弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2011年3月15日

日露戦争を世界はどう報じたか

日本史(明治)

著者  平間  洋一、   芙蓉書房出版 
 
 日露戦争について、世界がどう見ていたのかという面白い視点でとらえた珍しい本だと思いました。日露戦争の前、ロシアの新聞では極東の日本の珍しさについての報道が多く、遠い国であり、ロシアと利害関係が衝突するというイメージの記事はなかった。日本は韓国における今の利益を守ろうとしているだけで、それ以外のことは追及していない。ロシアとの摩擦は無意味だ、と伝えていた。その後も、ロシアのマスコミは、読者に、日本との戦争は起きないという希望的観測を流し続け、ヨーロッパからの日本が戦争を準備しているとの情報を否定していた。いよいよ情報が緊迫してくると、白人キリスト教の精神文化と異教徒の黄色い人種の精神文化とのすさまじい衝突に直面している。白色人種が勝利をおさめるだろうという記事がのった。開戦当初は、案外に日本兵士はよく整備され、勇ましく、毅然とした積極果敢な兵士であると評価する記事がのった。
 1904年6月、イギリスの『タイムズ』にレフ・トルストイが戦争を批判する文章を発表した。「戦争がまた起こった。何人もの無用無益なる疾苦、ここに再び人類の愚妄残忍また、ここに再び起きる」
 そして、日本でもトルストイの影響を受け、与謝野晶子が『明星』に「君、死にたまうことなかれ」を発表し、論争が起きた。与謝野晶子とトルストイが同じようなことを世間にアピールしていたとは知りませんでした。
 旅順が陥落したあと、バルチック艦隊の行動が新聞の注目をあびた。イギリスのある提督は、東郷とロジェストウェンスキーの戦いは日本が勝つ。艦船の数が多くとも、砲手の技量は日本兵のほうがロシア兵よりも優れているからだと、その理由を述べた。うへーっ、見る人は見ていたのですね・・・・。
 意外なことに、文豪のマクシム・ゴーリキーは、戦争の継続を支持した。しかし、それは、愛国主義の立場からではなく、国内の政治改革に役立つからというものだった。なるほど、そういう視点もあるわけですね。
中国では新聞社が壊滅状態だった。若い光緒帝の支持の下にすすめられていた戊戌維新は、かの西太后の弾圧によって失敗し、活気をみせていた新聞も、そのほとんどが閉鎖され、停刊に追い込まれた。1902年ころ、中国には、わずか20数社の新聞社しか残っていなかった。それも中国南部に集中し、北部中国には4~5社しか新聞社はなかった。4億人の人口を有する中国に20数社の新聞紙しかないことは、中国政府の言論に対する取り締まりの厳しさが反映している。いやはや、閉鎖的な言論統制は国の発展を妨げるのですね。
アメリカ国民は、日露戦争のあいだ、 日本が利他的な動機、つまり門戸開放原則を守るために戦っていると信じていた。だから、戦後の日本が満州利権を独占しようと動いていることを知ると、対日世論が悪化する一因となった。ふむふむ、イメージというのは騙し騙されやすいものなんですよね。
 開戦の前から黄禍論はヨーロッパのメディアをにぎわしていた。開戦と同時に、黄禍の脅威の主張がロシアだけでなく、フランスやドイツでも高まった。日露戦争において、日本はヨーロッパの当初の予想をこえて海陸で戦勝を続けた。このため、新たな黄色人種によるアジアの列強の登場を心配する声が増えていった。
 日露戦争を世界史のなかでとらえるうえで大いに目を開くことのできる本です。
(2010年5月刊。1900円+税)

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