弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2011年8月 4日

チリ33人、生存と救出、知られざる記録

アメリカ

著者    ジョナサン・フランクリン  、 出版   共同通信社

 坑道の内部は、気温が32度より下がることはほとんどない。男たちは1日に3リットルの水をがぶ飲みしても脱水症状ぎりぎりの境目におかれる。仕事は7日勤務の7日休みというシフトだ。
 この日、8月5日、鉱山の奥深くでは、男たちが押し寄せる粉じんの嵐に直面し、それは6時間にわたって続いた。落ちてきた岩の塊は当初考えられたよりもはるかに大きく、長さ90メートル、幅30メートル、高さ120メートルもあって、まるで大型船のようだった。
若い経験不足の鉱山労働者の何人かは、パニックになりはじめた。もっとも若い19歳のサンチェスは幻想を起こした。他の男たちは感情的な衝撃の試練に対応できず。ただ凍りついていた。一日中ベッドにいて、起き上がらなかった。時間は耐えがたいほど、ゆっくり過ぎていった。深い沈黙がその隙間を満たした。
 食糧貯蔵庫には、水10リットル、モモ缶詰1個、エンドウマメ缶詰2個、トマト缶詰1個、牛乳16リットル(バナナ味8リットルとイチゴ味8リットル)、ジュース18リットル、ツナ缶詰20個、クラッカー96袋、マメ缶詰4個。これは正常な環境なら、作業員10人の48時間分の食欲を満たすだけの量だ。
シェルターの食料は、厳重な監視下にあった。あらゆることについて投票で決した。男たちは1日に1回、ほんの少しを食べることで合意した。カートン入りの牛乳の半分は、とっくに期限切れだった。中身が熱で凝固し、バナナ味の塊に変質していた。
水は大量に保管されていて、限られてはいたものの空気も十分だったので、労働者の主な心配は食料だった。一日の最低割りあてのカロリー量はツナ缶が25キロカロリー、ミルクが75キロカロリーだった。これは継続不能なほどのダイエットを意味した。それでも、水の供給に制限がないため、4~6週間は生き延びられるはずだった。
 鉱山の安全シェルターは裏庭のプールのほどの大きさだ。だから、技術者たちが掘削の狙いをわずか5センチ外すと、地下700メートルのレベルでは数百メートルの誤差になってしまう。
 男たちは体毛が異常に伸び、胸や足の皮膚にシミが浮いてくるようになった。カビが体に取りつき、広がっていった。口内炎ができた。
 閉じ込められて5日目に、かすかな音が男たちに振動を伝えてきた。この振動は、どれだけ励ましたことでしょう。
 9日目になると、食料の割りあては、さらに減った。食事は24時間おきだったのが、36時間おきになった。
 15日目に、食料が底をついた。地底の男たちは死ぬことを覚悟した。
 16日目。ツナ缶が残り2個となったので、2日ごとに一口食べるのを3日ごとに延長した。疲労困憊したから、斜面の30メートル上にあるトイレに行くのも大仕事になった。
 17日目、ドリルが突き抜けてきた。地上でも地下の音がかすかに聞こえてきた。
そのドリルにこんなメッセージを結びつけたのです。
「われわれは元気で避難所にいる。33人」
 なんというメッセージでしょう。泥のなかから紙切れを見つけて読むと鳥肌が立った。そうでしょうね。すごい一瞬です。直ちにチリの大統領が現地にやってきました。そこには、アジェンデ元大統領の娘イザベル上院議員の姿もありました。さあ、いよいよ救出作戦の開始です。
最初の48時間、食べ物を期待していたのに、固形の食べ物は与えられなかった。薬を飲み、ブドウ糖とボトルの水をゆっくり摂取した。急に食事を与えると、体内である種の化学連鎖反応を引き起こし、心臓から必須のミネラルを流出させ、心停止を起こして即死させてしまう危険があった。
 そして地底の男たちが欲しかったのは、一本の歯ブラシだった。なーるほど、そうなんですね・・・。
 発見後の救出がいかに大変だったのか、いろんな角度から紹介されています。その一つが、仲間割れでした。閉じ込められた男たちは、終盤にますます不安で怒りっぽくなる。人々は縄張り根性をもつ。
 救出費用は2000万ドルかかったそうです。日本も、宇宙日本食、消臭肌着・Tシャツ、ストレス解消のためのオモチャ「プッチンスカット」など送って、かなり役立ったとのことです。
 極限状態に置かれた人間の行動をも知ることのできる貴重な本です。
(2011年3月刊。2600円+税)

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー