弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2011年9月16日

ああ認知症家族

人間

著者   髙見 国生 、 出版   岩波書店

 この本で、私はいくつものことを新しく学ぶことができました。あなたも私も、きっとなるかもしれないのが認知症です。この本で予習していたら損はしないと思います。
 認知症になった家族をかかえて悩んでいるとき、そうか、これが人生というものかと納得できたりする。いまは認知症新時代。その前に旧時代があった。認知症を取りまく環境は、この30年のあいだに確実に変わった。間違いなく進歩している。
 旧時代には痴呆症老人と呼ばれていた。
 家族もつらい思いをしていたけれど、本人が一番つらい思いをしているんじゃないか。
2004年、それを発見・確認した。何も分からない、何もできないと思われていた認知症の人が自らの思いを語ったとき、聞く人すべてに衝撃を与えた。それから認知症新時代が始まった。
 著者は家中を徘徊する母親への防御策として、家の中に「安全地帯」をつくった。カギを付けて母親荒らされない場所だ。台所の流し台の前にはベニヤ板3枚を立てて壁をつくった。冷蔵庫のドアはひもでくくりつけ、食器棚は裏返しにし、押し入れには南京錠をつけた。すごいですね。ここまでしないといけないのですね。
 いま認知症の患者は日本全国に200万人はいる。家族の会は、30年前に京都で90人が集まって始まり、今では46都道府県に支部があって、1万人をこす会員がいる。
 人間は誰しも認知症になる可能性がある。だから、ぼけのない社会を、とか、ぼけを予防しようということではない。ぼけても安心して暮らせる社会、ぼけがなかったら、もっと安心して暮らせる社会を目ざしている。
 認知症の人は知的な部分は欠落しているが、うれしいことや悲しいこと、楽しいことは分かっている。また、家族や他人を思いやる心も残っている。
 ぼけても心は生きている。認知症という病気になっても人間としての価値は少しもなくなっていない。そうなんですか、そうなんですね。このところがもっとも抜けやすいところですね。目の前の本人を見ていると・・・。
 がんばりすぎると、燃え尽きてしまうことがある。がんばりすぎないけれど、あきらめない。
 体が元気だからこそ、介護が大変。これが認知症の特徴。ところが、要介護度の認定は基本的に寝たきりの人をモデルとしてつくられた。そこに大きな矛盾があった。
 認知症の人のもの忘れは、経験したことをそっくり忘れる。普通のもの忘れは、何を食べたかを忘れる。しかし、認知症の人は、食べたこと自体を忘れる。
 認知症の人のもの忘れは、新しいことから忘れている。つまり、昔に戻って生きている。
 80歳の女性が、今50歳だと答えたとき、50歳からあとの人生をすっかり忘れて、50歳の時代、30年前の自分に戻っている。
 認知症の人は、夫を忘れたり息子を忘れたりしているのではない。凛々しかった夫、可愛かった息子を大切に秘めて生きているのだ。だから、目の前の夫や息子に「おたく、どちらさん?」と尋ねるのも当たりまえのこと。認知症の人は、何十年か前にさかのぼった時代に戻って生きている。このことが分かれば、認知症の人の不思議な言動を理解することができる。
 うえーっ、そうなんですか。なるほど、なーるほど、よく分かりました。
認知症の人の言動にはその人なりの真実がある。
 こう言われてみると、よくよく理解できますね。ただ、そうは言っても、現実に面倒みるのは本当に大変なことだと思います。とてもじゃないけれど、家族だけでは支えきれません。社会が施設、費用の点でよくよく考えて受け入れるべきですよね。だって、だれだってなる可能性があるわけですからね。
 アメリカのレーガン、フランスのミッテラン、この有名な2人の元大統領は、いずれもアルツハイマーになったと聞いています。一読を強くおすすめします。
(2011年11月刊。1500円+税)
 福岡県弁護士会の月報の表紙に私がフランスで撮った写真を載せてもらいました。シャモニーとアヌシーです。「うまくなったね」と声をかけてもらいました。私は、「元手がかかってますから・・・」とこたえました。
 私個人のブログにもフランスの旅行記のブログをのせています。のぞいてみてください。

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