬長への最善の対処法は、彼がまるでこの世に存在しないかのように振る舞うこと。アメリカの弁務官が彼らの存在を認めることは、彼を実際よりも重要な人物のように見せてしまうことになる。
人民党を共産党主義政党に指定し、合衆国にとって災いであると宣言しようという考えは別に目新しいものではなかった。しかし、そのような宣言にもとづいた身辺調査プログラムは、人民党に利するだけで、終わりのない、劇場型の訴訟への道を開くことになる。それは、アメリカに不満を持つ沖縄人にとって、人民党が唯一の望みとなることにつながる。人民党の幹部の誰かが離反し、党の陰謀や内部活動を暴露するまで待つべきだ。
共産主義政党である沖縄人民党は、強いし指導力と組織力により、党員わずか300人、シンパ1200人という規模にもかかわらず、それにつりあわない強力なイメージを作りあげることに成功している。
人民党の強みは、才能あふれる指導部である。瀬長は沖縄における極左のリーダーであり、拘禁されたり、那覇市長から追放されるなどという波乱にみちた政治人生を生き抜いてきた。
瀬長亀次郎の勝利(1968年)は、軍事占領に対する抵抗のシンボルとなった男の勝利と言える。アメリカが殉教者をつくり出してしまったことの証だ。瀬長は、庶民性を兼ね備えていて、有権者に話しかけるときは方言を使い、内容はアメリカへの敵意にみちているものの、とても機知に富み、退屈で陳腐な表現をつかわない。
アメリカから、これほどほめられた政治家がいたなんて、まったく驚きというほかありません。私が大学2年生のとき(1968年)、沖縄に革新政府(屋良朝苗主席)が誕生しました。
そして、カメジローもそのあと国会に当選したのでした。当時の熱気がムンムンと伝わってくる日記です。丹念な掘り起し、お疲れさまでした。この労作が多くの人に読まれることを私も願います。なんといっても、沖縄は日本の一部なのですからね。今もアメリカ軍基地がある沖縄は特別なんだ、このようなという意識を持ってしまいがちですが、それは私たちの頭の中からきっぱり捨て去るべきだと思います。
500頁近い本ですが、すらすらと読める本でもありました。
(2011年8月刊。2362円+税)
2012年1月 6日
鷹匠は女子高生!
生き物
著者 佐和 みずえ 、 出版 汐文社
鷹匠は、たかじょうと読みます。カを飼いならして、仮に使う人のことです。
その鷹匠に、なんと17歳の女子高校生がなっているというのです。しかも、佐賀県は武雄市の女子高生なんです。私は、てっきり東北地方の話と思っていました。
飼っているタカは、正しくはモモアカノスリ。名前はモモタロー、6歳です。
ブリーダーから、生後2週間のヒナ鳥を買って、小さいときから親がわりで育てたのでした。
問題はエサですよね。何だと思いますか?肉食の鳥ですからバナナなんかじゃありません。肉ダンゴでもありません。なんとなんと、ヒヨコなんですよ。ええーっ・・・?もちろん、生きているヒヨコです。ヒヨコって、高タンパク質で、低カロリー食だそうです。そうなんですか・・・。
タカに狩りをさせるときには、一週間も前からエサを調整して、おなかをすかせておく必要がある。そうやって狩りの本能をかきたてておくのだ。なるほど、そうなんでしょうね。
写真がありますので、タカがすっかり安心しきって鷹匠である女子高生の腕にとまっている可愛らしい姿を見ることができます。
それにしても、タカを毎日世話するって大変でしょうね。がんばってくださいな。
(2011年11月刊。1400円+税)
2012年1月 5日
原発崩壊
社会
著者 明石 昇二郎 、 出版 金曜日
この本を読んで、既に10年前にフクシマと同じような事態がハマオカで起きたと想定して、どのような事態になるか週刊誌がシミュレーションしていたことを初めて知りました。
2001年3月の「サンデー毎日」です。4週にわたって、「シミュレーション・ノンフィクション、『原発震災』」という連載記事です。東海大地震が起きて、中部電力浜岡原発で大事故が発生したら、日本がどうなるかをシミュレーションしました。ハマオカをフクシマに置き換えると、今回の3.11震災事故の実況中継になってしまいます。
浜岡原発の事故は、殺人レベルの放射線を放ちながら移動する「放射能雲」を生み出した。折から吹いていた南西の風に乗り、時速14キロという自転車くらいの速度で、ゆっくり首都・東京を目ざす。放射能雲が上空を通過したからといって、バタバタ死んでいくわけではない。やみくもに動き回るほうが、かえって危険だ。
通過予想地域とされた地区の住民は、危険が刻々と迫り来るなか、今すぐ逃げるべきかどうか、それともここにとどまるべきかの判断に迷う。せめて子どもにだけでも甲状腺被害を防ぐためのヨウ素剤を服用させるべきだが、とても足りない。
昼夜動きを止めないはずの1200万都市・東京から人影が突如として消え、沈黙の時が流れる。その結果、交通機関をはじめとする都市機能や企業などの経済活動が完全に麻痺してしまった。原発事故発生から半日以上が経過し、「雲」は消失して放射性ガス群へと変わっていた。しかし、肉眼で見ることができないだけで、そこには確実に大量の放射能が漂っていた。
見えない「雲」が太平洋上に去ったとき、静寂に包まれていた東京は一転して、大パニックに陥った。これ以上の被曝を恐れた人々が、東京からの脱出を一斉に開始したのだ。
東京の汚染レベルは、7日後に都民全員が避難したとしても、210万人全員がガンで死亡するほどのものであり、東京に住むすべての人が避難対象となった。その場にとどまり続ければその分だけ、発ガンのリスクは増していく。
東名高速で西に逃げる人は一人としていない。事故を起こした浜岡原発に自ら近づいていくことになるからだ。
政府の原子力災害被害本部は原発震災発生の翌日、東京から大阪に移された。
震災発生後、1週間たって、東京は完全なゴーストタウンと化し、人の住めない東京の不動産物価はゼロとなった。原発震災による損害額は1週間で天文学的な数字に達し、世界恐慌すら懸念され始めた。
浜岡原発の放射能を封じこめるため、決死隊が募られた。人海戦術しかない。第一陣の決死隊は5000人。最終的には数万人規模と予測される。ソ連のチェルノブイリ原発事故のときには86万人が作業に従事し、5万5000人が死亡したと伝えられている。
今回の3.11フクシマ原発事故による放射能雲が東京に飛来したことは間違いありません。東京に人が住めなくなったら日本経済の中枢が破壊されたことになります。こんな狭い日本に50あまりも危険な原発をつくるなんて狂っていますよね。電力不足なんて問題じゃありません。すぐにも脱原発に切り換えましょう。
(2011年5月刊。1500円+税)
2012年1月 4日
検証・チリ鉱山の69日、33人の生還
アメリカ
著者 名波 正晴 、 出版 平凡社
2010年8月5日、チリ鉱山の落盤事故によって坑底に閉じ込められた33人の鉱夫が
17日後、その全員の生還が確認され、69日後の10月13日に全員が地中から救出された。
この感動的な出来事は忘れることができません。この事故の関係で読んだ本の3冊目になります。
世界一の生産量を誇る銅鉱山分野で、政府とコデルコは一糸乱れぬタッグを組んだ。劇場さながらの舞台で涙の再開を実現し、これを全世界に生中継するという巨額を投じた演出が仕組まれた。
鉱山では何が起きるか分からない。ヤマは生き物だ。
33人で飛び込んだ地下700メートルの避難所の周辺は不衛生なサウナのようだった。しかし、空気は循環し、坑道には空気が流れていた。避難所周辺では2,6キロほど自由に身動きがとれた。ただし、ケータイ電話の電波は圏外だった。
意思決定は33人の総意で決める。33人は誰もが対等な発言力をもった。絶対的なリーダーはいなかった。
幸いにも33人の多くが太っていた。体脂肪を分解させることで、3週間程度の生存は可能とみられていた。
誰も独りにさせてはいけない。坑道に独りで向かう者がいたら、数人が同行した。自ら命を絶つことがないように。自殺者を出すことは、「生き抜く」という共通の目的をもった共同体の帰属意識を揺るがし、組織が互解する。共同体が崩壊し、後に続く者も出るだろう。一人だけの死ですむはずがない。
このころ、チリのビニエラ大統領は政治的な行き詰まりを打開する策を手探りしていた。ビニエラ大統領は、政治的な得点を上げられないなかで、サンホセ鉱山の落盤事故への対応を迫られた。ビニエラ大統領は勝負に出た。鉱山の所有企業から管理権を剥奪し、政府の支配下に置いて国が矢面に立つことを選択した。なによりビニエラ大統領をサンホセ鉱山に向かわせたのは、大統領の有権者との連帯感の薄さ、自身の政治資産の乏しさだった。33人の生存が確認された8月22日以降は、チリ政府が表舞台に立ち、鉱山国家の威信をかけた救出作戦の準備と助走が始まった。
要点は、救出計画の立案と技術的な調整、それに33人の心身の健康管理だ。失敗は許されない。昼夜の区別をつけるよう、発光ダイオード(LED)の照明装置が地下に送り届けられた。間違った希望を与えるな。救出時期についての楽観的な見通しは禁句となった。救出時期は一度たりとも先延ばしされることなく、常に前倒しされていった。
33人を3つのグループに分けて、8時間ごとの労働を割りふった。ビニエラ大統領は、異なった技術を用いて、複数の救出戦略を立案するよう注文した。常にバックアップを用意せよということ、最終的に3つの縦穴を掘ることが決まった。完成まで3~4ヶ月かかる。
政府は当初から相当なサバを読んでいた。水増しして日程に余裕を持たせていた。これは救出日程が遅れた場合に備えた保険だった。
救出用カプセルは引き上げる過程で左右に揺れて10回以上は回転する。めまいや血圧上昇を防ぐため、救出の6時間前から食事は流動食に切り替え、ビタミン剤が投与された。33人は連日20分以上のエアロビクスで体調を整えるよう指示された。
カプセルで救出された作業員がテレビの前で体調不良を訴え吐しゃ物にまみれてしまうのではないかと当局は本気で心配していた。それでは生中継のショーが台なしになるからなのです。
結局、救出費用は総額16億円(2000万ドル)作業員一人あたり60万ドルかかった。
政府、とりわけビニエラ大統領の大きな政治宣伝につかわれたというわけです。それでも、33人が無事に救出されて本当に良かったと思います。地上に出てから、今も大変な思いをしている人が少なくないようですね。元気に過ごしてほしいものです。
(2011年8月刊。1900円+税)
2012年1月 3日
書くことが思いつかない人のための文章教室
社会
著者 近藤 勝重 、 出版 幻冬舎新書
書くことが大好きで、いつもモノカキと名乗っていますので、少しでも文章表現の幅を増やしたいと思っています。文章絵本も、そんなわけで、ときどき読みます。この本にも、参考になるところがたくさんありました。この本で示された例題については、あまり出来が良くなかったのが残念です。
書くって、しんどいと言えばしんどい作業だ。でも、書いたことで意外な発見があったり、人生の進路や生き方の再発見があったり、得られるものは貴重だ。それに、文句一つ言わずに自分を受け入れてくれるのは、文章のほかにそれほどたくさんはない。書いて、もやもやした気持ちを晴らす。
これは、そのとおりだというのが私の実感でもあります。気力と、それを支える体力がなければ、この書評を書くことなんて出来ません。その意味で、この10年間よくぞ続いているものだと、我ながら感心します。
全体から部分へ、そして細部へと三点注視で目を移すのが肝要だ。とりわけ細部である。全体の感じは、誰が見てもそんなに変わるものではない。でも、部分からさらに細部を気をつけて見ているかどうかの差は歴然と出る。細部には、そこに本質や表面から分からない実態が潜んでいることがある。そのことに気がつく、気がつかないという差は大きい。
細部にこそ、物事の神は宿る、よくこのように言われますよね。
文章力をつけるには、思う、考える、感じる、を多用しないこと。それを他の表現に変えてみる。それで、文章が客観的になり、かつすっきりする効果がある。
私も努力しているところです。なかなか難しいのですが・・・。
(2011年6月刊。760円+税)
2012年1月 2日
すごい実験
宇宙
著者 多田 将 、 出版 イースト・プレス
茶髪(金髪かな?)の先生が高校生を相手にニュートリノ実験について解説する本です。とても分かりやすくて、私も理解できました。いえ、もちろん全部というわけではありません。でも、科学の実験の壮大な展望は見えてきましたね、たしかに・・・。
茨城県東海村にある研究所からニュートリノをビーム状に発射して、295キロ先の岐阜県神岡村にあるスーパーカミオカンデでキャッチ検出する。
ニュートリノを発射させる前に研究所のトラック(1周1.6キロ)を30万回まわらせる。たったの2秒で・・・。
このような素粒子実験に耐えうる大規模な加速器をつくれるのは、世界で、日本とアメリカとヨーロッパの3ヶ所だけ。中国はあと30年たっても無理だ。日本には、世界最強・最高の加速器がある。
日本でノーベル賞をもらった18人のうち、物理学賞が化学賞と同じで7人。そのうち6人が素粒子物理学者。日本は素粒子物理学で世界最先端を行っている。
粒子(陽子や電子)を砕くと、まず出てくるのがπ(パイ)中間子。これは寿命がとても短くて、数十メートル飛んだだけで勝手に壊れる。そして、つぶれて現れるのがニュートリノ。
つくばの加速器はフルパワーで動かすと、1秒間に1000兆個のニュートリノを作ることができる。
日本は加速器技術でも世界一。研究所は、夏7,8,9月の3ヵ月は止まっている。電気代が高いから。電気代は1年間で50億円もかかる。電子は急カーブを曲がるとき、放射光を出す。ここが電子と陽子の違いだ。
電子は原子核のまわりを1秒間に6600兆回もまわる。あまりにも速いから、「どこにいる」という瞬間が見つけられない。
原子は陽子と中核子の組み合わせから出来ている。だから、この組み合わせを変えたら、まったく異なる元素をつくることができる。すなわち、錬金術って、実は可能なのだ。しかし、とてつもない時間とお金がかかるので、錬金術は意味がない(採算がとれない)。
宇宙みたいに大きな世界だと、1億年なんて短い時間である。素粒子の世界では、何分かというと、めちゃくちゃ長い時間なのである。
太陽は光とともにニュートリノも大量に出す。光は地球上に1平方メートルあたり1.37キロワット。これに対して電子ニュートリノは1平方米あたり600兆個来ている。人間の身体は1秒あたり600兆個のニュートリノを浴びている。この世の中に、ニュートリノは光に次いで多い。
カミオカンデは、1980年代に作られているので、もう30年ほどたっている。
光の伝わる媒質は何らかの物質ではなかった。それは電磁場そのものだった。
ニュートリノを研究して、それが今後の日本にどう役に立つのか。分からないとしか言いようがない。そうなんですね、いつ、どこで、どのように役立つのか分からないものって、世の中にはかなり多いですよね。
高校生に分かるのなら、私だって・・・と思いましたが、現実はそんなに甘い話ではありませんでした。それでも、最後まで面白く、読み通しました。
(2011年10月刊。1600円+税)
2012年1月 1日
原発の闇
社会
著者 赤旗編集局 、 出版 新日本出版社
その源流と野望を暴く、こんなサブタイトルのついた本です。
佐賀県の古川知事がやらせメールの発端なのは明らかだと思いますが、古川知事は辞めませんし、九電の会長も社長も居座ったままです。それどころか、国会はベトナムなどへの原発輸出を認可するなど、この国はいったいどうなっているのか、不思議かつ奇怪と言うほかありません。ドイツのようにすんなり脱原発と動き出さない、出せないほどの利権のしがらみは大きいということなのでしょうね。
玄海原発訴訟の原告への加入を訴えると、家族に九州電力の関係者がいたら、まるで話になりません。それだけ九電が怖い存在なのですね。
停電は困るが、原子力はいやだ、という無視のいいことを言っているのが大衆である。
繰り返し繰り返し広報が必要である。新聞記者も、読者は3日すれば忘れる。繰り返し書くことによって、刷り込み効果がでる。政府は原発容認意識を国民に刷り込んできた。原発推進のために税金からでている原発の広報費は毎年60億円規模にのぼる。すごいですよね。この60億円が福祉にまわせたら助かる国民がどれだけいるでしょうか・・・・。
60億円の広報費によって恩恵を受けているのは、大手広告代理店の電通、博報堂そして産経新聞社などである。メディア業界にとって、電力会社はスポンサーとして超優良企業である。大手メディアは、完全に電力業界に取り込まれている状況にある。
いやですね。自民党は電力会社本体が支え、民主党は電力労連が支えていて、どちらも脱原発を明確に言い切れないのです。困ったことです。
会社も労組も、人あっての企業であり、組合であると思うのですが・・・・。
(2011年11月刊。1200円+税)
2012年1月31日
修復的司法とは何か
司法
著者 ハワード・ゼア 、 出版 新泉社
わずか1000円ほどの万引や無銭飲食によって懲役2年という判決をもらうことがたびたびあります。そうすると、司法の役割って何なのだろうかと考えさせられてしまいます。そんなとき、いい本にめぐりあいました。
修復的司法理論では、真に確証するものは、被害者の損害とニーズを認めることである、同時に、加害者が責任を引き受け、悪を健全化し、行為を引き起こした原因に向きあうように促す努力も積極的に行われなければならないと主張する。修復的司法は、被害者と加害者の双方を肯定する可能性をもっており、彼らの人生ストーリーを変容させる手助けをする。
多くの被害者は激しい怒りの感情を体験する。怒りの鉾先は、犯罪を起こした人間、それを防いでくれなかった人たち、そして、それを許し、あるいはそれを引き起こしさえした神に向けられる。
被害者は自己の感情を表現し、その感情の正当性を認めてもらう機会が必要になる。怒りや恐れや痛みの感情である。
被害者の観点から見て、もっとも深刻なのは被害者は放置され、彼らのニーズが満たされないとき、その体験を背後に追いやることは難しいと悟る。
加害者は、自尊心と人格的自立心の欠如からトラブルに巻き込まれた。そして、刑務所での体験は、ますます自尊心と自立心を奪い取り、合法的な方法では自尊心と自立心を手に入れられない状態に置かれてしまう。刑務所の中で、対人関係の歪んだ理念を身につける。他人を支配することが目標となる。他人に配慮し、面倒をみることは弱さであるとみなされ、弱いものは他人の餌食になることを意味する。刑務所の中ではごまかしは普通のことであるということを学ぶ。受刑者はだますことを覚えてしまう。
貧しく、社会の底辺に生き、人生は刑務所のようなものだと信じている人間にとって、刑務所の脅威は犯罪の抑止にはならない。こうした状況の人にとって、拘禁刑の判決は、監禁の形態をAからBへただ交換するにすぎない。
人々は自立心のように根本的なものを剥奪されると、再びそれを主張しようと模索しはじめる。自立の欲求を満たし、社会による「犠牲者」だという意識に対処する一つの方法は、自らが支配する被害者を別に見つけることである。刑務所で起こる同性間のレイプは、まさにそのような現象である。
多くの犯罪は、歪んだ形での自分の力や価値の主張であり、不器用な自己顕示や自己表現なのである。
中・上流階級の家庭で育った人のほとんどは、自分の運命を司る主人は基本的に自分であると信じて育つ。自分は運命を決定づけるような真の選択権や能力を何かしら持っていると信じている。だが、貧しい人の多くは、このことを信じていない。
死刑に関する研究において、死刑が犯罪を抑制する効果があるという証拠は見つかっていない。刑罰を司法の焦点とすべきではない。
司法を応報と規定するのではなく、修復と規定したい。事態を健全化するために何ができるかを考えるべきである。
司法のあり方と役割について、根本的なところでじっくり考えさせられる良書です。
(2003年6月刊。2800円+税)
日曜日、庭の手入れに精を出しました。夕方6時まで明るく、ずいぶん陽が長くなってきました。チューリップが地上から芽を出しています。梅の花も小さなつぼみをつけています。黄水仙そしてピンクのアネモネが、それぞれ一つずつ咲いています。告げ花のようです。
春のきざしを浴びながら、ジェーマンアイリスの植えかえをしました。
2012年1月30日
宇宙飛行
宇宙
著者 若田 光一 、 出版 日本実業出版社
写真もたくさんあって、宇宙ステーションに乗った宇宙飛行士の実際がよく分かる楽しい本です。
著者は、もう3回も宇宙飛行しているのですね。そして、これから4回目にチャレンジするというのです。すごいですね。そのがんばりを見習いたいものです。
宇宙とは、人間にとって、まだまだ分からないことがたくさんある時空の広がり。
国際宇宙ステーションの窓から宇宙を眺めると、そこには未知の世界が広がっていることを実感する。国際宇宙ステーションは、地上から高度400キロの軌道上で飛行する。日光があたると120度、あたらないときにはマイナス150度になる。気圧は、10億分の1、ほぼ真空に近い。太陽は、強く突き刺すような白い光を放って見える。
宇宙にある銀河の数は1000億個。人間の脳の中にあるニューロンの数も1000億個。不思議な偶然で一致する。
宇宙飛行士になるには身長158センチ以上190センチ以下。この点は、私は何とか大丈夫のようです。
水着そして着衣で75メートルを泳げ、10分間の立ち泳ぎが出来ることも条件です。珍しい条件ですが、これも私はなんとかクリアーできそうです。
しかし、語学がダメです。英語、そしてロシア語が自由自在でないとコミュニケーションがとれません。著者は英語で苦労したようです。
宇宙飛行士に求められるのは、確実な状況判断能力と適切な行動力。もちろん、協調性も大切である。そして、何より宇宙へいきたいという情熱がなければいけない。
アメリカの宇宙飛行士の61人のうち、女性が11人いる。船長にも女性2人になった。
スペースシャトルの打ち上げは135回、のべ355人が搭乗した。
アメリカのスペースシャトルを1回打ち上げると500億円かかる。ロシアのソユーズは150億円ですむ。
国際宇宙ステーションは時速2万8000キロ。1日で地球を16周する。90分ごとに、日の出、日の入りがやってくる。
尿を飲料できる水にかえるのに150億円かけた。酸素は水からつくる。
船長にまでなった著者は、とてもおおらかな性格なのだろうと推察します。引き続き、無理なくがんばってくださいね。
(2011年10月刊。1500円+税)
2012年1月29日
オバマも救えないアメリカ
アメリカ
著者 林 壮一 、 出版 新潮新書
鳴り物入りで登場した変革のヒーロー、オバマ大統領も、人気は今ひとつですね。
それにしても、アメリカの保守層がオバマ大統領を批判(非難)するとき、オバマは社会主義を目ざしているというのだそうですから驚き、かつ呆れてしまいます。
国民皆保険がその典型です。アメリカで病気になったら、金持ちは世界最高水準の医療を受けられます。しかし、中間層より下は下手すると自己破産に追い込まれるという苛酷な社会です。ヨーロッパや日本のように国民皆保険を目ざすと、それだけでアカのレッテルを貼られて、社会的に葬り去られてしまうというのですから、とんでもない国です。なんでも自由競争にしてしまえ、なんていう国には絶対に住みたくありません。だから、私はTPPにも反対なのです。
テレビは中身のない薄っぺらな番組が圧倒的だ。哀しいかな、大衆はテレビの映像を容易に信じる傾向にある。だから、大統領選挙においては、いかにテレビの映像で己を演出して票を獲得するかがカギとなる。
アメリカの内部デトロイトでは卒業証書を手にするのは4分の1にすぎない。全米50州のすべてが高校卒業までを義務教育としているのに・・・。
デトロイトのホームレスは、住民50人に1人の割合に及ぶ。少なく見積もっても、
1万9000人が雨露を防ぐために廃屋を回って寝場所を探している。貧しさは犯罪を生む。デトロイトの殺人事件は全米平均の5.16倍。放火にいたっては、6.34倍。2007年のデータによると、米国全土のホームレスは74万4000人。ラスベガスでは1万2000人が街をさまよっている。
貧富の差が拡大する一方のアメリカでは、多くの人々が貧困にあえいでいます。アメリカン・ドリームなんて、夢のまた夢。日本人は、こんなアメリカを手本にしてはいけませんよね。
(2011年6月刊。700円+税)
2012年1月28日
藤原仲麻呂
日本史
著者 木本 好信 、 出版 ミネルヴァ書房
奈良時代の中期に太政大臣になって権力を握ったものの、最期は琵琶湖そばで敗死してしまって、ながく賊臣とされてきた人物の実際が紹介された本です。
仲麻呂の政治は、儒教主義にもとづく唐風政策であった。
藤原仲麻呂の乱と一般に言われているが、実は、孝謙上皇側が乱を仕掛けた、つまり先に攻撃したものだというのが本書の結論です。
孝謙上皇(太上天皇)は、国家の大事、賞罰、この二つは朕(自分)がすると宣言したものの、政治権力は依然として仲麻呂の手中にあって、主導権は握れなかった。それは、天皇の象徴である御璽と駅鈴を仲麻呂の仕える淳仁天皇が保持していたから。そこで孝謙上皇は、その奪取に出た。これは仲麻呂にとって想定外の、意表をつく先制攻撃だった。
孝謙上皇は御璽を手に入れたことによって自信をもち、仲麻呂が反逆者であることを布告し、官位を奪い、藤原の姓から除くことを宣言した。この勅によって仲麻呂は謀反人とされた。
仲麻呂を追討したあと、孝謙上皇は淳仁天皇を廃位した。そして、自ら再び称徳天皇と名を変えて再登場した。このあと、道鏡が権力をほしいままにする政治が行われた。
藤原仲麻呂が実権を握っていたときの政治、そして日本社会の実情が明らかにされています。
この本によると、仲麻呂は意欲的に政治に取り組み、一定の成果もあげていたようです。歴史は勝者側から一方的に悪く書かれることが多いことを意味しています。
(2011年7月刊。3500円+税)