弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2011年8月11日

十字軍物語 1

ヨーロッパ

著者  塩野 七生    、 出版  新潮社 

 十字軍の実態を知れば知るほど、キリスト教っていいかげんな宗教じゃないのかなと感じます。教皇と王とは、世俗の君主として権力争いをしていたのですよね。そこには、大義も何もあったものじゃありません。そして、イスラム教徒に支配される聖都イエルサレムを奪還しようと教皇が呼びかけ、それに応じて真っ先に行動したのが貧者の軍隊でした。ところが、イエルサレムに向かって行進していくうちに霧消していくのも哀れです。
 カノッサの屈辱は1077年のこと。法王の反対を無視した皇帝を法王は破門に処した。破門とは、当時、社会からの全面的な追放を意味していた。そこで、皇帝は法王が滞在中のカノッサの城の前に、降りしきる1月の雪のなか、裸足で立ち尽くしたのだった。
 ときに得意絶頂の法王は57歳。皇帝はまだ27歳だった。カノッサで受けた屈辱を忘れなかった皇帝は、軍事力で法王を追いつめると同時に教会の内部を分裂させることで対立法王を選出させ、ローマ法王のもつ権威を足許から崩す策に出ていた。
 イスラムの支配するなかでキリスト教徒たちは既に300年以上も生きてきた。この地方に住む人々からローマ法王に対して現状から解放してほしいと求めた史実はない。法王に援軍の派遣を求めたのは、かつてビザンチン帝国領であった中近東を取り戻したいと欲したビザンチン帝国の皇帝だった。
 法王の呼びかけに応じて最初に東方に向かってヨーロッパを発ったのは、隠者ピエールの率いる貧民から成る十字軍だった。貧民十字軍には、人的犠牲にはまったく無関心という絶対的な強みがあった。それにしても哀れな末路でした。教会って無責任ですよ。
 法王には、十字軍を成功させることで法王の権威を強化し、それによって皇帝の権力を弱体化させようとする思いがあった。
 この当時はまだ中央集権ではなかった。11世紀の諸君たちは皇帝や王に対して地位は下でも、実力では劣る存在ではなかった。公爵や伯爵とは呼ばれていても、これらの諸侯が領土を持っていたのは、皇帝や王から与えられたからではない。彼らのほうがすでに領土を持っていて、その状況下で、まあ、あの男ならば今のところは不都合はないだろう、とした人物に、皇帝なり王なりへの忠誠を一応は誓うのである。自らの力で獲得し、自らの力で保持する領国の主(あるじ)であり、それに欠くことのできない軍事力として血のつながりのある一族郎党を率いるボスだった。貴族とも言われていたが、その実態は豪族であり、部族であった。
 十字軍には、最高司令官は最初から最期まで存在しなかった。だから、指令系統の一元化はついに成らなかった。貧民十字軍は、聖地に近づく前に、小アジアに足を踏み入れたとたんに消滅してしまった。
 十字軍との戦いで敗北したセルジュク・トルコ軍は大軍を結集しての会戦方式ではなく、少ない兵力を駆使してのゲリラ戦法に変えた。そして、ゲリラ戦法だけでなく、焦土作戦にも打って出た。
すべては領土の問題であって、宗教の問題ではなかった。イスラム側が、十字軍とは神の旗のもとにまとまった軍勢であり、十字軍遠征の目的が、イスラムを撃退し、その地に十字軍国家をうちたてることにあるのを知るのは、80年後のサラディンの時代だった。それまでは、イスラム教徒の大半は、十字軍を領土獲得を目的とする侵略軍と思い込んでいた。
 力だのみの野蛮な十字軍将兵の実像が描かれています。だから、現代世界でレーガンでしたか、十字軍なんて言うと、野蛮とか残虐というイメージにつながるのですね。

(2010年9月刊。2500円+税)

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