弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2010年12月 9日

ヒトラーとシュタウフェンベルク家

ドイツ

著者:ペーター・ホフマン、出版社:原書房

 映画「ワルキューレ」は残念ながら見逃してしまいました。なるべく話題作の映画はみたいと思っているのですが、それなりに仕事をかかえていますので、なかなか思うようにはいきません。
 この本を読むと、ドイツ国防軍のなかはナチス・ヒトラー一辺倒ではなかったことがよく分かります。少なくともヒトラーへの幻想がさめてからは、反ヒトラーの気分が横溢していたようです。それは、対ソ連戦で予想外に大敗してしまったこと、ユダヤ人の大量虐殺現場を見てしまった(知った)ことによるようです。
 ヒトラー暗殺に失敗してしまったけれど、あと一歩で成功するところではあったシュタウフェンベルクは、ドイツの由緒正しい貴族出身でした。ヨーロッパでは現在なお貴族の家柄が生きているそうです。そのときの条件は背の高いことだそうですので、私などは、それだけでなれないというわけです。ずんぐりむっくりの貴族というのはいないのです。
 ダンケルクからイギリス軍の逃走を許してしまったことについて、シュタウンフェンベルクは、マンシュタイン将軍の功績と考え、ダンケルク戦についてヒトラーを非難した。ヒトラーの誤った命令のせいで、敗走するイギリス軍を逃した。軽蔑をこめてヒトラーを非難した。ヒトラーについて、決して軍事専門家とは認めなかった。ただ、その軍事的才能は認めていた。
 1942年5月、シュタウンフェンベルクは、ユダヤ人の大量虐殺を知り、ヒトラーを排除しなければならないと考えた。上級将校には、それを実行に移す義務があると信じていた。
 1942年8月、シュタウンフェンベルクは親友のヨアヒム・クーン少佐に、ユダヤ人などへの扱いを見ると、ヒトラーの戦争が醜悪であること、ヒトラーが戦争の原因について嘘をついていたこと、したがってヒトラーは排除されるべきだと語った。
 ただし、1942年にはドイツで1000人をこえる将兵が軍法会議で死刑に処せられていた。ヒトラー反対を唱えるのは、とても危険なことだった。
 1943年4月、シュタウンフェンベルクはアフリカのロンメル軍団のなかにいて、イギリス軍の爆撃で倒れた。右手の手首から上を切断し、左手の小指と薬指、そして左目も切除しなければならなかった。
 この年、1943年2月、ミュンヘン大学で「白バラ」グループの反戦活動が発覚し、首謀者たちは死刑(斬首)に処せられていた。
 ヒトラーを打倒するには、精力的な中心組織と強力なリーダーシップが必要だが、それに欠けていた。
 ヒトラーは、グデーリアン大将、クルーゲ元帥などを大金で買収した。
 ヒトラーを暗殺したとの暫定的な元首・軍の最高司令官は、ベック大将が引き受けることになっていた。
 ヒットラー暗殺を志願する若手の将校はたくさんいた。しかし、彼らはヒトラーに近づくことが出来ない。
 シュタウンフェンベルクは、ヒトラー暗殺に成功したら、生きてベルリンに戻ってクーデターの指揮をとる必要があった。
 ヒトラー暗殺計画はよく練りあげられていました。しかし、結局のところ、制度を運営する人間が肝心です。シュタウンフェンベルクは、すさまじいほどの緊張の下で生きていたようです。よくぞそれに耐えて実行したものです。
 ヒトラー暗殺計画について、さらに少しばかり戦場感覚をつかんだ気がします。
(2010年8月刊、3200円+税)

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