弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2011年10月12日

千年震災

社会

著者  都司   嘉宣   、 出版   ダイヤモンド社 

 この本を読むと、日本は古来、いかにも地震の国だということがつくづくよく分かります。そんな地震の巣の上に危険な原子力発電所を50基以上もつくってきたなんて、歴代自民党・公明党の責任は重大ですよね。民主党のだらしなさを非難する前に、国民の前で真剣な自己批判こそが必要でしょう。反省もせずに依然として原発を推進しようとしてますし、海外へまだ原発を輸出しようとするなんて、まさしく狂気の沙汰ではないでしょうか。
 著者は私とほぼ同じ世代の東京大学地震研究所の准教授です。地震学者ですけれど、歴史地震学の権威でもあります。要するに古文書を読めるのです。
 平安時代の歴史書『三代実録』に記された貞観(じょうがん)地震は貞観11年(869年)に起きた。陸奥国で大きな地震が起きて、そのあと津波がやって来たと書かれている。今回の東日本大震災とよく似ている。
 慶長16年(1611年)の慶長三陸津波でも、伊達・南部の両藩で合計2913人が死亡した。田老地区でも海面から21メートルの高さにあった神社の参道の橋が津波で消失している。
 今回の東日本大震災では今のところ前兆が認められていない。しかし、まったく前兆がなかったとしたら、原理的に地震の予知は不可能という結論を出さざるを得なくなる。
本格的な鉄筋コンクリートのビルは津波に強いことが判明した。
 田老町の高さ10メートルの防潮堤は、4メートルずつ2段のコンクリート構造物が単に積み木のように重ねておいてあるだけだった。かみあわせのほぞがないし、鉄筋で上と下を一体化するというのもなかった。これでは見かけ倒しだ。
 江戸幕府が始まってから、東京には3回の大地震が起きている。元禄6年(1703年)の元禄地震、安政2年(1855年)の安政江戸地震、そして大正12年(1923年)の関東大震災である。安政江戸地震は直下型地震で、あと二つは海溝型の巨大地震だった。
 日本人は地震について、文献だけではなく、被害の状況・惨状を絵にも描いて残しているのですね。お城の破損状況を記録した図面まであります。昔から今に至るまで本当に几帳面な国民性なのですね。
 寛政4年(1792年)の島原大変・肥後迷惑のときには、地震も起きていて、大津波は熊本県側にまで被害を与えた。
 韓国は日本に比べて地震の少ない国だが、それでも16世紀から17世紀にかけての
200年間に、被害の出た地震が18回も起きたという歴史がある。
 地震学者って、あのミミズがのたくりまわっているとしか思えない難解な古文書をすらすらと読めることも求められるようです。すごいことです。
(2011年5月刊。1600円+税)

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