弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2011年1月 8日

大名行列の秘密

日本史(江戸)

 著者 安藤 優一郎、 NHK生活新書 出版 
 
 加賀百万石の前田家の大名行列はなんと4000人が参加していたというのです。信じられませんよね。駕籠に乗った殿様も優雅な旅を楽しんでいたというより、難行苦行だったようです。薄い蒲団しか敷かれていないので腰も足も痛い。朝から夕方まで乗り通しの火が何日も続くと、殿様の苦痛も並大抵ではなかった。
 殿様は、食事の好き嫌いを口に出すことは許されなかった。そして、出された食事は規定どおりの量を残さず食べなければならなかった。そうしないと、料理人の責任問題が派生する。
ええーっ、殿様って、わがまま放題かと思っていました・・・・。違うんですねっ。
大名行列の大半は、150人から300人くらい。江戸に入るときには、江戸屋敷結の家臣や江戸で雇用した人足たちが行列の半分以上を占めていた。これって、今の不正規雇用労働者ですね。
大名行列は一日に平均32~36キロは歩いた。盛岡藩南部家の記録によると、平均して一日に43~46キロ歩いた。ときに50キロも歩いた日がある。うへーっ、これってす、すごいことですよね。
 殿様専用の風呂桶を運び、また、携帯用トイレまで運んでいた。そして、とまりの本陣の殿様の寝床の下には、持参した鉄の延べ板を敷いた。床下に刺客が忍び込んでも殿様は守れるというわけだ。
飲料水も、江戸から国元までの道中で必要な分を持ち運んでいた。
前田家の場合、参勤に擁する日数は12泊13日というのが多かった。暮れ六ツ泊まり七ツ立ち。暮れ六ツ(午後6時)に旅宿に到着し、翌朝七ツ時(午前4時)には出発する。当時は左側通行が基本だった。
 京都は大名行列が立ち入ってはならないところだった。幕府が禁じていた。朝廷と諸大名とが結びつくことを幕府は警戒した。
昔から日本人が旅行好きだったことも明らかにされています。江戸時代の一端を楽しく知ることができました。 
(2010年3月刊。700円+税)

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