弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2011年7月 3日

歴史のなかの江戸時代

日本史(江戸)

著者  速水 融    、 出版  藤原書店 

 江戸時代のイメージは、ひと昔前まで暗かった。搾取と貧困。鎮国、義理人情。これらが江戸時代をあらわす常套句だった。
 ところが、江戸ブームが起こって、一転して賛美する風潮になった。今度は、江戸時代は決してバラ色ではなく、少なからず暗黒面を有する社会であったと述べざるをえない状況になった。
天保の大飢饉といっても、じつは飢饉以上に感染症による被害が大きかった。都市における公衆衛生の欠如から、平均寿命も実は農村より都市のほうが短かった。
庶民を対象とする寺子屋の存在は大きく、基本的な読み書きソロバンの教育により、地域差はあっても一般庶民の識字率はかなり高かった。そこで、出版物の市場が開け、多数の書籍が世に出た。貸本屋によって村々をまわり、書籍が買えない人にも余沢が与えられた。民衆全員が知的好奇心にあふれる社会が出現した。
日本人って、本当に昔から好奇心のかたまりだったようですね。
 江戸時代に農産物の生産量はかなり増大していった。武士層は剰余部分を自分のものにするのに失敗し、商人と農民が手にした。農民の生活水準は向上していった。
 中下層の商人もビジネスチャンスを求めて走り回った。ひとり乗り遅れた武士層は、本来、政治支配層であるのに貧窮化する。藩全体としても貧窮化がすすみ、武士層の富商からの献金・借財は増え続け、中下級の武士のなかには「御仕法替え」と呼ばれた一種の破産宣告を受け、年貢の収取権を失い、決められた額でのつつましい生活を余儀なくされた者までいた。実は、江戸時代が本当に封建社会だったのか、大いに疑問なのである。
 江戸時代の人々は、都会でも田舎でも、非常に穏やかに生活していた。殺しのようなものは、ほとんどなかった。
朝鮮貿易は、ある時期、長崎での中国・オランダ貿易よりも多く取引されていたこともあった。これは、対馬藩が貿易の実態を江戸の幕府に極力隠していたために、最近まで判明しなかった。釜山の倭館には、500人から1000人もの日本人の住む町があった。朝鮮貿易は、銀のほか朝鮮人参、白糸が入ってきていた。
幕府としても、中国大陸で何が起きているかを正確にキャッチしたい。その情報網が必要だった。
 徳川幕府は、日本の銀を朝鮮から結局、中国へ輸出していた。そして、代わりに日本は金を輸入していた。日本は金の島ではなく、銀の島だった。
 江戸時代、年貢は高いとしても、相続税はないし、消費税などの財産税もなかった。
江戸では、武士も町人も一緒になって生活していて、士農工商と、はっきり分けられてはいなかった。
日本人が裁判を重視する習慣は鎌倉時代にまでさかのぼる。
 ザビエルが日本に来て、日本人が次々にとんでもなく難しい質問するので、朝も夜も眠れない、これは法難であると嘆いた。好奇心のかたまりの日本人から質問責めにあって困ったという話です。うそのような本当の話です。
 江戸時代についてのステロタイプな常識を見事にひっくり返してくれる本です。
(2011年3月刊。3000円+税)

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