弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2011年10月14日
人間と国家(上)(下)
社会
坂本 義和 岩波新書
私が大学2年生のときに始まった東大闘争のとき、著者は加郎一郎総長代行を補佐して活躍していました。もちろん私は直接には何の関係もなかったわけですが、なんとなく東大当局のメンバーの一人として漠然と著者に対してマイナス・イメージを抱いていました。
ところが、この本を読むと、著者は反核・平和の取り組みも熱心にすすめてこられたことを知り、私の認識不足を恥じいるばかりです。
今はもう取り壊されてしまった駒場寮に、著者も生活していたようです。ただ、「一部屋10人前後」というのは本当でしょうか。私のときには「一部屋6人」でした。10人だといくら何でも詰め込みすぎです。戦前の一高時代、そして住宅難の終戦直後はそうだったのでしょうか・・・。
戦前の一高、そして駒場寮には反軍意識がみなぎっていた。
それはそうでしょうね。だって、勉強をほっぽらかして兵隊にとられて戦場へ死にに行けなんて強制されるって耐えがたいことですからね。
終戦後の駒場寮で、寮のアパート化が進行したと書かれています。
ベットの周囲にシーツをカーテン状につるして、共同の部屋をコンパートメントに分断することがあたりまえになっていった。
ええーっ、これって東大闘争の終わったあとにも見かけた現象なんですよ。それまで、6人で読書会をしたり、みんなで集まって議論していた空間がどんどんなくなっていくのを、私も目のあたりにしたのです。そのころも、同じように「寮のアパート化」と言って問題にしていた気がします。
著者はアメリカに留学し、帰国してからは、アメリカのベトナム侵略戦争へ反対する運動に関わります。さらには、1968年8月のチェコへソ連軍などが侵攻したことへも抗議しています。
我妻栄名誉教授がベトナム戦争に反対していたことも知ることができました。
以上が上巻です。下巻には、いよいよ東大闘争との関わりが登場します。
著者は、さすがに「東大紛争」と呼びます。しかし、私は渦中にいた学生の一人として「紛争」という言葉には抵抗があります。
だって、東大当局が警察機動隊を勝手に入れておいて、きちんと釈明しなかい、騒動の発端となった医学部生の処分に事実誤認があったとの指摘をまともに検討しなかったなど、そのときの東大当局の姿勢に大きな不手際があったことは明らかだからです。
ただ、著者の認識について、「本当かな?」と首をかしげるところもいくつかありました。
東大闘争を暴力化させたのは全共闘なのです。それなのに、「どちらかと言うと、日共系が武装をエスカレートさせました。・・・その日共系の『武力』に対して、全共闘系は恐怖心を持ったようで・・・。全共闘が武装し、安田講堂に『武器』を蓄えはじめるのは、10月頃からだと推測されます」としていますが、これは、明らかな間違いだと私は思います。9月の東大病院封鎖騒動などがすっぽり抜けています。
しかも、「はるかに固い樫の棍棒」が日共系の「精鋭部隊」の持つ武器で、このために全共闘より強かったかのような表現は、とんでもないと私は思います。たしかに「樫の棍棒」は、私も手に持ったことがありますが、警察官の警棒と同じく硬いものでした。しかし、全共闘が持ったものには鉄のパイプもあったのですよ。
「樫の棍棒」は短いので、接近接では役に立つかもしれませんが、衝突する前は長い鉄パイプの方が断然威力があります。脅威でしたよ。これは、中世ヨーロッパで長槍軍が活躍したのと同じことだと思います。
東大全共闘が学内で孤立化していったのは日共系の「あかつき部隊」とか「硬い樫の棍棒」のせいだというのは、一部のジャーナリストが勝手に言っているに過ぎないものです。
少なくとも私の認識はそうです。このあたりは『清冽の炎』(とりわけ第4巻。花伝社)を読んでいただくと、詳しく理解してもらえると思います。
それにしても、全共闘が「あれほどの犠牲を払って、一体何をしたかったのか。あの一連の事件と時代を弁護することは非常に難しいと思います」という著者の指摘はまったく同感です。
さらに、「東大解体」を叫んでいた全共闘の学生が今では東大教授になっているが、「どうして東大教授になれたのか、私には理解できません」という嘆きは、本当にもっともだと思います。学生のとき「東大解体」を叫んでいて、今では東大教授になっている同世代の人が、東大闘争の意義をマスコミや東大新聞で堂々と臆面もなく語っているのを見聞きすると、読んでいる私の方が恥ずかしさを覚えるほどです。
「全共闘は、みな正義に殉じた犠牲者であるかのように描き出され」たが、「あの凄惨なゲバルトの現場を一目でも見たら、そう簡単に全共闘支持とは書けない」のではないかという指摘こそ、まっとうなものだと、私も当時の東大にいた学生の一人として思います。
東大闘争の展開についての貴重な証言の一つでもある本です。