弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2011年5月19日

王朝文学の楽しみ

日本史

著者    尾崎 左永子 、 出版   岩波新書

「枕草子」の書き出し、春は曙・・・をフランス語訳で読み、それがすっかり気に入って、丸暗記するまでには至っていませんが、何度となく朝に繰り返しています。とてもよく出来たフランス語訳なのです。プロはさすがです。
古典を読むのには、「じっくり、しっかり、ゆっくり」読む法(A)と、何が書いてあるのか、さらっと「ななめ読み」しながら、興味を持ったところに眼を止めて、そこを詳細に読む法(B)とがある。このA法とB法をうまく組み合わせるのが、一番自分に適した読み方を身につける早道だ。私は、この指摘に文句なしに大賛成です。
同じ日本語でも古語と現代語で意味が異なるのですね。たとえば、
やがて・・・・現代語は「しばらくして」、古語では「そのまま」
やをら・・・・現代語は「急に、突然」、古語では「静かに、音を立てずに」
あたらし・・・・現代語は「新しい」、古語では「もったいないことに」
ゆかし・・・・現代語は「控え目で教養の深い」、古語では「見たい、知りたい」
恥(はずか)しは、古語では、褒めことばだ。あまりに立派で、こちらが恥じてしまうほど、見事な態度という意味。うむむ、こんな違いがあるのですね。
『源氏物語』の原文を読み進めるには、『古今和歌集』を十分に身につけていないと、理解が行き届かない。この『古今和歌集』も、当時の王朝人にとっては「現代詩」だった。なーるほど、もちろん、そういうことだったのしょうね・・・。
平安時代、紙は貴重なものだった。『源氏物語』の著者がなぜ厖大な紙を使えたのか。そこに強力な後援者がいたから。『枕草子』には、これを書くのに定子皇后から多くの紙を賜ったことが記されている。『和泉式部日記』についても、和泉式部は道長のすすめがあって書いた。このように、はじめに紙ありき。紙は道長の権威の象徴でもある。
『源氏物語』について、戦時中は、天皇崇拝の軍部指導下にあったから、宮廷内の不倫を題材とするこの物語は、触れてはならぬもののように扱われていた。
『源氏物語』には流麗な文章が小気味よく続いている。それは必ず、和歌が下敷きになっていた。音声的伸動、すなわち五七五七七の歌の伸調が筆致のなかに自然に生かされている。その意味で『源氏物語』は、根本的に「歌物語」なのである。
平安時代の貴族の恋愛が成就するまでには、多くの恋文がいきかった。それは主として歌であり、そこに多少の文章が添えたれた。
当時は、現代のような「信書の秘密」はない。届いた恋文は、姫君に届く前に、周囲にいる乳母(めのと)やお付きの女房たちの審査を経ることになる。恋文の巧拙、文字の巧拙、紙の色合いや、添える折り枝の取り合わせ、届けるタイミングに至るまで、その審査の対象となる。そこで合格となって初めて姫君に恋文を見せる。姫君がよいと言えば、返事を出す。
左手使いのことを「左ぎっちょ」というのは、毬杖(ぎっちょう)からきたもの毬杖とは、馬に乗って毬(まり)を打つ、今でいうとポロ競技のようなもの。なーるほど、そういうことだったのですか・・・。
日本の古典にも改めて親しみたいものだと思いました。
(2011年2月刊。760円+税)

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー