弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2010年9月27日

サラの鍵

世界(フランス)

 著者 タチアナ・ドロネ、 新潮クレスト・ブックス 出版 
 
 久しぶりに、読んでいる途中から涙が止まらなくなりました。沖縄からの飛行機のなかで読んでいましたが、隣の男性を気にせずハンカチで涙をしきりに拭いてしまいました。
 大変なストーリー・テラーだと驚嘆しました。あなたにも強く一読をおすすめします。
 第二次世界大戦が始まって4年目、1942年7月16日の早朝、パリ市内外のユダヤ人1万3152人が一斉に検挙され、パリ市内にあったヴェロドーム、ディヴェール(冬の自転車競技施設。屋内競技場)に連行され、押し込められた。そこには4115人の子どもたちも含まれていた。トイレも使えず、満足な食事も与えられないまま、6日間、この競技場に留め置かれたあと、彼らのほぼ全員がアウシュヴィッツに送られ、殺された。戦後、生還できたものは400人足らずでしかなかった。大人と違って、子どもたちは選別されることもなく、死に直行させられたのでした。
 誰が、この一斉検挙を企画し、実行したか。当時、パリはナチス・ドイツ軍に占領されていた。フランスのヴィシー政権は、ユダヤ人身分法を成立させるなど、ユダヤ人を迫害していた。この一斉検挙も、フランス警察が立案し、実行したのだった。
1995年7月16日、シラク大統領(当時)は、この事件について国家として正式に謝罪した。53年前に450人のフランス警官がユダヤ人の一斉検挙を行い、彼らを無残な死に追いやったことをはっきり認め、それを謝罪した。
 シラク大統領の演説を聞いて、この事件をはじめて知ったというフランス人も少なくなかった。1961年生まれの著者(当時34歳)もその一人だった。学校では教えられなかったこの事件を聞いてショックを受けた彼女は、もっと事件のことを知りたいと思い、調べはじめた。子どもたちのたどった悲惨な運命を決して埋もれさせてはいけないという使命感が膨らんでいった。そして、単なる歴史書ではなく、その悲劇を現代に生きる我々の胸によみがえらせ、我々のドラマとして共有しようと思った。その思いが見事に結実した小説です。
 この日、警官に連行される直前、10歳の少女サラは弟のミシェルを姉弟だけの秘密の納戸に隠し、鍵をかけた。「あとで戻ってきて、出してあげる。絶対に」と言って。しかし、サラは訳も分からないうちに強制収容所に入れられ、両親とも離れ離れにさせられた。パリの自宅に戻るどころではない。しかし、奇跡的にも脱走に成功し、ついにパリの自宅に戻ることが出来た。そして例の網戸を開けたときにサラが見たものは・・・・。 
 ユダヤ人一家を追い出したあと、「何も知らない」フランス人の家族がそこに移り住んでいます。そして、元の所有者であるユダヤ人の娘が登場したときに・・・・。
 過去の忌まわしい出来事を今さらほじくり返して何になるのか、そんなことは忘れ去ったほうがいいだけだ・・・・。
 フランス人の夫をもつアメリカ人ジャーナリストである主人公が事件を調べはじめると、そんな非難がごうごうと夫の家族から湧きあがってきます。それでも調査をすすめていと・・・・。いくつもの意外な展開があり、予断を許しません。次の展開を知りたくて、頁をめくる手がもどかしくなります。
 自分の親が若いときに何をしていたのか。これって、自分とはどういう存在なのか、それを考えるうえで欠かせないものではないでしょうか。10代のころの私は、恥ずかしながら、まったく親を凡愚の典型としか見ていませんでした。今思うと、顔から冷や汗が噴き出しそうです。30代になって、少しは親を見直しました。40代になったとき、親の生きざまをインタビューしはじめ(録音もしました)、その裏付け調査をして、生い立ちとして文章化していくなかで、日本の現代史が私にとって身近なものになりました。親を人生の先輩として評価することもできました。
 父の場合は、朝鮮半島から徴用労働者を日本へ連行するという、日韓・日朝関係では避けて通れない蛮行に、三井の「労務」担当として従事していたのでした。
 母の異母姉の夫(中村次喜蔵)は第一次大戦中に青島(中国)にあったドイツの要塞攻撃に参加して手柄をあげ、かの有名な秋山好古(日露戦争のとき、騎兵を率いてロシア軍を撃破)の副官にもなり、終戦時には第112師団の師団長(中将)として満州で愛用の拳銃をもって自決したことまで分かりました。偕行社に調査を依頼して判明したのです。
 日本人は戦争被害者であると同時に加害者でもある。このことを親のことを調べていくうちに実感させられました。いずれも簡単な小冊子にまとめたところ、これを読んだ甥が感動したと言ってきました。
 父の弟は応召して中国大陸に渡り、終戦後は、八路軍に技術者として何年間か協力させられました。国共内戦のなか、満州を八路軍とともに転戦したのです。このことを調べるなかで、百団大戦とか国共内戦の実情などが身近なものになりました。
 日本は、歴史的事実に対して今なお率直に認めず、中国や朝鮮、韓国に対してきちんと謝罪していないと私は思います。むしろ、開き直ってさえいます。自虐史観とかいって事実直視を非難するのはあたりません。事実は事実として認め、過去の事実から現代に生きる我々は何を教訓として学び、今日に生かすべきか、もっと冷静な議論が必要に思います。
 あなたは、自分の親がその若いころ、何をしていたか、どんなことを考えていたか、ご存知ですか? それを知りたいと思いませんか。
ちなみに、私の亡父は大学生のころ法政大学騒動の渦中にいたようです。三木清がいたころのことです。私も東大「紛争」のとき、大学2年生でした(私は当事者の一人として、紛争とは呼びたくありません)。じっくり読んで、人生を考えてみるのに絶好な本です。
 
(2010年5月刊。2300円+税)

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