弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2010年12月25日

古代ローマ人の24時間

世界(ヨーロッパ)

 著者 アルベルト・アンジェラ 、河出書房新社 出版 
 
 私は残念ながらイタリアにはちらっとしか行ったことがありません。北部にあるコモとミラノに行ったくらいで、ローマには行っていません。有名なポンペイにも行ってみたいのですが・・・・。
この本では、ローマ帝政時代のローマ人の24時間が再現されています。なるほど、そうだったのかと思うところが多々ありました。日の出前から話は始まります。
ローマの通りには照明というのもがまったくない。ローマは150万人もの人口をかかえる大都市なのに、夜明け前だけは静かなのだ・・・・、と思ったら、その次には、犬が遠吠えして、騒音が聞こえてきた。ローマは決して眠ることのない都市なのである。
 紀元2世紀、ローマ帝国は栄華の絶頂期にあった。ローマ時代の裕福な家庭の夫婦は別々の寝室で眠るのが「優雅なこと」とされてきた。
 ローマ人は、朝起きて、すぐに服を着替えることはしない、というより、寝るときにも服を脱がず、半分服を着たまま眠る習慣が広くみられた。昼のあいだ着ていたトゥニカが寝間着がわりになっていた。ただし、古代ローマ人は毎日浴場に通っていたし、ベッドに入る数時間前に身体を洗っていたから、清潔ではあった。通常、ローマ人の人々が公共浴場に行くのは昼食後である。
 裕福な人々は、外出の際には、必ずローマ市民にとっての正装であるトガを着用した。
 トガは、現在の「スーツにネクタイ」のようなものである。平均的なトガは、直径が6メートルもある半円形をしていて、トガをまとうときには奴隷に手伝ってもらう必要があった。ローマ市民だけがトガの着用を許され、外国人や奴隷・解放奴隷が着るのは禁じられていた。ところが、女性にとってトガは、姦通の罪を犯した印か、あるいは娼婦の服装なのである。
古代ローマ人は靴下を履いていない。
古代ローマにおいては正確な時計がなかったので、分や秒という単位は存在しなかった。時間は、常に一定ということではなく、季節によって異なっていた。
 ローマ帝国では、どこでも最上階の借家人は乏しく、2階に住むのは裕福な者と決まっていた。
古代ローマでは、本質的に宗教は平等だった。侵攻の自由は帝国の安定のための重要な戦略となっていた。信仰の自由を認めることによって社会的緊張や反乱が避けられた。ただし、ローマ皇帝のためにも祭儀をおこなうことが条件とはなっていた。
 ローマ帝国は、貧困層を中心とする市民の援助に力を入れていた。パンや小麦粉などの最低限必要な食品を無料ないし低価格で配っていた。15万から17万世帯、ローマ人の全人口の3分の1が配給を受けていた。
 ローマ人の寿命は短く、男性は41歳、女性は29歳だった。女性は、出産時の死亡率が高かった。
ローマ市民は5人~12人の奴隷をかかえていた。農場になると、2~3000人という奴隷をかかえているところもあった。ローマ市民の多くが解放奴隷や元奴隷の子孫であった。
コロッセウムでは、最初に野獣狩り、続いて犯罪人の公開処刑、そして午後になって待ちに待った剣闘士どうしの戦いが始まる。この順番は、ローマ帝国のどこでも変わらない。
 コロッセウムでは、下に行くほど社会的地位の高い人が座る。コロッセウムで、わずか3日間で2400人もの剣闘士が闘ったという記録もある。死刑囚と剣闘士たちが月に50~100人亡くなっていたとして、ローマ時代には27~50万人もの人々が死んでいった計算となる。どうぞ、続きは本を買って読んでください。なかなかに面白い本でした。
 
(2009年7月刊。2400円+税)

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