弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2011年12月28日

人が人を裁くということ

司法

著者   小坂井 敏晶 、 出版   岩波新書

 司法制度について大変考えさせられる鋭い問題提起にみちた本です。
 日本の制度では職業裁判官の優位が目立つ。海外では、裁判官に権力制限に注意が払われるのに対して、日本では逆に市民への厳罰への暴走が危惧されている。日本の裁判員裁判の合議体構成は、ナチス・ドイツ支配下のヴィシーかいらい政権が厳罰化を目的に導入したフランス参審制と酷似している。フランス近代史上、市民の影響力をもっとも抑えた制度と日本の裁判員制度は同じ構成になっている。英米法における裁判は、真実を究明する場というよりも、紛争を具体的に解決する役割を担う。検察は共同体を代表して犯罪を告発する。英米と異なり、フランスの陪審員は、国民の縮図・サンプルとして裁判に参加するのではない。このように英国法と大陸法とでは、司法哲学が異なっている。
犯罪を裁く主体は誰か、正義を判断する権利は誰にあるのか。これが裁判の根本問題だ。職業裁判官なら誤判がありうる。官僚が間違えても、それは技術的な問題にすぎない。しかし、重罪裁判では、陪審員・参審員を媒介に人民自身が裁きを下す。したがって、人民の決定に対する異議申立は、国民主権の原則からして許されない。これがフランスの考え方。
 英米法では検察官上訴が許されない。有罪判決が出たときは、それに不服な被告人が控訴して再び裁判を受ける権利がある。しかし、無罪のときは、それで確定する。どんなに不条理な判決であろうとも、陪審員が下した無罪判決を裁判官が無効にして審理差し戻しを命じたり、検察が異議を申立して控訴したりは出来ない。
 英米の裁判では、無罪か有罪なの評決結果を陪審員が提示するとき、結論に至った理由は示されない。というのも、歴史的事実として、英米市民のほとんどは文盲だったから。
 判決理由の欠如と、無罪に対する上訴禁止という二つの条件により、英米法では制度上、どんな不可解で不正な無罪判決でも出す能力が陪審員に与えられている。
フランスでは、公判内容の要約が1881年に禁止されて以来、現在に至っている。検察と弁護側の双方の最終弁論が終わると、裁判長は議論終了を宣告する。そのとき、意見を述べることも、議論内容を要約することも許されない。
 また、公判前に準備される供述資料など一切の書類は裁判長だけに閲覧が許される。他の裁判官2人は、市民9人と同じく、白紙の状態で公判にのぞみ、その場で討議された内容だけをもとに判断しなければならない。
 英米では、数百年にわたって、市民だけで重罪裁判の事実認定を行ってきた。全員一致に至るまで議論を続けず、多数決で判決を決めると有罪率が高くなる危険がある。
 全員一致の決定内容は、議論を尽くして最終的に至った解答だ。
 陪審員を減らすと、社会の少数派意見が判決に反映される可能性が近くなる。人間は真空状態で判断しない。どの状況も一定の方向にバイアスがかかった空間であり、中立な状態は存在しない。
 フランスの重罪裁判を務める参審員は、公判前に刑務所を見学させられる。専門家が長年かかって練り上げた取り調べ技術の威力はすさまじい。取り調べ技術を練り上げるのはプロの心理学者だ。
 暴力団員や政治犯が取り調べに落ちにくいのは、彼らを支える組織が外部に存在するからだ。普通の人間では、ひとたまりもない。密室に隔離された状態で脅しを受け、それでも沈黙を守れるほど、人間は強くない。審査官は黙秘権を放棄させる訓練を受ける。
 弁護士が取り調べに立ち会っても、実際にはあまり役に立たない。
 捜査官にとっては、被疑者が犯人に間違いないのである。無実の人間を犯人にしたてあげるという意識はない。だからこそ、問題が深刻なのだ。犯罪を憎み、会社の無念を晴らそうという取調官の気持ちを見落とすと問題の核心を見失う。取調官の真摯な態度を読みとらないと、冤罪を生む仕組みの本当の深刻さと恐ろしさはつかめない。
 被害者は犯人が憎い。はじめは目撃記憶に自信がなくても、警察から示唆されると、しだいに記憶が再構成される。犯人だと判明したと聞いたり、公判前に検察によって何度も証言の練習をさせられると、さらに確信度が高まっていく。
 犯罪捜査から判決に至るまでの一連の過程は一人の個人に任されるのではない。多くの人々が関わって機能する、組織の力学が防ぎ出す集団行為だ。
 人間は組織の論理で動く。問題すべきは、個人の資質ではなく、犯罪捜査というバイアスのかかった磁場の構造である。
 犯罪のない社会は、論理的にありえない、どんなに市民が努力しても、どのような政策や法体系を採用しても、どれだけ警察力を強化していても犯罪はなくならない。
 悪の存在しない社会とは、すべての構成員が同じ価値観に染まって、同じ行動をとる全体主義社会だ。つまり、犯罪のない社会とは、理想郷どころか、人間精神が完全に圧殺される世界にほかならない。
 私よりずいぶん若い学者ですが、さすがは自由の国、フランスで勉強したと思える発想に圧倒される思いで読み通しました。日本の司法界にかかわる人は必読の文献だと思います。
(2011年2月刊。720円+税)

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