弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2011年7月12日

韓国戦争(第6巻)

日本史(明治)

著者    韓国国防軍史研究所  、 出版   かや書房

 ついに韓国戦争シリーズも第6巻、最終巻となりました。休戦の成立です。貴重な人命が惜しげもなくうち捨てられて、犠牲となっていく情景描写は、戦争のむごさを痛感させ、胸を痛めながら最後まで読み通しました。
 1952年夏、戦線が膠着した状況で、共産軍側の軍事力は日ごとに増強されていった。7月、中共軍63万人、北朝鮮軍28万人の計91万人だったが、9月には合計100万人をこえた。兵力だけではなく、砲兵火力も大幅に増強させた。共産軍の装備補充のなかでもっとも不足していたのは、通信装備の部門だった。
 国連軍司令官クラーク大将は、最小限の犠牲を持って最大限の軍事的圧迫を駆使できるのは空軍力だけだと強調した。航空圧迫作戦の主要な特徴は、第一に制空権の獲得、第二に、敵に最大限の犠牲を強いるものであること、第三に、地上軍の脅威を減少させること。
 そこで、国連軍は北朝鮮の発電施設に対する大々的な攻撃を実施した。韓国内の500機以上の航空機を総動員して編成された大規模作戦だった。7月には、米第五空軍と米海軍の航空機822機が三派に分かれて平壌大空襲を実施した。11時間のうちに
1400トンの爆弾と2万3000ガロンのナパーム弾が平壌に投下された。これってすさまじい量ですよね。
 1953年3月5日、ソ連のスターリン首相が脳出血のため突然死亡した。このスターリンの死は、国際情勢と朝鮮戦争に大きな変革を意味した。スターリンの死後、ソ連政府は朝鮮戦争を終結させるとの結論を出した。金日成もそれに従った。
 5月、国連軍は北朝鮮軍捕虜5194人、中共軍1030人、民間人拘留者446人を共産軍側に引き渡した。このとき、共産軍側は、684人の捕虜を引き渡しただけだった。
 1953年5月から最後の攻勢と呼ばれる軍事作戦が展開された。アイゼンハワー大統領は、板門店での膠着状態を打開するため、核兵器の使用を考慮していることを中国側に暗示した。この核兵器戦略は、作戦交渉に決定的な影響力をもっていた。アメリカ軍は、40キロトン核爆弾で平壌を攻撃する計画を立てていた。うひゃあ、これってとても怖いことです。つかわれなくて幸いでした。
 1953年4月、共産軍の総兵力は180万人。そのうち中共軍が19コ軍135万人、北朝鮮軍が6コ軍国45万人だった。
 中共軍は午前2時ころ、砲撃に続き、笛を吹き鉦(かね、ドラ)を打ち鳴らしながら、気勢をあげつつ、闇をついて攻撃してきた。
 アメリカ軍が待ちかまえる近代戦の最前線でこのような非情な捨て身作戦が敢行されていたという事実に戦慄を覚えます。
 韓国戦争は、その実情に照らして内戦とは規定できない。韓国軍63万人、国連軍55万人をふくむ119万人の戦死傷者を出した。それに対して、北朝鮮軍80万人、中共軍
123万人、計204万人の死傷者を出した。このほか民間人の死傷者は249万人に達し、323万人の避難民が発生した。
 統一は、平和的な手段によって成し遂げなければならないという貴重な教訓を得た。
この最後の言葉は重いですよね。これで何とか6巻を読み通すことができました。お疲れさまです。朝鮮半島で再び戦争が起きることのないことを心から願います。いずれ近いうちに平和に統一が達成されることを願うばかりです。
(2010年12月刊。2500円+税)

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