弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2011年12月16日

パリ日記

ドイツ

著者   エルンスト・ユンガー 、 出版   月曜社

 1940年6月14日、パリはドイツ軍に占領された。以来、1944年8月25日までの4年2ヵ月あまり、その占領は続いた。
 エルンスト・ユンガーは、現代ドイツ文学の巨峰、100歳を過ぎてなお、執筆活動を続けた。そのユンガーは、1941年2月から1944年8月まで、途中の転出を除いても3年半のあいだパリに駐留していた。そのときの日記が本書で紹介されています。
 ユンガーは、ナチスとは距離をとり続けていたため、ゲシュタポから家宅捜索を受けたこともある。パリでは、参謀本部付きの将校としてホテルに宿泊していた。
 この本によると、ユンガーは文学サロンに出入りしていて、ジャン・コクトーなどの文人と広く付きあって文学論をたたかわせ、ピカソやブラックのアトリエも訪れています。当時、ユンガーは48歳、まさに男盛りでした。
 この日記には、何度もクニエボロという人物を批判する記述が出てくるので、誰のことかなと不思議に思っていたところ、巻末でヒトラーのことだと分かりました。つまり、著者は一貫して反ヒトラーだったのです。
 ただ、1944年7月20日のヒトラー暗殺計画には直接の関わりはなかったようです。それにしても、この日記には、ヒトラー批判派の人々が多く登場してきます。彼らの多くは7月20日事件で逮捕され、処刑されたのでした。
 ドイツ国防軍の上層部に反ヒトラーの気分が少なくなかったことが、この日記からも十分にうかがえます。たとえば、1944年までフランス派遣軍総司令官だったシュテルプナーゲルはヒトラーに反乱しようと失敗し、処刑されてしまいます。ナチス・ドイツのユダヤ人虐殺についても目撃者となり、また、そのおぞましい真相を聞いています。
 ユンガーは1942年7月17日のパリでのユダヤ人の大量逮捕・移送についても、パリで見聞しています。先日、日本でも公開された映画が、この事件を扱ったものでした。
 両親がまず子どもたちから切り離され、悲嘆の声が町中で聞かれた。私は不幸な人たち、骨の髄まで苦悩に満たされた人たちに取り囲まれたことを一瞬たりとも忘れることができない。そうでなくても、私は何という人間、何という将校なのであろう。
 1944年6月の連合軍によるノルマンディー上陸作戦もパリにいて情報を得ています。
 1944年6月12日の日記にユンガーは次のように書いています。
 クニエボロ(ヒトラー)と彼らの一味は、まもなく戦争に勝つと予言している。再洗礼派の領袖とまったく同じである。賤民は、どのような人物たちの後ろについて走るのだろうか。一切を包括して衆愚になってしまったのは、どうしてだろうか。
 この日記を読んでいると、どこで戦争があっているのだろうかと思えるほど優雅なパリ生活をユンガーは過ごしていると思えます。それだけ、ドイツのインテリの頭脳の一端が分かる本として、面白く読み通しました。
(2011年6月刊。3800円+税)

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