弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2011年9月27日
ヒトラー『わが闘争』がたどった数奇な運命
ドイツ
著者 アントワーヌ・ヴィトキーヌ 、 出版
ヒトラーの『わが闘争』を読んだことはありません。本の名前を知っているだけです。
この本が1200万部も売れたというのに驚くほかありません。この本は内情を探り、その意味をじっくり考えています。
政治の分野で『わが闘争』ほど発行部数の多い本はこれまでにない。
1933年、ヒトラーが権力の座につくまでに、既に10万部が売れていた。第3帝国において、1200万部という恐るべき発行部数を達成していた。今でも、英語版だけで、毎年2万部の売り上げになる。
1920年2月、ドイツ労働者党の集会で30歳のヒトラーは弁舌の才で注目を集めた。
1921年7月、ヒトラーは国家社会主義ドイツ労働者党の党首になった。ヒトラーは、軍の命令で党に潜伏した若き放浪者だったが、古参党員を抑えて大抜擢された。
1923年11月。ミュンヘン一揆にヒトラーは失敗し、逮捕された。このとき、ナチス側の死者は16人、警官も4人が死んだ。ところが、クーデターは失敗したものの、ヒトラーは一躍、有名人になった。そして、刑務所には収監されたものの、独房は簡素ながらも清潔な部屋であり、食堂を自由に使うことも許された。収監されている間、ヒトラーは仲間たちと豪勢な食事をとり、何不自由なく暮らした。日に2回は面会があり、10人もの面会者があった。そこでヒトラーは『わが闘争』を自らタイプライターを打ち、ときに口述筆記させた。ヘスとの共同執筆ではなく、ヒトラーが語り、ヘスは筆記しただけである。
1920年代、テレビはまだなく、ラジオはNSDAPにとって手の届かないメディアだった。出版物や新聞こそがプロパンガンダの主要手段だった。
ヒトラーの書いたものを、近しい者が文章を直し、手を入れ、文体を整え、思想を明確にする作業をすすめた。そして、ついに700頁に及ぶ『わが闘争』が刊行された。
ヒトラーはインテリでも文学家でもなく、学歴もない。学校の成績は悪く、早々に学業を投げ出している。しかし、ヒトラーは書物を通して膨大な情報を集め、その際に立った記憶力で自分のものにした。
『わが闘争』には欠けている視点がある。経済力だ。当時、ヒトラーは、すでに実業家たちから援助を受けており、彼らを敵にまわすのは避けた。ヒトラーは社会主義色を薄め、クルップやティッセンといった大企業との関係を隠そうとはしなかった。
『わが闘争』の中で使用頻度が最も高い言葉は「ユダヤ人」である。
ヒトラーのユダヤ人嫌悪は、実に根深く、絶対的なものだ。ヒトラーはユダヤ人を非人間的な存在と見なし、人間とは異なる、動物に近い別生物のようにとらえている。
ヒトラーは『シオンの長老の議定書』というまったくのでっちあげの本を真に受けた。この本はロシアの秘密警察がつくりあげたデマだったのに・・・。
ドイツ国民が抱える挫折感、ヒトラー個人の挫折感などあらゆる挫折感に対して、すべてはユダヤ人のせいなのだという答えを見つけたというのが『わが闘争』であり、だからこそドイツ国民に受け入れられた。
ゲッペルスは、もともとはヒトラーに好意をもたず、ヒトラーと対立する派閥に属していた。しかし、『わが闘争』を読むと、たちまちヒトラーを「天才」とみて、その信奉者となった。
1932年、ドイツの経済危機が政治危機を呼んだ。この政治危機こそ、ヒトラー、そしてNSDAPを権力の座に導いた最大の要因だった。「恐慌」がドイツを襲い、人々はみな不安を抱えていた。地位を失う不安、共産党に対する不安、新進勢力への不安があった。1932年末、『わが闘争』の売り上げ部数は23万部に達した。
ヒトラーは首相になっても国費から給料をもらわないと公言し、実際に約束を守った。金融危機のもたらした多大の損失に苦しんでいたドイツの小市民たちは、ナチスの誇大宣伝を通して、ヒトラーのこの禁欲的態度を知り、大いに共感を覚えた。だが、ヒトラーは既に金持ちだったから、首相の給料など必要としなかった。『わが闘争』の印税収入だけで、数十億円もあった。
『わが闘争』を扱う出版社であるエーア出版は従業員3万5000人という大企業となり、ドイツ国内の出版社の75%を傘下におさめていた。『わが闘争』は、ヒトラーにとって「儲かる商売」であったことは間違いない。
ヒトラーは続編を企画したが、政権を握ったとき、「手の内」を明らかにしすぎることになるのを恐れて、続編の刊行を中止した。
ドイツ共産党は『わが闘争』に対して、まったくと言っていいほど無関心だった。
ヒトラーと『わが闘争』の運命は驚くほど似ている。どちらも、初めのうちは信じがたいほど過小評価され、そのことがのちの運命を決めた。
1933年、この1年だけで、100万人のドイツ人が『わが闘争』を自分の意思で購入した。企業家たちも、ヒトラーのご機嫌をとろうとして、『わが闘争』を購入して社員に配布した。クルップ、コメルツ銀行、そしてドイツ国鉄である。
ヒトラーは、ドイツ国民が『わが闘争』を注意深く読むことを恐れた。ヒトラーが戦争を望んでいることがばれてしまうから。『わが闘争』は、「白日にさらされた陰謀」だった。あまりにも大量にばらまかれたことで人々はかえって著者の意図を明確にとらえることができなくなった。
『わが闘争』の子ども向け版そして絵本も登場した。しかし、翻訳版については慎重に対処した。要するに、排外的なことを書いているため、それが外国人にバレるのを防ごうとしたわけです。
ヒトラーは裁判所に訴え出ることをいとわなかった。ヒトラーは、またもや民主主義を悪用し、民主的な思想を撃破した。
ヒトラーを再評価しようという動きが世界的にあるそうです。とんでもないことだと私は思います。
(2011年5月刊。2800円+税)