弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2011年10月15日
生活保護改革、ここが焦点だ!
社会
著者 尾藤 廣喜 、 小久保 哲郎 、 吉永 純 、 出版 あけび書房
生活保護が増えたら地方自治体の財政が破綻するというのは真っ赤なウソ。
生活保護費のうち給付費を意味する扶助費が93%を占め、福祉事務所の職員の人件費が5%、残りはその他の委託費など。扶助費の4分の3は団体負担金でまかなわれる。
釧路市では自立支援プログラムを実施しているが、この5年間に3180人が参加し、
544人が仕事に就き、151人が保護を抜けた。
釧路市では、保護費が144億円ほどで、一般会計の15%を占める。そして、この保護費は一次産業の111億円を上回っていて、地域経済を下支えしている。
生活保護費のうち99.7%は適正に執行されており、不正受給は全体の0.3%にすぎない。大型公共事業の談合による被害に比べると、ものの数でもないということになります・・・・。
ところが、この生活保護について、3年とか5年という有期保護制度に変えようという提案が指定都市市長会からなされています。とんでもない、時代の流れに逆行した提案です。ゼネコンと暴力団を喜ばせる大型公共事業のムダはそのままにして、貧困の結果である弱者の切り捨てを図るなんて、許せません。まるで、政治は強者のためにある、というのを地でいくような提案です。
そしてまた、生活保護費のほうが年金や最低賃金より高くなっているので、保護費のほうを切り下げようというのです。これまた、とんでもない本末転倒の提案です。
私も生活保護支援九州ネットワークに関わっています(恥ずかしながら、大したことは出来ていません)が、社会のセーフティーネットとしての生活保護制度は、もっと利用しやすく、もっと自立支援に役立つものになるようにしたいものだと考えています。
(2011年7月刊。1600円+税)
2011年10月14日
人間と国家(上)(下)
社会
坂本 義和 岩波新書
私が大学2年生のときに始まった東大闘争のとき、著者は加郎一郎総長代行を補佐して活躍していました。もちろん私は直接には何の関係もなかったわけですが、なんとなく東大当局のメンバーの一人として漠然と著者に対してマイナス・イメージを抱いていました。
ところが、この本を読むと、著者は反核・平和の取り組みも熱心にすすめてこられたことを知り、私の認識不足を恥じいるばかりです。
今はもう取り壊されてしまった駒場寮に、著者も生活していたようです。ただ、「一部屋10人前後」というのは本当でしょうか。私のときには「一部屋6人」でした。10人だといくら何でも詰め込みすぎです。戦前の一高時代、そして住宅難の終戦直後はそうだったのでしょうか・・・。
戦前の一高、そして駒場寮には反軍意識がみなぎっていた。
それはそうでしょうね。だって、勉強をほっぽらかして兵隊にとられて戦場へ死にに行けなんて強制されるって耐えがたいことですからね。
終戦後の駒場寮で、寮のアパート化が進行したと書かれています。
ベットの周囲にシーツをカーテン状につるして、共同の部屋をコンパートメントに分断することがあたりまえになっていった。
ええーっ、これって東大闘争の終わったあとにも見かけた現象なんですよ。それまで、6人で読書会をしたり、みんなで集まって議論していた空間がどんどんなくなっていくのを、私も目のあたりにしたのです。そのころも、同じように「寮のアパート化」と言って問題にしていた気がします。
著者はアメリカに留学し、帰国してからは、アメリカのベトナム侵略戦争へ反対する運動に関わります。さらには、1968年8月のチェコへソ連軍などが侵攻したことへも抗議しています。
我妻栄名誉教授がベトナム戦争に反対していたことも知ることができました。
以上が上巻です。下巻には、いよいよ東大闘争との関わりが登場します。
著者は、さすがに「東大紛争」と呼びます。しかし、私は渦中にいた学生の一人として「紛争」という言葉には抵抗があります。
だって、東大当局が警察機動隊を勝手に入れておいて、きちんと釈明しなかい、騒動の発端となった医学部生の処分に事実誤認があったとの指摘をまともに検討しなかったなど、そのときの東大当局の姿勢に大きな不手際があったことは明らかだからです。
ただ、著者の認識について、「本当かな?」と首をかしげるところもいくつかありました。
東大闘争を暴力化させたのは全共闘なのです。それなのに、「どちらかと言うと、日共系が武装をエスカレートさせました。・・・その日共系の『武力』に対して、全共闘系は恐怖心を持ったようで・・・。全共闘が武装し、安田講堂に『武器』を蓄えはじめるのは、10月頃からだと推測されます」としていますが、これは、明らかな間違いだと私は思います。9月の東大病院封鎖騒動などがすっぽり抜けています。
しかも、「はるかに固い樫の棍棒」が日共系の「精鋭部隊」の持つ武器で、このために全共闘より強かったかのような表現は、とんでもないと私は思います。たしかに「樫の棍棒」は、私も手に持ったことがありますが、警察官の警棒と同じく硬いものでした。しかし、全共闘が持ったものには鉄のパイプもあったのですよ。
「樫の棍棒」は短いので、接近接では役に立つかもしれませんが、衝突する前は長い鉄パイプの方が断然威力があります。脅威でしたよ。これは、中世ヨーロッパで長槍軍が活躍したのと同じことだと思います。
東大全共闘が学内で孤立化していったのは日共系の「あかつき部隊」とか「硬い樫の棍棒」のせいだというのは、一部のジャーナリストが勝手に言っているに過ぎないものです。
少なくとも私の認識はそうです。このあたりは『清冽の炎』(とりわけ第4巻。花伝社)を読んでいただくと、詳しく理解してもらえると思います。
それにしても、全共闘が「あれほどの犠牲を払って、一体何をしたかったのか。あの一連の事件と時代を弁護することは非常に難しいと思います」という著者の指摘はまったく同感です。
さらに、「東大解体」を叫んでいた全共闘の学生が今では東大教授になっているが、「どうして東大教授になれたのか、私には理解できません」という嘆きは、本当にもっともだと思います。学生のとき「東大解体」を叫んでいて、今では東大教授になっている同世代の人が、東大闘争の意義をマスコミや東大新聞で堂々と臆面もなく語っているのを見聞きすると、読んでいる私の方が恥ずかしさを覚えるほどです。
「全共闘は、みな正義に殉じた犠牲者であるかのように描き出され」たが、「あの凄惨なゲバルトの現場を一目でも見たら、そう簡単に全共闘支持とは書けない」のではないかという指摘こそ、まっとうなものだと、私も当時の東大にいた学生の一人として思います。
東大闘争の展開についての貴重な証言の一つでもある本です。
2011年10月13日
「諸君!」「正論」の研究
社会
著者 上丸 洋一 、 出版 岩波新書
戦後の「保守」論壇の主張の変遍をたどり、分析した貴重な労作です。
それにしても「保守」理論家の言説のレベルの低さには呆れます。
渡辺昇一、上智大学名誉教授は次のように語った。
「シナ文明は朝鮮半島まで到達したが、日本には及んでいない」
ええっ、日本に中国文明が入っていないだなんて・・・。そして、また次のようにも言っています。
「日本の皇室は男系で続いてきた」
日本には過去にさかのぼれば、女性天皇が何人もいます。江戸時代まで、皇室の伝統として男性しか天皇にはなれないと言うことはありませんでした。
「サンケイ」を出している産経新聞社には社史がない。また、縮刷版もない。その理由は、社主だった鹿内信隆とそのファミリーの位置づけが難しく、出すに出せないことにある。
憲法改正を叫んでいる「サンケイ」に社史も縮刷版もないというのは、よほど過去の自社の歴史を知られたくない、恥ずかしいということなのでしょうね。
「サンケイ」は自民党の組織をつかって購入を呼びかけてもらった。つまり、「サンケイ」は要するに自民党の準機関誌だというわけです。なーるほど、ですね。
1973年10月、雑誌「正論」が創刊された。鹿内は、毎号のように誌面に登場した。
ところが、鹿内が1990年10月に78歳で亡くなると、1992年7月、サンケイの取締役会は鹿内宏明会長を解任した。
日経連(現在の日本経団連の全身の一つ)は1960年代に「共同調査会」という名前の反共秘密組織をつくっていた。反共産党、反総評、反日教組を目標として、1955年から1968年まで活躍していた。13年間に25億円ほどの大金をつかっている。マスコミ・世論の「偏向」是正対策にも3億円ほど使った。
保守の論者は、ヒロシマ・ナガサキの被爆体験について何も語らない。また、沖縄戦の犠牲者も無視している。
『諸君!』に小田村四郎・日銀監事は次のように書いた。
「開戦の全責任を東条個人に帰して、当時の議会や新聞の論調・世論を無視してはならない。大東亜戦争は、一握りの指導者が独裁的に起こしたのではない。全国民の支援の下にやむなく受けて立った悲劇の戦争である。その責任者が誰かと問われれば、ABCD(米、英、中国、オランダ)包囲陣の各国と答えるしかない」
むしろ、ABCD包囲陣は、日本軍部の膨張主義、植民地拡大路線に対抗して作られたものですよね。白と黒というような言説を真に受けて教科書がつくられたら、それこそ日本の将来はお先まっ暗です。
昭和天皇は戦後、靖国神社への参拝を拒否した。昭和天皇はA級戦犯の合祀、なかでも日独伊三国同盟を推進した松岡洋右(元外相)そして白鳥敏夫(元駐伊大使)の合祀に不快感を表明していた。
天皇のために命を捧げた軍人・軍属らを神と祀る靖国神社は、天皇が参拝することで初めて「完結」する神社だ。それが天皇に嫌われたとあっては、神社の存立を否定されたにもひとしい深刻な状態である。
戦後の天皇制は、天皇制にひたすら忠誠を尽くした東条らA級戦犯を占領軍に差し出して「勝者の裁き」を受け入れ、天皇の地位を統治権の総換者から「象徴」へと大胆に転換することによって初めて存続を許されたのであり、天皇自身もまた、そのことを容認するのとひきかえに「平和主義者」として立つことが可能となった。そうした象徴天皇制の存立の根拠を靖国神社はA級戦犯を合祀することによって否定した。東条英機らを神と祀る靖国神社を天皇が参拝する気になるだろうか。
天皇は、戦後まもない時期に、自身の戦争責任をまるごとA級戦犯に移し替えていた。それは天皇個人の意思でもあったが、マッカーサー司令官との日本政府の意思でもあった。そうすることで、天皇は戦後を「平和主義者」として生き抜くことができた。
彼らが国を握った。私は立憲君主として、憲法に従って行動しただけ。天皇は、おそらくそう信じていた・・・。
これは、なるほどと思わせる見事な分析です。私の長年のもやもやの一つがすっきり解決したような気がします。大変な労作で大いに勉強になりました。
(2011年6月刊。2800円+税)
2011年10月12日
千年震災
社会
著者 都司 嘉宣 、 出版 ダイヤモンド社
この本を読むと、日本は古来、いかにも地震の国だということがつくづくよく分かります。そんな地震の巣の上に危険な原子力発電所を50基以上もつくってきたなんて、歴代自民党・公明党の責任は重大ですよね。民主党のだらしなさを非難する前に、国民の前で真剣な自己批判こそが必要でしょう。反省もせずに依然として原発を推進しようとしてますし、海外へまだ原発を輸出しようとするなんて、まさしく狂気の沙汰ではないでしょうか。
著者は私とほぼ同じ世代の東京大学地震研究所の准教授です。地震学者ですけれど、歴史地震学の権威でもあります。要するに古文書を読めるのです。
平安時代の歴史書『三代実録』に記された貞観(じょうがん)地震は貞観11年(869年)に起きた。陸奥国で大きな地震が起きて、そのあと津波がやって来たと書かれている。今回の東日本大震災とよく似ている。
慶長16年(1611年)の慶長三陸津波でも、伊達・南部の両藩で合計2913人が死亡した。田老地区でも海面から21メートルの高さにあった神社の参道の橋が津波で消失している。
今回の東日本大震災では今のところ前兆が認められていない。しかし、まったく前兆がなかったとしたら、原理的に地震の予知は不可能という結論を出さざるを得なくなる。
本格的な鉄筋コンクリートのビルは津波に強いことが判明した。
田老町の高さ10メートルの防潮堤は、4メートルずつ2段のコンクリート構造物が単に積み木のように重ねておいてあるだけだった。かみあわせのほぞがないし、鉄筋で上と下を一体化するというのもなかった。これでは見かけ倒しだ。
江戸幕府が始まってから、東京には3回の大地震が起きている。元禄6年(1703年)の元禄地震、安政2年(1855年)の安政江戸地震、そして大正12年(1923年)の関東大震災である。安政江戸地震は直下型地震で、あと二つは海溝型の巨大地震だった。
日本人は地震について、文献だけではなく、被害の状況・惨状を絵にも描いて残しているのですね。お城の破損状況を記録した図面まであります。昔から今に至るまで本当に几帳面な国民性なのですね。
寛政4年(1792年)の島原大変・肥後迷惑のときには、地震も起きていて、大津波は熊本県側にまで被害を与えた。
韓国は日本に比べて地震の少ない国だが、それでも16世紀から17世紀にかけての
200年間に、被害の出た地震が18回も起きたという歴史がある。
地震学者って、あのミミズがのたくりまわっているとしか思えない難解な古文書をすらすらと読めることも求められるようです。すごいことです。
(2011年5月刊。1600円+税)
2011年10月11日
イカの心を探る
生物
著者 池田 譲 、 出版 NHKブックス
なんという奇妙なタイトルでしょう。イルカじゃあるまいし、イカに心なんてあるはずないじゃないのさ。そう思ってしまいました。ところが、どっこい、なのです。なんと、イカは意外なことに巨大な脳をもち、ちゃんと学習効果をあげるのです。
しかも、ほとんど養殖できない。イケスに入れると、たちまち死んでしまうというのです。ウッソー、マサカでしょ・・・。そんな叫び声が聞こえてきそうです。食べて美味しいイカに、なんとなんと心があったなんて・・・。これから気安くイカが食べられなくなりそうです。
イカは情報を伝達する細胞である神経が発達し、それを統合したところの脳が大きい。イカは海の賢者とも言える存在なのだ。
南氷洋だけで、イカは年間3400万トンも捕食者に食べられている。これは人間が食べている量より、はるかに多い。世界の海洋には、総量でで2億トンのイカがいると推定されている。
淡水に生息するイカ、そしてタコなんていない。海にだけいる生き物だ。イカは変態しない。卵から孵化した時点から親と同じイカの形をしている。
イカの寿命は1年ほど。それなのに、日本列島を南北に往復する大回遊をしている。
イカの親であるオスもメスも我が子を見ることなく死んでいく。
イカの養殖はできていない。水族館で生きたイカを常時展示しているところは少ない。イカを水槽に入れると、半日もしないうちにポロリと死んでしまう。
ヤリイカ飼育成功の秘訣は水質にあった。ヤリイカは清水を好む。
イカ、とくにスルメイカは神経質というか慎重であり、人が与えるものを簡単には受けとってくれない。しかも、エサが生きた状態でないと受けとってくれない。
イカは仲間のお互いの行動を実によく見ている。
スルメイカは、今もって全生涯を水槽内で飼育することができない。
イカの眼はヒトと構造がよく似たレンズ眼だ。コウイカの視力は0.6ほど。
イカは、体の色もパターンも瞬間的に変えることができる。
群れをつくるアオリイカには順位制が認められる。繁殖相手のメスをめぐり、また、エサをとるときにも順位が形成される。
イカは奥行きがあることが分かり、記憶力を持つ。
アオリイカを鐘の前に置くと、強い関心を示す。鐘に映っているアオリイカは自分だと認識している可能性がある。
イカは体色を変えてカモフラージュするが、それは貝殻という楯を捨てた代替戦略として、神経系を発達させ、高精度のレンズ眼をもち、高度な情報処理が可能な巨大脳を手に入れた。
うむむ、こうなると、イカの活きづくりも、ただ単に美味しいというだけでは食べられなくなりますよね。学者って、すごいです。
(2011年9月刊。1300円+税)
2011年10月10日
玉と砕けず
日本史
著者 秋元 健治 、 出版 現代書館
大場大尉、サイパンの戦いというサブタイトルのついた本です。最近、映画にもなりました(私はみていません)。
日本軍が例によって玉砕戦法でバタバタ死んで行ったサイパン島で、終戦のあと、12月まで山中にたてこもり、ついにアメリカ軍と「停戦協定」を結んで投降してきた日本軍集団がいたなんて、驚きますよね。そのリーダーが31歳の大場大尉だったのです。戦後は日本で会社を経営し、市会議員にもなったということです。よほど運も良かったのでしょうし、リーダーシップ(統率力)があった人物なのでしょうね。たいしたものだと感嘆しました。
サイパン島には、1943年8月、日本人が3万人近く、島人(チヤモロ人)4千人がいた。
サイパン島ではサトウキビ畑から製糖工場があり、日本本土へ砂糖を販売していた。
サイパン島の最大の町ガラパンは最盛時、人口1万4千人となり、「南洋の東京」と呼ばれるほどにぎわった。
サイパン島の日本軍守備隊は陸軍が2万8千人、海軍が3万人、合計3万1千人ほど。
1944年6月15日、アメリカ軍4万3千人が上陸、攻撃を開始した。1週間で日本軍兵士は1万5千人と半減した。そして、民間人1万8千人以上が山中で北方へ逃避行を始めた。
6月24日、東京の大本営は、サイパン島奪回作戦を中止した。生き残った日本軍将兵は見殺しにされたわけである。
1945年12月1日、大場大尉の率いる日本兵47人がアメリカ軍と停戦協定を結んで投降した。
よくぞ終戦後の半年以上も、山中に隠れて生きのびたものですね。アメリカ軍の方も無駄な戦闘でアメリカ兵の死傷者を出したくはなかったようです。
それにしても、日本軍上層部の玉砕戦法、精神一到主義というのは、おぞましい限りですよね。この過ちが繰り返されないようにするのは、現代に生きる私たちのつとめです。
(2011年3月刊。2000円+税)
2011年10月 9日
一瞬と永遠と
社会
著者 萩尾 望都 、 出版 幻戯書房
私は著者の漫画を全部読んだわけではありませんが、そのいずれにも驚嘆したことを覚えています。『ポーの一族』『11人いる!』『残酷な神が支配する』は読みました。そのストーリーといい、画(絵)といい、その感嘆は言葉になりませんでした。
本書は著者の長年のエッセーを集めたものです。絵だけでなく、文章も秀逸でなかなかのものです。奈良の復興寺で阿修羅像を見て、そのそばのソファーで著者がぐっすり眠ってしまったという話には笑ってしまいました。意外に図太い神経の持ち主のようですね。
著者は17歳のときに漫画家になる決心をしました。それは手塚治虫の『新選組』を読んだときのこと。うひゃ、すごいですね。17歳にして早くも漫画家を志したとは・・・・。早熟なんでしょうね、きっと。
著者の少女時代(もうちょっと年長かな・・・・)、母親との関係は最悪だったと語られて、います。マンガぐらい黙って描かせてよ。不良になっているわけでもないんだし・・・・。
禁じられているマンガを描くなんて、なんて悪い娘でありましょう、申し訳ございません。怒りと罪悪感とをシーソーしていた。うむむ、今では偉大なマンガもかつては大変だったのですね・・・・。
実は、私は著者の母親については、子どものころ、私の家によく来られているので知っているのです。母は女学校時代の仲良しだったようです。それで、著者の最近の顔写真が新聞に紹介されたとき、思わず、お母さんにそっくりじゃん、とうなってしまったのでした。
子どもって、大きくなると親にますます似てくるものなんですよね。著者もその一人なのでした・・・・。ますますのご活躍を期待しています。
(2011年6月刊。1800円+税)
2011年10月 8日
アイドル進化論
社会
著者 太田 省一 、 出版 筑摩書房
テレビをまったく見ない私にとって、アイドルというのは別世界の存在なのですが、それでも別世界で今何が起きているのかは気になりますので、こうやって本は読むわけです。グラドルという言葉があるのをはじめて知りました。グラビアアイドルのことです。今ではアイドルの中心勢力の一角として、すっかり定着した。うひゃあ、そうなんですか・・・。しかも、グラビアアイドルという呼び名は他人につけられて甘んじて引き受けるレッテルというよりは本人の意思による選択の証なのである。そうなのですね、知りませんでした。
グラドルの台頭は、アイドルと名のつく存在が様々な分野に生まれる日本社会のアイドル化の最終段階を示している。
山口百恵は、その自叙伝のなかで、『スタ誕』をみていて、ある日、そこに13歳の少女が登場した、私と同い年、そう思ったとたん、私にもできるかもしれないという気持ちが芽生ええはじめ、中学2年の夏休み、友人と何人かで応募のハガキを出した、と書いている。森昌子、桜田淳子、山口百恵の花の「中三トリオ」の誕生である。
ピンクレディーの4作目の「渚のシンドバット」(1977年)は、ついにミリオンヒットを達成した。この大ヒットを牽引したのは、当初はターゲットから外されていた子どもたちだった。子どもたちが振り付けを覚えて、こぞって踊り出すという光景が社会現象になった。作詞家(阿久悠)からすると、ある意味で、それは誤算だった。
ピンクレディーは、作り手の意図によって完璧にあやつられる存在。いわば、ピンクレディーという名ひとつの巨大娯楽プロジェクトになっていた。ファンの側が想像をめぐらせ、何かを読み込めるような余白はもはや存在しない。そのとき、ピンクレディーはアイドルではなくなった。
バラドル、つまりバラエティー・アイドル。とんねるずは、お笑い芸人からアイドル歌手へと、その境界を乗り越えていった。バラドルはアイドル歌手から芸人へと、その境界を越えていく。
アイドルファンにとって、アイドルの「失敗」は、楽しみの一つである。アイドルが成功することも重要だが、むしろ、そこに至るまでの「過程」においてアイドルを応援し分析することの方がプライオリティーが高い。その意味で、「失敗」もまた楽しみなのである。
韓国人によると、日本ではアイドルはファンが一緒に育てていく存在だという指摘がなされています。なるほど、そういうことなのでしょうね。
アイドルとは、社会が学校化し「若さ」が義務になってしまうような状況のなかで、「若さ」を権利として再発見させてくれる存在ではないか。うむむ、そんな見方も成り立つのでしょうか。
アイドルとの関係の中で、ファンは義務化された「若さ」から解放され、自由な気分を取り戻す。そこには、大きな「快楽」がともなうだろう。日本人がアイドルによって「若さ」を反復しようとするときに欲しているのは、実はこの「快楽」なのではないか。それは、学校的な空間から「若さ」を解放し、別の可能性を求める心の声なのである。
むむむ、なんだか分かったようで分からない解説というか指摘です。
(2011年11月刊。1700円+税)
2011年10月 7日
権力奪取とPR戦争
社会
著者 大下 英治 、 出版 勉誠出版
電通や博報堂その他の広告代理店が裏から日本の政治を動かしている実情の一端が描かれています。でもよく考えてみると、そこで動いている莫大なお金の大半は政党助成金、つまり私たちの税金なのですよね。税金が広告代理店やPR会社にまわり、そこでつくられた虚構のイメージで日本の政治が左右されているなんて、知れば知るほど腹の立つ話ではありませんか・・・・。
テレビは政治をショー化した。政治家たちが自分たちの姿をそっくりそのまま映してくれると思っていたテレビもまた、政治家の伝えたいことを伝えきらない。
テレビ映りのいい条件は二つある。田舎者と、変わり者の二つだ。
日本の政界でいえば、田舎者の代表は田中角栄。変わり者の代表は小泉純一郎だ。小泉純一郎は、巧みにも、短く的確なフレーズでメッセージを発して国民の心をつかみとった。言葉のもっている魅力といおうか、あやのものをうまくからませる。その言葉をメディアは使う。いわゆるサウンドバイトの手法こそ、小泉首相の真骨頂だった。さらには、、髪を振り乱す感じ、間合いのとり方は天才的としかいいようがない。まさに、テレビ業界でいう「絵になる」男だった。イメージ戦略の申し子というべき存在だった。うーん、そのおかげで日本の政治は狂ってしまったのではありませんか。
支持率と高感度には違いがある。似ているようで、実は違う。実際に支持率を上げたいのなら、その前に数字にはあらわれない好感度を上げる必要がある。支持率は、その好感度についてくる。
たとえば、政治家が「この国」というと、どこか距離を置いた印象を与える。「わたしたちの国」と言ったほうが共感を得られる。
テレビの討論番組の出演者を誰にするかは、最重要の検討事項である。出演者を決めるとき、一番の決め手は、相手が誰かである。いかに相手の弱点を引き出せるか、相手の攻撃をうまくかわせるか。これには、相性の良し悪しもある。
たとえば、民主党が菅直人のときには、自民党は竹中平蔵を出した。竹中は、自民党が擁するオールマイティの武器だった。温和な顔をしているが、政策に強く、弁も立つ。感情的になることもなく、きちんと話ができるため、誰を相手にしても負けない。
アドバイスは番組に出演したあとも行った。ビデオを見せて注意を与えていく。
電通は、別会社という形で民主党にも食い込んでいる。民主党は本来は博報堂であるが・・・・。代理店の色分けが、今ではそのまま政党の違いではなくなった。
いい話し方とは、しばらくひとつところに目線を当てていたかと思うと、今度は右のほうへ視線をゆっくりと移して、その先の相手をしっかりと見つめて話し、今度は左のほうへ視線を移して話す。一点ばかり見つめてはなすのではなく、全体にも目をいきわたらせていることをアピールするようにして話すのが望ましい。ところが安倍首相の場合には、一点を見つめていたかと思うと、視線がさまよってしまい、自信なさそうに見えてしまうという欠点があった。
首相の「ぶらさがり会見」は大きなリスクをはらんでいる。小泉以降の首相は、誰もが失言を連発して、足を引っぱられていった。「ぶらさがり」は、「失言」製造マシーンとなっていった。
本当に政治って、恐ろしいですね。
(2011年8月刊。1600円+税)
2011年10月 6日
ヒトラーの最期
ヨーロッパ
著者 エレーナ・ルジェフスカヤ 、 出版 白水社
ソ連軍の若き女性通訳がソ連軍とともにベルリンに攻め入り、そこでヒトラーの遺骨を手にするまでの過程が詳細に記述されている貴重な大作です。ヒトラーの遺骨を入手しながらも、スターリンはヒトラー逃亡説を発表させたり、ヒトラーの遺骨を入手していたことを隠していたというのですから、不思議な話です。
著者はモスクワの大学生から通訳になったユダヤ人女性です。よくぞスターリン圧制の犠牲になることなく、生きのびたものです。
ドイツ軍兵士を捕虜としたとき、士官だったらドイツ軍側から見たソ連軍の長所を尋ねることが義務づけられていた。その答えは、T-34戦車、兵士の頑強さ、ジューコフだった。ソ連軍兵士が粘り強く戦うのには、ナチス・ドイツ軍の将兵も驚嘆していたようです。
ドイツ軍のバルバロッサ作戦を狂わせた原因の一つに、小国ギリシャが意外に抵抗したことがある。うひゃあ、そういうこともあったんですね。
著者は前線で入手したドイツ軍将校の日誌を引用して、戦闘の悲惨さを語らせています。
ドイツ軍兵士の心得。きみには心、神経がない。戦争ではそれらは無用である。すべてのロシア人を殺せ。きみの前に老人、女性、子どもがいても止まるな、殺せ・・・・。
ポーランドではワルシャワの手前でソ連軍は留まり、ワルシャワ蜂起が目の前でナチスドイツによって無惨にも鎮圧・虐殺されているのを座視します。スターリンの冷酷な計算による行動です。
敵の手紙は前線では常に重視された。それらの手紙には何か重要なこと、ときには予想外に重要なことが含まれていることが珍しくなく、これをもとに諜報資料が作り上げられた。手紙には、気分、事実、雰囲気、出来事、希望、状況、不安、脅威、苦境、変化が含まれている。
ドイツ軍は敗色濃いなかで、新型兵器にいちるの望みをかけていた。しかし、それを信じていない兵士もまた多かった。ロンドンを空襲したV・ロケットのようなものをヒトラーは匂わせていたのでしょうね。
ヒトラーには影武者はいなかった。5月4日、ヒトラーと妻エヴァ・ブラウンの遺体は一度発見されたが、そのときは識別されなかった。そして、あとで、同じ穴の中に2匹の死んだ犬が発見されたが、このこともヒトラーの遺体だと判明するのに役立った。ヒトラーは青酸カリの効用を試すために、先に愛犬に使ってみたのでした。
5月6日、総帥官邸の庭からヒトラーとエヴァ・ブラウンの焼けこげの遺体をシーツにくるんで運び出した。
ヒトラーは4月29日深夜、エヴァ・ブラウンとの結婚式を行った。ところが、そのときヒトラー自らが取り決めた結婚にあたっての必要書類は無視された。ヒトラーは、戦争に敗れたとき、ドイツ人は生きるには値しないとしていた。
ゲッペルスは浮気者であり、妻は離婚したがっていた。しかし、ヒトラーは離婚を許さなかった。そこで、彼らはドイツ国民の前では模範的な子沢山の家庭を演じていた。
ヒトラーは最期にこう言った。
私の死後、私の遺体は焼却されねばならない。私は自分の遺体が後に見世物にされるのを望まない。
これは、ムッソリーニがパルチザンに銃殺され、ミラノの広場で逆さ吊りにされたことをヒトラーが知っていたからの言葉である。
ヒトラーの遺骸には、顎骨と歯がそのまま残っていた。そして、著者は、ヒトラーの歯の入った小箱を預けられた。そして、この小箱に入った歯をヒトラーが生前にかかっていた歯科医(助手)にみてもらって確認した。
ヒトラーの死(自殺)の状況が確認される状況は信頼できると思いました。
(2011年6月刊。4000円+税)
2011年10月 5日
原発を終わらせる
社会
著者 石橋 克彦 、 出版 岩波新書
スロッシング現象というのをはじめて知りました。地震のとき、本震や余震によって、サプレッション・プール(水)が激しく揺れ動くことのようです。それによって、大量の蒸気を水の中まで誘導するためのダウンカマーの先端が水面から上に出てしまい、そこから蒸気が圧力抑制室上部に噴出して滞留し、その結果、格納容器の圧力が異常に高くなったのではないか。
要するに、津波ではなく、地震そのものによって、配管破断が起きて原子炉の水素爆発が起きたということです。
炉心溶融(メルトダウン)とは、核燃料および炉内構造物が溶け落ちること。熔解デブリというそうです。
この熔解デブリは、今後、何年も冷やし続けなければならないが、問題は、それがまだ圧力容器内にあるのが格納容器内にどれだけ出ているのか、あるいは格納容器の底をすでに抜けているのかなどの状況が依然としてつかめていないこと。
圧力の数値からみると、圧力容器に穴が空いていて炉心の放射性物質は格納容器内に出ている可能性が高い。格納容器自体も漏れているため、炉心は外界と直接つながっていて、現在も放射性物質を出し続けているのは間違いない。とても危険な状況が続いている。
ここに今直面する最大の問題がありますよね。にもかかわらず、日本の首相がアメリカに行って国連総会の場で原発輸出はやめないと宣言するなど、まさに狂気の沙汰としか思えません。
発電所全体ですでに10万トンもの汚染水がタービン建屋の地下にたまっている。年内にさらに10万トンもの汚染水が出る。事故後、少なくとも2回、高濃度の汚染水が海に流出している。事故プラントを廃炉にするには、最大15兆円かかる。
格納容器が閉じ込め機能を失っている以上、放射性物質の確実な漏洩防止は望むべくもない。
原発の経済性を評価するときには、事故による補償金のほか、廃炉にともなう費用も計算しなければならない。
原発において、これまで過酷事故への対策は法的に義務化されておらず、電力会社や民間企業が自主的にやることが推奨されているのみ。
福島第一原発で大規模な水蒸気爆発が起こらなかったのは偶然にすぎず、首都圏が強制避難地域になったとき、日本は破滅する。
そうなんですよね。菅首相も「日本破滅」を一時は覚悟したようですね。
一刻も早く、原発に頼らない日本につくりかえましょうよ。
(2011年8月25日刊。800円+税)
2011年10月 4日
ノルマンディー上陸作戦(上)
ヨーロッパ
著者 アントニー・ビーヴァー 、 出版 白水社
1944年6月6日のノルマンディー上陸作戦を多角的に描いた大部の労作です。連合軍内部の葛藤にみちた内情、迎えうつドイツ軍のあたふたぶりとヒトラーの狂信的指示の内幕が活写されていて、果たして上陸作戦はうまくいくのか、上陸したあとナチス・どいつ軍によってダンケルク戦のように海へ押し戻されてしまうのか、ずっと予断を許されない厳しい戦闘行動が続いていたことを知りました。
連合軍の最高司令官であるアイゼンハワーに対して、イギリス軍のトップは高い評価を与えていなかった。モントゴメリー(モンティ)は、上官であるアイクにたいして経緯のかけらすら見せなかった。
有力な将軍・提督たちの政治的ライバル関係や個人的な対抗意識をアイゼンハワーは常に意識し、そのバランスに配慮しなければならなかった。
モントゴメリー将軍は、演出のコツを非常に心得た軍人だった。そして、軍事のプロとして高い能力をもち、また部隊の訓練にあたって第一級の仕事をこなしてきたが、「際限なきうぬぼれ」という欠点も抱えていた。
アメリカ陸軍は、第一歩兵師団を除いて、ほとんどすべての部隊が「要求基準に合致せず」と評価されていた。
アイゼンハワーは上陸作戦が失敗に終わったときに発表する短い声明文も用意した。そこには、「この試みに、もしなんらかの問題もしくは欠点があったとすれば、ひとえに私ひとりの責任である」と書かれていた。
アメリカのルーズベルト大統領はド・ゴール将軍を不信の目で見ていた。ド・ゴールという男はへたすると独裁者になりかねない人物である。連合軍はなにもド・ゴールを権力の座につけるためにフランスへ侵攻するわけではないとした。
アイゼンハワーの声明文には、ド・ゴール将軍による臨時政府の権威をどんな形にしろ認めていなかった。
ヒトラーは、連合軍の侵攻作戦はヒトラーが築いた「大西洋の壁」によって必ず粉砕されると信じていた。ヒトラーは、ロンメル将軍の提案を却下した。空軍のゲーリング海軍のデーニッツの強い働きかけもあって、ヒトラーは本能的に今の現状を維持するのが望ましいと判断した。ライバル関係にある、それぞれの軍組織を互いに競い合わせることで、その上位に君臨する自分が全てをコントロールできると考えていた。
フランス国内のレジスタンス組織の大半はド・ゴール将軍と共闘していたが、必ずしもド・ゴール主義者ではなかった。
ノルマンディー上陸作戦に参加した艦船は5000隻ほど。全体で13万人の兵士が参加した。6隻の戦艦、23隻の巡洋艦、104隻の駆逐艦、152隻の護衛艦、277隻の掃海艇が出動していた。
誰もがみな、もっとも知りたいのは、果たしてドイツ軍が、現在進行形のこの事態をすでに把握し、手ぐすね引いてまっているのかどうか、ということだった。
午前1時アメリカ海軍は、上陸作戦に参加する兵士に朝食を出した。常軌を逸する大盤振る舞いだった。ありったけのステーキポーク、チキン、アイスクリーム、キャンディーが供された。ソーセージ、豆料理、コーヒー、ドーナツが食べ放題となった。そして、大揺れの船のなかで、兵士たちはゲロを吐き、豪華な食事を後悔するに至った。
ノルマンディーの戦いにおける連合軍、ドイツ軍双方の損耗率はひどかった。それは、東部戦線における同時期のをはるかに上回っていた。
東部戦線意おいてソ連赤軍の苛烈きわまる砲撃を相手したため、ドイツ軍は守勢に回ったとき、損失をいかにして最小限どにおさえるか、さまざまな対処法を実地に学んでいた。その教訓がノルマンディーの戦いで十分に生かされた。そして、ドイツ軍は戦機をとらえるのがうまい。
アメリカ軍の兵士の損耗度は高く、やがて本国から補充兵がやってきた。補充兵は、しばしばもっとも危険な任務を割り当てられた。どの小隊も、経験を積んだベテラン兵士をムダにしたくはなかった。
イギリス空軍が北部の町カーンを空爆したがこれは2重の意味で失態だった。第一に、カーン 北部にあるドイツ軍陣地を叩けなかった。第二に、都市部に大打撃を与えてしまった。
戦争の現場がきれいごとではいかないことを知り、改めて衝撃を受けました。
映画『史上最大の作戦』は私が高校生のころに映画館で上映されているのを見に行った記憶があります。映画でも連合軍が苦労していたように描かれていましたが、現実はもっと悲惨で、どうしようもない状態だったようです。
(2011年8月刊。3000円+税)
2011年10月 3日
人間はなぜ眠れないのか
人間
著者 岡田 尊司 、 出版 幻冬舎新書
世の中には、不眠症で悩んでいる人が意外に多いですよね。一日に4時間とか5時間しか寝ていないという人もいますが、夜ぐっすり眠れない、だから昼近くまで寝ていて、頭がずっと冴えないと嘆いている人が少なくありません。幸い、私は寝つきが良いのですが、たまに悶々とするときがあります。間違って夜7時以降にコーヒーとか緑茶を口にしてしまったときです。どうしてかなと振り返ってみて、はっと思いあたるのです。
この本は眠ることの大切さとあわせて、ぐっすり眠るための秘訣を公開していて、とても実践的に役に立ちます。
日本人の5人に1人は不眠症。3人に1人が何らかの睡眠障害をかかえている。短期の不眠では、一方で神経疲労の影響があり、もう一方でストレスホルモンの作用がある。
眠れなくても、目を閉じて横になって休養しておくのは大切なこと。
神経システムが休みなく活動を続けると、一つには神経伝達物質を放出し尽くして貯蔵庫が払底してしまうことになる。また、受け手の受容体が神経伝達物質にさらされ続けた結果、一過性に反応しなくなる状態(脱感作)を引き起こす。これらが、神経疲労である。
睡眠は健康な精神の維持に大切なものである。睡眠障害は、まず注意力(とくに注意の持続)記憶力などの機能を低下させる。高度な情報の統合を必要とする判断力や抽象的思考、想像力が、とくに影響を受けやすい。
老化を防ぐためにも、中年以降はいっそう質の良い睡眠を十分にとることが大切だ。睡眠不足は攻撃的な行動を引き起こしやすいし、他者に対する関心が乏しくなって、ひきこもりの原因ともなる。
ノンレム睡眠、ことに徐波睡眠は、免疫力を維持するうえで、非常に重要である。睡眠不足は、免疫力を低下させ、感染症、そしてがんにかかりやすくなる。
レム睡眠は長期記憶の形成に関与している。
よく眠るためには、ベッドで仕事をしたり、テレビを見ることはしない。夜眠るときは、必ず決まった寝室やベッドで眠るようにする。寝る直前に入浴するより、少し早目に入浴し、火照りが落ち着いてから床に入るほうがいい。
夜、メラトニンの分泌が活発になると体温が下がる。このタイミングとあわせると、眠りに入りやすい。そして、午後のコーヒー、午後3時以降の昼寝は避ける。
ぐっすり眠れたら、朝の目覚めがすっきりして、今日も一日がんばろうという気になれますよね。
(2011年6月刊。760円+税)
日曜日に近くの小学校で運動会があっているようで、風に乗って号令をかける子どもの声などが聞こえてきました。もう久しく運動会には行っていません。
先日、原発問題の学習会で今の福島市内の放射能量は学童疎開されるべきレベルなのに、政府は何もしないのはおかしい、人体実験をしているようなもので、許されないことではないかという指摘がありました。目に見えないだけに、放射能の恐ろしさを実感することは出来ませんが、妊婦さんや子どもたちの疎開はもっとすすめられるべきだと思いました。
いま、わが家の庭にはピンクと白の芙蓉、酔芙蓉の花ざかりです。百舌鳥のかん高い鳴き声を聞きながら、せっせとチューリップの球根を植え、その準備をすすめています。来春が楽しみです。
周囲の田んぼの稲穂は黄金色となり、刈り取りを待つばかりです。
2011年10月 2日
三池炭鉱・「月の記憶」
社会
著者 井上 佳子 、 出版 石風社
炭鉱節で有名な福岡県大牟田市には与論島出身の子孫が今もたくさん住んでいます。
戦前、明治31年(1898年)に与論島が台風に襲われ、人々が島で生きていけなくなったため、長崎県口之津(島原半島)に移住していった。当時、口之津は日本最大の石炭積出港で、そこで働いていた。ところが、1910年、大牟田の三池港が開港、石炭は口之津港から積み出されなくなった。そこで、与論島の人々は、73人が口之津に残り、623人が与論島に帰り、428人が三池に移った。
与論の民のことをユンヌンチュという。タビンチュとは本土の人間のこと。
大牟田市の中心部、延命動物園のすぐ横に与論島出身者共同の納骨堂があり、「奥都城」(おくつき)と書かれている。これは日本の古語で「お墓」のこと。与論島には、日本古来の言葉が残っている。
与論島には、面積20平方キロメートル、周囲23キロメートルの小さな島だ。人口6000人。かつては観光地として栄え、年に15万人もの観光客がやって来た。しかし、今はブームも去り、年間7万人がマリンスポーツを目的にやってくるのみ。島民は漁業とさとうきび栽培を生業としている。
与論島出身者は、大牟田市内の海岸に近い新港町社宅に住んだ。
1997年、三池炭鉱は閉山した。官営時代から124年間、三井の経営になって109年間の歴史に幕を下ろした。
三池炭鉱の歴史を支えた労働者集団の一翼としての与論島出身者の人々に焦点をあてた貴重な労作です。熊本放送がテレビで2009年2月に全国放送したものをもとにした本です。
(2011年7月刊。1800円+税)
2011年10月 1日
KARA、少女時代に見る韓国の強さ
朝鮮・韓国
著者 朴 倧玄 、 出版 講談社α新書
テレビを全く見ませんし、歌謡曲を聴くこともない私ですが、活字を通して、いま日本で韓国の少女そして男性芸能人が大いにもてはやされていることは知っています。その秘密を知ろうと思って読んでみました。
いやあ、韓国人って芸能人を育てるのに長い時間そして莫大な手間とひまを(もちろんお金も)かけているのですね。驚いてしまいました。
そして韓国の高校生の唯一の楽しみが遠足であり、そこでクラス対抗の歌と踊りを披露して日頃のウサ(ストレス)を発散させるというのです。日本以上に韓国では苛烈な受験戦争がまかりとおっているとのこと。韓国は日本以上の学歴社会。試験は年に1回だけで、応募できるのも3校まで。高校から大学に持ち上がるシステムはない。
韓国では、人気のある歌手の踊りを男女を問わず、すぐに「ものまね」する。それもお笑いまじりでやって、大喝采を受ける。
芸能事務所の練習生期間は長い。たとえば少女時代のユナは5年2ヶ月をそこで過ごした。うひゃあ、5年あまりもの練習生なんて、とても信じられません。よくぞ若いなか我慢したものです。
少女時代には、短くても3年、長いものは7年もの練習生時代を送ったメンバーがいる。韓国では、芸能事務所の練習生が1000人いて、そのなかで実際に歌手としてデビューできるのは、毎年4~5グループ、20~30人ほど。これは厳しい選抜ですが、スターになるには当然のことなのでしょうね。
韓国には、芸能人になりたいと思う子が、日本以上に多くいる。芸能事務所が練習生一人にかける費用は、トレーニング費、車両維持費まで含めると、毎月15万円。整形・美容に要する費用まで含めると年間250万~290万円。練習生の平均を5年とすると、一人あたり1500~2200万円かかる。すごいですね。元を取り戻したくもなりますよね。
東方神起がデビューするまで、練習生一人当たり145万円の費用がかかり、平均の練習期間が5年だとすると一人3700万円が投資された。
宿舎購入費、CDやミュージックビデオ、衣裳などの制作費をふくめると、デビュー前に1億4000万円ほどかかった。それにマーケティング費用までかけたら、東方神起は5億 9000万円のプロジェクトだった。そして、5年間の売上高は36億円。それまたすごいですね。
日本ではAKB48のようにデビューしてから人材を徐々に育てていく。韓国では、莫大な投資と練習生時代に厳しい競争をくぐり抜けてアイドルが生まれてくるので、すでに踊りも歌もうまい。
韓国のアイドル・グループの多くは、練習生時代だけでなく、デビューしてからもひとつのマンションで合宿生活を送る。この合宿生活こそ、世界で活躍するパワーの源となっている。
日本人は、電車やバスの中でも本を読む。韓国人は、日本人ほどには本を読まない。韓国人は、女も男も整形手術を平気で受ける。韓国では普通にスターは自分の肉体を見せ、ファンと視聴者はそれを見ながら喜ぶ。
似てるようで違いのたくさんある韓国について知ることができました。
(2011年5月刊。838円+税)
2011年10月31日
世界をやりなおしても生命は生まれるか?
生物
長沼 毅 朝日出版社
10人の高校生との対話をベースにした本です。分かりやすい反面、とても難しいところがありました。
10人の高校生の知的レベルの高さには驚かされます。モノを食べない動物がいる。ええっ、ウ、ウソでしょ・・・。ところが本当なんです。暗黒の海底に棲息するチューブワームです。
チューブワームには消化器官、つまり口・胃腸・肛門がない。栄養は内部から摂る。目には見えない特殊な微生物が体内に棲んでいて、チューブワームに栄養をつくってくれている。体内微生物の名前は、イオウ酸化細菌、イオウ酸化バクテリアともいう。これは植物の光合成と同じことをしている。ただし、暗黒の海底なので、光の代わりに海底火山のエネルギーを利用する。そして、でんぷんを作っている。
この共生微生物とチューブワームはバラバラに切り離すことができない。単独での培養に成功していない。ええーっ、世の中には、こんな生き物がいるのですね。
地下生物圏に棲息する微生物は3兆トンから5兆トンいると推測される。これは、陸上・海洋生物圏の2倍以上にもなる。すなわち、地球の内部こそが巨大な生物圏なのである。そのポイントは海底火山、地球の内部がアクティブであること。
リンキアというヒトデがいる。カリフォルニアや沖縄の海にいるヒトデである。このリンキアというヒトデは、腕を切り離すと、その腕の断片からも全体が復活する。
同じようにプラナリアも、切っても切っても再生する。ある研究者がプラナリアを100個以上の断片に切り刻んだところ、その全部が全体を再生した。
もし太陽がなくなったら、海底火山から出てくる、あるいは地下世界に秘められた化学エネルギーだけしか使えなくなる。太陽からは1367ワット/㎡のエネルギーが来るのに対して、地球内部からは69ミリワットしかない。太陽からの方が2万倍も大きい。もし太陽がなくなったら、地表はもう荒れ果てた平らな世界になるかもしれない。
生命とは、問題を解くことである。そして、この宇宙で唯一、問題を解くことのできるものが生物である。
生物の極限の状態を考えることが出来る本でした。
(2011年7月刊。1600円+税)
2011年10月30日
「蛮社の獄」のすべて
日本史(江戸)
著者 田中 弘之 、 出版 吉川弘文館
天保10年(1839年)5月に起きた「蛮社の獄」はシーボルト事件とともに、いわゆる蘭学者弾圧事件として名高い。前年に起きたモリソン号来航事件をきっかけとして、江戸の蘭学者である高野長英は永牢の判決を受け、のちに脱獄中に死亡した。渡辺崋山は自決した。このほか、僧侶と町人たち4人が取調中に拷問を受けて死亡した。この「蛮社の獄」は事件当時は話題となったものの、その後はしばらく忘れられていて、45年後の明治17年に自由民権運動の論客によって本が書かれたあと話題となった。
オランダ通詞の本木庄左衛門は、鎖国という排外的閉鎖政策を批判した。
松平定信が百姓一揆とともに警戒した「おそるべき蛮夷」そして「外国、遠く候ても油断いたすまじきこと」という戒めは、天保の老中・水野忠邦、目付の鳥居耀蔵にも共通していたようだ。「蛮夷」に対する恐れと、「国民」に対する警戒が「蛮社の獄」で崋山が町民たちを「国外脱出」「異国人との応接」という無実の罪を着せてまで断罪するに至った。
鳥居耀蔵は林家の三男であったところ旗本の名家である鳥居家に養子となって入り、目覚ましい出世を遂げた。目付に登用され、町奉行、勘定奉行という幕府の要職を歴任した。由緒ある旗本の鳥居家の当主としての誇りと使命感が、徳川幕府への異常なまでの忠誠心となって彼の行動を律したと考えられる。
「蛮社の獄」の首謀者といわれる目付の鳥居耀蔵は天保の改革でも庶民の恨みを買ったため、当時からその悪人ぶりを語るエピソードは枚挙にいとまがないほどだった。鳥居耀蔵は「蛮社の獄」の6年後(1845年)、家禄を没収されたうえ、終身禁固として讃岐の丸亀藩に預けられ、幽因23年に及んだ。73歳で明治を迎えたあと、ようやく釈放された。
渡辺崋山は鎖国の撤廃を求める開国論者であった。それを知らない江川太郎左衛門は親交を結んだ。この二人は同床異夢の関係にあった。
崋山は、鎖国海防を批判し、強力な西洋艦隊の前では、わが国の海防強化は無意味だとほのめかしていた。「蛮社の獄」の「蛮社」とは「尚歯会」を指すが、この「尚歯会」それ自体は「蛮社の獄」で追及・弾圧はされていない。
渡辺崋山について、鳥居耀蔵は、すでに前からスパイをつかって身辺を探っていた。
北町奉行の大草安房守は、崋山を標的とした鳥居耀蔵の奸計を退けた。
天保のころの江戸幕府のなか決して一枚岩というものではなかったことを知りました。
そして、「蛮社の獄」というより「無人島の獄」と呼ぶべきだろうと著者は提唱しています。なるほどと思いました。
(2011年7月刊。3800円+税)
2011年10月29日
密売人
警察
著者 佐々木 譲 、 出版 角川春樹事務所
うまいですねぇ・・・・。いつ読んでも、この著者の警察小説はほれぼれしてしまいます。情景描写といい、ストーリーといい、なるほど、そうか、そうだろうなと思わずうなずき、ぐいぐいと作中の部隊に引きずり込まれてしまいます。
本書のタイトルからすると、覚せい剤とか拳銃の密売人を扱っているかと思わせますが、違います。では、何を売ったのか・・・・?
暴対法ができて、そのあと6、7年前が、警察庁が全国一の暴力団の徹底し壊滅を指示して以来、やつらは本当に食えなくなっている。私文書虚偽記載で組長逮捕だ。型式犯だ。子分が銃刀法違反で、何も知らない組長が6年の実兄だ。以前なら考えられないような微罪で逮捕、刑務所送り。昔ながらのしのぎも成立しなくなっている。上の連中は逮捕覚悟で俠客の看板を掲げているが、日々、実入りは少なくなっている。義理かけもままならなくなっているが、いまの組長クラスだ。
こんなセリフがありますが、本当でしょうか。
福岡県内は暴力団の密度が日本有数に高いので有名です。中州も、北九州も、そして、筑豊も筑後も、至るところで鉄砲の弾が飛びかっています。それは、暴力団同士というのもありますが、主としてゼネコンなど土木・建築会社がターゲットになっています。公共工事の3%ルールをこれまでどおり守れというヤミ社会からの催告かつ警告の弾丸です。
いま九州新幹線の乗車率の低さが問題となっています。事前の予想乗車率の3割しかない駅があります。田舎の田んぼの真ん中に忽然として誕生した新幹線駅は、まさしく政治家と暴力団が私たちの血税を喰いものにしている象徴です。
そんなことを考えたとき、暴力団が不景気だというのも、にわかに信じる気にはなません。先日の久留米の組長宅襲撃事件では、ついにマシンガン(機関銃)まで登場してきました。恐ろしい世の中です。
この本では、警察の上層部と暴力団の癒着も暴かれています。お互い、持ちつ持たれつの関係があるというのです。これまた許せないことです。そう言えば、この間の一連の発砲事件で、犯人が警察に逮捕されたなんて、聞いたことありませんよね。どうなっているのでしょうか・・・・。もっと、しっかりしてくださいな、警察官の皆さん。
(2011年8月刊。1600円+税)
2011年10月28日
原発はいらない
社会
小出 裕章 、 幻冬舎ルネサンス新書
著者は安全な原発などないと断言しています。
全国各地にある原発は、地震や津波とは無関係に、しばしば事故を引き起こしている。それは設計自体にミスがあったり、操作についての人為的ミスなどによる。
そうなんですよね、玄海原発でもつい最近、人為的ミスと思われる事故が発生しています。事故が起きてしまったら、もう人間の力ではどうしようも出来ないのが原発、そして、核の恐ろしさです。
安全な原発などない。すべての原発は危険。だから、原発の運転即時停止を求め続けている。
私も大賛成です。エネルギー政策をどうするこうするという議論のまえに、大人も子どもも、そして日本列島に将来にわたって安心して住めるようにするためには、「ノー原発」の声を大きくするしかありません。
原発は、東京や大阪、そして福岡市内につくることは認められていない。なぜか? これは原発が危険なものであることが国も分かっているからだ。
まことにそうなのですよね。でも、原発事故の恐ろしさは今回の福島第一原発が証明しました。放射量からすると、福島市内から、少なくとも子どもは全員疎開・退避させるべきだという専門家の指摘があります。東京だって、3月15日には放射能雲に覆われていたことが今では判明しています。人口の少ない田舎につくったから大都会は安全だ、というわけにはいかないのです。
福島第一原発の周辺でプルトニウム238が検出された。これは原子炉がかなり初期にメルトダウンしていたことを示している。それを政府が発表せずに隠していたため、大量の住民が放射能を被曝してしまった。なんと恐ろしいことでしょう。内部被曝したところで、すぐに異常がでることはない。しかし、長期的にみるとがんを発生するリスクが高まるのは明らか。
子どもは大人の4倍もの放射線の感受性があるので、20ミリシーベルトを被曝することは80ミリシーベルトを被曝するのと同じこと。これでは、子どもたちに将来、きみはがんになる危険性が高くなるけど、仕方ないんだと言っているのに等しい、とても冷酷な仕打ちだ。
子どもを守るには、大人が責任を果たすしかない。大人は福島産の食品を食べ、子どもは九州産の食品を食べることも考えるべきだ。
ふむむ、本当に事態は深刻なんだと痛感させられる本です。今のまま誰かが何か、どうにかしてくれるだろうなんて考えは、この際、きっぱりと捨てるべきです。
福岡でいうと、やっぱり玄海原発ですよね。九州電力の支配する九州の政財界の横暴を黙って見過ごすわけにはいきません。これだけ重大な事態をひき起こしていながら、やらせメールが発覚しても社長も会長も責任をとらないなんて許せませんよね。
(2011年7月刊。838円+税)
2011年10月27日
公安は誰をマークしているか
警察
著者 大島 真生 、 出版 新潮新書
公安警察というと、今でもなんだかうす汚い、陰でコソコソ、スパイをあやつっている陰気な集団というイメージがあります。
かつては共産党をスパイし、企業に共産党員情報を高く売りつけて存在意義を誇示していました。ところが、今では企業内での露骨な差別待遇が裁判所によって弾劾されてやりにくくなり、公安警察の存在意義もすっかり薄れてしまいました。とりわけ公安調査庁という、人間の盲腸みたいに不要な機関が今でも残っているのは常識では理解できないところです。
警視庁公安部は、公安警察最強の実働部隊で、「公安の中の公安」とも言うべき存在。桜田門にそびえる18階建ての警視庁本部庁舎の13階から15階まで、3フロアーを占めている。公安部の人員は1100人。このほか各警察署の警備・公安担当が1200人いる。
公安警察は、警察庁警備局を中心に、戦前の特高警察時代のシステムを密かに残している。それは、たてまえとして自治体警察だが、警視庁公安部や道府県警警備部は予算を握る警察庁警備局から直接指示を受ける立場にある。上意下達の国家警察システムがそっと残されているのかが公安警察である。指示系統は、縦に統一されていて、そのなかには道府県警本長や警察署長は入っていない。つまり、署長の部下という意識は希薄だ。
警視庁の刑事は、公安部員を「ハム」と侮辱的に呼んでいて、「ハムの奴らは信用できない」と、よく口にする。これに対して、公安部員は、自らを「オレたちは国を守る仕事をしている」という意識が強く、刑事警察より高い次元にいるというプライドを持っている。
公安総務部(コウソウ)は公安部の筆頭課であり、共産党対策を主とする。公安部の部長、参事官2人、総務課長の4首脳のうち3人はキャリア組で、残る1人は「たたき上げ」と決まっている。
公安部はスパイをつくる作業に従事している。この作業は警察庁警備局が報告を受けながら管理している。公安部の作業班の名称は4係、ナカノ、サクラ、チヨダ、ゼロと変遷した。
スパイ(協力者と呼ぶ)にできるかどうか、何度か会って感触を確かめるのを「面接」、協力者にスパイ活動させることを「運営」するという。協力者と密かに会うことを、「接触」、運営にかかる資金は「運営費」、接触にかかる資金は接触費用などと呼ぶ。運営費とは、要するに報酬だ。接触費用は協力者に飲み食いさせる代金である。
公安の担当範囲は、近年恐ろしく広くなっている。NHKの次期会長候補にスキャンダルがないかまで調査にあたった。公明党情報をふくめて、幅広く政治家などの情報を集めている。ただ、これも肝心の共産党の活動が下火になったため、組織を維持するために対象範囲を広げざるをえなかったということにもある。
一般には知られざる公安警察の活動の一端を知ることのできる本です。
(2011年9月刊。720円+税)
今、全世界で「1%が支配する社会でいいのか」という問いかけとともに若者たちが行動を起こしています。日本ではまだまだ動きが鈍いのがもどかしくてなりません。
ところで、先日の新聞に日産のカルロス・ゴーン会長の年間報酬が9億8200万円であり、これは昨年より9100万円もの「賃上げ」があったこと、ソニーのハワード・ストリンガー会長は8億6300万円で、これまた昨年より3850万円も「賃上げ」されていることが報じられていました。ひどいですよね、許せませんよね。「99%」の労働者には賃下げ、首切り、非正規雇用を押しつけておいて、自分たちは8億円とか10億円近い年収をもらっていながら、さらに9千万円とか4千万円近く「賃上げ」をお手盛りで決める。これは異常な社会と言うべきではないでしょうか。もっと私たちは怒るべきですし、怒りを行動に示すべきだと思います。
2011年10月26日
婚活したらすごかった
社会
著者 石神 賢介 、 出版 新潮新書
結婚願望があるのに結婚できない男性、そして女性が伴侶を見つけるのがいかに難しいことか、この本を読むと実感として分かります。
2010年から、50歳未満の男性の8割が年収400万未満。結婚しても夫の収入だけでは子どもを育てるのが難しい時代。夫婦二人で毎日働いて、やっと子ども一人を育てられる。家族をつくることに夢を持ちづらくなり、男性も女性も結婚願望はありながらも、よほど魅力を感じる相手でない限りは結婚に踏み切らない。
ネット婚活は、インターネットのサイトを通して男女が知り合うサービスだ。サイト上にプロフィールを掲載し、連絡もサイトを経由して行う。このサービスは、忙しい男女に向いている。
婚活サイトは、どこも人間と会話をせずに申し込みができるので、ネットショッピングで本や雑貨を購入するときに近い感覚で申し込める。婚活パーティーにくらべてプライドが傷つかないというメリットがある。
女性は収入を重視している。男はとにかく年収が高ければ人気がある。
海外駐在、もしくは海外駐在の可能性がある男性は人気が高い。女性は外国好き。
ほとんどの男性は女性の収入を気にしない。その大切な条件はなにより容姿だ。また、若い女性が好き。
婚活サイトによっては、写真掲載にはよく考えられたシステムがある。自分が顔写真をのせたら、異性のプロフィールの写真を見れる。自分がのせないと、相手の顔も見れない。
ネット婚活で会えるところまでたどり着くのは5人に1人くらい。
食事をしたら、自分と会うかどうかはだいたい分かる。チェックポイントは、食べ方が下品ではないか、お金の支払い方がきれいか、一緒にいるときお互い自然に会話がかわせるか、そして婚活サイトで真剣に結婚相手を見つけようとしているか、など。なーるほど、そうですよね。
婚活パーティーの多くは、2時間の枠がある。ほとんどのパーティー会社は原則として途中帰宅を許さない。まず、一人と話す時間は2分間。ええっ、短すぎでしょ・・・・。
男はメモをとるスキルが著しく低い。まるで回転寿司のよう。女性は回ってくるネタを選ぶ客。男は選ばれるのを期待してまわるネタ。時間とともに鮮度が失われていく。むふっ・・・・。
会費が安いパーティーは、安いなりの男女が集まる。タダだから参加しようと言う人は絶対的に真剣度が低い。会費が高いほうが安心感がある。それでも婚活パーティーの質は向上している。それは、婚活パーティーが乱立した90年代から10年たって、質の悪い会社や費用対効果の低い会社は淘汰されたことによる。
周囲の目を気にせず、婚活ができる世の中になった。切迫した結婚難が、婚活パーティーの現場の充実につながった。
婚活パーティーは、ネット婚活と比べると幅広い年齢の女性と知り合える。
著者の体験によると、若い女性のほうが素直で、年齢を重ねるごとに扱いが難しくなる。
日常のなかの出会いであっても、婚活パーティーであっても、ネットであってもベッドの関係までいかなくては、結婚まで到達できない。そのプロセスを省いて結婚の判断をすると、その後に予想外の何かで苦しい思いをする心配がある。なーるほど、それはそういうこともあるでしょうね。結婚したら、毎日の生活をともにするわけですからね。
婚活パーティーでうまくいくようになると、日常生活での男女の関係のスキルも上がることになる。
結婚相談所は、たとえば会費は1年目30万円、2年目からも同額だが、2年目からは途中で退会すると、月割りで返還される。ふむふむ、これって合理的なシステムなのでしょうね。
会員同士で結婚すると、20万円の成婚料が必要だ。
女性会員のほとんどは迷うのに対して、男性は即決することが多い。
結婚するための三つのポイント。第一に、歩み寄ること。自分の理想とする相手は存在しないという前提で女性と向きあう。第二に、今からでも遅くないことを信じて、自分の商品価値を上げること。たたかえない男に、女性は本能的に興味をもたない。第三に、自分に合った婚活のツールを利用する。
婚活の実際、その現場の様子がよく分かりました。著者にエールを送りたいと思います。がんばれ、くじけないで・・・・。
(2011年9月刊。700円+税)
2011年10月25日
福島第一原発事故を検証する
社会
著者 桜井 淳 、 出版 日本評論社
原子炉建屋の破壊度は尋常ではない。原子炉建屋は、きわめて堅牢につくられている。普通の商業ビルとちがって壁が厚く、鉄筋コンクリートで50センチはある。非常に強固・頑丈なもので、外部から小型ミサイルを撃ち込まれても大丈夫なくらいの強度をもたせている。めったなことでは側壁がすべてきれいに吹き飛ばされるなんて起きるはずがない。それが起きたのは、なぜか?
周辺のあれだけ厚い壁を全部吹き飛ばす水素の量は、ざっと推定すると、炉心全体でジルカロイと水蒸気の反応が発生してほぼ炉心全体が溶融するような現象が起こらない限りありえない。
政府首脳は事実を知っていたけれど、国民の様子を見ながら、徐々に情報を出していった。事実を全部いってしまうと社会がパニックに陥ってしまう。そう考えた、きわめて政治的な対応だった。
日本の原発の第一の特徴は、一つの発電所敷地内に多くの原子炉が設置されていること。なるほど、そうですよね。だから、大きな地震にあうと、連鎖的な大事故に陥る危険性を内包している。
福島第一原発の事故は天災ではなく、人災である、このように断言する。
日本では、非常用ディーゼル発電機に絶対的な信頼性をおいている。そして、これを安全性のテーマにすることを意識的に回避してきた。
日本には、個々の機器の信頼性を評価できる専門家は存在するものの、発電所全体の配置や階層別機器などシステム全体の信頼を的確に評価できる専門家が一人もいない。安全審査では、そのような評価が欠落していた。安全審査が的確に実施されていたならば、福島第一原発の事故は、たとえ地震や津波の影響を受けても、発生しなかったと判断できる。福島第一原発の事故は安全審査の欠陥によってもたらされたもの。よって天災ではなく、人災である。
軽水炉の設計寿命である40年をこえて運転している日本原電。敦賀原発1号機と関西電力・美浜原発1号機は、即刻、運転停止・廃炉にすべきである。
さらに、1970年代に運転開始した第一世代の軽水炉は、すべて段階的に停止・廃炉にすべきである。まったく同感です。一刻も早く、子どもたちを守り、私たちみんなが安心して住める日本を回復しましょう。「今のところ放射能被害の心配はない」なんて大嘘ついて国民を欺し続けるのは即刻やめてほしいものです。
(2010年7月20日刊。1400円+税)
このところ相次いで心が震えるほどの素晴らしい歌唱に接することが出来ました。まずは高松でのオペラです。残念ながらイタリア語なので歌詞は聞きとれませんでしたが、その声量に圧倒される思いで聞き入りました。次は、東京で混声合唱です。「わが大地のうた」など、心にしみる歌でした。福島第一原発の事故によって故郷に住めなくなった人々の思いに通じつものでもありました。
福島から佐賀に避難してきた人の話を聞く機会がありました。「裏切り者」みたいに言われたりしたそうです。でも、5か月の子どものために逃げ出したとのこと。福島では放射能の危険を言うと、風評被害を増やすような受けとめ方もあるということを聞き、本当に世の中は難しいものだと思いました。
2011年10月24日
ツノゼミ
生物
著者 丸山 宗利 、 出版 幻冬社
ありえない虫。こんなサブタイトルがついています。まさに、ありえない、奇妙奇天列な姿と形、色模様です。こんな虫が私たちの身近にたくさんいるなんて信じられません。でも、実際にたくさんいるというのです。だけど気がつきませんよね。なぜ・・・・?
その秘密は、体調がわずか数ミリとごく小さいからです。でも、なんという形をしているのでしょう。カブトムシの頭に似ていて、そこから垂直に角が立ち上がったのは分かるとして、そこで4つのこぶがくっつくと、こりゃあ、一体何のため・・・・?不思議です。カサホネツノゼミとなると、丸いこぶの代わりに、日傘の骨みたいなツノが伸びています。
ウツセミツノゼミは、透明なセミのぬけ殻(空蝉、うつせみ)そのものです。
ツノゼミは名前にセミとつくけれど、セミとは異なるグループの昆虫。大きさは1センチに満たず、だいたい2~25ミリほど。あまりに小さいため、人間の世界では見過ごされやすい。肉眼ではなく、ルーペで拡大してみて、はじめて、そのユニークさが見えてくる。
正面からみたツノゼミの顔がまたなんとも奇妙な色と形、模様をしています。まるで、戦国武将のヨロイ・カブトのオンパレードです。
ハチマガイツノゼミは、背中のツノがハチそっくりになっている。ツノゼミは、一生を植物の上で過ごす。植物の芽やとげに似せている色や形のものが多い。また、ハチなどの危険な生きものに似せているもの、芋虫のふん、果ては昆虫の脱皮したぬけ殻まで、食べてもおいしくないものになり切っているものも多い。
ツノゼミは植物の汁を吸って生きている。植物の汁には糖分が多く含まれているので、余った分は水と一緒に対外へ出す。ツノゼミは甘いおしっこをする。アリにとって、このツノゼミが出す甘い露はとても魅力的。1匹のツノゼミに40~50匹のアリが押し寄せてくることもある。
アリは甘露をもらう代わりにツノゼミの護衛を引き受けている。アリはツノゼミを危険から守ろうと努力する。アリとは持ちつ持たれつの関係にあるのですね。
ツノゼミはオスとメスの交尾時間は長く、数十時間に及ぶことがある。このとき、オスとメスは何らかの交信をしていると考えられている。愛のささやき、ですね。
そして、子育ては母親の役目です。卵を狙う敵を寄せつけません。ツノゼミの寿命は長くて3ヶ月。
一読、一見の価値ある写真集ですよ。世界がグーンと広がります。
(2011年6月刊。1300円+税)
朝、雨戸を開けると一番に目につくのは白っぽいクリーム色で、丸っこい可愛いらしい花を咲かせているシューメイギク(秋明菊)です。そのそばには、紫色の斑入りの不如帰(ほととぎす)の花が、ひっそり咲いています。
フヨウ(芙蓉)の花は咲き終わって、ある意味のように丸まっています。そのかわりがエンゼルトランペットです。黄色いトランペットの花をたくさんぶら下げています。
キンモクセイの芳香のなか、モズの甲高い鳴き声を聞きながら、チューリップの球根を植えつけました。
2011年10月23日
天網恢々
日本史(江戸)
著者 林 望 、 出版 光文社
リンボー先生の小説を読むのは、『薩摩スチューデント、西へ』に次いで、これが2冊目です。もちろん、エッセイ集はいくつも読んでいます。私とほとんど同世代のわけですが、エッセイだけでなく、こうやって小説まで立派に書きあげるとは、まことにうらやましい限りです。
ときは江戸。主人公は江戸町奉行という重職にある根岸肥前守鎮衛(やすもり)。江戸市中に起きる、さまざまな出来事、そして風説を書きつけていったことで史上有名な人物です。
そして、この鎮衛、150俵扶持(ぶち)の三男から、とんとん拍子に出世していきます。佐渡奉行からついには江戸の南町奉行にまで昇進した。当代きっての出頭人(しゅっとうにん)である。諸国の珍説綺談を話す人々が寄り集まってきて、それを楽しく聞いて記録した。大耳の持ち主から、耳の九郎左衛門、つづめて耳九郎(みみくろう)の旦那と呼ばれて親しまれていた。
不義密通から主人を毒殺しようとする番頭。中間奉公の身で100両を手にしたときふと魔がさして持ち逃げを考えたが思いとどまったところ、その100両がすりとられてしまった話・・・・。
落語の世界、人情話を聞かされている気分になって、ついつい作中のワールドに引きずりこまれてしまいました。うん、うまい。リンボー先生に座布団5枚。
(2011年8月刊。1600円+税)
2011年10月22日
救える死
社会
著者 天笠 崇 、 出版 新日本出版社
日本では自殺者3万人を時代が続いている。あと2年もすれば、累計で45万人となる。これは大都市1個分に相当する人口が消滅したことを意味する。もう少しすると、鳥取県一つが消滅するに等しい人口である。この13年間に、3000人に1人の日本人が自殺で命を落としている。交通事故による死者は年間4812人(2010年)なのでその7倍に近い。これって、本当に大変なことですよね。東京マラソンの参加者は3万人だそうですが、その光景をビデオで見ながら、3万人というのはすごい人数だと思ったことでした。
自殺者3万人の前半は中高年齢層の増加が目立った。最近では、30代を中心とした若年層へシフトしてきている。これは、うつ病をふくむ気分感情障害の患者数の推移と一致している。毎年決算期の3月に自死者数が多い。また、10月も増加している。
男性の自死者数が全体の7割をこえる。20代、30代の男性で上昇しているが、とくに20代の上昇が大きい。65歳以上では、男女とも自死死亡率が減少している。40代、50代の男性の自死の原因は、経済・生活問題がもっとも多い。
自死は、15~39歳の死因の第一位。20~24歳では死因の半数を占める。場所は自宅が最多。月初や月末。連休明け、月曜日に多い。男性は6時台、5時台が多く、女性は12時台、15時台が多い。
競争、競争をあおる昨今の日本の風潮は自死を促す大きなストレス要因になっていると思います。その意味で大阪の橋下知事の相変わらずの強権的な言動は責任重大です。もっとゆったり、心安らかに生活できるようにするのが政治のつとめではありませんか。競争にうち勝つ教育を子どもたちに押しつけるなんて、最悪・最低の府知事と思います。弱い子、ハンディを持つ子どもは生きる資格がないと橋下知事は考えているのでしょうか。そんな弱者切り捨ての政治こそすぐにやめさせるべきだと思います。
もっと生活にゆとりのある、心やさしい社会を目ざしましようよ。
(2011年8月刊。1500円+税)
2011年10月21日
古文の読解
社会
著者 小西 甚一 、 出版 ちくま学芸文庫
小西甚一というと、私にとっては高校生のころ大学受験のための『古文読解法』で大変お世話になった印象深い先生です。今も、その本は書棚の片隅に眠っています。捨てるのがあまりに忍びがたいのです。
入試で合格点のとれる古文学習法なるものが紹介されていますが、私にとってあまりにも高度すぎて、かつて古文を得意科目としていた私なのですが、すっかり自信喪失させられてしまいました。
著者はおよそ30年間、入試の出題と採点をしてきた罪滅ぼしにこの本を書いたそうです。初版は1981年夏のことだそうですから、今から30年前のことになります。
平安時代の人々が住んでいた家は天井が高く、畳もない。冬の寒さをしのぐよりも夏の暑さのほうが冬よりも辛かったからに違いない。暑さに対抗するには、どうしても風通しのよい構造の家にする必要があった。
徒然草にも「家の造りようは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑きころ、わろき住まひは、たへがたきことなり」とある。
そうなんですよね。自宅にエアコンのない私は、夏には休みの日でもクーラーのある事務所に出ていって書面を書いています。汗をだらだらながしながらでは、とても書面書きに集中することができません。冬の寒さなら、何枚も着重ねすればなんとかなるのですが・・・・。
平安時代の人々は、一般に短命だった。40歳になると、四十(よそじ)の賀という祝いをした。現代なら40歳まで生きたのが目出たいなどという感覚はないが、当時は祝宴をするほどのものだった。なーるほど、そうなんですね。信長のころは50歳といってましたよね。
裳は一番上につけるもので、下着ではない。平安時代の女性は帯を使わない。ボタンの代わりの紐で、あちこちを留めているだけ。
女性も男性も、寝室でフトンを使わなかった。褥(しとね)という薄いマットを敷き、着物を脱いで単衣だけになり、今脱いだ着物をかけて寝た。
平安時代の酒は、ドブロク(濁酒)に過ぎなかった。清酒はまだなかった。腕時計なんぞ持っていない平安時代の人たちにとって、むしろ季節によって伸び縮みする時間のほうが自然だった。
掌の大筋が灯火なしに見えてくるときを夜から昼の境、逆に、それが灯火なしでは見えなくなってくるときを昼から夜の境とした。ふむふむ、自分の手で判断するというわけですか。
現在の宮中の婚礼儀式は平安時代のものではなく、明治時代につくられたもので、ずい分新しい。平安時代の貴族の結婚は、次のような手順ですすめられた。
① 仲人が橋わたしをして縁談をまとめる。
② 男から女に申し込む形をとるのが原則。
③ 申し込みは手紙でする。それを省略するのが現代式となっていた。
④ 嫁入りではなく、聟入りの形式を取るのが普通。
⑤ 結婚の第一、第二夜は、当人同士だけで過ごし、親は表面に出ない。
⑥ 第一夜を過ごしたあと、儀礼として男から女に手紙をやる。
⑦ 第三夜になって、はじめて親も顔を出し、親類にも披露する。そのとき、聟が誰であるか、はっきりする。これを、「ところあらわし」という。
こう見ると、本人同士で決めていたようですね。
方違(かたたがえ)とか物忌(ものいみ)は、それを口実として、こっそり息抜きをすることも珍しくはなかった。ふむふむ、なるほど、そういうことだったのですね・・・。
清少納言は『枕草子』のなかで、実にいろんな場合に「をかし」「をかし」と繰り返している。をかしは、人事・主観的・描写的なもの。これに対して紫式部は「あはれ」を好んでつかった。『源氏物語』のなかには、大変な分量の「あはれ」が登場してくる。「をかし」が理性的・観察的というなら、「あはれ」は感情的・主体的である。
「いきいきした、しかも洗練された感じ」が「いき」。「つう」とは「通」で、よくその方面に通じていること、つまり何から何まで知り抜いていることをいう。通人は、どうも小さなことにとらわれがちで、のんびりしたところがなく、消極的になりがちである。
江戸時代の前期を代表する精神が「いき」で、後期の特色を示すのが「つう」である。形容詞「ゆかし」は、もともと「行かし」であって、そこへ行ってみたいという意味だった。「奥ゆかし」といえば、ずっと奥まで見たい、奥まで知りたいという意味。
日本語は、ヨーロッパ語に比べて、主語を示すことが少ないという特徴をもつ。そうなんですよね。私も準備書面は別として、極力、主語抜きの文書を書くようにしています。
英語にだって面倒な敬語がある。英語に敬語がないというのは誤解だ。敬語を正しく使いこなさないと、中流以上の人たちとつきあうとき、とんだ結果が生じかねない。
「枕冊子」には、耳の鋭敏な人について「蚊のまつげの落つるをも聞きつけたまひつべこそありしか」という表現がある。
蚊のまつげの落つる音だってお聞きつけになりそうなほどだった。という意味です。蚊にまつげなんてあるはずもありません(そうですよね?)が、なんとなく、ごくごく微かな音のたとえとしてよく分かる表現です。清少納言にすごい文才があると改めて思い知りました。
日本の和歌に出てくる梅は、みな白梅と考えてよい。中国人は紅梅が好きだけど・・・・。
「放下着(ほうげちゃく)」とは禅僧の口ぐせ。「持っているものを捨てろ!」ということ。普通の人は、いろんなものを背負いこんでいる。カネがほしい、遊びたい。好きな女性に会いたい。明日の試合に勝ちたい。あげれば限りない。しかし禅僧に言わせると、そんなものを背負い込んでいるから、ものごとがうまくいかない。捨てるのがよろしい、「カネがほしい」とい考えを捨てたとき、はじめて思い切った営業活動ができて、カネのほうから進んでころがり込んでくる。重荷は思い切りよく捨てるに限る。
500頁もある部厚い文庫本です。パリまでの13時間という長い飛行機のなかで一心に読みふけっていました。古文も漢文も自由自在に読みこなしてみたいものです。
著者は4年前に亡くなっておられますが、英語・フランス語・中国語もマスターしておられたそうですから、まさに語学の達人ですね。しかも、趣味として、能、狂言さらには俳句までたしなまれていたとのこと。偉大なる先達でした・・・・。
(2011年1月刊。1500円+税)
2011年10月20日
2円で刑務所、5億で執行猶予
司法
著者 浜井 浩一 、 出版 光文社新書
高松で開かれたシンポジウムで著者の話を聞きました。まことに明快な問題提起がなされ、聞いているうちに日頃の胸のもやもやがすっきり解消されていく思いでした。
日本は、他人(ひと)は殺されないが、自分自身を殺す人の多い国である。日本では年間600人が殺人や傷害事件で殺害されている。この数字は年々、減少傾向にある。そして、ほかの先進国諸国に比べると、かなり低い。これに対して、日本の自殺者は年間3万人をこえている。
治安が悪化したと感じたり、厳罰化が望ましいと思っている人は同時に、若者が嫌いだという共通点がある。
統計上の日本の治安には、自転車盗の動向が大きく影響している。暴力犯罪という視点からみると、日本は世界でもっとも安全な国である。
日本で殺人が最も多かったのは、映画『3丁目の夕日』や『となりのトトロ』の部隊となった1950年代後半、昭和30年代前半である。昭和30年代は、ささいな理由での一家皆殺し事件が多かった。経済的に余裕がなく、社会全体にゆとりがなかった。日本において、家族殺は全体の4割を占める伝統的な殺人の形態であった。昔は良かったとは必ずしも言えないのですよね。
現代社会の方が教育に対する家庭内の関与は充実してきている。
少年による殺人は減少し、非行にピークは14歳から16歳に上昇している。
60歳以上の高齢層においてのみ検挙人員が増加している。高齢者が犯罪を起こしやすく、また警察に検挙されやすいことを示している。
1980年代には、万引きは少年の犯罪だった。しかし、2006年に高齢者の比率が30%をこえ、少年を上回った。今や、万引きは高齢者の犯罪といってよい。
監視カメラは、駐車場での車上狙いなどの防止には一定の効果があっても、路上や公共交通機関などでの犯罪、そして暴力犯罪には、ほとんど効果が認められない。また、軍隊的な規律が非行を防止することもない。
警察に検挙される日本人は200万人。そのうち受刑者となるのは3万人である。
受刑者の4割が、窃盗・詐欺であり、そのなかには、被害額1000円以下の万引きや無銭飲食が多くふくまれている。
一度負け組になると、条件がより悪化するため、刑務所を出所したあと再犯を繰り返し、累犯者として、さらに不利な扱いを受けることになる。
今の日本社会に必要なのは、少額の無銭飲食や万引き犯が実刑にならないような、支援の仕組みである。
私も、まったく同感です。そんな「犯罪」で刑務所に送って隔離するなんて、まさしく税金のムダづかいそのものです。それよりも、よほど福祉政策を充実させたほうが安上がりです。社会に余裕がなくなり、高齢や障害によって一般人と異なり言動をする人々を不気味な不審者として排除すれば、その人の居場所は刑務所しかない。刑務所には自由も快適さもないが、たらいまわしも、餓えも、身分差別もない。社会が思いやりと寛容さを失い、排他的になるほど、刑務所に社会的弱者といわれる人が集まることになる。刑務所は社会の思いやり度をはかるバロメーターである。
受刑者は決して私たちとは異質なモンスターなんかではない。私たちだって、仕事を失ったり、家族・友人を失えば、同じような境遇になりうる。今の日本社会が人々を犯罪や刑務所へと追いやっているという現実を、自分自身の問題として考えることが必要なのだ。
本当にそのとおりだと私も思います。わずか1000円前後の万引き、タクシーの無賃乗車、無銭飲食のために懲役1年とか2年の実刑判決が下されるというのを、私も何度となく体験しています。むなしさに胸がかきむしられます。これは社会全体で考えるべき問題です。刑務所に隔離しておけばいいというものではまったくありません。すっきり明快な問題提起の本ですので、ぜひご一読ください。
(2009年10月刊。760円+税)
2011年10月19日
原発のない世界へ
社会
著者 小出 裕章 、 出版 筑摩書房
問題の根本は、国が原子力をやると決めたことにある。
まことにそのとおりだと思います。地震列島・日本に50ヶ所もの原発をはりめぐらすなんて狂気の沙汰ではありませんよね。
国と電力会社をはじめとする巨大産業が住民をブルドーザーで押しつぶすように原子力を進めてきた。
国立大学から原子力工学科がなくなってしまった。しかし、原子力の後始末をつけるうえでは若い専門家がこれからも必要になる。国がきちんと養成していかなければいけない。
使用済み核燃料の再処理は必要ない。手を加えれば加えるだけ、体積としては大きくなり、放射能が減ることもない。
放射線の被曝に関わる限り、大丈夫だとか安全という言葉を使ってはいけない。
普通の人は年1ミリシーベルト、特殊な放射線業務従事者に限って年20ミリシーベルトが許容されている。これは、125人に1人ががんで死ぬという基準値。子どもだったら、30人に1人はがんで死ぬ。
大人は福島のお米を食べる。子どもは九州のお米を食べる。このような区分が必要だ。
なーるほど、それはそうなんでしょうね。
雨には水道水よりも1桁以上高い放射能が入っている。普通の活性化やフィルターでは効果がない。マスクは効果がある。
3月15日、東京の上空にはたくさんの放射能が飛来していた。
福島第一原発から出た放射能の量は「京」の単位だ。何十京ベクレルだ。
兆とか京とか言われても、もう一つぴんと来ませんよね。すごいだろうな、というくらいです。
福島は子どもも大人も避難したほうがいい。東京だって、乳児や妊婦、胎児は、福島にはいないほうがいい。
うへーっ、そ、そうなんですか・・・。恐ろしいことです。
放射能について基準値を決めたとしても、それより下だって危険、上はもっと危険だというだけのこと。
むむむ、なるほど、これは困りましたね。
原子力推進派は、格納容器が破壊されるような事故は決して起こらないとし、そんな事故を「想定不適当事故」と名づけた。しかし、それが今回起きてしまった。
日本人は優秀だ、日本の原子力発電所だけは安全だ、こんな宣伝が、国や電力会社の積極的な宣伝もあって、日本人の心深くに住みついてしまった。しかし、実際には、日本は原子力技術後進国なのである。そこにあるのは日本人の慢心のみ。
ふむふむ、国と電力会社だけでなく、それにうまうま、いや、むざむざ乗せられて、今回、大変な痛い目にあった私たち日本国民は今や大いに反省し、心を入れかえなければいけない。痛切に、そう思います。さっと読める、いい本でした。
(2011年9月刊。1000円+税)
2011年10月18日
中東民衆革命の真実
アフリカ
著者 田原 牧 、 出版 集英社新書
2011年2月、アラブの大国エジプトで革命が成功した。30年間にわたってこの国を統治してきたムバラク政権が民衆のデモによって倒された。
エジプトの人口は国連統計で8400万人。実際はもっと多い。24歳以下の人口が半数をこえる。これって暑い国では人は長生きできないっていうことかしらん・・・?
15歳から24歳までの85%は字が読めるものの、国民全体の非識字率は3割を超える。その人々にとってはフェイスブックは無用の長物だ。
エジプト人は物知り顔で、見栄張りだ。一般にエジプト人は「口から生まれる」と言われるほどよくしゃべる。
エジプトの失業率は9%。しかし15歳から24歳までをみると33%にもなる。1日2ドル以下で暮らす人が人口の2割いる。
エジプトはイスラエルと平和条約を結んでいるが、大半のエジプト人はイスラエル人を嫌っている。和平の現実は「冷たい平和」である。
再びイスラエルと戦争したいというエジプト人は、まずいない。軍事的にも勝てる見込みは薄い。だから、エジプトの平和は屈辱によって支えられている。ところが、エジプトはイスラエルの電力施設が必要とする天然ガスの45%を供給している。矛盾ですね。
エジプトには、複数の治安機関に100万人をこす職員がいると言われてきた。不当逮捕、拷問、こうした機関に支えられた政権は西欧の基準からいうと、独裁体制以外の何者でもない。
ムバラク大統領は30年間の統治の間に、自らの腹心たちを軍から次第に内務官僚、政権与党に移していた。この変節が生んだ両者の隙間が、軍により自由な選択を許したといえる。
エジプト軍は、単なる武力集団ではない。エジプトの反体制運動の主役だったイスラーム主義者たち、とりわけ急進主義者たちは革命前夜どうしていたか。結論をいえば、昔日の影響力を失い、社会の片隅で沈黙していた。
これまでアメリカに追随してきたチュニジア、エジプトの独裁政権が倒れてしまった。アメリカの存在感は著しく凋落している。アメリカの対テロ特殊機関が捕まえたイスラム過激派をこっそりエジプトの移送し、ムバラク傘下の治安機関で拷問にかけるような秘密工作が横行していた。しかし、これからはそんな無茶は通らなくなるだろう。
1979年のイラン革命以来、30年間のアメリカの中東戦略は、戦略と呼ぶには、あまりに場当たり的で、お粗末である。
エジプト革命の実現について、現場からのレポートの一つとして興味深く読みました。中東も大きく変わりつつあります。日本も早く変えたいものです。
(2011年7月刊。760円+税)
2011年10月17日
働かないアリに意義がある
生物
著者 長谷川 英祐 、 出版 メディアファクトリー新書
アリがみんな働き者かと思うと、そうでもないようなんです。アリの面白い生態が明らかにされています。
1980年代まで、真社会性の生物は、ハチ、アリ、シロアリくらいしか知られていなかった。その後、アブラムシ、最近ではネズミ、エビ、カブトムシの仲間、さらにはカビの仲間まで真社会性と呼べる生き物がいることが分かっている。
真社会性のアブラムシには、無性世代のなかに攻撃に特化した「兵隊」がいる。
ハチやアリには司令塔はいない。では、どうやって適当な労働力を必要な仕事に適切に振り分け、コロニー全体が必要とする仕事を見事に処理できるのか・・・?
アシナガバチの女王は働きバチが巣の上で休んでいるのを見つけると、「さっさと仕事しろ!」とばかりに激しく攻撃し、エサを取りに行かせる。ところが、やられた働きバチもさるもので、巣を出ていったあと、少し離れた葉っぱの裏で何もせず、ぼんやりと過ごしている。
なーんだ、人間社会によく似ていますよね。営業マンが喫茶店で、ぼおっとコーヒーを飲んでいる光景を思い出します。
巣の中の7割の働きアリは何もしていない。案外、アリは働き者ではないのだ。
ハチもアリも、非常に若いうちは幼虫や子どもの世話をし、その次に巣の維持にかかわる仕事をし、最後に巣の外へエサをとりにいく仕事をする。このパターンは共通している。
年寄りは余命が短いから、外で死んでも損が少ないということ。すごい仕組みです。
ハウスに放たれたミツバチはなぜかすぐに数が減り、コロニーが破壊してしまう。ハウス内には、いつも狭い範囲にたくさんの花があるため、ミツバチたちは広い野外であちこちに散らばる花から散発的に蜜を集めるときより多く働かなければならない。つまり、それだけ厳しい労働環境に置かれる。この過剰労働がワーカー(ミツバチ)の寿命を縮めてしまう。うへーっ、ハウス内のほうが楽ちんかと思いきや、まるで逆なのですね・・・。
みんなが一斉に働くシステムは、同じくらい働いて、同時に全員が疲れてしまい、だれも働けなくなる時間がどうしても生まれる。だれもが必ず疲れる以上、働かないものを常に含む非効率的なシステムでこそ、種全体としては長期的な存続が可能となる。長い時間を通してみたら、そういうシステムが選ばれることになったのだ。
なるほど、ふむふむ、そうなんですね。よくぞ、ここまで観察したものです。学者は偉い!
(2011年7月15日刊。760円+税)
2011年10月16日
下町ロケット
社会
著者 池井戸 潤 、 出版 小学館
直木賞を受賞していますが、なるほど最後まで期待を裏切ることのない、面白い小説です。著者の本としては『鉄の骨』も『空飛ぶタイヤ』も読ませましたね。ロケットを飛ばしているのは日本の大企業だけではない。町工場のような中小企業がしっかり技術力で支えているからだ。こんな日本の本当の現実を痛快小説に見事に仕立て上げています。
日頃、大銀行の愛想のなさ、私も日々実感させられています。そこそこの預金と取引量があると自負しているのですが、有力地方銀行はてんで相手に(あてに)していないといった雰囲気です。この小説にも、企業が困っているときには貸し渋り、ちょっと景気が良くなるとぺこぺこして借りて下さいと頼み込む銀行支店長が登場してきます。こんなんじゃあ相手にしたくありませんよね。上から目線の銀行には、少しばかり反省してほしいものです。でも、それはまだ可愛いのかも・・・・。
東京電力の対応、そして我が九州電力も同じですが、日本のリーディングカンパニーを自称する大企業のトップの無責任さ、いいかげんさは目を覆いたくなってしまいますね。
どちらも最大の実力者である会長は椅子にしがみついて開き直るばかりです。責任とって早く辞めるべきだと思うのですが、社内には直言できる人がいないのでしょうね。残念至極です。
日本が大企業だけ成り立っているかのような錯覚と幻想をみんなで捨て去りたいものです。スーパーにしてもコンビニにしても巨大スーパー、全国チェーン店ばかりになりつつあります。身近なパパママストアーがなくなってしまったら、本当に不便な社会になってしまうのですが・・・・。こればかりは世の中の流れだからといって、手をこまねいているだけというわけにはいきません。
何のために企業はあるのか、社員は社長の「道楽」にどこまでつきあわなければいけないのか・・・・。そんな根本命題まで問いがなげかけられます。
400頁の本ですが、一心不乱、一気呵成に2時間かけて読み切り、気分がスカッとしました。
(2011年6月刊。760円+税)